229 汚名返上の決意
それから少し話をして、ルーグの執務室を後にした。
神官たちの使うラウンジに寄り、端のソファーに体を預けて一息つく。頭の中には先ほど聞いた自身の生まれの話が、未だふわふわと漂っている。
考えをまとめるために、少し時間を取ることにした。
(ルーグ様は、事実がどうであったのかはわからない、朧な思い出話――と、おっしゃっていたけれど……。何か通常とは異なることが起きていたことは、真に思える)
思えば、確かに、あの家にはゆるやかな違和感があったように思う。蜘蛛の巣が肌に引っかかったような、曖昧で変な心地を、子供心にも感じる時があった。
なので、どちらかというと驚きよりも腑に落ちた感が強い。
まず、年の離れた兄と姉に、苛烈なまでに嫌われていた理由に納得がいった。
当時、彼らは十歳前後。十分に物事を理解できる歳で、母親の出産時に異様な騒ぎが起きたのならば、それはトラウマにもなるだろう。
(もしかしたら、『異形の姿』とやらを、実際に目にしていたということも考えられる。直接、何か言われたことはなかったけれど……いや、悪口は言われていたか)
子供の頃、特に兄は口が悪くて、自分のことを散々罵っていたが……その罵り言葉の中に、『魔物野郎』とかいう言葉が入っていた気がしないでもない。
でも、そういう悪口は世間の人々もよく使うものなので、決め手には欠ける。
そして兄と姉だけでなく、自分は父に対しても、時折、何だか不安になることがあった。
父はいつも優しく、深い情を向けてくれていた。その姿が、何かの使命を果たしているかのような……もしくは、償いをしているように見えたことがあったのだ。
(父の、俺に対する一際深い情は、母に赤子を託されたからか……それとも、ルーグ様の言う、真偽のわからぬ子殺しの贖罪か)
ぼうっと考え事をしながら、自分の手のひらを眺めてみる。
(父は生まれた赤子を……いや、魔物を? ……俺を、屠ったのだろうか。ならばなぜ俺は生きている)
生き生きとした肌色をしている手を、まじまじと見つめて首をひねる。
父は何を見て、赤子を殺したのだろう。この手が真っ黒だったりしたのだろうか――。
自分の手が泥のように黒くなる様を想像してみる。先の戦帰りに自分を刺した魔物の姿が頭をよぎった。
が、すぐに首を振る。
(いや、考えすぎか。加護は確認されているし、俺は魔物たり得ない。今、城に自由に出入りできていることが何よりの証だ)
悪魔や魔物の類であれば、既に聖女の魔法で滅されているはず。ひとまず、自分はまごうことなき人間である、ということは確かだ。
(……――でも、妙な話には違いないな。アルメさんに話したら、どういう反応をするだろう)
あれこれ考えてしまっているけれど……行きつくところは、やはりそこである。話をしたらアルメがどう思うか、今のところそれだけが心配だ。
かといって隠しておくと言うのも、なんだか誠実じゃない気がする。妙な生まれならばなおさら、先に明かしておいたほうが後々の揉め事の回避にも繋がるだろう。
出会った最初の頃、身分を隠していたことによって喧嘩をすることになってしまったので……もう、そういうすれ違いは御免だ。
(でも、まぁ、こうして婚約を結んでいただくことも叶ったし、きっと大丈夫だろう。何があろうと、愛の約束は永遠だ)
書包みから婚約書類をチラと出して、目を向ける。
そう、自分は今、最強の手札を手にしているのだ。この愛の約束をもってすれば、何があろうと、どんな物事に対峙しようと、負ける気がしない――。
つい、ニヤニヤと頬を緩めてしまったが――……ふいに、近くから女性神官たちのお喋りが聞こえてきた。何やら、愚痴話で盛り上がっているみたいだ。
「うちの旦那ったら、本っ当にどうしようもなくて、もう顔を見るだけでイライラしてくるわ。共働きだってのに、あの人ったら家のことなんてな~んにもしないんだもの。家事は全部私で、あの人はわがまま三昧。嫌になるわ!」
