210 出軍見送りとピヨ
小旅行から帰ってきて、次の日の朝。
アルメはいつもよりずっと早起きをして、早朝のうちに路地奥店の開店準備やらを済ませた。
昨日のうちにオープン担当の従業員に鍵を預けておいたので、後は任せるだけ――というところまで作業をしておいて、外出の支度をする。
今日はこの後、ルオーリオ軍の出軍の行進があるのだ。
昨日の知らせの鐘は、南地区の鐘楼で鳴らされたらしい。鐘は戦地の方角――隊列の進行方向を告げているので、今回軍は南へと抜けていくよう。
南地区の表通り店から行進を見ることができそうだ。コーデルとミーティングの予定も入っているので、朝一番でそちらへ向かうことにした。
「ルドさんの契約書草案に、お土産のアルラウネに、エプロンと手帳と――……よし、行きましょう!」
布鞄に荷物を詰めて、ざっと確認をして慌ただしく家を出る。
路地を進むにつれて街の喧噪が大きくなっていき、通りに出ると、ドッと人の数が増した。
いつもであれば、朝の早い時間帯は空気が澄んでいて、涼しさを感じることができるというのに……今日はもう、通りが人々の熱気で満たされている。
白い鳥の羽根扇子を手にしている婦人たちと、幾度もすれ違いながら、アルメは南地区を目指す。
アイス屋にたどり着いた頃には、ごった返す人々に揉みくちゃにされて、汗をかいていた。
オープン前の店内へと滑り込んで、集まっていた従業員たちに挨拶をする。
店長のコーデルをはじめとして、エーナとジェイラ、他数人のオープンメンバーがそろっていた。
エーナは今日はシフトに入っていないのだけれど、場所的に見送りにちょうど良いということで、顔を出している。
さらにもう一人、後でタニアも合流する予定だ。新たな依頼の打ち合わせも兼ねて、一緒に見送りを、と昨日誘っておいたのだった。
「皆さん、おはようございます」
「はよ~っす。ってアルメちゃん、なんかもうヨレヨレになってるじゃん」
「表の人混みがすごくて……ここまで来るだけで、もうこの様です」
「久しぶりの行進だものね。でも今回出るのは四隊までだって。そこまで大きな掃討戦じゃないみたいよ」
「そうなの? それはよかったわ」
エーナからの情報を聞いて、アルメは胸をなでおろした。昨日からずっとハラハラしていた気持ちが、少しやわらいだ。
奥のテーブルに荷物を置くと、開店作業をしていたコーデルが鞄に目を向けた。
「すっごく良い匂いがする~。例の新作に使うアルラウネ?」
「はい。お土産兼、試作用にと、たくさんいただきまして。見送りが終わった後に作ってみてもいいですか?」
「えぇ、もちろん。香りだけで、もう口の中が甘くなってきたわ。美味しいアイスを作れそうだね!」
昨日ファルクと別れた後、そのまま馬車を借りて表通り店へと寄ったのだった。コーデルにも、もう話を通してあるので、彼も新作作りにウキウキしている。
お喋りをしつつ、開店準備や雑務をこなして――。
そのうちに、店の玄関窓がノックされた。タニアが来たみたいだ。
遠慮がちに扉を開けて、声をかけてきた。
「おはようございます。店の前、すごい人ですね。結構な混雑ですが……行進、見れます?」
「おはようございます、タニアさん。大丈夫、木箱の上に乗れば、きっとばっちりですよ。――そろそろ、そちらの準備をしましょうか」
アルメはみんなに声をかけて見送りの準備を始めた。
店の倉庫から木箱を運んできて、店先に重ねて並べる。この上に乗れば、沿道がごった返していても、通りを見渡せる。
初めて白鷹を見送った時にも、こういう方法で視界を確保したのだった。あの時はエーナと二人きりだったけれど、今ではこうして、見送りのメンバーも増えて賑やかだ。
アルメとエーナ、そしてジェイラとタニアも木箱に乗って、四人でワイワイと場所を確保した。
コーデルも店先に出てきて、他の従業員たちも木箱を持ち出し、思い思いに見物体勢を整える。
店のオープンは隊列が通り過ぎた後を予定しているので、まずはイベント見物が先だ。
通り沿いの他の店からも従業員が出てきていて、店先に見物台を作っている。皆、考えることは一緒みたい。
隣のケーキ屋からもリトが出てきて、アルメ達の木箱の隣に踏み台を置いた。
「おはようございます。と~っても賑やかですねぇ。この分だときっと、今日はお店の売り上げも賑やかになるに違いないわ」
リトは一見、おっとりとしたお姉さんといった雰囲気の女性だけれど……しれっとお金の話を出してきた彼女も、紛うことなき、強かな商売人である。
そうしてしばらくの間、気の置けない仲間同士でお喋りをして、盛り上がっていると――……遠くのほうから、大声援が聞こえてきた。隊列が近づいてきたようだ。
