242 縁切りと共倒れ
一度言葉を止めて深く息を吐いた後、アーレントはさらに話を続ける。
「私はあの日、魔物か、もしくは悪魔が、何か妙な術を使ったのだと信じたが……父は違ったみたいだ。赤子に自身と同じ鷹の名を付けて、母の忘れ形見のように大切に愛しんだ。……私はそんな父が、悪魔に魅了されているように見えて怖かった。そして病で死にかけては生きながらえるお前がおぞましく、恐ろしかった……」
「……」
どう言葉を返していいのかわからずに、ファルクは口を閉ざしたまま耳を傾ける。
アーレントは返事を待たずに話し続けた。
「私の話を聞いたアリエットは半信半疑の様子だったが……結局怯えに屈して、私同様、お前を嫌うに至った。彼女はサロンで友人たちにも――お前の昔の婚約相手にも、何か話していたようだ。あの縁談が上手くいかなかったのは、妹伝いの噂話で、お相手が嫌悪を抱いていたからかもしれないな……」
「それは……どうでしょう……」
元婚約者とはそもそも性格やら価値観やらが合わなかったので、妙な生まれうんぬんはあまり関係ない気もするが……もう確かめようもないし、確かめる必要もないことだ。
彼女は自分に婚約破棄を突き付けたすぐ後に、別の貴族家の子息と縁を結んで子をもうけたとか。フットワークが軽い、とも言えるが、奔放とも呼べる性格の人であった。
とにかく馬の合わない人だったので、そういう意味で嫌悪されていたことは確かだけれど……。
兄は顰めた顔を崩さぬまま、昔話に区切りをつけた。
「その後、父はあの日の話を一切持ち出すことはなかった。メイドも屋敷を去り、高齢の産婆は数年後には天に昇ってしまった。実際にあの場にいた者同士で話をすることもできず、自身の中で記憶をくすぶらせることしかできなかった。……後から思えば、あれは子供特有の白昼夢だったという疑いも拭いきれない。事を信じ切ることも、忘れ去ることもできずに、モヤだけを募らせてきた。その胸の澱みを、私はお前にぶつけてきたのだと思う……」
話を締めると、アーレントは立ち上がって胸に手を当てた。礼の姿勢を取って謝罪の言葉を連ねる。
「改めて、長きにわたり貶めてきたことをお詫び申し上げる。本当にすまないことをした」
「……昔の話ですから、今更謝罪などは結構です。理由を知ることも叶いましたし……」
「しかし――」
「俺はラルトーゼ家との関係を、過去の一切を、もうこの地に置いていくと決めています。……今の話も含めて。なので、詫びの言葉などももう結構」
少し強引ではあるが、構わずに話を進めた。ファルクも立ち上がり、正面からアーレントに向き合って言う。
「俺の近況をお伝えしていませんでしたね。俺は新たな地で、新たに出会った人々と、新たな人生を歩み始めたところです。ですから、過去のしがらみの一切をこの地に置いて、新しく定めた故郷に帰ります。……兄様も、俺の存在や朧な記憶の一切を、お忘れいただけたらと思います。互いに、何もなかったことにしませんか。過去にも、未来にも、何もない関係ということに」
「関わりのない知らぬ他人になる、ということか……。……ファルケルトが望むのなら、そうしよう」
「では、今この時をもって。……お時間をいただき感謝申し上げます、ラルトーゼさん」
「えぇ、ファル……白鷹様のお役に立てたのでしたら、光栄でございます」
これは改めての縁切り宣言だ。ギクシャクと他人行儀の挨拶を交わして、二人は応接間を出た。
アーレントは一旦妻を迎えに行ってから、戻って息子を見舞うとのこと。
さぁ、これで今日の予定は終了だ。まだ釈然としない部分はあるけれど……とりあえず、気の重い用事には区切りがついた。
――と、思って肩の力を抜いてしまったのだけれど。
玄関を出たところでアーレントが足を止め、思いつめたような、迷ったような、複雑な顔をして声を掛けてきた。
「……――すまない。真の縁切りで一切を無に帰する、という話だが……最後にもう一時だけ、時間をいただけないだろうか? アリエットも呼び、今一度、正式に過去の振る舞いを謝罪したく思う」
「そういうものはいらないと申し上げたでしょうに。頑なな……」
「……正直を言うと、私たちは未だにあなたを恐れているのだ。生まれではなく、今ではあなたの身分を恐ろしく思っている……。保身のための身勝手な願いだということは重々承知している。良くしてもらったにも関わらず、恐れを抱く愚かな民草を許してほしい……どうか、お時間を」
なるほど、そういうことかと得心して、やれやれと白い煙の息を吐いた。
過去に白鷹を貶めたことに関して、正式に謝罪をして許しを得た――という、免罪符のようなものが欲しいのだろう。
今や上位神官となったこの身と、小さなラルトーゼ家当主という身では、大きな身分の差がある。万が一の報復や、世間の目を考えての、一族の保身のための提案であろう。
(断ると言うのも酷か……)
少し考えて、結局受け入れることにした。それで気が済むのなら、清算の一環として謝罪を受けよう。
「わかりました、どこかで時間を取りましょう。ただし、此度の滞在は婚約者を伴ってのものですので、都合はこちらに合わせていただきたく存じます」
「婚約……? ……そうか、新たな人生とは、そういう――……」
