208 帰り道の覚悟
朝の支度を終えた後、ルームサービスの朝食を取った。二人でまったりとした時間を過ごし、食休みの後に荷物をまとめる。
あっという間で名残惜しいけれど、今回の旅はここでおしまい。そろそろ村を出る時間だ。
コテージ前の広場に馬車が停められて、来た時と同じように、ルドとカイルの両親が見送りに出てきてくれた。加えてもう一人、ティダもいる。
ルドは別れの挨拶と共に、布袋を渡してきた。中からはアルラウネの実が覗いている。
「この度は我が村へとお越しいただき、本当にありがとうございました。色々と粗相もありまして、申し訳ございません。こちらは気持ち程度のお土産ですが、どうぞお持ちください」
「ありがとうございます。突然訪ねてしまったにも関わらず、楽しいパーティーにまでお招きいただき感謝申し上げます。とても素晴らしいひと時を過ごせました」
「また機会がありましたら、いつでもお越しください。歓迎いたします。カイルのことも、この先もお見守りいただけましたら幸いです」
ファルクに丁重に挨拶をした後、ルドはアルメに向き合い、大判の封筒を差し出した。
「それから、こちらの封筒はアルメ様に。アルラウネの実の配送に関しまして、急ぎ契約書の草案を作りましたので、街に戻ってからご確認いただけたらと思います」
「ありがとうございます。確認次第、すぐにお返事いたしますね」
封筒を鞄にしまいながら、帰ってからの段取りを考えてみる。
コーデルと打ち合わせをして、なるべく早めに新作アルラウネアイスの提供を始めたいところ。村からの定期仕入れの契約を進めつつ、荷馬車の手配関係でブライアナの家とも早急に連絡を取る必要がある。
旅行でリフレッシュした分、帰ってからはまたバリバリと働けそうだ。新しい企画もどんどん進めていきたい。
気持ちを新たにしたところで、御者が馬車の扉を開けた。乗り込む前に、ティダがおずおずと歩み寄ってきた。
「また村に来てね。今度は、あの……僕もちゃんとするから。ちゃんとお出迎えのパーティーとか、盛り上げるから。今度はお兄ちゃんも連れてきて。あいつ全然帰ってこないからさ、遊びに連れてきてよ。お願い」
「わかりました。次はカイルさんも引っ張ってきます。身分に物を言わせて、必ずや連行いたしましょう」
ファルクが冗談めかして笑いかけると、ティダも笑みを見せた。そしてふと思い出したかのように声を上げる。
「――あ。そうだ、帰り道、真っ直ぐ街道に出ないで、『花の道』を通ったほうがいいと思う。なんとなくだけど……なんか、夢を見たんだ。街道が通れなくて困る夢を見たから、そっちのほうがいい気がする。僕はそっちの道がおすすめ」
ティダは子供らしい、ふわっとした提案をしてきたが、ルドが補足してくれた。
「村の南から出たらすぐ街道と合流しますが、東から出て細道をたどると、『白雲花』の群生地があるんです。少し遠回りになってしまいますが、抜ければ街道に行きつきますから、観光がてらそちらの道を通る旅客も多くいらっしゃいます。お帰りをお急ぎでなければ、おすすめですよ」
どうやらティダは夢にかこつけて、おすすめの道を提案してくれたみたいだ。素直じゃないところが彼らしくて微笑ましい。
アルメとファルクは顔を見合わせて頷いた。
「『白雲花』って、ふわふわした面白いお花ですよね? 街の花屋でしか見たことがないので、群生地があるのなら是非とも見てみたく」
「では、そちらの道で帰りましょうか」
道を決めて御者に伝える。馬車に乗り込んだら、いよいよお別れだ。
窓を開くと、ティダが最後にもう一度別れの言葉をかけてきた。
「絶対また来てね。絶対だよ。魔物の兵隊に負けたら駄目だよ、ってお兄ちゃんに言っといて。あと、ファル……ヒヨコ様も、気を付けてね」
もごもごと言い直したティダに、ファルクは苦笑を返した。
「ご心配なく。戦場ではちゃんと鷹に姿を変えますゆえ。――それでは、またお会いしましょうね、ティダさん」
「うん。またね」
手を振ったのと同時に馬車がゆっくりと動き出す。見送りを受けながら、二人は街への帰途に就いた。
教えてもらった通りに、村の東側から出て道をたどる。綺麗に整えられている街道と比べると田舎道といった雰囲気だが、想像していたよりも狭い道ではない。
ゴトゴトと揺られていると、そのうちに花の群生地らしきエリアに入っていった。
道の両側にぽつぽつと白い花が咲いている。進むにつれて花の数は増していき、隙間なく密集している場所に出た。
馬車の窓を大きく開け放ち、アルメは身を乗り出して感嘆の声を上げた。
