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190 届けられた想いと、鷹の飛翔(4章完結)

 城からの帰り道――。馬車の中は、未だかつてないほどに重苦しい空気に満たされていた。


 ファルクは謝罪を繰り返し、アルメはそれにポツポツと、短い返事をするのみ。二人とも、お喋りの仕方を忘れてしまったかのように、上手く言葉を繋ぐことができなくなっていた。


 そのうちに謝罪の言葉も尽きて、ファルクは口をつぐんで視線を落とす。アルメも目を窓の外へと向けて、流れていく風景をぼうっと眺めていた。


 馬車は大通りから脇道に入り、路地街の入り口辺りで停車する。ファルクは変姿の首飾りを身に着けて、アルメを家まで送った。


 路地を歩く騎士服姿の男とドレス姿の娘に、通りすがりの人々はチラチラと視線を向けていたけれど……人の目を気にしている余裕などはなく、沈痛な面持ちを保ったまま帰宅を果たした。


 玄関先で、ファルクと短い挨拶を交わす。


「……今日は魔払いに付き添っていただき、ありがとうございました」

「いえ……。……あの、先ほどは本当に申し訳ございませんでした。心からお詫び申し上げます」

「お気になさらずに……それでは、また。良い一日をお過ごしください」

「……えぇ。アルメさんも、良い一日を」


 爽やかな挨拶の定型句とは裏腹に、どんよりとした心地で別れを告げた。


 アルメは家の中に入って、玄関扉にガシャリと鍵をかける。施錠の音を合図にしたかのように、全身から力が抜けた。


 家の奥へと歩き出す気力もなく、そのまま玄関扉へと背を預けて、もたれかかる。立ち尽くしたまま、深く重いため息をついた。


(……気持ちに振り回されている暇なんてないけど……なんだか、疲れてしまったわ……。今日はもう駄目そう……)


 今日この後も、色々と予定を立てていたのだけれど……半日の内に予期せぬことが多発して、気力も体力も消耗している。


 もう、いっそのこと予定を変更して、午後は家の中でグダグダと過ごしてしまおうか……。


 と、玄関先から動けぬまま、ぼんやりとそんなことを思っていたのだが――……ふいに、背中の扉越しに声がかかったのだった。


「……――アルメさん。まだそこにいらっしゃいますか?」

「え……っと……はい」


 もうとっくに歩き去っているだろう、と思っていたのだが、ファルクもまだ玄関前にいたようだ。アルメは扉から背を離して振り向いた。


 ファルクは扉の向こう側で、もう何度も繰り返した謝罪を、また口にする。


「愚かな振る舞いであなたを傷つけてしまったことを、心の底から謝罪いたします……」

「……こちらこそ、ご迷惑とご心配をおかけしました。この件はもう、お互い忘れることにしましょう……」


 馬車の中では上手く言葉が出てこなかったけれど、こうして扉で隔たれていると、不思議とそれなりに言葉が出てきた。顔を見ないほうが話しやすい、ということもあるようだ。


 最後の謝罪を済ませて、今度こそファルクは歩み去るだろう――と、思ったのだが、彼の靴の音はなかなか聞こえてこない。


 少しの間を空けて、また扉の向こうから言葉が届けられた。


「……お泣きになるほど、お嫌でしたか……?」


 先ほどの口づけへの問いだろう。――正しくは『口づけのふり』だけれど。


 蒸し返された話にアルメは顔を歪めた。もう人前ではないので、取り繕う必要もない。しょぼしょぼの顔をしたまま、率直な気持ちを口にしてしまった。


「……違います。嫌だったわけではありません……。……こんなことを話したら、きっとあきれられてしまうかと思いますが……私、一人で勝手に浮かれてしまったんです」


 扉の向こうからは何の音も聞こえない。沈黙という反応は、何よりも恐ろしく感じられる……ファルクは今、何を思っているのだろう。


 不安な気持ちを誤魔化すように、アルメの口は続く言葉を次々に紡ぎ出していた。


「私は、ファルクさんに口づけをいただける機会を得て、嬉しく思ってしまったんです……。愚かなことを考えてしまいました……。……それで、それが叶わずに……勝手に泣いていただけなんです……本当に、申し訳ございません」


 口早に言い切ると、また無音の間が訪れた。


 気持ちをすっかり吐き出して、空になった胸の内には、取って代わるように後悔が湧いてくる。

 勢いのままに余計なことを喋ってしまった……という、しょうもない後悔に、アルメは一歩、二歩と後退った。


 あまりにも気まずい静けさだ……とてもじゃないが耐えられない。もう逃げ出してしまおうか――……と、怯みきった体を動かして、扉からじりじりと退く。


 ――けれど、そんなアルメの体は、その場に引き留められることになった。


 ファルクが沈黙を破って、思いもよらない返事を寄越したのだ。

 静かでありながらも、よく通る凛とした声で、彼は言う。


「アルメさん。俺はあの場で、嘘など何一つついてはおりません。俺が(まこと)の愛を向ける相手は、あなたです。順番を(たが)えてしまいましたが……近く、お伝えしようと思っていた気持ちを、今、明かすことにいたします」