アーレントは呆けた声で呟きながら、遠くへと目を遣った。馬繋場のほうから歩いてくる一団が見えて、言葉を止める。
歩いてくる人々を目に入れた途端に、これまで保たれていたファルクの硬い面持ちがポロッと剥がれ落ちて、何やら華やいだ顔色に変わった。
初めて見る弟の浮かれた表情に面食らって、アーレントはポカンとしてしまった。
アルメは火魔石ランプが灯された神殿の周囲を、馬ソリでぐるりと遊覧した後、馬繋場に降り立った。
(ちょっとのんびりしすぎちゃったかも。ファルクさん、まだ神殿にいるかしら。入れ違いになっていないといいけど)
ギュッギュと雪を踏みしめて、神殿の正面玄関のほうへ歩いていくと、舞う雪の向こう側に人影が見えた。
近づくにつれて朧な姿が確かになっていき、向こうもアルメに気が付いたようで、大きく手を振ってきた。
思いがけず、玄関前で目的の人物とばっちり合流できて、心が浮き立つ。早く彼の元へ――と気が急いてしまって、アルメは雪国の鉄則を無視した歩き方をしてしまった。
雪道の上で、大きく一歩を踏み出して踵から着地した。――と、その途端、ブーツの底が雪の上をミシッと滑り、盛大にすっ転んだ。
「……っ!?」
悲鳴を出す間もなく、尻もちをついてしまった。アルメ自身は静かにひっくり返ったが、周囲の従者たちは『どわぁ!』と、驚きに変な大声を発する。
そしてもう一人、『わーっ!!』と裏返った大声を上げながら、慌てて駆けてきた。
アルメはひっくり返って背中まで雪にまみれながら、周囲の支えでどうにか上体を起こす。モコモコのコートが防具になっているので、特にダメージは負っていない。
走ってきたファルクも加わって、座り込んでいるアルメの雪をはらった。
「大丈夫ですか!? どこか痛むところは!?」
「いえ、まったく……すみません皆さん、お騒がせしました。うっかり、ルオーリオ的な歩き方をしてしまいました」
「あぁ、もう! 小股で歩くようにと言ったでしょうに!」
「積もりたてのふわふわした雪道は滑らないと聞いていたので……」
「表面はふわふわでも、下のほうが凍結しているんです! はぁ、まったく……階段じゃなくてよかった」
雪をはらった後、ファルクはアルメを腕の中に閉じ込めて、ポンポンと背を叩いてきた。
そんな彼の背中越しに、もう一人歩み寄ってくる姿が見えた。わずかに距離を空けて立ち止まったその人は、ファルクと同じ色の髪を垂らした、背の高い男の人――。
(あっ、お兄様……!?)
アルメはハッとして、尻もちをつきながらも慌てて姿勢を正す。容姿から、一目でファルクの兄弟だと察しがついた。――確か、名前はアーレント。
立ち上がろうと身じろいだが、アーレントはサッと片手をかざして制し、短い挨拶を口にした。
「そのままで構いません。お初にお目にかかります、アーレント・ラルトーゼと申します。後日また、改めてご挨拶申し上げます。どうかお気をつけてお過ごしください。――それでは、今日のところは失礼いたします。お二人に温かな加護がありますよう」
挨拶の口上を終えると、アーレントは身を引いて、馬繋場のほうへ歩いていった。
兄の姿を見送りながら、ファルクはため息を吐く。
「……あの人は、勝手なことを言って……アルメさんを巻き込まないでいただきたい」
「ええと、後日ご挨拶の機会があるのでしょうか?」
「過去の清算として謝罪の会を、という話を持ち出されましてね……俺一人で行ってきますから、お気になさらずに」
ファルク曰く、長きにわたる仲違いの清算として、一族そろっての謝罪会なるものが催されるとのこと。
それをもって、あらゆる縁を切るつもりらしい。
アーレントの言葉から察するに、アルメもファルクの同伴者として、その謝罪会に招待される雰囲気だ。
「ファルクさんがお嫌でなければ、私も同席しましょうか。声を掛けられたのに、行かないというのも印象が悪い気がしますし……」
「あなたが添ってくださるのなら、俺としてもありがたいですが……何というか、ストレスが和らぎそうなので。でも、名目が謝罪の会ですからね。きっととびきり陰鬱なひと時になりますよ……?」
そう言うファルクの顔色は、既に陰鬱な色をたたえている。暗い空気をはらうように、アルメは努めて明るい声を返した。
「気の向かない用事に一人で応対して、心をすり減らすことありませんよ。こういう時は連れ立つ者同士、共にすり減らしましょう」
「共倒れは賢くない気がしますが……」
「いいじゃないですか、共倒れしたって。二人一緒なら、すっ転んでも楽しいかもしれませんし」
アルメの答えを受けて、ファルクはしばし考え込むように目をパチクリさせる。
そうして何を思ったのか、アルメをガバリと抱え込んで、そのまま雪の上に倒れ込んだ。
雪の絨毯に転がってしまった主人たちを見て、従者たちは、あらまぁと目を丸くしていたけれど。ファルクは構うことなく、気の抜けた笑みを浮かべた。
「なるほど。確かに、二人ですっ転ぶのは楽しいかも」
「本当に転ばせるのはおやめください……。今のはただの言葉のあやです」
また雪まみれになってしまい、クレームが口をつく。
でも、子供じみた遊びは彼の言うように楽しくもあり……結局アルメも笑ってしまうのだった。