「わかるわ~。うちのもそうよ。休みの日はゴロゴロダラダラしてご飯にたかるだけ。餌を求めて庭に来る、ふてぶてしい鳩と同じだわ。子供が大きくなったら別れてやるつもり」
「それもありかもね。若い頃は夢見てたけど……所詮、結婚なんてただの契約だものね」
「そうそう。気持ちが冷めて、利もなくなれば白紙に戻すだけよ」
「……うっ……」
「えっ!? やだ、白鷹様……!? どうされました!?」
「お加減が悪いのですか……!?」
女性神官たちの遠慮も容赦もないお喋りを聞いて、思わず呻き声を上げてソファーに倒れ込んでしまった……。自分のことのように胸に刺さってしまったのだ。
(家事を丸投げして、家でゴロゴロダラダラしてご飯にたかるだけ……お、俺だ……ここ最近の俺と一緒だ……)
ここ最近――療養期間中の、アルメの家での自分の姿が脳裏をよぎる。駄々をこねて居座って、餌付けを受けて散々わがままを言って甘えて――……。まったく同じことをしている……。
胸を押さえて倒れ込んだ白鷹の姿を見て、女性神官たちは大慌てで側に寄る。治癒魔法を使おうと手をかざしてくれたが、やんわりと断って、どうにか体勢を持ち直した。
人生の先輩である彼女たちに、ハラハラしながら聞いてみる。
「あの……恐れながら、結婚とはそのように軽やかに白紙に戻せてしまうようなものなのでしょうか……?」
「え!? もしかして私たちの愚痴話、聞こえていました? お恥ずかしい」
「白鷹様は未婚でいらっしゃいましたっけ? 申し訳ございません、夢を壊すような話をしてしまって。でもご心配なく! 人によっては、もちろん、結婚生活は素晴らしいものですから! 駄目男に引っかかってしまった私たちが、失敗しただけのことです。どうかお忘れを」
「――と、そんなことより、本当に大丈夫ですか? お水をお持ちしましょうか」
取り繕った笑みで誤魔化しながら、女性神官たちは水を取りに離れていった。
ファルクは青い顔で手元の婚約書類を見つめて、認識を改める。結婚という愛の約束は、絶対且つ最強の安心材料だと思っていたのだけれど……もしかして、そうでもないのかもしれない。
(駄目男、か……。俺も駄目男に分類されるに違いない……。少なくとも最近の俺は、完全に駄ヒヨコでしかなかった……なんという不覚……)
このまま駄目男であり続けたら、きっとそのうちアルメにも愚痴話をされてしまう。
アイス屋の調理室の奥で、仲の良いエーナとジェイラあたりと、駄ヒヨコの話で盛り上がるアルメ……割と想像できる。
愚痴で終わるならまだしも、最悪、婚約破棄を突きつけられる可能性だってあるのではなかろうか。
(彼女に縁を切られたら……無理……無理だ……こればかりは耐えられない。生きていけない……。汚名を返上しなければ……!)
駄目男の肩書きを得ているこの状態で、訳ありの生まれのことなど話せるはずもない。件の話は一旦脇に置いておき、まずは汚名を返上して、なんとしても『素敵な婚約者』の肩書きを手に入れなければ。
婚約はゴールではない、スタートなのだ、と気合いを入れ直す。
アルメが生涯手放したくないと思えるような良い男になるためには、どうすればいいのだろう、と考えてみる。
やはり彼女の役に立つ行いをしてくのがベストか。素晴らしい新作アイスの案を出すとか――。
思いついた考えをボソッと独り言に乗せてみる。
「『新作アイスを考えてみました!』『ファルクさんすごい! えらい! 素敵です!』……これだ! よし、なってやるぞ! アイスデザイナー!!」
「えっ!? デザイナー……!? 白鷹様、ご転職なさるのですか!?」
「なんてこと……! まさか先の従軍のお怪我が障っていらっしゃるとか……!?」
水を持って戻ってきた女性神官たちが、独り言を耳に入れてギョッとした声を上げた。
白鷹転職の噂が神殿内を駆け巡り、騒ぎになるのが数刻後のこと。ルーグがファルクの頭を引っ叩きにくるのが、さらに半刻後のことであった。