 そう言うと、彼は一呼吸置いてから、心の内を口にした。


「俺はアルメさんのことを、心からお慕いしております。あなたのことを、深く愛しております」


 言い放たれた言葉に、アルメは瞬きをするのも忘れて固まった。ファルクが手を付いたのか、扉がガタリと音を立てて揺れる。


 間を空けずに、彼は想いを込めた言葉を、扉の内へと送り込んできた。


「もう、いつから好いていたのかもわからぬほどです。いつの間にやら、胸の内にはあなたへの想いがあふれておりました」


 今度はアルメが沈黙を作り出す側になってしまった。身じろぎすらままならない体で、彼の声をただただ受け止める。


 ファルクは切々と想いを紡いでいった。


「俺はあなたと、夫婦(めおと)の縁を繋ぎたいと(こいねが)っております。ですが俺は……世に伝わる夫婦の契りを交わすことができない身であります。俺は医神との契約で、強き魔法を得る代わりに、魂を捧げて眷属となる宿命を負いました。この生を終えたならば、天の国へと籍を置き、もう二度と地上へと生まれ落ちない身です。……なので、地と空をめぐる魂の旅を共にすることはできません」


 地上での生を終えると魂は空へと昇り、そしてまた地上へと生まれ落ちる――。


 この果てのない、地と空をめぐる旅を共にする契り、というのが、世に古くから伝わっている結婚の儀式である。


 『空と地をめぐる、果てなき魂の旅を共に』――という口上は、エーナとアイデンの結婚パーティーでも耳にしたものだ。


 ファルクは神との契約により、その約束を交わすことができない身であるらしい。


 ――でも、と、彼は力強い声で言葉を続ける。


「でも、俺はこの最後の生を、叶うのならばあなたの隣で全うしたい。あなたの隣で、最後の命を燃やし、生きていきたいと思うのです」


 いつの間にか速く大きくなっていた胸の鼓動を感じながら、アルメは立ちすくむ。騒がしい胸の音とは裏腹に、頭の中は真っ白だ。


 息をするのも忘れている状態のアルメに構うことなく、ファルクは想いの告白を続ける。


「今すぐに返事を、とは言いません。でも、いつか、この気持ちに応えていただける時が来たならば――」


 一度言葉を止めて、ファルクは一つ大きく息をする。そして、続く言葉を言い切った。


「俺はあなたを、この腕の中に(さら)います。そして今生において、もう決して逃がすことはいたしません。どうか、そのご覚悟を」


 力強く、朗らかに、そしてとびきり優しい声音で、彼は告げた。


 そうして音は途絶え、玄関先は静寂に包まれる。


 今度はアルメが言葉を返す番だろう。――けれど、何をどう話したらいいのか、まるで見当がつかない。石のように固まったまま、呆けた声を返すのが精一杯だった。


「……あ、の…………ええと…………」

「アルメさん、扉を開けていただけないでしょうか。あなたのお顔を見ながら、もう一度、想いをお伝えしたく思います」

「へっ……!? いや、あのっ、それは……っ、ご、ご勘弁を……!」


 ファルクはガチャリとドアノブを捻ってきた。その音で、アルメは弾かれたように動きを取り戻す。


 身動きを取れずにいた反動のように、扉の前で盛大に、ヒィヒィアワアワと慌てふためいてしまった。


 今の自分の顔面が、どういう状態になっているのか想像もできない。恐らく、熱湯で茹でられたタコのようになっていることだろう。いや、もっと酷く、煮溶かされてグズグズの顔になっているかもしれない。


 なにせ、愛の告白を受けるなんてことは、初めてなのだ。それも、恋する相手から想いを告げられるなんて――……とてもじゃないが、混迷を極めているこの感情は、すぐには処理しきれない。


