235 とある誕生パーティーにて
ルオーリオ城で御遊会が催されている頃、城下のとある屋敷でも、小さなパーティーが開かれていた。
八歳を迎えた貴族令嬢の誕生パーティーだ。
室内には三つの丸テーブルが寄せられて、グルリと椅子が並べられている。ゲストは十人弱。友好関係にある家々の令嬢と、その母親たちが談笑している。
テーブルには皿とカトラリーがセッティングされていて、ちょうど今さっき、使用人によってお茶の準備が整えられたところ。次はケーキが出てくる番だ。
みんな楽しそうにその時を待っている。……の、だけれど。肝心の本日の主役の少女は、不貞腐れた顔で紅茶に砂糖を放り込んでいた。
金髪を綺麗に結い上げて、耳と首にはお洒落な宝石のアクセサリー。そしていつもより華やかなドレスを着せてもらっているけれど、この衣装すらも、結局は母親の見栄によるものである。
誕生パーティーとは名ばかりで、今日のこの会は、実質、彼女のサロンの延長でしかないのだ。
――なんてことを、八歳にしてすっかり理解しているので、楽しいはずのケーキの時間を前にしても、気分は低空飛行を保っているのだった。
屋敷の使用人がワゴンを押してくるのを、ぼんやりと眺める。ワゴンに載っている銀色のクローシュの中には、アイスケーキが入っているはずだ。この前、母がオーダーしたケーキ。
(お母様が選んだケーキ、どんなのだったっけ……。なんか白くてパッとしないやつだった気がするけど……。あーあ、猫ちゃんのケーキがよかったなぁ……)
はぁ、と、静かに息を吐く。あまり大袈裟に不貞腐れると後で怒られるので、このくらいのため息が精一杯だ。
ひいきにしているケーキ屋を訪れたのは、この前のこと。普通のケーキよりもアイスケーキのほうが注目を浴びるだろう、という理由で、アイスケーキを選ぶことになったところまでは良かった。
の、だけれど。どれがいいか、と母に問われてディスプレイケースを見回し、真っ先に目に留まった猫の顔を模したケーキを指差した瞬間、ウキウキ気分は散ることになったのだった。
『別のにしなさい。子供っぽくてゲストに馬鹿にされてしまうわ』と、ピシャリと却下され、結局母が注文を決めて、今に至る。
(お母様、本当に見栄っ張りなんだから……)
と、思うのだけれど、貴族家には見栄も大事なのだとか。
他の家に馬鹿にされるとよくない、という大人の事情も何となく察しているから、猫ちゃんアイスケーキは諦めることにした。……どうせ喧嘩をしたところで、親の決定は絶対だし。
使用人が自分の目の前に、アイスケーキと保冷の氷魔石を置いた。大きなホールケーキだ。
母好みのシンプルで上品な、真っ白なケーキ。飾りはレースを思わせる繊細なシュガークリームの細工のみ。
ゲストたちからお祝いの言葉をもらって、お礼の言葉を返して――というやり取りをしてから、ケーキは美しく切り分けられて、各自の皿へと散っていった。
溶けないように、保冷の氷魔石までしっかりと各自の皿に載せられている。随分と丁重に思えるが、この配慮も母の見栄だろうか。
さて、この後は母の一声をもって、ケーキパーティーのスタートだ。――という段になって、室内に追加のワゴンが運び込まれた。
運んできたのは屋敷の使用人ではなく、なんと、ケーキ屋の従業員たちだ。ケーキを届けに来たのは知っていたが、まだ待機していたのか、と、ちょっとポカンとする。
さらに驚くことに、ケーキ屋の面々――四人のパティシエたちは、皿やら瓶やら、追加の品々をテーブルに並べだしたのだった。
並べられた品々は、ナッツだったり、カットフルーツだったり、花やハーブだったり。あとは砂糖細工で作られた動物の人形や、虹を砕いたようなカラフルな謎の粉もある。
思わず呆けた声を出してしまった。
「……え、お母様? これは?」
母はフフンと気取った笑みだけ寄越して、同じようにポカンとしているゲストたちに声をかけた。
「さて皆様、改めまして、娘の誕生パーティーにお集まりくださいまして、感謝申し上げます。これからパティシエが皆様のケーキをお好みに合わせてデコレーションいたします。――それじゃあ、まずは本日の主役からオーダーを」
「えっ、私!? オーダー……!?」
隣に座る母にポンと肩を叩かれて、思わず声が裏返った。こんなサービスを注文していたなんて知らなかった。一体いつの間に……。
急に話を振られてアワアワしていると、ケーキ屋の店主と思しき女性が側に寄ってきて声を掛けてきた。
「色付きのクリームで絵を描くこともできますから、なんなりとお申し付けください。砂糖細工には猫ちゃんの人形もありますよ」
「え、っと、好きなのを選んでいいの? じゃあ、私、猫を飾りたいわ……! クリームのクッションの上に猫を置いて、周りにたくさんお花を飾りたい! あと、この虹の粉も綺麗だから、全体にまぶして――」
喋り出したらイメージが膨らんできて、どんどんオーダーをしてしまった。ケーキ屋の店主は気持ち良いほどの手際の良さで、デコレーションを仕上げていく。
シンプルな真っ白ケーキが、あっという間に賑やかな猫と花のカラフルケーキに変身した。
見ていたゲストの子供たちが、わぁとはしゃいだ声を上げ、大人たちも一風変わったサービスに、まじまじと見入っている。
主役のケーキができあがったら、次はゲストたちのケーキだ。ケーキ屋の面々は各所に散って、テキパキと次々にデコレーションを施していった。
(こんなパーティー初めてだわ……! お呼ばれの誕生パーティーでも、目の前でケーキを仕上げてくれることなんてなかったもの……!)
