30 お祭りの始まり
いよいよ祭り当日がやってきた。
前日の夜はソワソワしてしまってよく眠れずに、結局浅い眠りのまま、日の出と共に目覚めてしまった。
早起きしてしまったので、いっそ早めに現地入りしようかしら、と、家を出たのがつい先ほどのこと。
木箱にシロップの大瓶を詰め、さらに氷の塊を入れた冷凍ボックスも積んで、重たい台車をガラガラと押していく。
早朝だというのに、街は既に賑わっていた。祭りの準備に勤しむ人々の活気に満ちていて、通りを歩いているだけで元気が出てくる。
自分のスペースにたどり着くと、先日までは空っぽだった隣のスペースにも、しっかり店ができあがっていた。
どうやらお隣さんは串焼肉の店らしい。店先に大きな鉄板と肉の塊がドンと置かれていた。
店員は机の下に潜り込んで、荷物の整理をしている。アルメはチラリと覗き込んで、ドキドキしながら挨拶の声をかけた。
「おはようございます。隣の店のアルメと申します。本日はよろしくお願いします」
「おー、はよーっす」
短く返ってきた返事は、女性の声だ。机の下からもぞもぞと出てきた店主は、気だるげな表情で挨拶を寄越した。
「アタシはジェイラ。うちは見ての通り串焼肉屋さ。よろしくさん」
「私はアイス屋です。三日間よろしくお願いします」
「あー? 何、アイス屋って。氷でも売るの?」
「ええと、まぁ、そんな感じです。デザートですが」
「ほーん」
串焼肉屋のジェイラは、興味があるのかないのかよくわからない声音で返事をした。
彼女はアルメより年上に見える。褐色の肌に、銀色の長い髪をポニーテールに結っていて、耳飾りがジャラジャラだ。
背が高くて、豊かな胸元にくびれた腰回り。お腹を出すデザインの服に、膝上丈のスカートを合わせている。長いまつ毛の垂れ目が色っぽい。
なんとも誘惑的な見目をしているけれど、媚びないザックリとした喋り方が色気を相殺している。
前世の感覚で例えるなら、ギャルとヤンキーと色っぽいお姉さんを足して割ったような感じだろうか。
(……ちょっと見た目は怖そうだけど、挨拶は返してくれたし、きっと良い人、よね……?)
アルメとはあまりにも正反対のタイプなので、なんだか緊張してしまった。
ジェイラは挨拶を済ませると、さっさと作業に戻っていった。その辺のものを豪快に足で押しのけたりしている。
隣同士で三日間お世話になる相手だが、大丈夫だろうか。お互いお手洗いで席を外す時などに、店番をお願いしたり、ということを考えていたのだけれど……。
(……で、でも、女性でよかったわ! 男の人よりは気を遣わずに済むし……!)
そう前向きに考えて、アルメも作業に取り掛かることにした。
机の上にテーブルクロスを広げ、シロップ瓶を並べる。赤色、桃色、黄色、緑色、青色、と並べると、日差しの光が虹色を反射した。
祭りの三日間は全日晴れの予報だそう。エーナの情報によると、街中の多くの占い師が同じように予想しているそうなので、ほぼ当たりだろうとのこと。
占いの金難がばっちり当たった後なので、アルメもその予報を素直に信じることにした。
暑くなりそうなので、氷のブロックはたっぷりと用意しておいた。家の冷凍庫にもまだたくさんストックがある。
氷を入れている冷凍ボックスには自作した氷魔石を入れているので、手をかけずとも自動で保冷されている。
シロップの周りにも氷魔石を置いているので、アルメのスペース周辺はひんやりしていて涼しい。直射日光の下でも快適に過ごせるのは、氷魔法士の特権だ。
店の準備を終えて、つり銭やらの最終確認をする。
食器類は机の下に置き、洗い用の桶は椅子の横に設置した。
(――よし、準備はばっちり)
そう心の中で呟いた時、ちょうど街の鐘が鳴った。
カランコロンと大きく響く鐘の音は、四季祭りの始まりを告げるものだ。
中央、そして東西南北全ての地区で同時に鳴る音は、空に反響して混ざりあい、大きく音楽を奏でている。
