246 氷城の夜会での挨拶まわり
茶会を経て、その次の日から二日間は、二人でゆっくりと街をまわった。
観光を楽しんだり、土産物を物色しつつ――。お誘いをもらった夜会がもう翌々日の夜とのことで、急ぎ衣装も調達した。
帰りの荷物が増えるから、ドレスはレンタル的なものでいい――と、伝えておいたはずなのだが、ファルクは素知らぬ顔で購入していた。
『結婚後は城に上がる機会も増えるだろうし、ドレスを多く持っていて損はない』などと言い包められて、アルメは新たに鮮やかな青色のドレスを手にしてしまったのだった。
そうしてそのドレスを身にまとい、夜会が催される南麓の氷城前に降り立ったのが、つい今さっきである。
夜会当日、そろそろ日没を迎えようという時間帯。
魔石ランプの照明で幻想的にライトアップされた城の脇――馬繋場にて、アルメとファルクと従者たちの一行は、馬ソリから降りた。
そびえ立つ城を見上げて、アルメは白い息と共に感嘆の声を上げた。
「お城が凍ってますね……! 童話絵本の中に出てくる景色みたい」
氷城という呼び名の通り、目の前の城は氷の衣装をまとっている。
背後には大きな山と切り立った崖が迫っていて、その崖上から滝の水が降り注ぎ、氷の衣を作っているみたいだ。
「後ろの山は火の気を蓄えているので、この寒さでも川が凍ることなく流れているんです。なので、滝の水もとめどなく落ちているのですが……崖下で水しぶきを浴びている城は、火の気の加護に預かることができずに、凍り付くはめになっている、と」
「その言い方だと、なんだかお城が可哀想になってきますね。寒そうで……」
「実際、城にとっては災難だったようですよ。百年以上も昔から建つ古城ですが、建設当時は崖上の川の流れも違っていて、滝を浴びることはなかったそうで。数十年前に山崩れで川が乱れて、この様になってしまったとか」
ファルクから観光案内、もとい、城の歴史を聞きながら歩を進める。
なんやかんや壮観な佇まいで人気になったので、数年ごとにメンテナンスの工事をしつつ、今日まで氷城としての外観を保ち続けているとのこと。
そんな定期工事期間が明けて、お祝いとして催されたのが今回の夜会だそう。
幻想的な城を見物しながら、正面広場を歩いていく。
豪奢な玄関扉を潜り抜けてエントランスホールに入ると、これまた圧倒される景色が広がっていて、目を瞬かせてしまった。
迫力ある氷の外観とは一変して、中の柱や壁、天井には、優美で繊細な彩色が施されている。火魔石の空調もばっちり利いていて暖かだ。
従者に毛皮のコートを預けて、アルメとファルクは改めてパーティー仕様に装いを整えた。
アルメは肩が出る青色のドレスをまとい、首元には白い宝石のネックレスが揺れている。ファルクは後ろ丈の長い白いジャケットに青いズボン、金糸の刺繍が施されたベストを身に着け、スカーフタイを締めた装い。
シャツとスカーフで隠れているけれど、もちろん揃いのネックレスも着用している。
そして変姿の首飾りは――……身に着けていない。
麗しい白鷹の姿を惜しみなく披露していて、周囲の女性たちのチラチラとした視線をかっさらっている。
この夜会は公的な集まりではないので、色々な人が来ているはず。その姿での参加で大丈夫なのだろうか……と、アルメはソワソワしてしまった。
「あの、今更ですが、素のお姿で夜会をうろついていて大丈夫なんですか? 騒ぎになったりしません……?」
「ルオーリオとは違いますから、こちらでは平気かと」
ハラハラするアルメとは裏腹に、ファルクは涼しい顔をして、周囲の目など構うことなく肩を抱いてきた。
会場となる大広間に向かって歩きながら、彼は苦笑混じりに言う。
「声を掛けてくる方々は、まぁいるでしょうけれど。でも、ルオーリオの民のように、白鷹に黄色い声を上げる人々はいませんよ」
「そうでしょうか……?」
