249 社交バトルと対クレーマースイッチ
『魔物と生まれてきた忌み子』と、プリシラは口にした。
彼女の声音と表情がスッと冷えたのを感じて、アルメはパチリと瞬きをする。
すっかり酒のまわった、花畑の頭で対応してしまっていたけれど……雰囲気が冷えたことで、冷静さを取り戻すことができた。
今更ながらまじまじと見てみると、プリシラは笑顔を歪めている。
(もしかして……いや、もしかしなくても、私、今バトルの最中にいる……?)
プリシラが浮かべている表情や、こういう声のトーンには覚えがある。ブライアナまわりで何度か繰り広げられていた『貴族のご婦人バトル』では、皆こういう雰囲気をまとっていた。
つまり今、プリシラはアルメにバトルを仕掛けているみたいだ。……今、というか、もしかしたらさっきから、戦が繰り広げられていたのかも。
その証拠に、控えている側仕えたちが渋い顔でオロオロしている。
(ま、まずい……全然空気を読めていなかったわ……。今までのプリシラさんのお話、もしや全部煽り文句だったのかしら……)
ファルクの昔話を聞くことができて、純粋に楽しんでしまっていたが……喧嘩を吹っ掛けられていたのだとしたら、自分はとんだ煽り返しをしていたことになる。
酔いがまわると、根っからのルオーリオ民気質が出てしまう質なのだが……意図せず陽気対応の煽りを繰り出して、火に油を注いでしまったみたい……。
――ちなみにエーナ評によると、アルメとジェイラとアイデンあたりは、特にそういう傾向があるとのこと。
(でも、それほど飲んでないわよね……。小ぶりなグラス一杯半くらいで、こんなにふわふわになってしまうなんて。……もう控えておきましょう。ベレスレナのお酒……恐るべし)
酒のグラスをそっと下げると、側仕えたちが水のグラスを差し出してくれた。ありがたく受け取って口にする。
未だふわふわとした心地は残っているけど、ひとまず花畑からは脱することができた。
いくらか表情を落ち着けて向き合うと、何か調子づいたらしいプリシラがペラペラと話し始めた。
「アルメ様、お可哀想に……驚きに声も出ませんか? まぁ、ショックを受けるのも当然ですよねぇ。ファルケルト様が、魔物と一緒にお生まれになっていたなんて。おぞましいお話ですものね」
「あの……それは本当なのですか? どこぞの陰口の、作り話ではなく?」
「陰口などではございません。昔、彼のお姉様からお聞きしたことですから。お兄様――ご当主様がそうおっしゃっていたとか。魔物に抱かれて生まれて、屠られたはずなのに蘇った禍々しい忌み子なのだと。彼の本性は魔物か、悪魔か……。あぁ、なんて怖ろしい……結婚を控えたアルメ様の身が心配でございます。重々お気をつけくださいませね」
プリシラはそう、忠告してきた。
心配そうに眉根を寄せているが、唇は綺麗な弧を描いている。胸の内では嗤っているのだろう。――いくらか酔いが飛んだので、正しく察することができた。
傍から聞けば、作り話としか思えない内容だけれど……アルメは思い当たることがあって、内心で納得してしまった。
(ファルクさん、旅の少し前からずっと、何か言いたそうにしていたけど……この、生まれに関することだったのかしら)
なるほど、そういうことかもしれない、と見当を付けて、ふむと頷く。
実際どうなのかは、本人に確認してみないことには何も言えないけれど。でも、とりあえず、今アルメがプリシラに言うべきことは一つである。
ぽやぽやとした酔っぱらいの表情を完全に切り替えて、アルメは毅然とした態度でキッパリと言葉を伝えた。
「ご忠告いただき恐れ入ります。ですが、生まれに関わる話などは、繊細なものでございましょう? そういったお話は当人の口から聞くべきことで、他人が――あなたが、軽々しく話していいことではございません。――と、思うのですが、私は何かおかしなことを言っておりますか?」
「えっ……っと、いえ……」
貴族のご婦人社交バトルの経験はないけれど、クレーム対応の経験ならばそれなりだ。自分だって場数を踏んできているので、怯む気などはない。
アルメはまとう雰囲気を『対クレーマー用』に変えて、攻めに転じる。
突然、表情と声音を変えたアルメに面食らって、プリシラは口を薄く開いたまま固まった。
追撃、というと物騒だが……思い返すと今まで言われ放題だったような気もするので、こちらも言いたいことは言わせてもらおう。
たじろぐプリシラを前にして、言葉を続ける。
「それに、そのお話が本当だとしても、私としては何の不都合もありませんから、ご心配には及びません。というか、むしろ親近感を覚えます。おあいこのような感じがして」
「おあいこ……? ええと……何をおっしゃっているのだか……」
「実は私も魔物と一緒に生まれた身でしてね」
ペラッと明かすと、プリシラはあからさまに怯んで半歩後ろに引いた。
先に怪談じみた話を持ち出してきたのはそちらなのだから、こっちも一つ、話のタネを披露しておこう。
「私は妹が高等魔物というものだそうでして。一時ではありますが、一つ屋根の下で共に暮らす、という経験もさせていただきました。なかなかに大変でしたけれど、今となっては人生の良き思い出でございますよ」
「……そ、それこそ、作り話でございましょう……?」
「妹は城で大暴れをして、大変な騒ぎになりましたゆえ、恐らくこの件はルオーリオ史に刻まれているかと存じます。お疑いになるのでしたら、どうぞご自身でお調べくださいませ」
アルメは例の事件に思いを馳せて遠い目をしながらも、ニコリと接客スマイルを張り付けて言う。
