202 小旅行とお出迎え
突発旅行ともあって、瞬く間に出発当日を迎えることになった。
今日明日の一泊二日の旅だ。街を出るとはいえ、小旅行程度の距離なので荷物は軽い。
路地奥店の鍵はオープンを担当するジェイラに預けてある。シフトにはベテラン勢が多く入っているので、問題なく回せるだろう。
「支度もばっちりだし、お店のことも大丈夫。――よし、行ってきます」
まだ街も静かな早朝の時間帯だが、アルメは早々と家を出た。小ぶりな旅行鞄を片手に持ち、小広場中央の花壇へと向かう。
ベンチに腰を下ろして、花を眺めながらファルクを待つ。ほどなくして、路地奥から歩いて来た彼に手を振られた。
「おはようございます、アルメさん! 広場で迎えていただけるとは。お部屋でお待ちいただいてよかったのに」
「ついソワソワと気が急いてしまって、出てきてしまいました。子供みたいで恥ずかしいのですが」
「そうでしたか。心を浮き立たせているのが俺だけでなく、安心しました。俺も昨夜は気持ちが落ち着かずに、まったく眠れませんでした」
年甲斐もなく遠足前の子供みたいになっていて、二人で笑い合う。そうしながらもファルクはアルメの手荷物をさっと奪い、路地へと歩き出した。
「表に馬車を停めてあります。街道はそれなりに綺麗ですし、道中に休憩場所もありますので、何か気になることがあったらすぐにお声がけくださいね」
「お気遣いいただきありがとうございます」
お喋りをしているうちに路地を抜けて、馬車に乗り込む。ファルクが手配してくれたのは四人乗りの大きな箱馬車だった。
冷房の魔道具もしっかり備え付けられていて、座席もフカフカしている。想像していたよりもずっと、快適な旅になりそう。
大きな座席に体を預けつつ、アルメは何気なくファルクに問いかける。例によって、少々下世話な話題を振ってしまった。
「とても素敵な馬車ですね。遠距離移動用の馬車、なのかしら? 初めて乗ります。……ちなみに今回の旅行、ご予算は?」
「はっはっは、朝の街は空気が爽やかで良いですね。見てください、アルメさん。あちらにふっくらとした鳥がいますよ」
「あの、ご予算……」
「あっ、猫がいます! 猫! 大きな猫!」
「……」
なるほど、この話題には応じないつもりらしい。……彼の態度から馬車の料金を逆算して、アルメは静かに渋い顔をした。
話をはぐらかされているうちに、馬車はゆったりと動き出す。
街を出る頃には、話題はすっかり別のものにすり替えられているのだった。
街道をたどって郊外の村を目指す。村の名前は『エルト・マルトーデル』。見習い神官、カイルの出身地だそう。
朝にルオーリオを出て、昼には着く、という距離にある。近くはないが、それほど遠くもない、小旅行にはちょうど良い場所だ。
ルオーリオの街から離れると、それだけ結界の守りが弱くなるのだが、アルメはつい最近魔祓いの魔法を受けた後なので、影響はないだろうとのこと。
何やら悪魔に目を付けられやすい質らしいので、ちょっと心配ではあったけれど……現状、悪魔よりも対処に困る男に引っ付かれているので、意識はそちらに向いている。
広い馬車の中で、ファルクはわざわざアルメの隣にペッタリと寄り添って座っている。変姿の首飾りはさっさと取り払われて、旅行中はもう身に着ける気がないようだ。
完全に羽目を外してニコニコしている男から、アルメはさりげなく距離を取った。スッとお尻をずらして座り直す。が、直後に距離を詰められる。
そんな動きを数回繰り返すうちに、座席の端に追い込まれてしまった。
(左にはファルクさん、右には壁。……こんなに広い馬車なのに、私、どうして隙間で縮こまることになっているのかしらね……)
快適な道中になるかと思ったが……そうでもないかもしれない。到着する頃には、縮こめていた体が固まってバキバキになっていそうだ。
――と、そんなことを思いつつ、お喋りをしながら風景を楽しむうちに、馬車は街道を進んでいく。
日が空の高くに昇った頃に、目的地に到着した。
馬車の窓から村の風景を見渡して、アルメは感嘆の声を上げた。
「綺麗な村ですね。花にあふれていて。童話の飾り絵の中の世界みたい」
「緑が多くて目が休まりますね」
村は一面の緑の中にあった。草と花と木々の中に、ベージュの石造りの家々が並んでいる。
ルオーリオの都会的な街並みも美しいけれど、こちらは田舎特有の、自然と調和した街並みが見事だ。
村はずれには、木々が等間隔に並んでいる場所がある。果樹園か何かだろうか。
迎えの村人の案内を受けて、その果樹園近くの道から村の中へと入っていく。馬車は広場へと進み、停められた。
広場の周囲には点々と小ぶりな建物が並んでいた。飾り文字で『ようこそ』と書かれた看板が添えられている。宿泊施設――コテージのようだ。
御者が扉を開けながら声をかけてきた。
「旦那様、お嬢様、エルト・マルトーデルに到着しました。足元にお気をつけてお降りください」
呼ばれ方に少し照れつつ、馬車から降りる。
途端に、ルオーリオの街中よりも涼しい空気が体を包んだ。草花のほのかな香りが鼻に届き、気持ちが解けていく。
「はぁ~……この空気、この景色、この非日常感。最高ですねぇ」
「牧歌的といいますか、雰囲気が良いですね。旅先を提案してくださったカイルさんに、お礼をしておかなければ」
今回のこの旅は、一応、慰安旅行という名目だ。早くも癒しを享受して、二人でまったりと深呼吸をしてしまった。
そんな二人のもとに、髭を生やした老人と、中年の男女が歩み寄ってきた。広場で到着を待っていてくれたらしい。老人はうやうやしく挨拶をしてきた。
