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237 極北の街ベレスレナ

 エルト・マルトーデル村を出て、次の村に滞在して、また街道をたどって――……と、村や街をたどりながら北へ北へと進んでいく。


 旅の一行には側仕えたちもいて、アルメにも三人の女性がついてくれている。人あたりの良い中年の女性たちで、貴人の旅の供を仕事にしているそう。ツアーコンダクターと世話係を兼ねたような、頼もしい存在だ。


 手厚いサービスを享受しながらの道中なので、ありがたいことにとても快適である。


 けれど、気候の変化だけは、人の力ではどうにもできない部分がある。


 北へと道をたどるうちに徐々に暖かな空気が抜けてきて、山岳地帯の谷街道に入った頃には、風の冷たさに身震いしてしまった。


 この世界では日照や空気の流れなどの影響に加えて、魔力の流れである『気』によって、大きく気候が変わる。

 北のほうは氷の神の領分ということもあり、流れている気もずいぶんと涼やかだ。

 

 子供の頃、地理の授業で習っていたことではあるが……実際に身を置くと、空気の質の違いに驚かされる。

 どことなくもったりとした、温暖なルオーリオの空気とは違って、このあたりの空気は肌をツンと刺してくる。


 ファルク曰く、山岳地帯の半ばからはさらに氷の加護が強まり、風景も一気に変わるのだとか。


 楽しみでもあり、ちょっと怯む気持ちもあり――という、ソワソワした心地で谷の道をたどり、山間の都市に入った。


 途中の街でも服を買い足してきたが、ここにきて、いよいよ本格的な北方装備を購入するに至る。


 アルメはもふもふとしたボリュームのある毛皮のコートと手袋を装備して、店から出てきた。が、隣を歩くファルクは、まだ軽めの防寒装備だ。コートを着るくらいで、手袋も襟巻もしていない。


「ファルクさん、寒くないんですか?」

「風が当たると、まぁ冷えは感じますが。とはいえ、まだ着込むほどでもないかと」

 

 早くも重装備のアルメと、比較的身軽なファルク。並ぶとバランスのおかしさが際立って、通りすがりの人々がチラと好奇の目を向けていた。


 ファルクはルオーリオを離れてから変姿の首飾りを外しているので、彼の容貌も、街の人々の注意を引く要因だろうけれど。


(って、街の人たちも結構薄着のような……もしかして、寒がってるの私だけ?)


 通りをよくよく見回してみると、ファルクだけでなく街の人々も割と軽装だ。……ルオーリオ民の寒さ耐性のなさが浮き彫りになっている。


 自分は氷魔法士だし、寒さや氷の気には強いほうだろう――なんて、思い上がっていたのが恥ずかしい。


 ファルクはアルメの手を握ると、そのまま自身のコートのポケットへと突っ込んだ。


「これからもっと寒くなりますから、馬車に火魔石の暖房を入れましょうか」

「……ご配慮に感謝します。でも、あまり暖房を入れるとファルクさんが暑いのでは? 馬車を分けましょうか?」

「いえ! 俺はもうルオーリオの民ですから、多少の暑さなどどうということはありません」


 ファルクはベルトに刺してあるルオーリオ印の短剣に手をかけて、得意げな顔で言う。


 見え見えの強がりだし、そもそもその寒さ耐性の高さは極北民のそれだと思うけれど……水を差すようなツッコミを入れるのはやめておこう。

 体質はどうであれ、彼はもうルオーリオの民なのだ。


 アルメはふむと頷き、ポケットの中で繋がれた手の温かさを享受させてもらうことにした。


 通り向かいに停めてある馬車へと歩きながら、ファルクの横顔を仰ぎ見る。


(この先の寒さも気になるところだけれど――)


 もう一つ、少し気になっていることがある。道中、ファルクが時折、何か言いたげな面持ちを見せていて、アルメは首を傾げているのだった。


(何か話したいことでもあるのかしら? ……話しにくいこと?)