今日のこのパーティーは、きっとサロンで話題になるに違いない。母は鼻高々だろう。
チラと母の顔を見ると、思った通り、ニヤリとした笑みを浮かべていた。
日頃から見栄っ張りで、我が母ながら呆れたりもするけれど……今日の見栄の張り方は、みんなが楽しい気持ちになれるものだし、ちょっと素敵かも。――そんなことを思ってしまった。
手早く全員分のデコレーションオーダーをさばいて、リトはホッと胸をなでおろす。パーティーはケーキを味わう段に入り、これにて自分たちの仕事は終了だ。
邪魔にならないよう脇にはけながら、パーティーの様子をうかがい見て笑みをこぼす。
(よしよし、喜んでもらえたみたい。みんな楽しそうだわ。ふふっ、よかったぁ)
先週アルメから得たヒントが功を奏した。アイスを自由にデコレーションする体験型イベント、という企画を拝借させてもらったのだ。
アルメが参加する御遊会のほうは、自ら作り上げる方式だと聞いたが、こちらはオーダー方式を採用してみた。
(これ、貴族向けのスペシャルサービスとして展開してもいいかもしれないわねぇ)
今回は自分がモヤモヤしていたから、半ばお願いする形でサービスを入れさせてもらったのだけれど、好評を博しそうなので、今後正式に仕事として受注してもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、ワイワイ盛り上がる子供たちの声に混ざって、夫人たちの会話が耳に届いた。
「デコレーションアイスケーキ、とても美味しいわね。この虹の粉もなんとも鮮やかで、目に楽しいこと。ふふっ、たくさんかけてしまったわ」
「アイスと言えば、『シエルの宝石箱』をご存じですか? この前お呼ばれしたサロンでご馳走になったのだけれど、とても綺麗なアイスなの」
「聞いたことがないわ。どういうものなんです?」
「こう、小さいフルーツ型の飾りガラスの器に入っていましてね。キラキラしていて、宝石箱みたいなアイスですの。わたくしが頂いたのは、上品な味わいのフルーツアイスでしたわ。でも色々な種類があるそうで、あんまり素敵だったものだから、我が家も取り寄せることにしまして――」
ワゴンの上を整頓しつつ、お喋りに耳を傾ける。『シエル』とは、確かアルメが分けたブランドの名前だったか。
まだ走り出しとのことで、あまり詳しい話は聞いていないのだけれど、そのうちに近況報告会でも開いて、じっくりと伺うことにしよう。
そっと撤収作業を終えて、従業員たちと共に部屋を後にする。扉が閉まる瞬間まで、夫人たちの楽しげなお喋りが耳に入ってきた。
「シエルのアイスはオードル家が窓口だそうでして。……あの家のご当主、随分とお顔の色が悪かったけれど、最近急に元気になられたじゃない? シエルのアイスには、何か良いご加護とか魔法が込められているんじゃないか、って噂もありますのよ」
「まぁ、ご加護アイス?」
そこまで聞いたところで、パタリと扉が閉まり、音が途絶えた。
アルメが使えるのは氷魔法だけのはず。他には何も入っていないだろうけれど……と、胸の内でツッコミを入れておく。
近況報告会で、一応今の話も伝えておくことにしよう……。きっとアルメは神妙な顔をするに違いない。
そんな彼女の表情をほぐすために、カラースプレーが『虹の粉』なんて素敵な名前で呼ばれていたことも、合わせて伝えておこうと思う。




