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247 予期せぬ社交と北の酒

 挨拶まわりを終えて、二人は広間の壁際――暖炉の近くに寄って乾杯をした。ファルクはレモンジュースだが、アルメはお酒をいただく。


 この紫色をした美しい色のお酒は、ルオーリオでは見たことがない。というわけで、好奇心のままに手に取らせてもらったわけだが……一口飲んだ直後に、思い切りむせてしまった。


「んぐふ……っ、このお酒、かなり強いですね……! のどにくる……っ」

「あぁっ、自分が飲まないものだから、うっかりしてました! ベレスレナの酒は南方に比べてきついそうで……! 大丈夫ですか?」

「大丈夫です……大丈夫っ。のどが焼けるようですが……でも、香りがものすごく良くて、癖になる味わいですね。これ、何のお酒でしょう? あぁ、でも、やっぱりきつさが……うぅっ……のどが熱い……っ」

「無理に飲むのはおやめなさい! 水を――」


 目にも留まらぬ速さで、ファルクはアルメのグラスを取り上げた。


 水のグラスを得るために、給仕の姿を探したが――……その時、ふいに広間の扉のほうから大きな声が上がった。


「恐れ入りますが、神官様はおられませんか!? 正面玄関の階段で転倒の事故がありまして……!」


 会場内の人々は一斉に声のほうへと目を向けた。毛皮のコート姿で剣を下げた男――表の守衛と思しき男が慌てた様子で広間を見回している。


 ファルクは面持ちを涼やかな仕事の顔に変えて、アルメに声をかけてきた。


「ちょっと様子を見てきます。他にも神官はいますから、すぐに戻りますので」

「私のことはお構いなく。行ってらっしゃいませ」

「すみません、失礼します。――皆、しばしの間、彼女を任せます。楽しきお喋りのお供を」


 控えている側仕え三人を近くに呼び寄せて、ファルクは足早に広間を後にした。



 颯爽と歩き去った背中を見送ってから、アルメはコソリと給仕を呼び、改めて酒のグラスを手にする。


 まだ三口ほどしか味わっていないのに、ファルクに取り上げられてしまったので……せっかくなので、もう少しだけ味わいたい。


 お喋り相手が側仕えに変わったのをいいことに、またチビチビと飲み始めた。


「きつさはかなりのものですけど……でも、素敵な香りのお酒ですね。果物のお酒でしょうか?」

「ベレスレナの妖精樹の果実酒だそうですよ。私もあまり詳しくはないのですが、希少なお酒と存じております」

「市販されてるなら、これもお土産にしようかしら。ソーダとかで割ればもう少し飲みやすくなりそうですし――……」


 あれこれ話をしながら口にしているうちに、段々とアルコールのきつさにも慣れてきた……ように思う。酔いによって感覚が鈍くなってきただけかもしれないが。


 そんなこんなで、小ぶりなグラスはすっかり空になった。爽やかな果実の香りとほどよい甘みが絶妙で、慣れると存外、飲みやすいお酒かもしれない。


 グラスを空けた後、側仕えが水を勧めてきた。


 ……――けれど、そのグラスを受け取る前に、アルメの前には別のグラスが差し出されたのだった。


 スイと側に寄り、グラスを持つ手を伸ばしてきた人は、なんと先ほど挨拶を交わしたファルクの昔の縁談相手だ。

 鮮やかな赤いドレスが、赤茶の髪と目の色によく合っている。


 彼女は『乾杯しましょう』とばかりに、グラスをこちらに向けながら声をかけてきた。


「ごきげんよう、ティーゼ様。よければ、少しお喋りでもいかがでしょう。先ほどは、お互い夫のいる手前、控えていることしかできなかったでしょう? 殿方抜きで、気楽なお喋りはいかが?」

「ええと、ブラン様、光栄でございます」

「わたくしは名をプリシラと申します。どうか、そのようにお呼びくださいまし」

「私はアルメと申します」


 女性はプリシラと名乗り、上品な笑みを浮かべた。


 彼女曰く、夫と息子が話の長い親戚につかまってしまって、一人放り出されてしまったのだとか。 

 お互いの時間潰しに、ささやかなお喋り会を、とのこと。


 拒否するというのも印象が悪いので、アルメは乾杯用に、今一度酒のグラスを手に取った。

 

 心配そうな面持ちを向けている側仕えたちに、『ファルクが戻ってくるまでの間だけ』という意味を込めて視線を送る。

 彼女たちは迷った様子を見せながらも、半歩下がって控えた。





 予期せず始まってしまった女主人――アルメの社交を、側仕えたちは注意深く見守る。


 男性が寄ってきた場合は即座にアルメを引っ込めて、接触を回避すること――という命を受けているけれど、女性がお喋りを求めてきた場合のことは、特に命じられていない。


 イレギュラーな事態というと大袈裟だけれど……ひとまず様子を見ることにして、二人の会話に耳を傾けることにする。


 プリシラと名乗る女性が乾杯の口上を述べて、ささやかな社交が始まった。


「アルメ様はファルケルト様と南方で出会われて、ご結婚を?」

「副都ルオーリオでご縁がありまして。結婚は、正確にはこれからでございます。今は一応、婚約関係という感じでして」

「そうでございましたか。ふふっ、婚約中というのは、言ってみれば『本当にそのお相手と将来を共にするかどうかを決める、最後の猶予期間』でございますからね。良き人生のために後悔せぬよう、よくよくお考えくださいませね」


