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240 変容への戸惑い

 シンと冷え切った廊下を歩いて別棟へと向かう。


 病を患い入院しているという甥は、十歳の少年だ。三男で末子にあたる。……なんとなく、かつての自分の境遇が思い起こされて、心がざわつく。


 病室は三階とのことだが――……階段に向かう前に、ロビーで目的の人物の姿を視界にとらえることになった。


 向こうもこちらに気がつき、驚きに目を見開いて歩みを止める。


 自分と似通った背格好に、白銀の長い髪。瞳の色は赤みが強く、オレンジがかった琥珀色をしている。

 束ね編まれている髪を揺らして、兄――アーレント・ラルトーゼは、こちらに体を向けた。


「…………ファルケルト……? ……帰っていたのか」

「ベレスレナ城に用があり、昨日、帰省したところです。……お久しぶりです、アーレント兄様」


 自身と同じく、古い言葉で猛禽を冠した名を呼ぶと、兄アーレントは切れ長の目を細めた。


 最後に面と向かって言葉を交わしたのは、もう五、六年も前のことだ。

 十代半ば過ぎ、彼が取り交わした自分の縁談が破談となり、これでもかと罵りと叱責を受けたのが最後。


 彼はいよいよ、元より嫌っていた弟を見限り、自分もまた神官の道を歩み始めたこともあって、兄とは決別に至ったのだった。


 その数年後には金の清算を済ませて、縁の切れ目は決定的なものとなった。……はずだったのだが、今こうして顔をつき合わせることになっているのは、神の悪戯か何かだろうか。


 言葉を詰まらせているアーレントより先に、ファルクが口を開いた。


「……互いに、話すべきことがあるように思います。ここでは人の耳がありますので、表でいかがでしょう?」

「……配慮に感謝する」


 短く言葉を交わした後、二人は連れ立ってロビーを出た。



 入院棟の玄関の外、雪避け庇のギリギリ端まで歩いていって並び立つ。


 わざわざ外に出たのは、寒風に吹かれていたほうが簡潔に話を進められるだろうと踏んでのことだ。要は寒さを言い訳にして、会話をなるべく早く切り上げたい、という薄情な逃げである。


 向こうもそんな思惑を察しているよう。白い息を吐きながら、アーレントは当たり障りのない挨拶から、早速ポツポツと話し始めた。


「……帰っているとは思わなかった。南方での暮らしはいかがか?」

「俺のほうはそれなりです。兄様と姉様は……いかがお過ごしでしょう」

「アリエットは上手くやっているようだ。四人の子も元気にしている」

「それは何よりです」


 アリエットとは姉の名だ。家のために兄が政略結婚を命じて、嫌々嫁いでいった彼女だが……思いのほか相手と馬が合い、良い家庭を築いているとのこと。


 姉の暮らしぶりを語った後、兄は一つため息を吐いてから、覚悟を決めたように続きを話し始めた。


「私のほうは……三男が具合を悪くしていてな。今は神殿の世話になっている」

「意地の悪い問いをしてしまいましたね。ちょうど先ほど耳にしたところです」

「……それならば、話が早いな」


 互いに視線を合わせずに、正面を向いたまま言葉を交わしていたが……アーレントがおもむろにこちらを向いた。


 そうして正面から視線を交えて、彼はもう取り繕うこともせずに、苦しい呻きをこぼしたのだった。


「息子に治療を施してやりたいが、金が足りずに困っている。縁ある者には片っ端から声を掛け、援助を求めてはいるが……思うように工面できずにいる。上に二人男子がいるのだから、末の子は諦めたらどうかと言われてな……。……でも、愚かなことに、私は諦められずに足掻いている」

「……」


 苦い顔で語るアーレントの姿に、父の姿が重なって見えた気がして、言葉を詰まらせてしまった。


 父は金のない中でも神殿を頼って、嫡男でもない取るに足らない末子の自分を救おうと必死だった。兄も今、父と同じようにひたむきな目をしている……。


 自嘲めいた力ない声で、彼は言葉を続ける。

 

「……本当に、私は愚か者だ。昔、幼心に、末子にかまけている父を愚かな当主だと蔑んでいたが……今になって、父の気持ちがわかったよ。同じ状況に対峙して初めて、心の内を理解するに至った。父だけでなく、病に苦しむ息子を見て、かつてのお前の気持ちにも思いを馳せるようになった。どれほど辛い中にいたのかと……そして私が、どれほど心無い人間であったかと。私はお前を嫌い、お前の死を望み、憚ることなくそれを口にしていた。……かつての私は人の心に想像が及ばぬ未熟者だったのだと、ようやく気が付いたよ。詫びる機会を失していたが……ファルケルトよ、すまなかった……」


 雪の上に躊躇いなく両膝をついて、アーレントは頭を垂れてきた。

 そうして、改めて頼みを口にする。


「子の頃から(おとし)め続け、縁切りをしておいて、どの面を下げて金の工面に縋りつくことができようかと考えあぐねて……文を出せずにいた。卑小な兄ですまない。存分に笑ってくれていい。本当に……本当に、愚かな願いを口にすることを申し訳なく思うが……どうか、援助をいただけないだろうか。お願い申し上げます」