「えぇ、城下の貴族たちとは、特に距離がありますので。俺はラルトーゼ家――出の家柄が微妙なので、彼らとは溝がありましてね。過去に陰口を囁いていた貴族家がほとんどなので、今となっては逆に、俺を恐れて皆、遠巻きにしているという」
「あぁ、なるほど、そういう……」
先日のアーレントによる謝罪会の経緯もそうだったが……昔は好き放題言うことができた格下の相手が、今や白鷹という高い身分を得ているわけだ。恐れもするだろう。
アルメの前世には、触らぬ神に祟りなし、という言葉があったけれど、まさにそういった雰囲気のよう。貴族たちは皆、今の白鷹にわざわざ接触して、過去を蒸し返される事態になることを避けているみたいだ。
場所が変われば、文化も価値も変わる――とは、よく言ったものだけれど。今回の旅は、あちこちでその現象をしみじみと感じる。
「とはいえ、面倒な輩もいるかもしれませんから、俺や従者の側を離れませんよう」
「承知しました」
と、返事をしつつ、アルメは肩を抱くファルクの右腕から逃れて、反対側にまわって左の肘に手を添えた。
人々は白鷹を遠巻きにしつつも、視線だけはしっかりと向けている。……人目を集めている中でベタベタした距離でいるのは恥ずかしいので、無難な添い方に移行させてもらった。
大広間への扉を潜り抜けると、さらに華やかな光景が視界いっぱいに広がる。魔石のシャンデリアがキラキラとした明かりを落とし、歓談を楽しむ人々を美しく照らしている。
数か所に設けられた大きな暖炉には彫刻や宝石の飾りが施されていて、火が揺らめく度に光が反射して綺麗だ。
「暖炉の他には、別段、ルオーリオでのパーティーとも変わりのないものですが、氷城の夜会をお楽しみいただけましたら幸いです」
「もう既に楽しくて仕方ない心地です。……一応、お城のパーティーは人生初なので」
「あ、そう言えばそうでしたね。祝宴では、アルメさんは眠っていらっしゃったのでしたね」
「えぇ……その節は本当にご迷惑をおかけしました。何一つ覚えてない、熟睡でございました……」
ファルクははたと思い出した顔をして、アルメは渋い顔をする。――そう、なんだかんだ、ちゃんとパーティーに出席するのは今日が初めてなのだ。
ルオーリオの祝宴は楽しみ損ねたので、本日は存分に、パーティーの煌びやかな雰囲気を堪能させてもらおうと思う。
「必要な挨拶まわりだけ済ませて、後はのんびり過ごしましょう。先に少しだけお時間をいただきたく、よろしくお願いします」
「こちらこそ、マナーのご指導のほど、よろしくお願いします。今後、公人の妻になる身として、パーティーでの立ち回りの練習をさせていただきたく思います」
互いにペコリと会釈を交わした後、挨拶まわりをするべく、二人は広間の奥へと歩み出した。
ファルクは周囲を見回して知り合いを探す。最初に向かった先はアーレント夫妻の元だった。
「アーレントさん、こんばんは。改めまして、ファルケルト・ティーゼと申します。こちらは妻となりますアルメです。本日は素敵な夜会にお招きいただき感謝申し上げます」
先日屋敷で顔を合わせたばかりだが、彼はもう、アーレントのことを『兄様』とは呼ばず、自身の名乗りも改めた。
茶会で交わした約束に基づいた振る舞いだ。
アーレントも心得ている様子で、穏やかに挨拶を返してきた。
「こんばんは、ティーゼ様。この氷城で、今一度お目にかかることが叶い光栄でございます。お二人とも、あたたかな加護に満ちた良い夜をお過ごしください」
軽く言葉を交わして、ファルクとアーレントは抱擁――ではなく、握手を交わした。ファルクがベレスレナ式の挨拶を遠慮したのだった。彼はルオーリオの民として、南方の挨拶を貫くみたいだ。
アーレントは長男を連れてきていて、彼とも改めての挨拶を交わした。
そうしているうちに夫を伴ったアリエットも側にきていて、彼女たちとも挨拶を交わす。
元親族であり、新たに遠い隣人となった者たちとの挨拶を終えて、次はベレスレナ軍の関係者の姿を探す。