「わぁ、真っ白ふわふわ! 雲の上にいるみたいですね」
「面白い花ですね。俺には雪景色のようにも見えます」
白雲花という花は、その名の通り雲みたいなふわふわとした花である。ふわふわ部分は綿花に似ているが、白雲花は一本の茎から一つの花だけを咲かせる草だ。
一面の白い花々は、確かに、積もった雪のようにも見える。数えることなど到底できないが、何百万本と生えているに違いない。
思っていた以上に壮観な眺めで、二人で思い切りはしゃいでしまった。
そうして窓から風景を楽しんでいると、前から馬の隊列が歩いて来た。荷を括りつけられた馬の列は、小さな商隊のようだ。
御者は馬を操り、馬車を道の端のほうへと寄せる。すれ違いざまに、商隊と御者の間で言葉が交わされた。
「どうも、道を空けていただき申し訳ない」
「商隊が街道外れの道を通るとは、珍しいですねぇ」
「いやはや、街道で大商隊の大馬車が車輪を壊したようで。荷の魔石を派手にぶちまけて、しっちゃかめっちゃかですよ。魔石を踏み壊して文句をつけられるのも嫌ですし、馬の足を傷付けたらかなわないので、迂回してきた次第です」
「それはそれは、ご苦労なことで」
軽く挨拶を交わした後、アルメたちの馬車と商隊の馬列は各々の方向へと進み出した。
話を聞いて、アルメとファルクは顔を見合わせる。
「こちらの道で正解でしたね。綺麗な花も楽しめましたし」
「そのようですね。ティダさんにお礼の手紙を送っておきましょう」
街道とは別の道を提案してくれたティダに感謝しつつ、また一面の白雲花へと目を向けた。
幻想的な風景を堪能しながら、二人で他愛のないお喋りを楽しむ。穏やかなひと時を過ごす中で、アルメはぼんやりと思う。
――今、この時が、永遠に続けばいいのになぁ、なんてことを。
ずっと昔、子供の頃にも、そういう願いを抱くことが幾度もあった。
祖母と二人でお喋りをして笑い合い、心安いひと時を過ごしている最中に、『ずっとこのままがいい。今この瞬間がずっと続けばいいのに』と、よく願ったものだ。
結局願いは叶うことなく、祖母と過ごす心地良い時間は区切りを迎えてしまったのだけれど。
そうして祖母との時間を終えて、一人で生きる時間が始まり――……今はこうして、恋人と時を過ごしている。
一つの区切りを迎えたら、また次が始まって、その区切りを迎えたら、さらに次へと向かっていく――。
世の理として、人は同じところにとどまってはいられないのだろう。受動的であろうが、能動的であろうが、人生のステージは先へ先へと進んでいく。
そんな理の中で、自分は今まさに、また一つの区切りを迎えている時だ――……。
風景を眺めているファルクの横顔をチラと見て、アルメは胸の内で密やかに決意する。
(ずっとこのまま、どっちつかずの気安い関係で永遠を過ごす――なんてことは、できないのよね。そろそろ、進める覚悟を決めなくちゃ……)
友人であり、恋人でもある。でもそれ以上ではない――という現状が、恐らく一番、身軽でいられる状態なのだろう。
けれどファルクは軽い関係を望んでいないし、アルメもまた、心の奥では、もうほとんど答えが出てしまっているのだ。
――人生のステージを先に進めるための、答えが出ている。
この旅行で、自分自身によって、なんとなく納得させられたのだった。
夜、緊張していたはずの共寝でも、意外なほどにぐっすりと眠れたというのが、もはや心の答えのようなものだった。
さすがに異性とベッドを共にして、警戒心を放り出して深く寝入るなんてことはない、と思っていたのに……早々と熟睡してしまった。
心の深いところで、すっかり身内として気を許している、という証拠なのだろう。もうこの心はファルクのことを、愛する家族として受け入れてしまっている――。
今回の共寝で、その実感を得るに至った。
アルメはそっと息を吐いてから、隣のファルクを仰ぎ見た。
「ファルクさん、次のお休みのご予定は決まっていますか? ご都合の合う日に、また二人でゆっくりと過ごす時間をいただきたく思うのですが」
「デートのお誘いですか? もちろん、いつでも――……と言いたいところですが、来週の半ば以降だとありがたいです。仕事のミスを挽回するべく、頑張る期間をいただきたく」
「ではお仕事が一段落ついた頃に、日にちを決めましょう」
「えぇ、また手紙を送りますね」
アルメとファルクはいつものように約束を交わした。
次のデートで、ゆっくり時間を取って話をしようと思う。二人の人生を進めていく話を――。
愛を告げた白い鷹に、同じように愛を返して、この身を攫ってもらう覚悟を決めた。




