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228 めぐり合わせの子

 大粒の雪がボサボサと落ちてくる、深い雪の日のこと――。


 ルーグは極北の街ベレスレナの神殿で、所用のためロビーのカウンターを訪ねていた。


 上位神官のこの身は、本来ならば下の者と関わることのない身分であるが、元がしがない農村の出ということもあり、偉ぶって奥に籠るという働き方はどうにも馴染まない。


 ――という性分のままに、自ら雑務に手を付けたり、時間のある時には庶民の診療に加わることもあった。


 この日も、そういう日であったのだ。たまたま庶民診療に加わっていて、たまたま診療室近くのロビーまで出てきていた。


 そうしてたまたま、駆けこんできた男に出くわしたのだった。


 静かなロビーの扉を力任せに開け放ち、突然、一人の男が飛び込んできた。神官服を身にまとった自分の姿を見つけるなり、彼は駆け寄って膝をつき、縋りついてきたのだった。


 取り乱した様子で、息を切らしながら訴えてきた。


「お助けください……! 妻が……妻が魔物を産んでしまった……! どうか、どうかお助けを……っ」


 縋りつく男の両の手は、泥を触った後のように真っ黒に染まっていた。上着の合わせから覗いている胸と腹も、同じく黒いシミで汚れている。


 肩に積もった白い雪とのコントラストが嫌に目に付いて、胸をざわつかせた。

 ただ事ではないことが容易に察せられる様相だ。


「馬を出そう。場所は? 案内を頼む」

「山のふもとでございます……!」


 男と短く言葉を交わし、手早く支度をする。

 神殿の者からは、『下位の神官を手配しましょう』との申し出もあったが、悠長な引き継ぎを行っている間も惜しいだろうと思い、自ら診療に出ることにした。


 周囲の者から適当な上着を借りて、すぐに神殿を後にした。



 雪の中、馬を駆る道中で、男は自らの身分と事の次第を語る。


 曰く、彼は小さな貴族家の当主で、今日、妻が三人目のお産を迎えたとのこと。けれど、産まれた子が人の姿を成しておらず、産婆は怯えて逃げ出し、母体も危うい状態。急ぎ、馬を駆って神殿に助けを乞いに来たのだ、と。


 白い煙の息を忙しなく吐き出しながら、男は顔を歪めて呻く。


「妻は高い歳でのお産で、神殿の入院棟に入れようかと迷っていたんです……。それが、金を惜しんだばかりに……っ……こんなおかしなことになるなら、初めから頼っておけばよかった……! すべては私のせいだ……どうか、妻をお助け下さい……っ」

「あぁ、とにかく急ごうぞ。――赤子は、どうなっておる。血で汚れた姿を見間違えたというわけでなく、本当に異形であったのか?」

「赤子は、私が刺し(ほふ)りました。赤子と呼ぶのも忌まわしい……魔物でございます」


 それきり会話は途切れて、各々馬を操ることだけに集中する。

 二頭の足の太い馬は厚い雪道を駆け抜けて、山のふもとへと向かった。


 

 そうして屋敷にたどり着き、男に続いて転がり込むように玄関扉を潜り抜ける。


 玄関ロビーの暖炉に火は入っておらず、外と同じようにシンと冷え切っていた。火魔石や(まき)の無駄な使用を控えているようだ。

 彼は自身を端貴族だと卑下して名乗ったが、なるほど、あまり裕福ではないらしい。


 ――と、そんなことをチラと思ってしまったが、些細な事柄は、さっと意識から追い出された。他に気になることがあり、注意がそちらに向いたのだった。


 ロビーに入った途端に、廊下の先から赤子の声が聞こえてきたのだ。オギャーオギャーと、力一杯声を上げて泣いている。


 ルーグはポカンとしてしまったが、それ以上に、男が面食らった顔をしていた。いや、ギョッと戦慄した顔、と表現したほうが正しいか。


「赤子の声……!? そ、そんなはずは……! だって、私が確かに……短剣で……」

「落ち着きなさい。部屋はどこだ? 案内を」


 動揺する男の背を叩き、歩みをうながす。彼は弾かれたように駆け出し、廊下の先の部屋へと向かった。


 後に続いて進むうちに、赤子の声がよりはっきりと聞こえてくる。


 ふと見ると、該当の部屋近くの廊下の端に、十歳くらいの男女の子供が立ち尽くしていた。暗がりで表情はよく確認できなかったが、身じろぎもせずに固まっていたように思う。


 その子らの様子も気になったが……まずは危うい母体と、泣いている赤子の様子を、と、部屋に急ぐ。


 中に入ると、ベッドの脇で中年のメイドが倒れ込んでいた。


 後から聞いたことだが、倒れていた女性はお産を手伝っていた屋敷のメイドだそう。男が神殿に向かっている間、妻の看護を任せたそうだが……すっかり意識を飛ばしている。眠っているみたいだ。


 男は怪訝な状況に大いにうろたえながらも、ベッドに横たわっている妻の元に寄った。


「帰ったよ……! 神官様をお連れしたから、きっと大丈夫――……」


 妻に寄り添い、男は口早に話しかける。けれど、言葉は尻すぼみになった。母親は、弱り切った腕の中に赤子を抱いていた。


 何一つおかしなところなどない、普通の赤子だ。手をもぞもぞと動かして、元気に泣いている。


 彼女は最後の力を振り絞るかのように、震える腕を伸ばして夫に赤子を託した。


「…………この子を……愛してあげて…………お願い…………」


 そう伝えると、母親は穏やかに微笑んで、眠るように息を引き取った。慈愛に満ちた、美しい容貌の女性だった。


 

