227 婚約の報告と思い出話
アルメと夜の街歩きデートを楽しんだ翌日。ファルクは一度神殿に戻るべく、アイス屋を後にした。
宿舎に寄って着替えてから、神殿内の各所をまわる。
脱走した挙句、勝手に療養先を変更して迷惑をかけたので、その件を丁重に謝りつつ……改めて、今回お世話になった面々に礼を言ってまわった。
自身の命を繋いでくれた従軍神官たちには、一応、目覚めたその日のうちに感謝を伝えてある。
けれど、自分もフラフラの状態だったし、相手も重度の魔法疲れでヘロヘロだったし――という締まらない場だったので、今度こそしっかり礼をさせてもらった。
まだ従軍後の休日の消化中なので、各々宿舎で過ごしたり、ぼちぼち雑務に手を付けだしたり――というまったりとした雰囲気だ。
そのまったり感に乗せて、ついでに婚約の報告までしてしまったのだけれど、皆驚いた顔をした後で、物凄くホッとした顔をしていたのが印象的だった。
『あなたが婚約という祝い事を、無事に迎えることができてよかった』と、胸をなでおろしながら、お祝いしてくれた。
宿舎の面々の元をまわった後、神殿の執務広間へと移る。カイルは既に仕事を始めているようで、せっせと書類の整理をしていた。
歩み寄るとパッと顔を上げて、明るい声をかけてきた。
「ファルケルト様! お体はもうよろしいのですか?」
「えぇ、おかげさまで、もうすっかり。カイルさんこそ、魔法疲れはもう癒えたのですか?」
「僕ももう平気です。いやはや……お元気になられたようで、本当に、本当によかったです。……はぁ、ファルケルト様が動いていらっしゃる……元気に、動いていらっしゃる……うぅ……よかった……」
ファルクの姿を上から下まで見回して、カイルはしみじみと目を潤ませた。
「帰りの馬車で皆さまが治癒魔法を振り絞り、どうにか命を繋いでくださったおかげです。特にカイルさんは、ご自身の体が危うくなるほどに魔力を尽くしてくださって……。改めて、心から感謝申し上げます。そして神官として、あなたの行いに敬意を表します」
かしこまった敬礼で感謝を伝えると、カイルも同じように姿勢を正す。
「戦の最中に、僕も命を守っていただきました。お返しをしたまでです。あの場では本当にありがとうございました。……僕もあなたのように、颯爽とお助けできたら良かったのですが……魔力が足りずに、結局自分まで倒れて、担ぎ込まれる事となってしまいました。自分の未熟さを痛感した次第です……精進したく存じます」
「そう卑下なさらずに、ご自分を誇ってください。カイルさんが死力を尽くしてくださったおかげで、俺はこうして今ここにいられるのですから。生きながらえることができたおかげで、なんと婚約を結ぶことも叶いました。あなたのおかげです」
「ご婚約を……!? ティティー様とですか!?」
大声を出した後で、カイルはハッとして口元を押さえた。ファルクは満面の笑みで付け加える。
「ふっふっふ、まさに怪我の功名といったところでしょうか。死にかけた俺を想い、彼女がお心を決めてくださいました。死に瀕した甲斐があったというもの――……うぐっ」
つい、ウキウキペラペラと口をまわしてしまったファルクの脇腹に、カイルのパンチがめり込んだ。彼は普段の澄ました顔を思い切り崩して、凄んだ睨みを寄越す。
「笑い事ではないでしょう。ファルケルト様と言えど、そのようなご冗談は許しません」
「も、申し訳ございませんでした……。……ええと、お仕事中に失礼しました……浮かれたヒヨコはそろそろお暇いたします……」
一瞬のうちに上下関係がひっくり返り、ファルクはペコペコと謝って、逃げるように退室した。
拳をくらった脇腹に治癒魔法をかけつつ、浮かれた不謹慎発言を反省する。そんなヒヨコを見送りながら、カイルは頭の中で祝い品を見繕い始めたのだった。
神殿内を移動して、世話になった他の神官たちや看護師たちにも感謝を伝えていく。
そうして最後にルーグの執務室へと向かった。一つ、お披露目したい――いや、お願いしたい書類を携えて扉をくぐり抜ける。
執務机について書類仕事をしている彼に歩み寄り、声をかけた。
「ルーグ様、失礼いたします。療養を終え、戻って参りました。この度は多大なるご迷惑、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
「延々とアルメ嬢の家に居座るだろうと思っていたが、思ったより早かったのう」
「未練がましく居座らずとも、この度、至宝の合鍵を授かり、この上なくありがたい約束を交わすに至りましたので。その報告もあり、参りました」
「ほう、聞こうじゃないか」
ルーグは仕事の手を止めて、机の向こう側に立つファルクに向き合う。抱えていた書包みから一枚の紙を取り出して、ルーグに差し出した。
「アルメさんと婚約を結ぶことになりました。彼女からお返事をいただき、愛の約束を交わすに至りました。一応、書類を作っておきたく、証人としてルーグ様のお名前をお借りしたいのですが、お願いできますか」
「やっっっ……とか!」
「え?」
「いや、なんでもない、気にするな。そうか! 何ともめでたいことだ! おめでとう、ファルクよ!」
思い切り言葉を溜めて、『やっとか!』とあきれられた気がしたが……気にするなと言われたので、気にしないでおく。
