222 愚痴と黒ヒヨコの置物
急ごしらえのお茶会にて。
アルメとブライアナはテーブルを挟んで向かい合わせに座り、ティーアフォガードへとスプーンを伸ばす。
頬張ると、ミルクアイスの甘さに乗るようにして、口いっぱいにシナモンと紅茶の香りが広がる。
たまらない味わいに、思わず頬を緩めそうになるが……グッとこらえて本題に入った。
「それじゃあ、お茶とアイスを楽しみつつ――……お話を、お伺いしましょうか」
「では早速、失礼して……!」
待ってましたとばかりに、ブライアナは鞄から妙な物品を取り出した。
テーブルの上に出された物は、真っ黒に彩色された木彫りの置物だ。手のひらサイズで、丸っこいヒヨコを模しているようにも見える。小さな翼と足が生えているけれど……数本の人間の手と、魚の尾も生えている。ヒヨコのキメラといった造形だ。
「見てくださいまし! これを!」
「これは……なんですか?」
「わたくしは不気味黒ヒヨコと呼んでいますけど、わたくしの父曰く、『ありがたい加護アイテム』だそうです」
「はぁ……加護アイテム」
ブライアナは鞄からひょいひょいと次々に不気味黒ヒヨコとやらを取り出して並べていく。
姿といい色といい、加護をもらえる縁起物というより、魔物のよう。
(そういえば、リナリスもこういう姿をしていたっけ……)
一つを手に取り、先の魔物事件へと思いを馳せる。檻越しに面会した妹のリナリスも真っ黒で、数種の生き物が混ざった姿をしていた。
(リナリス……リナリスかぁ。最後の最後、お喋りをした時にはちょっと可愛げがあったから、この黒ヒヨコの置物も見ようによっては可愛くも――……)
『怖可愛い』というジャンルに分類される造形だろうか。魔物に姿を変えたリナリスも、おどろおどろしい外見だったが、不思議な愛嬌を備えていた。
この黒ヒヨコもそんな感じだろうか――と軽くとらえて、ブライアナに言葉を返そうと思ったのだけれど……安易に感想を口にしないでよかった。
彼女は腹立たしさに顔を赤くして、オードル家の近況を語り出したのだった。
「アルメさんのお声掛けに良い返事を出せなかったのは、もう全部これのせいよ……! お母様の入院が長引いているせいで、お父様の様子がまたおかしくなってしまって! あの人ったら、この変な置物に家のお金を使っていたの……! いつの間にやら、どこかから大量に仕入れたらしくて……今、オードル家の中には山のように黒ヒヨコが……! もうわたくし、どうしたらいいのか……っ」
彼女は泣き声を上げそうになるのを堪えて、代わりにむしゃっとアイスを頬張る。咀嚼でキンキン声を封じながら話を続ける。
「その黒ヒヨコの置物を誰かに売ると、売上の一部が手元に入るらしくてね……。さらに顧客の獲得数に応じて、上のお偉方から報酬もいただけるのだとか……。そうやって仲間内での位が上がれば、そのうちに働かなくても懐に大金が入ってくるようになるそうなの。――って、そんな上手い儲け話、あるわけないでしょうに!! お父様ったらすっかり信じ込んでて……!!」
「わぁ……それは……何と言いますか……」
(マルチ商法のカモにされてるような……)
胸の内で呻いてしまったけれど、直球で口に出すのは憚られる気がしたので、アイスを頬張って言葉を濁しておく。甘くて美味しいはずのアフォガードが、どうにも苦く感じられる……。
話すうちにまた気持ちが昂ってきたようで、ブライアナは黒ヒヨコの置物を憎々しげに鷲づかみにした。そのまま握り壊しそうな勢いで、拳にギリリと力を込める。
「もうっ……屋敷にあふれるこの置物……! どうしてくれようかしら! せめてもうちょっと可愛い姿だったらよかったのに……! お父様ったら、なんでよりによって、こんなへんちくりんな黒ヒヨコを……!」
「た、確かに……魔物じみてますものね、この置物」
「もういっそ全部ぶち壊して処分してやろうかしら! えぇ、そうするしかないわ! お父様も五、六発ぶん殴って改心させるしか――」
