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243 謝罪の会と母の手帳

 一日空けて、翌々日。

 街の西の端、山麓に位置しているラルトーゼ家にて、謝罪会なる集まりが催された。


 ファルクにとっては久しぶりに帰る実家であり、アルメにとっては初めて訪れる婚約者の生家。

 本来ならば、感慨深さにしみじみするべきところなのだろうけれど……本日は謝罪会ともあって、二人ともそういう気持ちにもなれず、粛々と屋敷の中へと足を運んだ。


 屋敷は広すぎず、狭すぎずのサイズ感だが、石造りでしっかりとしている。応接間の暖炉には火が入っていて暖かだ。


 けれど、ぬくぬくとした部屋の空気とは対照的に、集まっている面々の表情は硬くこわばっている。

 

 会の主催であるアーレントと、彼の妻、そして十代前半くらいの少年が二人、控えて立っている。


 この子らはアーレントの息子たちだ。末っ子はまだ入院中とのことで、上二人が駆り出されたよう。気まずさに耐えながら、所在なげに身を縮こめている様は、ちょっと可哀想でもある。


 そしてアーレントの家族の他に、もう一人、緊張した面持ちで立っている女性がいる。彼女はファルクの姉――アリエットとの紹介を受けた。


 白銀の長い髪を結い上げた美しい容貌の女性だ。四児の母とのことだが、今日は一人で訪れたよう。

 

 顔色が青白いのは、かつて乱暴にあしらっていた弟と久しぶりの対面を果たしたからか。どことなく怯えているようにも見える。


 ――と、このように、室温の快適さとは裏腹に、流れている空気はシンと冷えていて、重さがある。


 アルメは隣のファルクにだけ聞こえるように、コソッと囁いた。


「何と言いますか……胃のあたりがピリピリしてきますね……」

「だから言ったでしょうに……無理に添うことはないと。……後で一緒に胃薬を飲みましょうね」


 ファルクも苦笑混じりに、コソリと言葉を返してきた。


 彼まで冷えた面持ちをしていたらどうしよう、と、心配をしての声掛けだったのだけれど……苦笑に緩んだ顔を見て安心した。


 自分の存在は、多少なりとも彼の気慰みになっているみたいだ。それならば、気の重い謝罪会だろうが何だろうが、いくらでも付き合おう。


 ファルクとアルメを応接間の中央に通しながら、アーレントはかしこまった面持ちで言う。


「お二人とも、本日は雪の中、ご足労をおかけして申し訳ございません。どうぞ、お掛けになってください」


 二人は促されるままソファーに腰を掛けたが、面々は立ったまま控えている。

 使用人がお茶を入れて部屋を出た後、早速、話が始まった。


 アーレントがうやうやしく胸に手を当てて、妻と息子たちも倣い、礼の姿勢を取った。


「はじめに――……改めて、この度は息子の治療に関して多大なる援助をいただき、心から感謝申し上げます。全額のご支援をいただけるとのお話でしたが……やはり忍びない気持ちがあり、わずかばかりではありますが、お返しを――」

「お気持ちだけで結構。金銭の受け取りは遠慮させていただきたく存じます。これをもって縁の清算としますゆえ。それでも気に病まれるようでしたら、神殿に寄付を」

「……かしこまりました。そのようにいたします」


 兄の言葉をピシャリと遮って、ファルクは『縁を切る』という旨をはっきりと口にした。

 アーレントも始めからわかっていたのだろう、すぐに言葉を呑み、了承する。


 そうして援助の礼と金に関わる話を手早く済ませた後、改めて会の本題に入った。


 面々はもう一度姿勢を正し、今度はアリエットも加わって、謝罪の意を伝えてきた。


「……何度も金の話を蒸し返し、お時間を取ってしまい申し訳ございません。では、縁の清算として、我がラルトーゼ一族からも、改めて気持ちをお伝えさせていただきたく存じます。長くうやむやにしてしまい、大変申し訳ないことをしましたが……ファルケルト様に対する、かつての非礼の数々を、お詫び申し上げます」