 プリシラはニコリと笑ったが、対する側仕えたちは表情を曇らせた。


 別段、おかしな会話ではないけれど……どことなく、モヤつきを感じる言い回しをされたような気がするのは、考えすぎか。


 側仕えたちの怪訝な面持ちをよそに、アルメはごく軽い声音で会話を進めた。


「そうですね。『婚約の破談』よりも『結婚後の離縁』のほうがバツの重みがありますし、婚姻の決断は慎重になるに越したことはありませんよね」

「えぇ、えぇ、本当に。いまいちだと思ったならば、縁談を蹴る覚悟なんかも大事だと思います。わたくしも思い切って()()()()()を見送って、次の縁談で幸せを手にすることが叶いましたのよ。思い返す度に、かつての自分の決断に胸をなでおろす心地でいます」

「プリシラ様にとって、良きご決断となったのですね」

「そうですの。良い領地を持つお家に入ることができまして、健康な男女二人の子にも恵まれて。夫は男らしくて頼もしいし、言うことなし。良縁の神様のご加護に預かることができました」

「それはそれは、素晴らしいですね! お幸せに暮らしておられるようで、なによりです。これからもプリシラ様に良きご加護がありますよう、心からお祈り申し上げます」


 ペラペラと流れるように繰り出されるプリシラのお喋りを聞いて、側仕えたちはさらに顔を渋くした。もしかして彼女は、アルメに『幸せ誇示(マウント)』を仕掛けるために、話しかけたのだろうか。


(……今、さらっとマウントを繰り出されたような気がするけれど)

(でも、アルメ様、普通に楽しげにお喋りをしておいでのよう……)

(私たちが斜に構えているから、嫌味に聞こえるだけで……もしかして普通の会話の範囲なのかしら……?)


 なんだかわからなくなってきた……我々が考えすぎているだけなのだろうか。


 念のため、二人の交流は強制終了させるべきか。それとも、アルメも適当に流しているようだし、このまま穏便にやり過ごし、会話が終わるのを待つか――。


 悩んでいるうちに、プリシラがアルメに話を振ってきた。


「うふふ、ありがとうございます。アルメ様はどうでございましょう? ファルケルト様と幸せに過ごされておりますか?」

「はい、それはもう。とはいえ、まぁ、時には色々ありますけれど」

「まぁ、何があったのでしょう? あのお方は今でこそ、ご立派な身分をお持ちですが、その実は少々情けないところがおありでしょう? こう、うじうじと思い悩むところがあったり、心が狭く、頑固なところがあったり。アルメ様はお困りではないですか? ふふっ、殿方のいない場ですし、わたくしにだけは愚痴をお吐きになってもよろしくてよ?」


 プリシラの上品な微笑みが、一瞬ニヤリと歪んだ。側仕えたちは、それを見逃さなかった。


 これは、味方を装ってアルメの愚痴を引き出して、隙あらば『自分のほうが幸せマウント』へと繋げる巧みな話術であろう。


 貴族の夫人たちが得意としている誘導話術である。彼女たちは日頃のサロンで鍛えられているが、アルメには対抗できるほどの経験値などないはず――。


 やはりこのプリシラという女性は、危険人物だ。女主人を守らなければ――と思って、動きかけたのだけれど、側仕えたちが割って入る前に、アルメののほほんとした笑い声が上がった。


「ふふふ、プリシラ様ったら、面白いことをおっしゃいますね。隠れてお話ししなければならないような愚痴は、特にございませんよ」

「あら、そうですか。アルメ様は情の深い、お優しい方なのですねぇ。うふふ、わたくしには耐え難いお相手でしたのに、ファルケルト様は。世に(まれ)に見る、変わり者の殿方だと思いませんこと? いくらお顔とご身分がよくても、あのようにおかしな方と添い暮らすのは、一体どれだけの苦労が伴うか。あぁ、わたくし、アルメ様の将来が心配ですわ」


 プリシラは上品な喋り口を保ったまま、やんわりと、それでいて確かに、昔の縁談相手――ファルクを(けな)して(わら)った。


 クスクスと嘲笑うプリシラ。けれど、その笑い声にケラケラという調子はずれの明るい笑い声が乗っかった。


 アルメまで一緒になって笑っているのだった。


「ふふっ、確かに、あのお方は世に稀に見る変わり者でございますね。おっしゃる通りです。ふっふっふ、他には何かございませんか? 彼に関する面白い見解を、是非ともお聞きしたく」

「え、はぁ、面白い見解……?」


 嗤っていたプリシラが口ごもり、動きを止めた。側仕えたちも怪訝な顔をして、よくよくアルメの様子を確認する。


 手にしていた二杯目の酒は、いつの間にやら半分以上飲み干されていた。


 今更ながら、女主人がすっかりできあがってしまっていることに気が付いて、側仕えたちは『しまった……!』と顔を見合わせる。


 慌てて水のグラスを差し出したが、アルメは適当な返事でへラリとかわした。

 プリシラに迫って、南方の強い日差しのごとき笑顔を向ける。


「プリシラ様、さぁ、お喋りの続きを。おかしな白鷹様の、とびきり面白い話をいたしましょう」

「え、えぇ……」


 グイと距離を詰めて陽気に笑うルオーリオの民――いや、ルオーリオの酔っぱらいを前にして、プリシラの口元の笑みが引きつった。


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