ルーグは祝いの言葉を口にしながら、受け取った書類に目を通す。
「ふむ、本当にめでたいのう。彼女との新しい名はもう決めたのかい?」
「はい、新たな名として『ティーゼ』と名乗ろうかと」
昨日の夜、初めて彼女と食事をした地下宮殿の思い出のレストランに寄り、話し合って決めた。まだ名乗ってはいないが、もう既にたまらなく気に入っているファミリーネームだ。
「ティティーとラルトーゼを合わせた名か。良い名だ。その名のように、睦まじく寄り添って暮らしていきなさい」
そう言うと、ルーグは書類を机に置いて、ペンを手に取った。証人のサイン欄にペン先を下ろす――……その直前に、もう一度ファルクを見る。
グレーの瞳を感慨深げに揺らして、サイン前にもう一つ、話を投げかけてきた。
「よい止まり木を見つけたな、ファルクよ。まだまだ忙しなくはあるが、お前さんなりの羽の休め方を覚えたのだな。……幼き頃からの病じゃが……お前さんは生への執着を持てず、天に憧れる気持ちを抱いてきただろう。その気持ちは、病は、未だ心に巣食っているかい?」
問いかけを受けて、ファルクは静かに息を吐いた。
長きにわたり、この心に巣食っていた病が、ルーグにはしっかりと見えていたらしい。
子供の頃から、自分はずっと、心の底で生を辛いものとしてとらえていた。叶うことなら、安寧の世界――天の国で過ごしていたいと……そんな思いを胸に抱いてきた。
神官になるにあたって、強い魔法を得る代わりに、神へと魂を捧げる契約を交わした。
もう二度と地上に生まれることがないという厳しい条件は、裏返せば、もう二度と地上に生まれなくて済む、ということでもある。
契約を交わして、どこかホッとした心地を抱いたことを、今だによく覚えている。
もちろん、より多くの人々を救いたいという、強く前向きな気持ちによる契約であったことは確かだが……心の底の仄暗い気持ちによって、大きな対価への覚悟が決まった部分もある。
ルーグは何もかも、見通していたようだ。長く心配をかけてしまった。
治療を施す担当神官として、そして父が亡くなってからはもう一人の育ての親として、自身を愛しんでくれたルーグ。彼をまっすぐに見て、力強く言い切った。
「もうそのような気持ちはありません。現に俺は死のふちで、迎えに来てくださった女神の手を振り払ってしまったくらいです。この先、何があろうと、これでもかと生にしがみついていく所存です。アルメさんと一緒に、長く人生を楽しみたいので」
そう答えると、ルーグは噛み締めるように頷いて、書類にペンを走らせた。
婚約の契約書類に、ファルクの名前とアルメの名前、そしてルーグの名前が並んだ。
胸に手を当てて、改めて深く礼をする。
「ありがとうございます、ルーグ様」
「あぁ、本当におめでとう」
ルーグは並んだ名前を見つめて、もう一度、深く頷いていた。
そうしてわずかに間を置いてから、彼は顔を上げた。
「――ファルクや、この後少し時間はあるかい」
「特に予定もありませんので、いくらでも」
書類を受け取ろうと手を伸ばしたが、ルーグは手渡す前に問いかけてきた。同時に、彼は姿勢を改める。
穏やかながらも、どこか読めない淡々とした声音で話しかけてきた。
「人生の区切りを迎えた今、一つ、お前さんに思い出話をしようと思う。お前さんが生まれた時の話だ。二十年以上も前の、年寄りの朧な昔話だが……聞いておくかい?」
ふいにグレーの目が、試すような色を帯びた。
逃げ道を用意されている――。と、瞬時に悟る。聞くか、聞かないか――ルーグは暗に覚悟を問うているようだ。
自身が生まれた時の話となると、お産で命を失った母にまつわる話だろうか。
彼と視線を交えると、どことなく、戦で魔物に対した時のような心地を覚えた。不穏な黒い霧を前にしているような、ざわざわとした心地――。
(……聞かずに逃げるのは、なんだか負けたみたいで嫌だな)
攻め入らなければ、きっと霧は晴れない。なんとなくそう感じる。――これも戦と同じだ。
「お聞きしたく思います」
ファルクも姿勢を改めて、背筋にグッと力を入れた。伸ばしかけた手を戻して、そっと拳を握りしめる。
ルーグは一拍の間を空けて、声音を変えずにゆっくりとした口調で話し始めた。
「ファルクがワシのことを覚えたのは、物心ついてからだろうが……ワシはそれよりずっと前、お前さんが生まれたその日に、この腕に抱いたのだよ」
「それは、父から聞いております。母は高い歳での難産で、俺を産み、命を手放したと……その時にルーグ様が来てくださったのでしょう?」
「あぁ、その通りだ」
心が痛む話だが……難産によって母体が命の危機に瀕することは、別段珍しい話でもない。
改まって話すことだろうか――……と、怪訝な顔をする前に、ルーグが続く言葉を放った。
「深い雪の日のことだった。お前さんの父親が神殿に駆けこんで来てな……ワシに縋りついてきたんだ。頭にも肩にも雪を被っていて、真っ白になっているというのに、伸ばされた両手と胸元は真っ黒に染まっていたよ。『妻が魔物を産んだ。助けてほしい』と、泣きついてきたんだ」
「え……」
ファルクは目を見開き、金の瞳を揺らした。
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