 なんとなく、そんな雰囲気を感じ取っている。と、なると、グイグイ急かして問い詰めるのも憚られる気がする。彼のタイミングを待つ、という方向でいくべきか――。





 そんなことをぼんやりと考えながら、日を重ねて、馬車に揺られてさらに北へと上っていく。


 車窓は段々と雪景色に変わっていき、街道を走る馬車は、箱馬車ならぬ箱ソリへと変わった。

 そして天を貫く大山脈のトンネルを越えてからは、さらなる別世界へと踏み入っていくことになった。


 ここからはもう、すべてが雪と氷に覆われた銀世界。

 火魔石の暖房をガンガンに入れていても、まだ薄っすらと冷気を感じるほどに、強い氷の気に支配された土地――。


 ――この先が極北、ベレスレナと呼ばれる地だ。


 大トンネルを抜けてからというもの、アルメは馬ソリの窓のくもりを指で拭っては、風景に感嘆の声をこぼしていた。


「本当に別世界ですね。白の他に色が見当たらない」

「ここからは氷魔法の扱いに注意してください。氷の精霊が多い土地ですから、少しの魔力でも魔法が膨れ上がります」

「そんなにですか? ルオーリオでは大したことのない魔法ですが……この地では大魔法士になれるかしら」


 話を聞きながら、アルメは手のひらにほんの少しだけ魔力を流して魔法を使ってみる。が、すぐに後悔することになった。


 ちょっと冷気を出す程度の感覚だったのだけれど……ファルクの言う通り、魔法はブワリと膨れ上がって、大きな氷の結晶を生成してしまった。


 アルメ以上にファルクが慌てて、手のひらに生えてしまった結晶に火魔石のカイロを近づけてきた。


「おやめなさい!! 注意せよと言った直後になぜ!?」

「すみません……ちょっと好奇心で」

「場所によっては、最悪、手を落とすことになりかねません。本当に、くれぐれも、安易な魔法の使用はお控えください」

「は、はい……肝に銘じます……!」


 恐ろしさに身をすくめながら、アルメは火魔石カイロを握りしめた。


 


 そうして山の間の道を縫うように進んでいき、見晴らしの良い中腹の展望広場に到着した。

 一度ソリを停めて降り立ち、街を見渡してみる。


 ベレスレナは山間の谷の街だ。視界の開けているルオーリオと違って、四方に氷の大山が壁のようにそびえ立ち、迫力ある風景に圧倒される。


 街の形も複雑で、山裾に沿ってジグザグしている。ひと塊の街というより、一帯に点在する集落を総じて街と呼んでいる、といった雰囲気。


 空には分厚い雪雲が被さり、谷に蓋をしているみたい。とめどなく大粒の雪を落としていて、やはり視界は白一色だ。


 さすがにファルクも毛皮の防寒具に身を包んでいて、ルオーリオではまずお目にかかれない厚着姿を披露している。


 遠目に故郷の街を見渡す彼を見て、アルメはふと思う。


(服装だけじゃなくて、何だか顔まわりの印象も違う感じがする)


 彼の白銀の髪は、ルオーリオでは日差しを反射してキラキラと輝き、とても目立っていたけれど……この雪と氷の世界の中では、姿が溶け込んで朧になっているように感じられる。


 見え方がまるで違っていて、不思議な心地だ。


「ここから近い場所に宿を手配してあります。景色はそこからも存分に楽しめますので、向かいましょう」


 輪郭のぼやけた白い鷹に手を引かれてソリに戻る。


 しばらく道を進み、ほどなくして、城のような宿に案内された。


 聞くまでもなくグレードの高い宿であろう。恐れ多さと寒さに身を縮こめながら玄関ホールに歩を進める。


 暖炉の暖かさにホッと息を吐いていると、宿のオーナーと思しき男が奥から出てきて声を掛けてきた。


「神官白鷹様、お待ちしておりました」

「この度は部屋をお貸しいただき感謝申し上げます」


 オーナーは出迎えの挨拶と共に、ファルクと抱擁を交わす。そういえば、極北ではこういう挨拶が一般的なのだったか。


「はるばる南方からのご帰省、さぞお疲れのことでしょう。どうぞ、我が城でごゆるりとお寛ぎください」


 どうやらここは宿というより、個人が所有している城であるらしい。このオーナー、いや、主人は、貴族の身分なのだろうか。


(お城の民泊、みたいな……?)


 スケールの大きさに呆けていると、主人の目がアルメに向いた。


「お連れ様も、どうぞごゆるりと」

「ありがとうございます。お城にお邪魔いたしま――」


 言葉を返しきる前に、アルメは思わず体を固める。主人がガバリと両腕を広げて抱擁を迫ってきたので、反射的に身構えてしまった。

 

 たった今、主人とファルクの抱擁を見て、文化の違いにしみじみとしたところだが――アルメも他人事ではないのだった。


(ええと、郷に入っては郷に従え、よね……!?)


 迫る主人を迎え入れるべく、アルメも抱擁の姿勢を取ろうと身じろいだ。――が、衣が触れ合う前に、主人はよろけて脇に退いた。

 ファルクが肩を掴み、半ば押しのけるように割り込んだのだった。


「失礼。彼女は南方の民ですから、ベレスレナの挨拶はお控えいただきたく」

「おっと、気がまわらずに失礼しました! ――お体がお冷えになっているのに、ロビーに留めてしまい申し訳ございません。お部屋にご案内いたしますね」


 主人は慌てて謝罪をした後、廊下を歩き出した。



 そうして案内された部屋は、城の上階にあるゲストルームだ。主人から部屋の鍵を受け取って、二人で室内を見て回る。


 分厚い絨毯に、毛皮が置かれたフカフカのソファー。部屋の暖炉には既に火が入れられていて暖かい。


 居間を確認して、連なっている寝室へと移る。まだ火は入っていないが、こちらの部屋にも暖炉がある。バルコニーに繋がる扉窓があって、中央には大きなダブルベッド――。


 ――と、そこまで確認して、アルメは『なるほど……』と、遠い目をした。


 ここまでの旅の道中を思い返す。ルオーリオを出て数日のうちは寝室が別々の宿だったのだが、旅程を半分ほど過ぎたあたりで寝室が一緒の宿になった。


 ベッドは分かれていたので、共寝をすることはなかったのだけれど……ここにきてベッドが一つになった。


(宿の手配の都合だと思っていたけれど……これ、たぶん違うわね)