 見下し(けな)してきた弟を相手に、膝をついて頭を垂れるのはどういう心地だろう……想像するだけで、どうにも胸が苦しくなってくる。


 プライドを投げ打った兄の姿を見て、言葉を聞いて、咽喉の奥がギュッと詰まる感覚を覚えた。例えようのない息苦しさに、たまらずに奥歯を噛む。


 昔、子供の頃は、自分がこの人に対して頭を下げる側だったのに――……真逆に転じることになろうとは、考えもしなかった。


 色々な想いが胸に湧いて、言葉が出てこなくて、思わず口をつぐんでしまった。



 そうして少しの間を空けて、ざわつく心をどうにか落ち着かせてから、ようやく返事をすることができた。


「……わかりました。援助いたします。ただし、これっきりです。金銭のやり取りは、これを最後にしたく思います」

「ありがとうございます。心から、感謝申し上げます」

「魔法でもたせているとはいえ、頭内の患いは危うい。治療は早いほうがよろしいかと。俺が受け持ち、明日にでも処置をしたく思いますが、いかがか」

「叶うのならば、お願いしたく存じます」

「……膝に雪の水が染みますから、お顔を上げてください」


 見かねて声をかけると、アーレントは迷いながらも立ち上がったが、顔は顰められたままだった。彼は申し訳なさそうに話を続ける。


「援助はどの程度いただけるだろうか……」

「すべて俺が持つことにいたしましょう」

「いや、こちらにもいくらかは用意がある。すべてというのはさすがに――」

「すべて俺が持ち、これをもって正式に、ラルトーゼ家との関わりの清算としたく思います。……あと、代わりといってはアレですが、俺のほうからも一つあなたにお願いがありまして」

「願い……? 私に応じられるものだろうか?」


 訝しげな顔をしたアーレントに、今度はファルクが言いづらそうに相談を持ち掛ける。


「兄様にお伺いしたいことがあるのです。俺の生まれに関して、知っていることをすべてお話しいただきたい。どういうことであろうとも、包み隠すことなく」

「…………わかった。……改めて、時間をいただこう」


 兄の声がもう一段階、低くなった気がした。





 その後は互いに固い声音で明日の段取りを決めて、世間話の一つも交わすことなく、別れるに至った。






 そんな予期せぬやり取りを終えた後、東神殿にも歩を向けて、挨拶まわりをして――……ということをしているうちに、ファルクは結局予定通り、丸一日を消費したのだった。


 アルメは日没前には宿に戻っていて、暖炉の側のソファーで火にあたりながら、街で買ってきたお菓子を摘んでいた。


 これはベレスレナの伝統的なお菓子らしく、お菓子屋のオーナーとしての勉強を兼ねての間食である。……別に暇にかまけてお菓子を貪り食べていたわけではない、断じて。


 そんな、まったりと過ごしていたアルメの隣に、帰ってきたファルクが転がり込んできた。

 ソファーに腰掛けるや否や、彼はそのまま崩れ落ちるようにダラリともたれかかってきた。


「お帰りなさ――って、ちょっと……! どうしたんですか!? 重い重い!」

「…………疲れ果てました……色々あって…………」


 ファルクはアルメの肩に体重を預けて脱力したまま、今日の出来事を話し始める。


 何やら、兄と会って話をすることになり、甥っ子の治療を受け持つことになったらしい。明日は二人で街を見てまわる予定だったが、それも変更のよう。


 ――と、要約するとこういう内容だったが、彼は複雑な心情をボソボソと語り、延々と呻き続けていた。


「……高圧的な兄は恐ろしくて、ずっと苦手意識がありましたが……でも、ああいう姿は、なんとなく見たくなかった……ような気がして…………この感情をどうしたらよいでしょう…………」


 はぁ……と、大きなため息を吐いて、ファルクはさらに脱力した。ズルズルと体を傾けて、アルメの膝の上に頭を乗せる形でソファーに倒れ伏す。


 ちゃっかり膝枕の体勢に収まっていたが、相当参っているようなので目をつぶっておく。


 乱れた白銀の髪を指ですいてやると、彼はさらに何か思い出したらしく、しょんぼりした顔をした。


「……あ……そういえば、結局神殿でアイスを食べ損ねました……。東西で宣伝までばっちりしてきたのに……考え事にかまけていて、ありつき損ねた…………」

「神殿でアイス? あなた、今日何をしてきたんですか?」


 挨拶まわりに行くと聞いていたが、なぜアイスの話が出るのか。この人は一体、一日何をしていたのだろう……。


 色々気になったが、ファルクはもう答える気力も尽きている様子で、子供じみた愚痴をこぼしている。


「……あぁ~……もう、やだ~…………」

「あらら、大きなお子様がいらっしゃいますね。凛々しい澄まし顔の白鷹様はどこにいってしまったのやら」

「……ダメになった白鷹はお好みではありませんか……?」


 冗談のつもりで、ちょっと皮肉を口にしただけだったのだけれど。ファルクは表情をスッと真顔に戻して、起き上がってきちんと座り直した。


「今更取り繕っても仕方ないでしょうに」

「さすがに甘えすぎたかな、と思い……シャンとしようと思いまして」

「今のは冗談ですよ。甘えるのも、甘やかすのも、家族の特権ですから。疲れることがあったのなら、どうぞ甘えてくださいませ」


 そう答えると、また膝の上に頭が戻ってきた。彼はぼんやりとした声音で、もごもごと独り言を呟く。


「……家族、か……。そうか、そうだな……。俺はもう新たな家族を得たんだ。他所の家庭の人に、必要以上に心を砕く必要はないのかもしれない……」


 小さな声を聞き取ることはできなかったが……察するに、彼は自身の気持ちと折り合いをつけようとしているみたいだ。


(ファルクさんの中で、何か良い答えが出るといいのだけれど――……)


 そんなことを願いながら、転がる横顔をそっと見守る。

 けれど、次に出てきた言葉は答えではなく、『アイス食べたかったなぁ……』という、話題のズレたものだった。


 どうやら今の白鷹は、本当にダメになっているみたいだ。仕方ないので、しばらくこのグダグダなヒヨコモードに付き合うとしよう。


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