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217 神々が呆れるような、愛の誓いを

 東地区にとんぼ返りして、星明かりの下を路地奥へと駆けていく。


 そうして帰り着いた小広場の花壇の脇。案内板に手をつき、もたれかかるようにして、暗がりの中にひっそりと一人の男が立ちすくんでいた。


 高い背丈と、闇の中でほのかに浮き上がっている白銀の髪。明かりの灯っていないアイス屋を、ただぼんやりと見つめている。


 あぁ、見つけた。やっぱりここに来ていた。彼は約束を違えることなく、ここに、自分の前に、帰ってきたのだ。――と、胸の中に安堵が満ちる。


「……ファルクさん」


 名前を呼ぶと彼はゆるりと振り向いて、金色の目で真っ直ぐにアルメを捉えた。


「アルメさん……! こんばんは、お会いできてよかった! 無事に帰った知らせを、と直接出向いてしまったのですが、留守にしておられたようで、どうしたものかと立ち尽くしておりました――……って、あの、なんだか怒っていらっしゃいます?」

「いえ、怒ってなどいませんよ。ご帰還に、心からホッとしております」

 

 ふにゃっとした、のん気な笑みを浮かべて話しかけてきたファルクの顔は、引きつったものへと変わった。


 握り拳を戦慄かせてジリジリと歩み寄ってくるアルメを見て、ファルクは反射的に身構える。


「そ、そうですか……ええと、では、その握り拳は……?」

「これはやり場のない感情です。あなたへの想いを拳骨に込めて、胸元に一発お見舞いしてやりたいところですが……ルーグ様に止められていますので、後日にします」

「えっ、ルーグ様……!? アルメさん、もしや神殿に行かれたのですか!?」

「えぇ、先ほどブランケットの亡骸と面会いたしました」

「亡骸…………あ、あの……すみません……」


 ファルクはガードの構えを解いて、背中を丸めて小さくなった。事の次第を察したのだろう。すぐさま反省の姿勢に転じた。


 わかりやすくしゅんとしてみせる、しょうもないヒヨコ。……そんな彼の様子を見ていると、目頭が熱くなってきてしまった。


 クルクルと変わる表情、体の動き。話しかければ、しっかりと返ってくる声。こちらを見る、生気に満ちた金の瞳――。

 

 先ほど対面した無機質なベッドの膨らみを思い返すと、生きている彼が確かに目の前にいる、ということが、とんでもない奇跡のように感じられる。

 言葉にできない想いが込み上げてきて、また涙があふれてきてしまった。


 手の甲で拭いながら、ファルクの側に寄る。大きく広げた両腕の内側に、脱走鷹を収容してやった。


「アルメさん……? 泣いているのですか?」

「泣きもするでしょう! 聞きましたよ、戦で大怪我を負ったと……! 何が『無事に帰った』ですか……私、あなたが死んでしまったかと……思っ……思って……ファルグざ……うぅ……」


 咽喉の震えを抑えきれずに、言葉尻がグズグズの涙声になってしまった。


 鷹を腕で捕縛したが、抱擁を返されたことで逆に捕らわれる形になる。腕の囲いの中で、神殿でのいきさつを愚痴ってやった。


「……神殿のベッドで……あなたが……動かなくなってて……亡骸になってしまったのかと……思っ……ううう……」

「あれはルーグ様や神官たちへの対策でして、決してアルメさんを泣かそうと、亡骸を装ったわけではなく……! 勘違いをさせてしまって申し訳ございません……。……ごめんね」


 謝罪に合わせて、抱擁に力が込められる。アルメが言葉を返せないでいると、ファルクは間を繋ぐように、戦の帰途でのことを話し始めた。


「でも、死にかけたのは事実でして……あと一歩で、本当に亡骸になっているところでした。死のふちで、迎えに来てくださった戦女神に手を引かれたのです。とても光栄なことなのでしょうが……俺はその手を、払い除けてしまいました」


 気の抜けた声音でポツポツと、彼は臨死の最中の出来事を語る。


「不敬極まりないことですが、女神直々の天への導きを、俺は拒否してしまいました」

「……神様相手に……そんなことができたのですか……」

「それはもう、相応の覚悟で対峙いたしましたよ。己がすべてを投げ打ち、賭けに臨む決死の覚悟で。女神の手を払うだけでは、事を(くつがえ)すことができず……足元に縋りついて、大泣きをして命乞いをしました」


