213 憧れる姿
木々の間を漂う黒い霧がうごめき、固まり、魔物の姿を形作っていく。
かくして出現した二陣の魔物は、馬の背に武器を持った人間が乗っているかのような、騎馬兵型のキメラであった。
「全隊、戦闘配置につけ! 一隊はその場にて待機! 二隊、三隊、四隊、攻撃開始! 進めー!!」
総隊長が大声で号令を放ち、戦闘員たちが一斉に木々の間を駆け出した。
魔物たちは身を躍らせながら、手にした真っ黒な剣を振り回す。姿形を模倣していても、動き方はやはりめちゃくちゃだ。本物の馬や人間の動きとは程遠い、異様な動きをしている。
そんなおかしな挙動ゆえに攻撃が読めなくて、交戦している軍人たちは翻弄されていた。
狂ったように跳ね駆ける馬に蹴り飛ばされたり、踏まれたり、騎乗している人型が振り回す黒剣に切り裂かれたり――……。
生い茂る草木とボコボコとした谷の地形も相まって、乱戦の様相を呈していた。
自身を守る大盾の間から戦場を見回して、ファルクは目を細める。
(魔物が剣を手にするとは、何と厄介な……。今度は打撲程度では済まない、危うい相手だ)
一陣の魔物との交戦において、軍人たちの怪我の程度は軽いものであったが……斬撃が加わるとなると、今度は傷が深くなりそうだ。
(治癒魔法が遅れたら命に関わる。神官隊も真中に陣を構える他ない――)
現状、神官隊は二手に分かれて、戦地の東西二ヵ所で構えている。本来ならば、戦の最前線からは距離を取り、自分たちの安全を確保した上で魔法を飛ばすところだが……今回は乱戦の真っ只中に陣取っている。
視界が利かない地形なので、戦闘員たちに目を配るには、戦場の真ん中に踏み込むしかないのだ。
ファルクはカイルと二人で固まり、複数の大盾持ちの囲いの内側にいる。他三人の神官たちにも、同様に固まって身を守りながら魔法を使うようにと指示を出している。
盾の間から周囲に目を遣り、忙しなく魔法を飛ばしていく。じわじわと集中力と魔力を削られていく、嫌な現場だ。
――と、そんなことを思った、次の瞬間。
ふいに後ろから、ガツンと鈍い金属音が聞こえた。
一体の魔物騎馬兵が大きく飛び跳ねて、こちらに突っ込んできたのだ。
魔物は大盾に阻まれてもんどり打ったが、なおも強引に四肢を動かし、暴れ跳ねて盾持ちを踏み越えた。崩された囲いの中に、真っ黒な異形の巨体が雪崩れ込む。
「ひっ……!?」
突如眼前に迫った魔物に、カイルが息を呑むような悲鳴を上げた。
騎馬兵は剣を振りかぶり、突っ込む勢いのままに、カイルの顔面を目掛けて剣先を突き出した。
黒剣が眼窩を貫く――……直前で、剣の軌道はガツンと逸れた。
黒い剣身に、白い魔法杖の先がぶち当てられたのだった。ファルクが槍術のごとく、杖を振るって弾いたのだ。
杖の先端を飾っていた薄青色の魔法石が、衝撃によって砕け散った。対する魔物の黒剣も砕け折れたが――魔物は気にも留めない様子で、そのまま折れた剣を無茶苦茶な動作で振りかざす。
「……うわっ……ひぃ……っ!!」
「下がれ!!」
不測の事態に前後不覚となり、腰を抜かしたカイルを咄嗟に蹴り飛ばして、無理やり後ろに除ける。
代わって魔物の前に出たファルクの肩に、折れた黒剣の先が突き刺さった。――が、その瞬間に、即座に自身の魔法を発動させる。痛みを飛ばし、血を止めた。
間髪をいれずに、壊れた魔法杖をクルリと反転し、柄の先端を魔物の胸に突き刺す。ファルクの攻撃とほぼ同時に、守りの剣兵も騎馬兵の胴体と馬の足を、力一杯切りつけた。
魔物は重い音を立てて崩れ落ち、とどめの串刺しをくらう。負傷した大盾持ちに代わって別の兵が盾を構えて、再び守りの囲いが築かれた。
なおもビクビクと身じろぐ魔物を見下ろして、ファルクはやれやれと息を吐く。肩に刺さったままの黒剣を引っこ抜いて、放り捨てた。
受けた傷により、多少、腕の先に痺れが出ているが、まぁ問題はないだろう。
(……我ながら、これではどちらが魔物だかわからないな)
魔法で痛みを飛ばして平然と立っている自分よりも、もがいている魔物のほうがよっぽど生き物らしく見えないこともない。
魔物が力尽きたことを確認してから、ひっくり返って尻もちをついているカイルへと目を向ける。