 すぐに蘇生を試みたが、どれだけ魔法を尽くしても彼女の魂が戻ることはなかった。


 書類上の死因は、お産による多量の出血。男の言う、魔物うんぬんが理由かどうかは定かではない。


 残された赤子を腕に抱くと、じんわりと温かさが伝わってきた。まるで小さな火を抱いているかのような心地だ。


「この赤子をどうするかは、夫であり当主である、お前さんが決めなさい。……もし、忌み子として手放すことを決めたならば、ワシがもらい受けよう。巡り合わせの縁に従い、育てるとしよう」


 妻の亡骸に縋りついて、言葉もなく呆然と項垂れている男に、そっと赤子を託す。

 男は――赤子の父親は、手を震わせながらも受け止めて、抱きしめて涙をこぼした。


 呆然自失の状態にも見えたが……はたまた、何かを悟り、強い意思を持って受け入れたようにも見えた。




 後に、逃げ出した産婆や手伝いに入っていたメイドにも話を聞いたが……どちらも動揺しきっていて、支離滅裂なことを語り、要領を得なかった。


 ただ一つわかったことは、前後不覚になるほどの何かがあったのだろう、ということだけ――。




 

 思い出話を語ったルーグは、執務机の向こうで立ち尽くしているファルクを見据えて、話を締める。


「ちょうど、ワシが大神官の位を得ようとしていた頃の話だ。位が上がれば、いよいよ城下の民たちとは離れることになる。最後の関わりとして、お前さんのその後の経過観察を申し出ることにしたのだ」


 重い息を吐ききって、ルーグは肩の力を抜いた。空気を切り替えるように、声音をやわらげる。


「――なんて、突拍子もない胡乱(うろん)な話をされても、頭の整理がつかないだろうが。ワシとて未だ首を傾げているよ。その後、聖女様にお目通りもして、お前さんの魂の加護はしかと確認されている。魔祓いも何度か受けているし……本当に、(おぼろ)な話だ」


 もう一度姿勢を正して、彼は謝罪をしてきた。


「しかしながら、そういう妙な生まれを負っているということは、この機会に伝えておく。もっと早くに話すべきだったかもしれないが、お前さんは身も心も脆弱で、あまりに危うくてな……。今ようやく、時がきたのだと判じて、話をさせてもらった。今まで黙っていたことを詫びよう」

「いえ……」


 ファルクは迷いに瞳を揺らしながらも、ひとまず話を冷静に受け止めた。一呼吸置いてから言葉を返す。


「お話しくださり、ありがとうございました」

「……どうだい? 妙な話を聞いて、何か気持ちは揺らいだか? 話しておいてアレじゃが、今更『死にたくなった』なんて泣き言は言わんでくれよ」

「それは……大丈夫です。もちろん、思うところは色々とありますが……思い悩んで自棄になる、というほどのことでもない気がします。どのような生まれであろうと、今、ここに俺がいるということは変わりません。そして俺は、ここにいるこの俺を、結構気に入っていたりします」

「ほう?」


 考え込みながらぽつぽつと話し出すと、ルーグが興味深そうに目を向けた。


「そういう、何か妙な生まれでなければルーグ様と出会うこともなかったし、あなたに目をかけていただくことがなければ、ルオーリオでアルメさんにも出会えなかった。色々な巡り合わせで、結果的に今の自分ができあがったことを、俺は『よかった』と思っています」


 胸に浮かんだ気持ちをそのまま言葉にしてみて、自分でも驚くほど楽観的な捉え方をしていることに気が付き、目をパチクリさせる。


 前までだったら、きっと衝撃を受けて立ち直れずに、ルーグの言うように『俺は一体何なんだ……死にたい……』なんて暗く沈んでいたことと思う。


 思い出話とやらに対する所感をペラッと話すと、ルーグは表情を崩して、満面の笑みを浮かべた。


 いつもの茶目っ気にあふれた口調で、大袈裟にため息を吐いて寄越す。


「やれやれ、そうかい。いやはや、本当に……ようやっとお前さんの心の治療が終わったのう。すっかり健やかになってなによりじゃ。長い神官人生で、一番難儀な患者だったよ。――ほれ、婚約書類を。続く結婚の書類にも名を添えさせておくれ」

「はい、もちろんです。改めて、ありがとうございます」


 ルーグの手元に置かれたままになっていた書類を受け取って、ファルクも力の抜けた笑みを返した。


 書包みに仕舞いながら、続けて思ったことを相談してみる。


「――でも、そういうことがあったのでしたら、ベレスレナの聖女様には改めてお礼をお伝えしたく思います。神官勤めを始めてから、城で何度もお会いしていますが、赤子の頃に魔祓いのお世話になったことは今まで知らずにいたので」

「そうじゃな。向こうの聖女様もお歳を召しておられるから、お会いするならば早い方がいい。近く、旅を決めてもよいのではないか? ルオーリオの従軍神官たちもずいぶんと頼もしくなったようだし、案ずることはないだろう。お前を生かして帰したくらいだからのう」

「えぇ、考えておきます」


 ルーグの話によると、ベレスレナの聖女は事情を(おもんぱか)ってくれたのか、そっと見守ってくれていたようだ。

 聖女は世の人々には見えない世界を見ている。何かを思い、多くを語らないことが善であると判断してのことだろう。


 ずいぶんと遅くなってしまったけれど、諸々のお礼をするために、一度帰郷を考えようと思う。


 頭の中でぼんやりと予定を立てて、ふむ、と頷く。最後にルーグが言葉を添えてきた。


「アルメ嬢に自身の生まれの話を伝えるか否かは、お前さんが決めなさい」

「はい。……まぁ、タイミングを見て」


 婚約書類をしまい込んだ書包みを抱えて、ファルクは考え込む。この微妙な話は、どういうタイミングで、どういう雰囲気で伝えるのが良いのだろう……なんてことを。


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