「……」


 緊張に体を固めて立ち並んでいた面々は、皆、床に両膝をついて頭を垂れた。


 それなりに覚悟はしていたけれど……いざこうして仰々しい謝罪を受けると、居心地の悪さに胃がギュッとなる心地だ。


 アルメは黙って控えているだけの身なので、まだ気楽ではあるが、ファルクはどう返事をしようかと迷っている様子。


 複雑な面持ちで口ごもりながら、彼は一同に声をかけた。


「……過去の一切を、不問に付します。今日この時をもって、我々のこじれた過去と、縁を、なかったものといたします。必要であれば、ラルトーゼ家に宛てて誓約書をお送りしましょう」

「……寛大なお心に感謝いたします。白鷹様」


 面々はもう一度、深く頭を垂れた。


 延々と続きそうな沈黙と、ものものしい空気に耐え兼ねて、ファルクがさっさと命を出す。


「皆様、お顔を上げてください。……――さて。では、これにて清算は為された、ということで……訪問早々ではありますが、失礼させていただきたく」

「――あぁ、お待ちください。一つ、白鷹様にお渡ししたいものがございまして」


 逃げに転じようとしたファルクを止めて、アーレントは上着の懐から何かを取り出す。小さな手帳らしきものを手渡してきた。


「これは……?」

「母の手帳です。父が亡くなった後、書斎を片付けていた時に見つけたもので、形見として保管しておりました。……母との思い出が何もない、あなたにこそ譲るべきものでした。どうか、縁の最後に、これだけは受け取っていただきたい」

「母様の……」


 手帳は古びていて、表紙の色は薄茶に色あせている。受け取った形見をまじまじと見つめて、ファルクは金の瞳を揺らした。


 指先で丁重にページをめくって、中に綴られている字を目で追っていく。感慨深そうな、寂しそうな、複雑な顔をして見入っていた。


 アルメは隣でそっと見守っていたけれど――……ふいにこぼされたファルクの呟きに、目をパチクリさせることになる。


 彼は途中でページをめくる手を止め、表情を訝しげなものに変えて、手帳の内容を口にしたのだった。


「……食べたいものリスト…………てんぷら……そば……肉じゃが……? ……おすし……わさび、ちゃづけ……? これは何か、料理の名だろうか? ……ベレスレナでは聞いたことがないな。どこの地方のものだろう」

「んふ……っ!?」


 唐突に妙な単語が次々と耳に届いて、むせてしまった。


 この世界ではまったくもって聞く機会のない単語の数々だが……アルメにはばっちり馴染みのある単語――料理名だ。


 思わず身を乗り出して手元を覗き込んでしまった。ファルクはアルメに手帳を渡して、よくよく見せてくれた。


 手帳には雑多なことが書かれているようで、メモ帳、もしくは自由帳のようなものらしい。


 ファルクは首を傾げて問いかける。


「南方の料理でしょうか? ご存じですか?」

「ええと……ルオーリオでも、あまり聞かない料理ではありますが……」

「そうですか。ルオーリオよりさらに遠い土地の料理でしょうかね」


 『食べたいものリスト』と大きなタイトルが書かれた下に、箇条書きでズラリと料理名が綴られている。連ねられているものは、間違いなく日本食だ。


(土地の違いというか、星が違うのでは……?)