「落ち着いてくださいブライアナさん……!」
ブライアナは勢い余って立ち上がり、置物を握りしめたままブンブンと素振りを始めた。
その勢いで殴りつけたら、確実に警吏案件になってしまう。アルメも慌てて腰を浮かせて、殺る気に満ちたブライアナの腕を止める。
そうして揉み合いにもつれ込みそうになった時――。ふいに低い声が割って入り、二人は動きを止めた。
居間の奥、細く開かれた扉の隙間から、控えめな声が届いた。
「あの……暴力を用いるのはおやめくださいね。お話を聞くに、父君は心が弱っていて、何か縋る対象が必要な状態なのでしょう。とはいえ、良からぬ偶像に加護を求めるのは問題ですから……応急処置的ではありますが、別の対象を用意して、ひとまずはそちらを崇めていただくように誘導してはいかがでしょうか」
突然もたらされた声と提案に、ブライアナはポカンと口を開ける。腕にしがみついているアルメに、呆けた声をかけてきた。
「あら、男の人? お部屋にいらっしゃるの、妹さんじゃなかったのね。もしかして、アルメさんの良い人かしら? お二人の愛の巣にお邪魔をしてしまって、ごめんあそばせ」
アルメが言葉を返す前に、部屋の扉がそろりと開かれていく。こちらをうかがうように金色の瞳が覗いて、低い声が続く。
「崇めるべき良き対象として、『アイスの女神様』をおすすめしたく存じます。氷魔法と、甘く美味しいスイーツと、商売を司る神です。こちら、白鷹も信仰しておりまして、日々、大いなるご加護をいただいていましてね」
扉はさらに開かれて、金の目に続いて白銀の髪と、麗しく整った顔の半分が露わになる。
チラと顔を出したファルクは、アルメの顔色をうかがいながら、改めて声をかけてきた。
「――というわけで、白鷹もお話にお邪魔してもいいですか? 警吏案件になりそうな揉め事は看過できませんし、寝るのにも飽きてしまって……ね?」
ブライアナは見る間に固まり、取り乱していた姿から一転して、呆け切った様子で立ちすくんでいる。
とんでもない珍鳥を見てしまった、という目で、白鷹の姿を上から下まで見回していた。
普段、人々が見ているのは出軍時の凛々しい騎士服姿と、神殿での優美な神官服姿だ。が、今の彼はゆるゆるな部屋着姿。まさしく、滅多にお目にかかれない珍鳥姿である。
鳥籠から勝手に出てきてしまった鷹を見て、アルメは諦めのため息を吐く。硬直しているブライアナに、しどろもどろに事情を話した。
「あぁ、っと……これにはちょっと事情がありまして……。ええと、実は婚約をすることになりましてね。それで、色々ありまして、部屋に彼がいるという訳でして――……」
「…………そう、でしたの。ご婚約、おめでとう、ございます……」
驚きのあまり真顔になったブライアナの手から、ポロッと黒ヒヨコの置物がこぼれ落ちた。
気休め程度に部屋着を整えたファルクがのそのそと出てきて、結局、お茶会に加わることになった。椅子を持ってきて居間のテーブルに席を増やし、ティーアフォガードも一人分追加する。
人は動揺しすぎると、一周まわって冷静になるようで、ブライアナはすっかり落ち着きを取り戻していた。アイスをもぐもぐと食べている珍鳥を観察している。
ひとしきりアイスを堪能した後、ファルクは話題を戻した。
「――それで、黒ヒヨコなる加護アイテムの件ですが。新たに意識を向けるべき対象が定まれば、父君も妙な投資から身を引かれるのでは?」
「そう……でしょうか……?」
「お父様、黒ヒヨコの利益に目がくらんでおられるなら、それ以上の利益を見込めそうな話が舞い込めば、そちらに魅かれるかもしれませんね。打開策になるかはわかりませんが、一つ、ブライアナさんにご相談しようと思っていた企画がありまして――」
アルメも話に乗るべく、棚からノートを引っ張り出してきた。これは日頃の思いつきを書き留めているノートだ。
新作アイスの案や、試してみたいレシピ、街の気になるお店、面白そうな企画など、雑多なメモが走り書きされている。