その次は神殿や城で関わりのある人を探して――……と、続けて数人の元をまわった。
とりあえずこのくらい声を掛けておけば、マナーとして申し分ないだろう、という判断のもと、一息つこうとした時。
もう一組、ファルクの知り合いと思しき男女が現れたのだった。
黒い短髪を後ろに撫でつけた、厳めしい見目の男性と、赤みの強い茶髪を結い上げた女性。五、六歳くらいの男児を連れている。
貴族家の男子が社交に駆り出されるのは十代半ばくらいから、という話は、なんとなく知ってはいたけれど、この子は随分と幼いうちから連れ出されているみたい。それだけ、親から期待されているということだろう。
子連れの夫妻はファルクの側に寄ると、挨拶の声をかけてきた。――と言っても、口を開いたのは夫だけだったけれど。
「お久しぶりでございます、ラルトーゼ様。こちらに戻られたとは知らず、お姿をお見掛けして驚きました」
「……お久しぶりです、ブランさん。奥方もお変わりなく。ラルトーゼから改め、ティーゼに名を変えますので、以降はそのようにお呼びください。まぁ、一時の帰省で、今後は南方に居を据える予定ですから、もうお会いすることもないかと存じますが」
「それはそれは。末永く、良き南方暮らしを。何卒お元気でお過ごしくださいませ」
ブランと呼ばれた男は、軽やかな言葉に似合わない険しい顔をして、投げやりな会釈だけ寄越すと、妻と子を伴ってさっさと離れていった。
二人が言葉を交わしている間、寄り添っていた妻は真顔を保ったまま、時折チラチラとアルメに目を向けていたが……別れ際、小さく鼻で笑ったように見えたのは、気のせいか。
どことなく変な空気を感じて、アルメは首を傾げる。
怪訝な顔をしているアルメに気が付くと、ファルクは沈んだ声音で言いづらそうに、彼らとの関係を明かした。
「ええと……今挨拶に来られた方々は……俺の昔の縁談相手と、その夫です」
「あぁ、なるほど」
一瞬で諸々の謎が解決して、アルメは目を瞬かせて頷いた。
夫のどこか不遜な物言いと態度は、恐らくファルクへの――妻の昔の縁談相手への、牽制か。妻のほうの態度はよくわからなかったけれど、まぁ、詮索する必要もない。
なるほど、と、アルメは頷くだけの反応だったのだけれど。予期せぬ相手との接触に、ファルクのほうが動揺していた。
「あの、すみません……まさか向こうから声を掛けてくるとは思わず……! 気分を害してしまうことになり……申し訳ございません……!」
「え? いえ、特に何も思っていませんから、そんな謝らずとも。昔の縁にムッとするほど子供ではありませんし」
「…………何も思わない、というのは、なんか……それはそれで……複雑なような……」
アルメが何の気なしに答えると、ファルクは頬をふくらませて拗ねてしまった。むくれた顔をして、ボソボソと愚痴をこぼす。
「……アルメさんは大人でいらっしゃいますね……。……俺はムッとしますが。もし、またフリオ・ベアトスがあなたの前に現れようものなら、きっと冷静ではいられない」
「まだフルネーム覚えてたんですか……。というか、既に一度店に来たことがありましたけど。ファルクさんが従軍されている間に」
「なっ……!? それは初耳ですが!?」
目をむいて、ファルクは頭を抱えた。拗ねた顔を、敵意むき出しの顔に変えて――いや、殺意むき出しの形相に変えて、ぐぬぬと唸り声を上げる。
(本当だ。冷静なお顔がどこかへ行ってしまったわ……)
今後、ルオーリオに居を据えるファルクと、フリオが街中でエンカウントしないよう、神に祈っておこう。……よからぬ事件が起きないように。
ファルクは散々『アイス屋への出禁を命じてやる』とかなんとか呻いた後、『もう飲まなきゃやってられない!』なんて芝居じみたセリフを吐いて、近くの給仕を呼んだ。
が、彼は神官なので酒はご法度。結局飲むことも叶わずに、素面のままムッとし続けていた。