鐘の音と共に、周辺から一斉に歓声が上がる。
『夏の神に感謝を――! ルオーリオに栄光を――!』
酒瓶を開ける音と、グラスがぶつかる音。人々の高らかな祈りの声が響き、祭りがスタートした。
■
鐘が鳴った後少ししてから、通りの賑わいがドッと増した。人々が街に繰り出し始めたのだ。
地元民はもちろんのこと、この日を狙って観光にきた人々も多くいる。
途端に人出が増した通りの一角で、アルメはせっせと氷の塊と格闘していた。
物珍しそうに見入る子供たちを前にして、氷を削り出していく。
まな板の上に山となっていくかき氷を見て、子供たちはキャッキャとはしゃいだ。
「すごい、雪だー!」
「雪初めて見た!」
「触っていい?」
「こらこら、食べ物だから触っちゃダメよ」
たしなめつつ、三つ分のかき氷を用意していく。
「シロップは何味がいい? イチゴ、マンゴー、桃、メロン、砂糖蜜から、三つまで選んでいいわ」
「えっ、三つもいいの?」
「う~ん、どうしよっかな~」
「違うの選んだら、ちょっとちょうだいね!」
子供たちはあれこれ迷った後に、各々味を選んで受け取った。
近くのベンチに座って嬉しそうに食べている姿を見ると、顔がほころぶ。
子供の客はこれで十組目。カラフルなシロップ瓶と雪みたいな氷に興味を引かれるのか、祭り開始直後から売上が好調だ。
(子供の受けは良いみたいだから、この調子で大人にも人気が出てほしいのだけれど)
子供の客はそこそこだが、大人の客はまだ三人ほどである。
さっきから子供ばかりが店を囲んでいるので、『子供のおやつの店』だと思われているのかもしれない。
(――と、なると、大人を寄せるには呼び込みをして売り込まないと駄目かしら)
そう考えつつ、チラリと隣の店を見てみる。
ジェイラは鉄板で肉を焼きながら、通りがかる人に向かって大声で呼び込みをしまくっていた。
「串焼肉ー! 串焼肉はいかがー! ピリ辛ソースがたまんないよー! そこの兄ちゃんたちどうよ! 男前だからサービスするよ!」
呼ばれた男たち――といっても、年齢的には中年だ――が笑いながら店に寄ってきた。
なるほど、呼び込みが上手い。ものすごく手慣れているので、ジェイラは出店の常連なのかもしれない。
(私も、ジェイラさんみたいに……!)
彼女を真似してみよう、と意気込んでみたけれど、いまいち声が出なかった。通りで大声を張り上げるというのは、なんだかちょっと恥ずかしさがある。
「かき氷はいかがですかー、美味しいですよー――……」
不慣れな呼び込み声は、周囲の喧噪でほとんどかき消されてしまった。
どうやら呼び込みとは、意外と技術と体力、そして気合いが必要になるものらしい。照れている場合ではない。
もう一度腹から声を出してみよう、と覚悟を決めた時――思いがけず、隣のジェイラに声をかけられた。
「お、なんだ、あんたも呼び込みとかすんのか。静かにやりたい派かと思ってたわー。邪魔じゃなけりゃ、アタシが声を貸してやろっか?」
「え? っと、声を貸すとは?」
「一緒に呼び込んでやるってこと。なんだっけ、アイスだっけ? その食べモン、なんか名前あんの? 初めて見たんだけど」
「いいんですか!? ええと、これはかき氷と言って――」
思ってもみなかった突然の提案に、声が裏返ってしまった。ジェイラは相変わらず気だるげな態度だけれど、声音はなんだか楽しげだ。
アルメがかき氷を説明すると、ジェイラは悪戯な笑みを浮かべた。
「氷っつーか、それ雪じゃね? 白いから名前は『白鷹』で決まりっしょ。『白鷹の雪菓子』とかよくね?」
「白鷹の雪菓子……」
一瞬で『かき氷』がこの街仕様に改名されてしまった。
ジェイラは自分のネーミングがツボに入ったのか、ゲラゲラ笑いだした。
「今時、白いモンはなんでも白鷹って呼んどきゃ売れるんよ。この名前なら、街の女どももいちころだぜ」