 段階的に夜の距離を詰めていく作戦なのでは――ということに、今、気が付いた。

 

 アルメは呆れた目でファルクを見る。


「旅程いっぱいを使って、共寝に向かう策を巡らすとは……。なんと周到な」

「さて、なんの話でしょう?」


 彼のわざとらしい澄ました笑みを見るに、やはり確信犯のようだ。


 しょうもない企みにガクリとしつつ、この先のことを考えてちょっとドキドキもしつつ……気を取り直して、連なるバルコニーに出てみる。


 途端に冷たい空気が肌を刺す。縮こまりながらも、端まで歩いていって景色を見渡す。


 わずかに降雪が弱まったためか、先ほどの展望台からの眺めよりも、街の景色が鮮明だ。


 山の麓や中腹あたりに、いくつも城のようなものがある。雪を被った白い城は、遠目に見ても幻想的で美しい。


 風景を堪能していると、ファルクが明日の予定を話し始めた。


「向こうに見えるのが神殿です。明日、俺は挨拶に行って参りますので、アルメさんは側仕えたちと街をお楽しみください。観光都市ではありませんが、見るに値する場所はいくつかありますので」


 ファルクはまず神殿での用を済ませるそうなので、明日はアルメ一人での観光だ。

 その後は数日間、二人で自由に過ごして、聖女の都合に合わせる形で城に上がって挨拶をする予定。


「お言葉に甘えて、街遊びを楽しませていただきたく思います。――ベレスレナにはお城が多いのですね。あっちの麓の、白い煙に覆われているお城はなんでしょう?」

「あれは『湯城』ですね。湯が沸いている場所があるんです。あのあたりはいくらか火の気がありますので、氷の気に当てられて具合を悪くした時には、あちらの集落へ」

「湯、って温泉ですか? わぁ、素晴らしいですね!」


 温泉があると聞いて、テンションが上がってしまった。雪景色の中の温泉――たまらないに決まっている。


 露天風呂があるのかは、さておき。冷たい気に満たされたこの土地で、温かな湯舟に浸かれたら、さぞかし気持ちがいいことだろう。


「湯浴みに訪れることはできるのでしょうか?」

「えっ、ええと、はい。……手配をしておきましょうか? アルメさんがお望みなのでしたら……」


 ファルクは変な顔をして目を泳がせていたけれど、すっかり浮き立ってしまっていたアルメは、彼の動揺に気が付くことはなかった。


 そうして早くも観光にウキウキしているアルメの肩をガシリと掴んで、ファルクは滞在にあたっての念を押す。


「心弾ませていただけるのは幸いですが、観光の外歩きには十分に注意してください。ルオーリオのように、観光都市として整えられている街ではありませんゆえ。護衛と側仕えたちからは絶対に離れませんよう。街中とて、迷ったら凍え死ぬ可能性があります。吹雪いてきたらすぐに宿に戻ること。あと、はしゃいで転ばないように。氷魔法の使用も禁じます。それから、ベレスレナの民と挨拶を交わさぬよう。特に男性に話しかけられた時には、従者たちより前に出ないようにしてください。絶対に、挨拶をしないように。絶対に。――お返事は?」

「っと、はい、承知しました」

「よろしい。供の者たちにも命じておきます」


 ファルクは長い注意を一息で喋り切って、自身の上着の合わせを寛げた。開いた上着の中に仕舞い込むようにしてアルメを包み、抱きしめる。


 体格と体質の違いか、この雪の中でも彼の体はポカポカしている。ちょうど体が冷えてきたところだったので、温かさに抗えずに収納されてしまった。


 こう言っては悪いが、素晴らしい暖房装置である。ルオーリオではアルメが携帯冷房装置と化していたが、思わぬ逆転だ。


 コートの内側に仕舞い込んだアルメをギュウと抱きしめて、ファルクは表情を崩して大きく笑う。


「この街にあまり良い思い出はないのですが……初めて、故郷を素晴らしい場所だと思えました。いいですね、この気候、この寒さ。快適に引っ付いていられるし、アルメさんから苦情も来ない。ふふっ、この地にいるうちはずっと、あなたを懐に仕舞っておきたく思います」


 昔、色々あったらしい彼にとっては、複雑な想いがある故郷なのだと聞いている。

 そんな場所を『素晴らしい』と思えるならば、いくらでも収納されよう。こちらとしても、温かくて心地良いので。


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