ノートの一ページを開いて、二人に見えるようにテーブルに置いた。
「ご当地アイスの件も進めつつ、もう一つ、貴族向けの高級志向アイスを作ってみようかな、と考えていましてね」
「……貴族向けのアイス?」
「えぇ。この前の祝宴用のアイス作りで、妖精光粉の仕入れ契約を結んだので、せっかくだからちょっとリッチなアイスを作ってみようかな、と」
アイス案が書かれたノートを覗き込み、ブライアナとファルクは興味深そうに目をまたたかせた。
落書きみたいな絵だが、イメージも添えてある。キラキラと輝く光粉アイスが、綺麗なガラスの器に収められている――というデザイン画。器は蓋つきのもので、店頭で出すアイスとは違い、自宅で楽しむのを前提としている。
いわゆる、前世で言うところの『ご家庭ストックアイス』を意識した代物だ。
冷凍庫は氷魔石の維持費がかかるため、庶民の家庭にはほとんど普及していない。すなわち、ストック用アイスの売れ行きも見込めない。
一方、富裕層の屋敷には冷凍冷蔵庫が備わっていることが多いと聞く。彼らには家で楽しむアイスを売り込むことができるし、需要があるのではと踏んでいる。
そういうわけで、そのうちに企画を立てようとメモしておいたのだけれど、ちょうどいい機会なのでお披露目してみた。
「街のアイス屋もそこそこ名前が広まってきましたし、祝宴で箔も付いたので、これからは上流層をターゲットにした商品も展開できるかなぁ、と。とはいえ、お貴族様に営業をかけるのは、私個人では不安しかないので……ブライアナさんのお家にお力添えを賜りたく」
以前、ブライアナには祝宴の選定会に先駆けて、屋敷でサロンを開いてもらった。貴族令嬢たちが集まる華やかな場は、リッチなストックアイスの宣伝にもってこいだ。
あわよくば、またタッグを組んで上流階級に売り込みたい。
アルメの手を取って、ブライアナはガシリと握りしめた。
「すごく良い話じゃない……! 黒ヒヨコを売りさばくより、よっぽど素敵な商いだわ! 是非、わたくしを営業担当にしてちょうだいな!」
「ふふっ、ありがとうございます。それじゃあ、この企画を足がかりにしつつ、オードル家の脱黒ヒヨコ商売を目指しましょうか!」
「えぇ、えぇ! お待たせしていた商馬車の件も進めて参りましょうね! アルメさん、この後ご予定は? もうすぐにでも、お父様にお話をしたく思うのですけれど!」
手帳に挟んでいたシフトの紙を確認して、アルメは了承の返事をする。
「夕方前まででしたら、大丈夫ですよ。サンプルとしてアイスもお持ちしましょうか? 黒ヒヨコに負けない、キラキラの白鷹ちゃんアイスを」
そう提案すると、成り行きを見守っていたファルクが口を挟んできた。
「白鷹ちゃんアイスが出向くのならば、白鷹本人もお供いたしましょうか。何か揉め事が起きてしまったら心配ですし、俺も一緒に――」
「せっかくのお申し出ですが、お断りさせていただきます。あなたは療養中の身でしょう? アイスを食べ終えたら、寝室へお戻りくださいませ」
ピシャリと断ると、ファルクはムッとした顔で言い返してきた。
「鷹は自由に飛んでこそでしょう。そう無下に部屋に閉じ込めずとも」
「墜落したばかりの鷹が何を言っているのだか。鳥籠へお戻りください。もしくは、神殿にお送りしましょうか?」
「……」
ファルクは口をつぐんで、しゅんと背を丸めて紅茶をすすった。
二人のやり取りを前にして、ブライアナはポツリと独り言をこぼす。
「白鷹様は、鷹匠と縁を結ばれたのね……」
出軍の時の凛々しく勇ましい姿や、神殿でまれに見かける高雅な雰囲気を思うと、白鷹が縁を結ぶ相手は、釣り合いのとれた麗しい高貴なお嬢様なのだろう――と、勝手な想像をしていたのだけれど。
彼はどうやら、自在に鷹を操ってみせる匠の元に納まることになったらしい。
それはそれで釣り合いがとれているのかもしれない、と、納得してしまった。