「こんにちは、お初にお目にかかります。私は村を取りまとめております、ルド・スタイラと申します。孫のカイルが、いつもお世話になっております」
村長を務めている老人――ルドは、カイルの祖父であるらしい。
「あの子からお話はうかがっております。ファルケルト・ラルトーゼ様、ならびに、アルメ様、我が村へのご来訪を心より歓迎いたします! 後ろに控えておりますのは、息子夫婦――カイルの両親でございます」
「それはそれは。初めまして。皆様、お出迎えいただきありがとうございます」
「お目にかかれて光栄です……!」
「息子がお世話になっております……!」
村長ルドとカイルの両親は笑顔で迎えてくれたが……何だか笑みが引きつっている。その複雑な表情の理由も、彼らが話してくれた。
「……実は、カイルから急ぎの手紙が届いたのが、昨夜でして。お出迎えの準備が整わず、大々的な歓迎の宴なんかも開けずに……」
「お泊りいただく宿はこちらのコテージとなりますが……大変申し訳ございませんが、少々、小ぶりなお部屋になります……」
「あの子ったら、急な手紙を寄越すもので……せめてあと一週ほど早く知らせてくれていたら、もう少しこう、良いお部屋をご用意できたのですが……。本当に、すみません」
何やら、急すぎて準備が整わなかったことを、申し訳なく感じているようだ。
カイルのせいではなく、すべては突発旅行を敢行したファルクの側の問題である。ファルクは背を丸めて、苦い顔をしていた。
仕事でミスをした彼を、励まし慰めるための旅行なのに、そんな顔をさせたままにしておくのは忍びない。アルメは努めて明るい声で、急いで話を切り替える。
「ええと、広いお部屋は逆に落ち着かないので、私としては小ぶりなお部屋のほうがありがたいです。こちらのコテージ、外観もとても可愛らしくて素敵ですね! 中に荷物を置いてもよろしいでしょうか?」
「はい……! もちろんでございます。どうぞこちらへ」
カイルの家族は表情をいくらか緩めて、コテージの中へと案内してくれた。
気恥ずかしさは脇に置いて、ファルクの手にギュッと指を絡めて繋ぎ、彼に寄り添いつつ移動する。なけなしの色を使った力技だが……無事に、彼も表情をほぐしてくれた。
両者の空気を緩める、というミッションをこなしつつ、アルメはコテージの中へと歩を進める。
室内は居間と水回りの部屋、そして寝室に分かれているよう。こぢんまりとした部屋は家庭的な雰囲気だが、インテリアはお洒落にまとめられている。外観同様、素敵な部屋だ。
「もう二回りくらい大きなコテージがあるのですが……ちょうど先週、工事を入れたばかりでして。しばらくはお客も来ないだろう、なんて思っていたのですが、いやはや、タイミングを間違えました」
カイルの両親は苦笑しながら、居間に荷物を運んでくれた。話を聞いて、ファルクは何の気なしに言葉を返す。
「そういえば、カイルさんが『去年から観光客が減っている』というようなことをお話していましたが……って、いや、失敬。よい話ではありませんね」
「いえいえ、お気になさらずに。実際、お客の入りがずいぶんと悪くなっていますからねぇ。大したことではありませんが、おかしな飛び火をくらってしまって」
玄関で控えていた村長ルドが話を継いで、話し始めた。
「去年、竜型の魔物が出たとかで、大きな掃討戦があったでしょう? その戦地の名前が『エル・タル・モーデルの丘』というところだったそうですが……我が村『エルト・マルトーデル』と名前の響きが似ていますでしょう? 旅商人か誰かが、『戦場跡は真っ黒な穢れで酷い有様だ』なんて話をばら撒いたようで、その地名が我が村と混同されてしまいましてね……」
「そのせいで、お客の入りが悪くなったと?」
「えぇ、恐らくは。しょうもない噂の害なので、まぁ、一時の落ち込みだとは思いますが……今年以降も続くとなると、少し考えないといけませんね」
竜型魔物の掃討戦は、確かチャリコットが大怪我を負った戦だ。ファルクからもチラと話は聞いていたが、戦場は魔物の残骸で真っ黒になってしまったとか。
何もない草原の丘陵地帯なので、特に被害はないとのことだったが……まさか、関係のないこの村が害を被っていたとは。とんだ風評被害である。
話を区切ると、ルドは声音を明るく変えた。
「そういうわけで、村の中は少しばかり閑散としておりますが……御高名なお方がお寛ぎになられるには、逆に良いかもしれませんね。果樹園なんかも、今はほとんど貸し切り状態ですから、どうぞご夫婦でお楽しみください」
ルドが言葉を終えた後、会話に一瞬の間が空いた。
夫婦、の部分を訂正しておくべきか――と、アルメは迷いつつ、隣のファルクの顔を仰ぎ見る。彼もこちらを見たけれど、その顔は言葉にしがたい、複雑な表情を張り付けていた。
緩んだ笑みと、気恥ずかしさと、照れと、テンションが上がり切って高揚した面持ち。それらを無理やり抑え込んで、どうにか澄ました顔を保とうとしている――そんなめちゃくちゃな表情だ。
あまりに変な顔をしていたので、アルメは顔を背けて吹き出してしまった。口元を押さえて笑いを堪えるのに必死になっているうちに、話題は流れていく。
結局ファルクは『夫婦』を訂正せず、アルメもタイミングを逃してしまったので、そのままになってしまった。
――訂正しなかったことによって、この後、ひと悶着起きることになるのだけれど……それはコテージにて、夜を迎えてからのことだ。