 緊張のあまり大汗までかいているし、胸の音が騒がしすぎて、きっと静かな室内ではファルクにも聞こえてしまう……。


 大焦りで対面を断ったのだが、ファルクはなおも扉をノックしたり、ドアノブをガチャガチャとまわしたりしている。


 そうして何度目かのドアノブの音が鳴った時――……あろうことか、玄関扉がガタリと傾いて、外れたのだった。


「ひえっ……!?」

「えっ!?」


 傾いて開いてしまった扉に、アルメは悲鳴を上げて目をむき、ファルクもまた驚きの声を上げた。


 祝宴の日にこじ開けられたという、この玄関扉だが……後で呼ばれたアイデンとチャリコットによって、その日のうちに修復されたはずである。


 ――の、だが。大雑把なアイデンと、不器用なチャリコットの二人組の仕事である。その結果が、これだ。

 加えて、ジェイラの言によると、ファルクは『神官のくせに馬鹿力』だそうで。


 諸々の要素が噛み合った結果、玄関扉は役目を放り出したのだった。


 外れた扉をガタガタと脇にどけながら、ファルクが入り込んでくる。やれやれ、と複雑な顔をしながら扉を立てかけた後、彼はアルメに向き合った。


「……まさか本当に開いてしまうとは……。……扉は、後で業者を呼びましょう。それから、軍人二人組への説教も、後で。――それはともかく、アルメさん、」

「ひっ、はっ、はいっ……」


 身を縮こめて硬直したアルメの前で、ファルクは片膝をつく。変姿の首飾りを取り払い、真の姿を現した。


 手を取り、アルメをまっすぐに仰ぎ見て、彼は愛を告げた。


「申し上げました通り、ファルケルト・ラルトーゼは、アルメ・ティティーのことを、心から愛しています」

「は……はい……」


 もう、ほとんど音にもならないような、空気を吐き出すような声で、アルメは返事をした。


 ファルクは苦笑を浮かべて言う。


「本当は先ほど、あの場で、証として真実の愛の口づけを贈りたかったのですが……躊躇(ためら)ってしまいました。アルメさんは男から受ける口づけに、嫌な思い出がおありなのでしょう?」

「えっ……あ、」


 はたと思い至った。もうずいぶんと前のことになるが、元婚約者フリオと顔合わせをした日、アルメは口づけをされそうになったことに驚いて、拒否してしまったのだった。


 その経緯などは、以前、ファルクにも話していたことである。彼はそのことを気にかけてくれていたようだ。


 思い至ったことで、アルメはまた顔に熱をのぼらせた。そういう障りがなければ、ファルクはあの場で、本当に口づけをするつもりだったのか――。


 ファルクはおもむろに立ち上がりながら、アルメの腕をそっと引き寄せる。流れるように腕の中へと囲いながら、頬に手を添えた。


「先ほどは躊躇いましたが、障りがないのであれば、今一度、真実の愛の証として口づけをお贈りしたく思います」

「……っ」


 ついさっき、『口づけを期待していた』というような気持ちを明かしてしまった後である。ばっちり喋ってしまったし……今更なかったことにするのは、さすがに無理であろう。


 アルメは覚悟を決めて、ギュッと目を閉じた。


 ファルクの顔がゆっくりと近づき、そして――……唇が、アルメの頬へと触れた。


 やわらかく、あたたかで、優しげな感触が肌に伝わる。


 しばらくの触れ合いの後、唇はゆるやかに離れていった。そうしてアルメの様子をうかがい見た後に、彼はまた口づけを落とす。


 二度、三度と頬に受けて、四度目の口づけは唇の端をかすめた。


 アルメはいよいよのぼせ上って、視界にはチカチカとした光が散り、眩暈がしてきた。


 そんな、前後不覚となってしまった状態で――……ふいに、思い出してしまったのだった。


 ――光の女神との大いなる約束を。この、それどころではないタイミングで。


 忘れていた契約内容のすべてが、頭の中に蘇り、アルメは目をまたたかせた。のぼせてクラクラフラフラとする頭の中に、あの時の女神の言葉が響く。


『――今生を終えたら天へと昇り、我が眷属となりて、永久(とわ)に神の国へと仕えよ――』


 そうだ。女神は確か、そう言ったのだった。そして自分は了承したのだ。

 途方もない約束に、後から恐れをなして、その約束を記憶から追い出してしまったのだった――。


 アルメは眩暈を感じながら、ぼんやりとした意識の中で思う。


(そう……だったわ……。私はもう、この人生を終えたら天から降りてこられない……。天の国に籍を置いて、永久に、地上には生まれて来ない……って、この契約内容って――……)


 今さっき聞いたファルクの、医神との契約内容とほぼ一緒ではないか――。


 きっと彼の話が引き金となり、褪せていた記憶が蘇ったのだろう。アルメも同じように、魂を神へと捧げている身だったのだ。


 同じように、もう二度とない、一度きりの最後の生を生きている身。


 契約を交わした直後の自分は、途方もなくて恐ろしいことだと感じていたようだけれど……今は、どうだろう。

 神々に仕え、永久に空の上で暮らすというのは、怖いことなのだろうか。


 ファルクが一緒ならば、そういう宿命だって、なかなか――……


 


 アルメの思考は、そこでパタリと途絶えた。強さを増した眩暈によって、体からカクリと力が抜け落ちる。


「えっ!? あれっ……!? アルメさん!? 大丈夫ですか!?」

「……ダメ……みたいです…………」


 アルメは一言返した後、ついに意識を手放した。


 真っ赤な顔をしてのぼせ上ったアルメを抱いて慌てる、白い鷹。窓から差し込んだ光は、労うかのように、その白銀の髪をやわらかに撫でている。



 今日から、二人の関係は何と呼べばいいのだろう。

 大きく羽ばたいた鷹はフワリと身を持ち上げて、友人という関係を飛び越えてしまった。


 二人の新たな関係は――……『恋人同士』と称してしまうのが、一番かもしれない。


 

 ルオーリオの青い空から降り注ぐ日差しは、密やかに仲を深めた恋人たちを祝福して、キラキラと輝いていた。





(4章 おしまい)

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