 ファルクの母の魂の故郷を察してしまった。思いがけないことに驚くばかりだが……どうやら、彼女はアルメと同郷の出身だったみたいだ。


 存命のうちに出会えたならば、きっととんでもなく盛り上がったことだろうけれど。既に天の国に籍を移してしまっていることが悔やまれる。


 形見を受け取ったファルク以上に感慨にふけってしまって、側で見ていたアーレントがキョトンとした顔をしている。


 アルメは食い入るように手帳を見つめ、パラパラとページをめくりながら、つい思ったことをそのまま口にしてしまった。


「……――私、こちらの料理、いくつかは作れると思います。材料があればですが」

「えっ、ご存じなのですか? さすがアルメさん、食に通じておられる!」

「いやぁ……ええと……まぁ、はい」

「そうですか、材料さえあれば母の食べたいものリストを実現できる、と――。……――うん、いいですね、素晴らしい。きっと母も喜ぶことでしょう」


 ふむふむ、と何か考え込み、一人納得した様子でファルクが頷く。そして先ほどまでとは打って変わって、明るい声でアーレントに声をかけた。


「失礼ですが、屋敷の厨房をお借りすることは叶いませんか?」

「厨房を……? それは、その、まさか料理をなさるということですか?」

「もう最初で最後の機会になるでしょうし、母が暮らしたこの家で、彼女が望んだ料理を作れたら、よい捧げ物になるのではないか――と、思いまして」

「ラルトーゼ家としては問題ありませんが……しかしながら、異郷の料理を作れるような使用人は、あいにく我が家には――」


 突然の提案にアーレントは面食らっていたが、彼と同じくらい、事態を察したアルメも面食らった。


「って、私が作る流れですか!? 今!? この場で!?」

「アルメさん、どうか、何卒!」

「はぁ……」


 ファルクは両手の指を組んで、神に祈りを捧げるポーズでアルメに縋ってきた。


 ……もはや彼の突発的な行動やおねだりには、慣れてきつつあるアルメだ。ガクリとしつつも、早々と気持ちを切り替えることにした。


 『言い出しっぺの法則』というものが適用されるならば、作れる、と先に口にしてしまった自分の責任もあるだろうし……。


 もう一度、ファルクと一緒に手帳のリストをよくよく確認してみる。

 彼は申し訳なさそうな顔をしつつも、隠しきれていない好奇心に満ちた声音で、リクエストをしてきた。


「あまり手をかけずに作れそうな料理などはありますか? できれば、子供たちも喜びそうなものがよいのですが。お菓子的な」


 控えている面々にチラと目を向けて、彼は言う。


 視線の先――アーレントの息子たちは、微妙な空気の中でどうしていいのかわからずに、しゅんとしている。親たちのいざこざに巻き込まれてしまって、さぞストレスに(さいな)まれていることだろう。


 気晴らしと労いとして、お菓子のプレゼントはちょうどいいかもしれない。リストを指でなぞって、アルメは書かれているお菓子の名を挙げた。


「お菓子もリストにありますよ。ええと、かりんとう、大福、わたあめ――」

「う~ん、名前だけ聞いてもイメージがつきませんね。あ、アイス的なものはありませんか?」

「……何だか個人的な要望が混ざってきた気がしますが」

「そろそろ食べておかないと、禁断症状が生じてきていまして」

「病の域じゃないですか……やめてくださいよ」


 アイスを良からぬモノみたいに言うのはやめてほしい……。

 隣にじとりとした目を向けつつ、リストのお菓子を思い浮かべて、ふむと考え込む。


「アイスと合わせられそうなお菓子もあるにはあります。材料の都合にもよりますが……――大福とか、アイスにぴったりかと」

「だいふく? よし!」


 ファルクは心得た、とばかりにパチンと指を鳴らすと、すかさずアーレントに話を振る。

 アルメから材料を聞き、ラルトーゼ家の厨房道具を確認して、必要なものを調達するために、街の市場に従者を走らせるとのこと。


 『どれだけ値が張ろうとも構わずに購入せよ』なんて、身分に物を言わせた命令なんかも聞こえてきたが……聞かなかったことにしよう。


 流れるように人々に命を出して場を整えていく白鷹に、ラルトーゼ家の面々はポカンと呆けていた。


 屋敷の中の冷え固まっていた空気が慌ただしく動き出す中、アルメはファルクの許可を得て、手帳の全容をパラ見してみる。


 最後のほうのページに、グルッと丸で囲われて強調されている一文があって、目に留まった。


『光の女神様への願い事、いい加減に決めること!』


 ――力強い筆跡で、そう書かれていた。


(願い事を、いい加減に決める……?)


 これはどういうことだろう――と、考えをまわす間もなく、ファルクに呼ばれた。


 そうだ。今は余計な考え事をしている場合ではない。この場をどうにか収める、ということが、今アルメのやるべきことである。


 謝罪会に続いて催されることになってしまった、『突発、異郷菓子の茶会』を、どうにかしなければ――……。


 アルメは一つ大きく息を吐き、気合いを入れて彼の元に向かった。


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