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216 愛憎パンチをドスッと

 上階に続く階段をひた走り、四階の端の部屋を目指す。全力疾走に体が悲鳴を上げているが、構っている余裕などない。


 途中、つまずいて転びそうになりながらも、ファルクの眠る部屋へとたどり着いた。


 ノックをすることも忘れて、部屋の中に転がり込む。

 上等な広い個室だが、中は暗く、火魔石ランプのほのかな明かりだけが揺らめいていた。


 壁際に置かれた大きなベッド。頭の先から足の先までを覆い隠すように、丁寧に被せられている掛け布団。横たえられている長身――。


 シワ一つなく、不自然なまでに整っているそのベッドからは、生の気が感じられない。


 アルメは不安定に弾んでいる息のまま、崩れそうな体を叱咤して、ベッドの側に寄った。


「……ファルク……さん…………?」


 喉の奥から声を絞り出して名を呼んだ。震える手を伸ばして、掛け布団の膨らみに触れる。

 

 手に伝わってきた感触は、酷く無機質だった。抱擁を交わす度に伝わってきた、彼の鼓動も、温かさも、何一つとして感じられない。


 すべてが失われて、ただ亡骸だけがここに横たわっている――……。


「…………ファルクさん……? 嘘、でしょう……? 嘘ですよね……? そんな……嫌です……嫌ですよ……だって約束したでしょう? 帰ってくるって……。帰ったら、新作のアイスをあなたにお披露目して……それで……私……あなたに、お返事を…………」


 嘘だ。こんなこと信じられない。信じたくない――。

 そう思うのに、手から伝わってくる無機質な感触が、現実を容赦なく突きつけてくる。 


 胸が痛くて、苦しくて、息ができない。


 爆発しそうな感情の大波は、胸の内からあふれて涙に変わり、瞬く間に視界を奪った。あふれ出てボロボロと流れ落ちる涙を、もはや拭うことすらできない。手が、体が震え切って、動かし方がわからなくなってしまった。


「…………ファルクさん…………ファルク、さん………………」


 立っていることもままならず、ベッドの横に膝をつく。生気を失った膨らみに縋りつき、声にならない声で、ひたすらに想い人の名前を呼び、呻く。返事は、一度も返ってはこなかった。


 無理だ。と、思った。

 とてもじゃないが受け止めきれない。無理だ――……。


 絶望を感じるほどの、深い悲しみ――なんて、簡潔な言葉では到底表現できない。やりきれない、身を裂くようなあらゆる想いと後悔が込み上げて、咽喉を震わせる。


 ――もっと早くに告白への返事をしておくのだった。この身に宿るすべての愛を、すべての想いを、自身のすべてを、彼へと贈っておくのだった。


 贈りたい相手が、受け取るべき相手が、ファルクがいなくなってしまったら、もう何もかも遅いではないか――。


 どうして躊躇ってしまったのだろう。どうしてあと一歩の勇気を出せなかったのだろう。


 日常の中で、いくらでも時間はあったというのに……その猶予に甘えてしまった。取り返しのつかない、凄まじく愚かな過ちを犯してしまった。


 平穏が続く保証なんてないのに。命が続く保証なんて、どこにもないのに。どうして愛を交わすことを後にまわしてしまったのだろう。


 彼はルオーリオでの新たな人生を望んでいた。愛と家族を望んでいた。温かで楽しい暮らしを望んでいた。そんな、願う未来の同伴者として、自分を望んでくれた。


 だというのに、応えることができなかった。望みを叶えることができないまま、彼は亡骸へと身を変えてしまった――……。


「…………ファルク……さん………………私、あなたを愛しています……とても、とても深く……心から、愛しております……。一緒に生きていこうって……あなたに、攫っていただこうって……私、心を決めたのです…………遅くなって、ごめんなさい……ごめんなさい…………ごめんね……ファルク…………」