いよいよプリシラは逃げ腰になってきたが、対するアルメは調子が出てきた。やはりまだ酔いが残っているみたいで、いつもより滑らかに口がまわる。
「そんな妹に比べたら……百歩譲ってファルクさんが魔物とか悪魔であったとしても、可愛いものでしょうね。足元をピヨピヨと跳ねまわる、魔ヒヨコくらいのものでございますよ」
自分で言っておいて、真っ黒なヒヨコを想像して和んでしまった。黒くてもきっと可愛いに違いない。愛せる自信がある。
水のグラスを側仕えに預けて、アルメは今一度、プリシラに正面から向き合う。
酔いに任せて、ちょっと話が脱線したけれど。話を戻して、伝えるべきことを伝えておく。
「彼の生まれがおかしかろうが、魔物や悪魔だろうが、鷹だろうがヒヨコだろうが、私は愛しておりますし、これからも愛していく。――婚約に際し、そう心を決めております。先ほどのプリシラ様のお話とご忠告は、申し訳ございませんが、何も聞かなかったことにさせていただきたく存じます。ささやかな社交とやらも、お開きにいたしましょう。お引き取りくださいませ」
妙な難癖をつけてくるクレーマーを店から追い出す時のように、アルメはピシャリと言い放つ。
プリシラはどう返事をしようかと迷った様子で、口を開け閉めしていたが――……ふいに、彼女の泳いでいた目が何かをとらえたようで、横を向いた。
つられてアルメも目を向けると、二人の横のほう、程近くにファルクが立っていた。お喋りにかまけていて、まったく気が付かなかった。いつからいたのだろう。
アルメも驚いたが、それ以上にプリシラがギョッとした顔をして、大慌てで身を低くする。
結局彼女は口をつぐんだまま、青ざめた顔で頭を垂れて、逃げ出すように去っていった。
酔いのせいか、はたまた驚愕による震えのせいか、遠ざかっていく背中はフラフラしている。
どこから聞かれていたかはわからないが……上位神官の陰口を当人の前で吐き連ねてしまった、という過ちは、きっとこの先、彼女の心に影を落とし続けることだろう。
侮辱の罪に問われるのではないか、と、ハラハラ怯えながら暮らすことになりそうだ。……哀れである。
人波に消えていく赤いドレスを見送っていると、ファルクがアルメの手を取った。両手で包み込むように握りしめて、彼は重い口を開いた。
「……遅くなってしまい申し訳ございません。戻りました。……あと、もう二つ謝らせていただきます。すみません、途中から、お二人のお話を立ち聞きしておりました。それから……俺の生まれに関する話を、お伝えするのが遅くなってしまい……申し訳ございません」
「前二つの謝罪はいいとして、生まれの話は本当なのですか? ええと、魔物に抱かれて生まれたとか……?」
「俺もつい先日、兄から詳細を聞きまして……。彼が言うには、朧な昔話ではあるけれど、そういう妙なことがあったと……」
ファルクは手を握りしめながら、経緯を語り始めた。
旅行前の時点で、ルーグからチラッとは話を聞いていたけれど、アルメに話すタイミングを掴めずにいたそう。
それからベレスレナに来て、さらに兄から詳細を聞いたとのこと。
黒泥の魔物に抱かれた状態で生まれ、泥諸共、父に屠られて。そしてどういうわけか蘇って、今ここにいる――という不可思議な話を。
秘めていたことをすべて明かした後、彼は例えがたい複雑な表情をして、自嘲を滲ませた声で言う
「怪しく、定かでない話ですが……とりあえず、そのような生まれのようです。すみません、気味が悪いでしょう……。……でも、こんな生まれを知ってなお……俺はアルメさんに嫌われたくないと、身勝手な望みを抱いています。独りよがりな想いをお許しください」
彼はしょんぼりとした顔で望みを口にした。
その手を両手で力強く握りしめて、アルメはもう一度、想いを告げる。
今度は立ち聞きの形ではなく、真正面から聞いてもらおう。
「独りよがりなんかではありませんよ。私があなたを嫌うことはありませんから、ご安心を。もうお聞きしたかと思いますが、私の答えはさっきの通りです。あなたの生まれがどうであろうと、あなた自身がどういうものであろうと、私はファルクさんをお慕いしています。心を交わして、人生を共にする想いを同じくした、今、ここにいるあなたを愛していますよ」
改めて気持ちを伝えると、彼は噛み締めるように唇を引き結び、しばらくの無言を保った後――……ポロリと、涙をこぼした。
急にポロポロとこぼれだした涙に、アルメはギョッとしてしまった。
「わ……!? ちょっと!? 泣かないでください! というか今の、泣くような内容でしたか!?」
「……すみません……感極まって…………パーティー会場で涙を見せるような、情けない泣き虫はお嫌いですか…………?」
ポロポロめそめそと泣き声をこぼすヒヨコを見て、アルメはあきれながらも、深く頷く。うん、やっぱりこの人を評する一番の言葉は、『可愛い』で正しいのではないか、と。
「嫌いではありませんよ。そういうところも全部ひっくるめて、大好きでございます」
「…………っ……」
そう答えると、ファルクは両腕をガバリと広げて、胸元にアルメを閉じ込めた。
周囲の人々は、泣きながらパートナーを羽交い絞めにする男の姿を見て、『何か、別れ話のもつれでもあったのか……?』なんて詮索していたけれど……別れるどころか、この随分と大きなヒヨコは、しばらくは引っ付いたままになりそうだ。
少なくとも、この夜会の間は引き剥がすことができなそう。
アルメは潔く諦めて、巨大ヒヨコを引きずりながらパーティーを楽しむ覚悟を決めたのだった。