「そ、そうでしょうか……?」
「おうよ! 任せとけって」
ジェイラは人通りに向かって、また慣れたように大声を放った。
「白鷹の雪菓子はいかがー! この店でしか食べれない逸品だよー! 白鷹のファンなら食べなきゃ損だ! そこのお嬢さんたち、どうだい? 暑さに参ってる兄さんたちも、雪で涼んでいかないかい!」
気持ちが良いほどよく通る声で、ジェイラは通りの人々を次々と寄せてきた。白鷹に魅かれた女性客や、涼を求める男性客。興味を持った客がワラワラと店を囲んでいく。
ひとたび店の周りに人が集まると、その集まりが気になるのか、さらに人が集まってくる。
「わっ、ありがとうございます! すごい……!」
「いいっていいって。人が集まれば、うちにも客流れてくるしー」
ジェイラは集まった人だかりに向けて、また串焼肉を売り込み始めた。アルメも大急ぎで客の対応を始める。
客に囲まれた中で氷をシャバシャバ削ぎ出すと、わぁ、と歓声が聞こえた。
次々グラスに氷を盛って、注文通りにシロップをかけていく。
スカイハーブの青色シロップをかけた客にレモンの説明をすると、満面の笑顔を見せてくれた。
「見て! シロップの色が変わった!」
「わぁ綺麗! 私もそれにしようっと!」
人々はかき氷――白鷹の雪菓子で大いに盛り上がっている。大人たちにも気に入ってもらえたようだ。
わずかに人の波がはけた瞬間を狙って、もう一度改めてジェイラにお礼をしておく。
「本当にありがとうございます、助かりました! かき氷に良い名前も付けていただいて」
「いやいや、むしろこっちこそありがとうって感じだよ」
「え?」
首を傾げると、ジェイラはアイス屋のスペースに向かって両手を広げた。
「だって、今日すげー涼しいんだもん。いつもはアタシの店、火と鉄板で地獄みたいな暑さなのにさ。今日はそっちから冷気が流れて来っから、ありえんくらい快適!」
ジェイラはアイス屋周辺の空気を自分の方へ取り込むように、両手でパタパタとあおいだ。
言われてみれば確かに、この気温この日差しの下で鉄板を前にして肉を焼き続けるのは、地獄かもしれない。
アイス屋の氷魔法の冷気が、意図せず良いお裾分けになっていたらしい。
「なるほど。私は氷魔法が使えるので、もし冷気が欲しかったら言ってください。そちらへ送りますよ」
「助かる~! 精霊の占いによると、明日の気温が一番やばいらしいから、明日倒れそうになったら本気でお願いしたいわ。アタシ祭りで何回かぶっ倒れてっからさー」
「倒れる前に助けます……! すぐ言ってください!」
へラリととんでもないことを言われたので、勢いよく返事をしておいた。
最初の不安なんて嘘みたいに、その後はジェイラと仲良く仕事に励むことができた。
ジェイラが呼び込みをして人を集め、二人の店で客を分けた。
ピリ辛の串焼肉を食べた後に雪菓子で口と体を冷やしたり、逆に雪菓子で涼んだ後、熱い串焼肉でしっかり腹を満たしたり、と、両方に手を出す客も多かった。
そうして順調に営業していたところに、ひと際目立つ白い服を着た男の人が来たのが、昼頃のことだった。
男の人――といっても、まだ十代の若さに見える。黒髪で眼鏡をかけたその人は、キョロキョロしながらアイス屋へと寄ってきた。
「あの……アルメ・ティティーのアイス屋とは、こちらのお店でしょうか?」
彼は看板の字とアルメの顔を交互に確認しながら、ソロソロと尋ねてきた。
返事をする前に、ジェイラが目をまるくして声を上げた。
「うわ神官様じゃん! 神官様が祭りでうろついてんの初めて見たわ。サボりっすか?」
ヘラっとしたジェイラの言葉に、男の人――若い神官はムッとした顔をした。
「サボりではありません、失礼な。僕は、ええと……ちょっと使いで来ただけです」
そう言うと、若い神官は眼鏡をくいと上げて、優美な白い神官服を揺らした。