 どれだけ呻き声を上げようと、もう彼に届くことはない。遅すぎた、愚かな返事……。わかっていても、止められなかった。


 涙声を振り絞り、愛しい名を呼びながら、掛け布団へと手を伸ばす。くしゃくしゃの顔をさらに歪ませて、アルメはそっと布団を下ろした。


 ファルクの亡骸の容貌が露わになる。

 とめどなくあふれた涙は視界を酷く乱していて、もはや何も見えない。


 手の甲で一度、グイと目元を拭う。けれど、やはり視界は不明瞭のままで、何も見えない。


 ファルクの顔が、何も見えない。


 何も、見えない。




 ……いや、何もない。

 あるはずの顔が、ないではないか。


「…………っ!?」


 目をパチパチと瞬いて、溜まった涙を落としてから、もう少し布団をずらしてみる。


 ファルクの亡骸があるはずのところには、縦長のロール状に丸められたブランケットの塊が置かれていた。


「……えっ!? ファル……えぇっ!?」


 思わぬ事態にアルメの思考は停止し、目をむいたまま固まってしまった。



 ――と、硬直してからほどなくして。部屋の中にルーグが駆け込んできた。


「ハァハァ……アルメ嬢、すまない……! なにやら勘違いさせたようじゃな……初っ端に『生きとる!』とでも言っておけばよかったか。奴め、戦場で危篤に陥ったが、図太く息を吹き返して帰還したのだよ。治癒手術を経て、今朝、ようやっと昏睡から目覚めたのじゃ」


 ポカンと呆けたまま、息を切らしたルーグのほうを見る。彼はこちらに歩み寄りながら、苦笑をこぼした。


「ずいぶんと弱ってはいるが、もう危機は脱した。ファルクより、むしろ帰りの早馬車で治癒魔法を使い尽くした、カイルのほうが死にかけているくらいだよ」

「えっ……っと……えぇ……? あの……?」

「アルメ嬢の顔を見たら元気が出るだろうと思って、使いを出そうと思っていたところでな。ちょうど会えてよかった。ファルクは先ほど眠ったところじゃが、どれ、せっかくだし起こしてやろうじゃないか――……あっ!?」


 アルメの隣にきたルーグは、ベッドの中のブランケットを見て声を上げた。


 何度か目をパチクリさせてから、部屋の中を見回して、鍵の開いた窓に目を留める。外の避難用バルコニーと非常階段に視線を向けて、深く大きなため息をついた。


「あの小賢しい鷹め、鳥籠から逃げおおせたか。この歳になって、悪ガキめいたやんちゃを覚えおって……」


 ひとしきり頭を抱えた後、ルーグは未だへたりこんでいるアルメに手を差し出した。彼の手を借りて立ち上がりながら、停止していた思考を再起動させる。


 ――ファルクは、生きている。


 ルーグからもたらされた言葉が、頭の中で大きく弾けた。なんだかもう、感情がめちゃめちゃになってしまって、胸がおかしくなりそうだ。


 ファルクは死んでなどいない。生きている。生きているのだ。生きている……!


 ……生きていて、先ほど逃げ出したところらしい。


 そういえば、彼は前にも神殿を脱走してきたことがあった。体調が優れない中、フラフラとアイス屋に顔を出したのだ。


 前科から察するに、今回も抜け出して向かった先は――……。


「…………ファルクさん……アイス屋に、向かったのかも……?」

「だろうなぁ。アルメ嬢、すまないが、迎えてやってくれんかのう? 後で使いを寄越すから、まずは鷹を鳥籠へ――アイス屋へと収容しておいておくれ」

「……かしこまりました」


 そう答えた後、アルメは三度ほど、大きく深呼吸をした。あらゆる感情が湧き上がってめちゃめちゃになっている胸を、無理やり落ち着かせようと努める。


 が、今度ばかりは、どう頑張っても落ち着きそうにない。


「……ファルクさん……死んでしまったのかと、思いました……。……本当に、もう亡骸になってしまったのかと……思った……のに……っ……もう……っ……なんですかこのブランケットは……! もうっ……この……っ……この~っ!!」


 あぁ本当に、心から、生きていてくれてよかった!

 だというのに、この小細工はなんだ。人の気持ちをめちゃめちゃにして……!


 どうにも収まらない大荒れの感情が胸からあふれて、今度は右手の拳に雪崩れ込んできた。


 思い切り力を込めた拳骨を、ドスッドスッと二発ブランケットに打ち込む。これは以前、リトに習ったパンチだ。こんなところで使うことになるとは思わなかった。


 繰り出された重たいパンチを見て、ルーグは顔をひきつらせる。


「お、おぉ……一応、奴は手負いじゃから、どうか手荒な説教は勘弁してやっておくれ」

「……承知しております。では、鷹の捕獲に行って参ります。事の次第をお教えいただき、ありがとうございました。面会のご配慮にも感謝申し上げます」


 最後にもう一発、ドスンと右ストレートを入れてから、アルメは背筋を伸ばしてルーグへと礼をした。


 神殿を後にして向かう先は、自宅――アイス屋だ。フラフラと脱走を果たした鷹を追って、帰り道を急ぐことになった。


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