 話を聞いてポカンとしてしまった。アルメの涙を止めるための冗談なのかもしれないが……それにしては、実際に体験してきたかのような口ぶりだ。


 本当に彼は迎えの神と対峙して、とんでもない賭けに挑んだのかもしれない。


「『まだ天に昇りたくない!』と、大声で泣き喚き、地面をジタバタと転がって幼子のように駄々をこねまくったのです。あまりに情けない姿に、戦女神は大層困惑している様子でした」

「それは……そう、でしょうね……」


 戦女神ヴァルキュレーは『気高く勇猛な戦士の魂』を好み、天へと連れて行くと言われているそう。

 白鷹の戦場での立ち振る舞いは、そんな女神が気に入るほどに優れたものなのだろう。


 けれど、そうやって目に留めた相手が、いざ対面してみたら、泣き喚き転がる白ヒヨコだったわけだ。女神はさぞや幻滅したことと察せられる。


「恋人や家族がいる戦士は、戦女神から選定されにくいと言われています。その理由を、身をもって理解しました。きっと現世に愛する人を残した者は、誇りも体裁も何もかもを投げ打って、情けなく命乞いをしてみせるから、女神に呆れられるのでしょうね」


 ファルクは指先でそっと、アルメの頬の涙跡を拭う。悪戯が成功した子供のような顔で、笑ってみせた。


「そうやって戦女神を散々困らせて、仕舞いにはゴミを見るような目で見据えられましたが……功を奏したようです。彼女に見限られたようで、どうにかこの世に留まることが叶いました」


 そう言って、彼は話を終えた。


 アルメは改めて、ガシリと鷹を捕縛する。力一杯の抱擁と、力を込めた声で、心からの願いを口にした。


「……神々への不敬の罪を負う覚悟で、言わせてもらいますが……あなたが戦女神様の手をぞんざいに払い除けてくださったこと、私は大英断だと評価したく思います。……この先も絶対に、何があっても絶対に、神様の手なんて取らないでください。どんなに高位の神様だろうと、絶対に」


 離すまい、と、全力でしがみついたまま、ファルクの顔を仰ぎ見る。彼の瞳の色に負けないくらい、強さをたたえた黒い目を真っ直ぐに向けて、想いを告げた。


「どうか、どうか他の誰の手も取らないで。私の手だけを、握っていてくださいませんか。夫として、妻の手だけを握っていてくださいませ。お願いします」


 これが、あの日ファルクからもらった愛の告白への、アルメの返事だ。


 時の猶予に甘えて、機を逃すなんて愚かなことは、もう絶対に御免である。

 もう怖気づいたりしない。躊躇ったりしない。ありったけの真心を、愛しい人へ捧げると決めた。彼と手を取り合って、共に人生を歩むことを決めたのだ。


 ファルクは一瞬、美しい金の目を見開いた。

 そして泣きそうなのか笑んでいるのかわからない、例えられない顔をして、力強い抱擁を返してきた。


「……――はい。心得ました。ファルケルト・ラルトーゼは、アルメ・ティティーの手だけを握って生きていくと誓います。何があろうと、決して離すことなく」




 優しい声と温かな体温が、胸の奥へと染み入って心を解いていく。


 夜空の星々がキラキラと賑やかす中。

 恋人たちの間に、今、特別な縁が結ばれた。




 星を宿したような輝く目を細めて、ファルクはやわらかく笑う。


「誓いの証をお贈りしてもよろしいでしょうか」

「えぇ、凱旋の褒美も差し上げなければいけませんね。改めまして、おかえりなさい。愛しています、ファルクさん」


 同じように笑みを向けると、ファルクは一拍の間を置いて、『ただいま』と、一言を返してきた。少し声が震えていたことには、気が付かないふりをしておこう。


 頬に添えられた大きな手に導かれ、顔を上げると、彼が身を屈ませる。

 そっと顔が近づいて、唇が重ねられた。


 熱を分け合う、心地良い照れが胸を満たしていく。


 愛を誓う初めての口づけは、温かさと優しさ、そして命の鼓動を感じる、とても、とても幸せなものだった。


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