通りの先の先に、大きな馬と荷馬車の影が見えてきた。
隊列の影は近づくにつれて、迫力ある姿を露わにして、堂々とした歩みで店の前を通り始める。
馬に乗って進み行くのは、煌びやかな騎士服を身にまとった隊長クラスの軍人たち。その後に続いて、立派な剣を携えた戦闘員たちが列を成して歩いていく。
みんなに手を振って声援を送っていると、そのうちに三隊隊長のシグが、馬に揺られながら近づいてきた。
リトは弟へと両手を振り上げて声をかける。
「シグー! 気を付けてねー!」
「隊長ー! 競走大会の賞品、あざっしたー!!」
ジェイラも大声を送っていたが、戦とまったく関係ないことを伝えていて笑ってしまった。シグは聞こえているのかいないのか、素知らぬ顔をして通り過ぎていった。
隊長に続いて、アイデンとチャリコットが歩いてくる。こうしてビシッとしていると、普段ののん気でチャラけた雰囲気など想像もできないくらい、格好良い。
エーナが飛び跳ねながら手を振ると、アイデンはしっかりこちらを見てガッツポーズを返してきた。
後ろを歩いていたチャリコットも、ウインクと投げキスを寄越す。飛ばした相手はタニアだったのかもしれないが……当の彼女は、軍人たちのシャツの袖から覗く二の腕の筋肉へと、熱い称賛を送っているのだった。
そうして軍人たちの列を見送った後、荷馬車の集団を挟んでから、一際目立つ衣装の一団が歩いてくる。
白と青の騎士服にマントをひるがえした騎馬隊は、従軍神官たちだ。馬の脇腹に括られた魔法杖が、日の光を反射してキラキラと輝いている。
白灰色の馬に跨って颯爽と先頭を歩むのは、軍人たちの守り神、白鷹――。
昨日までの、のほほんとした面持ちはすっかり消え去り、口元は凛々しく引き結ばれて、金の目は猛禽のごとく、鋭く前を見据えている。
女性たちの黄色い大絶叫の中を、凛とした姿で進んでいく。
そろそろ前を通る、というタイミングでアルメも大きく手を振り、声援を送った。が、直後に、両隣のエーナとジェイラが、肘でちょいちょいと小突いてきた。
「ほらほら、白鷹様に『愛してるー!』って叫んでやれって! 士気、爆上げしてやろうぜ!」
「みんな好き勝手言ってるし、アルメも負けてちゃ駄目でしょ! ほら!」
「へっ!? いやっ、いやいやいや! そ、そんなこと人前で叫べない――……」
茶化してくる二人に、アルメが顔を赤くした時――。近くの女性たちから、悲鳴じみた声が上がった。
『白鷹様――!! 好きです! 大好き――!!』
『お慕いしております――っ!!』
『愛してます!! 白鷹様――!!』
次々耳に届く大声の告白に、アルメの胸にふつふつと熱が湧き上がってきた。
熱の内訳は、ちょっとした嫉妬心と、『この状況なら、自分も言えるのでは?』という、思いの高まりだ。
「……みんな、結構思い切ったこと言ってるわね。……よ、よし……っ!」
アルメは思い直して、恥じらいを押しのけることにした。一度大きく深呼吸する。
そして思い切って、熱烈な言葉を飛ばしてみた。
「し、白鷹様っ! 無事に帰ってきて、またヒヨコになってくださいませね! ヒヨコ様に、労いの……口づけを……お贈り、しますっ、ゆえ!! どうかご無事で!!」
言ってしまった……! と、アルメは顔を真っ赤に火照らせた。
この割れんばかりの声援の中だ。どうせ聞こえはしないだろう――という気持ちもあっての、やけくそじみた言葉である。
エーナたちはヒューヒューと口笛を吹き、拍手をしたり小突いたりしてきたが、当のファルクは澄ました顔をして、さっと前を通り過ぎて――……いかなかった。
ぐりんと首を回して、こちらを凝視している。見開かれた金の目は煌々と光り、真顔と相まって、例えようのない圧を放っていた。
(ひっ……!? み、見てる……!? こっち見てる……!)
まさかこの絶叫の響く中で、聞き取れてしまったのか――。その答えは、彼の口パクの返事で確定された。
『ぴよ』と、彼は唇の動きだけで、鳴いてみせたのだった。
鳴き声を読み解いてしまったアルメは、両手に氷魔法を発動させて、赤い顔を覆った。
ファルクは手首に巻いた青いブレスレットをひらりとかざしてから、また前を向いて馬に揺られていった。
通り過ぎていった神官隊を見送って、アルメは近い未来へと思いを馳せる。
あの男神のような麗しい顔に、口づけを贈る――……。言ってしまった以上は、覚悟を決めなければ。凱旋のプレゼントとして、喜んでもらえるといいのだけれど。
無事の帰還の喜びに任せて、体が思い切って動いてくれることを期待しよう。