「大丈夫ですか、カイルさん。蹴り飛ばしてしまったこと、ご容赦ください。急いでいたもので」
「い、いえ……! 助けていただきありがとうございます……ですが、ファルケルト様がお怪我を……! 魔法杖も……僕のせいで……」
「あなたの命に比べたら、この程度は安いものです。――さて、いつまで休んでおられるのですか。そろそろお立ちなさい。まだ戦の最中です。立てぬのならば、あなたの魔法杖をお借りしても?」
了承を得る前に、地面に放り出されていたカイルの杖を拾いあげた。再び大盾の間から戦場へと目を向けて、魔法を飛ばし始める。
視線は囲いの外へと向けたまま、近くの護衛兵とカイルに命を出しておく。
「剣兵よ、急ぎ、替えの杖を持ってきなさい」
「承知しました」
「カイルさんは落ち着くまで、そちらの盾持ち兵の治療を。恐らく腕と膝を壊していますから、そのように」
「は、はい……かしこまりました」
カイルは這いつくばったまま負傷兵の側に寄り、指示通りに治療を始めた。
未だ震えが止まらない体を叱咤して、鎧を外して服を裂き、傷に魔法をあてる。兵の手当てをしながら、脇に立つファルクの姿を仰ぎ見た。
白い騎士服の肩には、じわりと血が染みているというのに……何事もなかったかのように、いつもの涼やかな顔で戦場を見据えている。
(……僕とは……大違いだ……)
颯爽と立つ白鷹とは対照的に、自分は腰を抜かしていて……なんと情けないことか。隣に並ぶことなどおこがましい、雲の上の人だとはわかっていても、あまりの差に落胆してしまう。
手を動かしつつ、カイルは力ない声をこぼしてしまった。
「……どうしたら、ファルケルト様のように動じずにいられるのでしょう……。あなた様のように恐れずに、戦の中で立ち続けていられるのでしょうか……」
つい口にしてしまった、独り言のような問いだったが、白鷹はしっかりと返事をくれた。
「問いへの答えですが、まずは誤解を正しておきましょう。俺の胸にも恐れはあります。今の交戦の冷や汗も、しかと背に流れておりますよ。俺も戦場の真中に立つのは、怖くて仕方ありません。人が傷付くのも恐ろしいし、自身に危険が迫るのも恐ろしい」
思いがけない答えが返ってきて、カイルは口をつぐむ。彼は戦場を見据えたまま、言葉を続けた。
「最近は特に、怖さを強く意識するようになりました。ルオーリオに来て、色々なものを得てしまったので、それらを失うのが恐ろしくてたまらない。今得ている大切な人たちとの生活や、自分の、この命を失うのが怖くて仕方がない」
「……ファルケルト様も……そのようなことに恐怖するのですか……?」
「えぇ、それはもう情けないほどに怖がっておりますよ。――でも、手にしたものを絶対に失いたくない、という恐れや想いは、逆に強さにもなります。欲にしがみつく人間の強さというものは、なかなかもって侮れないものです。失うものがない空虚な無敵さよりも、俺は今のほうがずっと強くなりました」
白鷹は一瞬だけこちらを見て、金の目を細めた。鋭い光をたたえた瞳は、力を分け与えるように、真っ直ぐにカイルを見据える。
「カイルさんも、大切な家族や生活、自身の身と命を大切にしているなら――それらを手放したくないと恐れる気持ちがあるのなら、それだけ強くなれましょう。恐れを卑下せずに、力へと昇華しなさい」
それだけ伝えると、白鷹はまた意識を戦場へと移した。
カイルは金色の残像を目の裏に感じながら、手元に視線を落とす。震えの治まった手で負傷兵の処置を終えて、気合いを入れ直して立ち上がった。
今はまだ、後ろで控える身だけれど。いつか堂々と、この人の隣に立てたらと思う。
実家の弟からは、妙に文句タラタラな手紙が届いたりするが……やっぱり、自分の師は白鷹この人だ。
普段は気の抜けたところもある人だけれど、戦場の鷹は、やはり誰よりも気高くて格好良い。その姿に、自分はどうしようもなく憧れてしまったのだ。
黒い霧の立ち込める戦場で、灯された明かりのように浮かび上がる、白い神官の姿に――。
兵が持ってきた替えの魔法杖を受け取って、カイルも再び戦場へと目を向ける。胸にある恐怖心をそのままに、輝く魔法を発動させた。




