238 神殿と白鷹と様変わり
翌日、観光予定のアルメとは宿のロビーで別れて、ファルクは一人神殿へと向かった。
ベレスレナの神殿は東西の二ヵ所にあり、ちょうど両神殿の中間あたり――街の真ん中に守護聖女の主城がある。
自分が在籍していたのは西の神殿だが、東の神殿にも出入りがあったので、今日は一日を使って両方に顔を出すつもりだ。
馬を借りて、先に西神殿へと歩を向けた。
ルオーリオの神殿と同じく、ベレスレナの神殿も白色と青色が基調とされている。けれど、ルオーリオ神殿は爽やかな色合いに感じられたが、こちらはひたすら寒々しく感じられる。
(所変われば品も変わる、とは言ったものだが……見え方がずいぶんと違うな)
神殿に隣接する馬繋場に降り立ち、玄関への雪道を歩きながらぼんやりと思う。
前までは何も感じなかったけれど、他の土地を見知ってからだと色々な気付きがある。なんだか不思議な心地だ。
玄関で雪をはらって中に入り、ロビーカウンターの面々と挨拶を交わした後、ひとまず執務広間へと向かった。
ベレスレナ到着前に、従者を先触れとして走らせていたので、顔を出しても驚かれることはないだろう――と、思っていたのだが、皆、存外落ち着かない様子でいる。
どことなく遠慮した空気をまといつつも、知人の神官たちは挨拶に寄ってきた。
「ラルトーゼ様、お久しぶりです。遠路はるばる、お疲れ様でございます」
「皆お元気そうでなによりです。突然の帰省となり、お騒がせいたします」
「ルーグ・レイ大神官様もお元気に過ごされていますか?」
「はい。彼も変わりなく」
「それは何よりです」
「えぇ」
「……」
「……」
皆と挨拶をして、当たり障りのない話をする。が、すぐに会話のネタが尽きて、微妙な間が空いてしまった。
賑やかなルオーリオ生活ですっかり忘れていたが、故郷での自分の立ち位置を思い出して胸の内で苦笑する。
この周囲との微妙な距離感、空気感は、かつての自分が自らの手で作り上げてしまったものに他ならない。
昔、神殿に上がったくらいの頃――白鷹の通り名を得る前の、自分の世間での肩書きは『端貴族ラルトーゼ家の末子』であった。
立身した今では、表だってラルトーゼ家を見下す者はいないが、当時は嗤われたり、見下される位置にいたのだ。
さすがに神官たちはわきまえていて、同僚を悪く言う者はいなかったけれど……臆病をこじらせた自分が勝手に周囲を恐れて、壁を作っていたのだった。
そうして壁の壊し時を逃して過ごすうちに、いつしかこの雰囲気にも慣れてしまって、結局そのまま故郷を出るに至ったわけである。
……気まずくなってきた空気をやり過ごすために、適当な用事を作って場を離れることにした。
「――そうだ。薬品の保管庫を覗いてみてもよろしいでしょうか? ルオーリオの神殿と品を比べてみたくて」
「えぇ、どうぞご自由に」
「それでは失礼いたします」
元同僚たちとの無難且つ短い挨拶を済ませて、執務広間を出た。
(う~ん……思ったより会話が続かなかったな。この調子だと、予定より早く挨拶まわりが終わりそうだ。時間が余ったら、アルメさんとどこかで合流できないだろうか……)
自分はこんなにお喋りが苦手な人間だっただろうか……なんて少し落ち込みつつ、薬品保管庫に向かう。
保管庫は神殿の端にあり、外に出っ張った造りをしている冷凍倉庫だ。冷凍倉庫と言うと、空調が厳重に管理された場所を思わせるが、まったくそういうものではなく、ただ暖房が入っていない倉庫というだけである。
この地では暖房を入れなければ、部屋が勝手に冷凍倉庫と化すのだ。この氷魔石いらずの天然冷凍倉庫の話をしたら、ルオーリオの薬品管理者たちは口々に羨ましがっていた。
廊下からしてキンと冷えているが、扉を開けて倉庫の中に入ると、さらに温度がグンと下がる。
冷凍保管されている薬品材料などを見回しながら、ついアイス屋の陳列棚に思いを馳せてしまった。
「ここなら放っておいてもアイスが作れそうだ。氷魔法や魔石なしでアイスが作れたら、コストパフォーマンスも素晴らしいだろうに。外は寒いが……暖房が効いた室内なら、アイスの需要もあるのではないか」
そんなことを考えているうちに、何だか楽しくなってきてしまった。調子を取り戻して頭をまわしているうちに、ふと思いついた。
「あ、そうだ。ルオーリオの薬アイスをこちらにも広めておこう!」
薬、とりわけ魔法薬の味の酷さは、古今東西、人々を苦しめてきた。ベレスレナの薬嫌いの子供たちにも、誤魔化しアイスは有効であろう。
体を冷やさないように、という注意は必要だが、有益な薬アイスは伝えておいて損はないはずだ。
――というのは建て前でもあり。単純にルオーリオの素晴らしい氷菓を自慢し、広めたい気持ちもある。
気分の盛り上がりに任せて、ファルクは今さっき出てきたばかりの執務広間へと舞い戻ったのだった。
広間で仕事をしていた神官たちは、再来した白鷹に盛大に面食らうことになった。
先ほど澄ました面持ちで部屋を後にした男が、ウキウキの足取りで戻ってきて、浮かれた声をかけてきたのだから驚きもする。
「皆様! 再度お邪魔いたします! ちょっとお菓子を作ってもよろしいでしょうか?」
「え、はぁ……えっ!? お菓子ですか!?」
「ルオーリオの氷菓をベレスレナ神殿でもお役に立てていただきたく、レシピをお伝えいたします」
「氷菓の、レシピ……? 白鷹様がお料理を?」
神官たちは目を丸くしたままポカンと呆けている。ファルクは得意げに胸を張って説明を加えた。
「ルオーリオ神殿では薬の味を誤魔化すべく、アイスなるお菓子に混ぜて、小児患者の服薬補助としているのです。冷たさで口内を鈍らせるのに加えて、濃厚なチョコで味を紛らわすことができる、有益なお菓子です。冷凍で長期の保存も効きますから、作り置きにも適しておりますゆえ。是非、お役立てください」
「はぁ、南方では何やら便利なお菓子があるのですねぇ。ええと、白鷹様が見本を作ってくださると?」
「はい、作りながらお教えします。俺、なかなか上手いんですよ! アイス作りが! 最近新作の氷菓デザインも手掛けましてね、これが民から聖女様まで好評を博しまして――」
ペラペラとお喋りを繰り出し、はっはっは、と良い笑顔で笑い出した白鷹を見て、神官たちはさらに目をパチクリさせる。
先ほどまでの微妙に固い空気とは一変して、おかしな空気になってきた広間に動揺しつつ……興味を引かれて、見習い神官や雑務処理の職員たちまで寄ってきた。
人々はヒソヒソと小声を交わす。
「……ラルトーゼ様って、こんなに気さくなお方でしたっけ?」
「満面の笑みを初めて見ました……」
「意外と子供っぽいお顔で笑う方だったのですね」
「仕事が趣味だというお噂を聞いておりましたが……ルオーリオでお菓子作りに目覚められたのですか?」
「なぜに上位神官のご身分でお菓子作りに?」
「そこらの男性でも料理の趣味は珍しいでしょうに……一体どういう経緯で?」
準備をするため意気揚々と食堂の倉庫を漁りに行った白鷹を見送って、広間の面々はしばらくの間、キョトンと立ち尽くしているのだった。