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189 王子の命令と証の口づけ

 チョコミントアイスの試食会を終えた後、アルメは再びドレスルームを借りて着替えを済ませ、従者の案内を受けて城内を移動する。

 

(なんだか気分的には、もう一日を終えたような感覚だわ。まだお昼なのに)


 ぼんやりと、そんなことを思いながら歩いていく。

 城に上がってから思いがけないことが次々と起こり、ずいぶんと濃い半日になってしまった。


 長い午前だったが、この後はもう帰るだけだ。案内された先の中庭には、ファルクが待っていた。


 ……何となく気まずくてソワソワしてしまったが、ファルクも同じように落ち着かない様子で、目を泳がせていた。視線をそらしつつ、少々の距離を空けて、アルメは彼と並び立つ。


 何とも言葉にしがたい微妙な空気が、二人の間に流れている……帰りの馬車で間が持つか心配だ。


 ――などと、帰りの道中の雰囲気を気にする前に、最後の最後でまた一つ、予定外の事が起きてしまうのだった。


 それというのも、ミシェリアとアーダルベルトが、わざわざ中庭まで見送りに来てくれたのだ。


 満足そうな澄まし顔を保っているミシェリアはいいとして、アーダルベルトはいかにも不機嫌そうな、ムッとした顔をしている。彼のじとりとした目の向く先は、ファルクである。


 何か悶着が起きる前に立ち去るべく、アルメは挨拶を急いだ。


「この度はお目にかかれて、恐悦でございました。アイスにもお引き立てを賜り、謹んで御礼申し上げます」

「こちらこそ礼を言う。短い時間ではあったが、良きものを多く得た。機会があれば、また是非とも言葉を交わしたく思う」


 スカートを持ち上げて身を低くし、ミシェリアへと礼をする。続いて、彼女の隣に立つアーダルベルトにも言葉をもらった。


「涼やかな氷菓子のもてなしに、改めて礼を言う。……それから、城を出た後も、私の命を心に留め置くよう」

「もちろんでございます、殿下」


 彼の言う命というのは、『花園で泣いたことを黙っていろ』という、命令のことだ。もう既に破った後なのだが……アルメは冷や汗をかきながら、茶を濁す返事をしておいた。


 そうしてアルメの挨拶が済んだら、今度はファルクの番だ。城に出入りのある彼にとっては、特別な別れでもないので、短く一言を添えて終わりである。


 ――そのはず、だったのだが。ファルクが口を開く前に、アーダルベルトが厳しい睨みと共に命令を下してきたのだった。


「ラルトーゼよ、我が婚約者を腕に囲ったお前を、そのまま逃すわけにはいかぬ。聖女ミシェリアに一切心を傾けていない、という証を見せよ」

「証、ですか……?」


 ファルクは面食らい、金色の目を丸くする。……アルメの予感の通りに、早速、悶着が起きてしまった。


 十歳そこらの少年にしては、ずいぶんと大人びているアーダルベルト王子だが、やはりまだ精神は未熟であるようだ。


 心の内を目に見える証として出してみろ、という命令は、遂行しようにも困難を極める。控えていた王子の側仕えは、眉間に指を押し当てて渋い顔をしていた。


 ファルクは大いに困惑し、答えに窮している。子供とはいえ相手は王族なので、下手なことは言えないのだろう。


 彼は迷うように口ごもりながらも、王子へとうやうやしい言葉を返した。


「恐れながら……俺には、愛する人がいます。もちろんミシェリア様ではございません。(まこと)の愛の相手だけを、一途に想っております。証をお見せしたいのはやまやまですが……どうか、この言葉を証として、お気持ちを収めていただけないでしょうか」


 虚実はどうあれ、王子に留飲を下げてもらうための、無難な返答だ。が、アーダルベルトは頷かなかった。どうやら彼は、ファルクのことを相当警戒しているようだ。


「ならぬ。この目で確かめるまでは信じぬぞ。真に相手がいるのであれば、私の前に連れて来るがよい。真実の愛の口づけをもって、証と認めよう」

「それは……お相手の都合もございますし……」

「できぬのか? さては貴様、子供だましの言葉で誤魔化そうとしておるな……! なんと無礼な! 許せぬ!」

「……あぁ……神よ……どうしたら……」


 ファルクは敬礼の姿勢をとったまま、困り果てた小声で祈りを呟いていた。


 機嫌を損ねた少年王子をいさめられるのは、今この場では聖女だけだろう。けれど、当のミシェリアは、嫉妬に燃えるアーダルベルトを興味深そうに観察している始末――。


 そんな中、アルメはというと、オロオロと揉め事を見守りながらも、ファルクに対して『まぁ、少しくらい困ったらいい』というような、少々投げやりな気持ちを抱いていた。


 彼の抱擁の誓いがリップサービスだったことへの、ちょっとした八つ当たりである。


 ――と、そういう気持ちで場を眺めていたのだけれど……直後に、想像だにしていない巻き添えを食うことになってしまった。


 ファルクは散々困り果てた後、何か意を決したかのような顔をして、アルメに向き合う。ポカンとするアルメの頬に、彼はそっと手を添えた。


 アーダルベルトのほうをチラと見て、ファルクは凛とした声で言い放つ。


「致し方ない……。――殿下、先のミシェリア様との抱擁をお詫び申し上げます。どうかお怒りを鎮めていただきたく……証を、お見せいたしましょう。俺の(まこと)の愛の相手は、彼女、アルメ・ティティー嬢にございます」

「…………へ……?」


 頬に手を添えられたまま、アルメは裏返った声をこぼした。目を見開いて固まったアルメに、ファルクは顔をおもむろに近づけて、コソリと言う。


「アルメさん……申し訳ございません。一瞬、少~しだけ、頬のあたりをお貸しいただきたく」

「……へっ……は、はい……っ」


 はくはくと溺れたような息をして、咄嗟に呆けた返事をしてしまった。大騒ぎし始めた胸の内で、アワアワと事態の理解に努める。


 どうやらファルクはこの悶着を打開するべく、アルメに協力を願ってきたようだ。ひとまずアルメを相手として、王子に証を見せて事態の収束を図るつもりらしい。


(――と、言うことは……っ、いいい今から私、キッ、キスを、されるということで間違いないのかしら……!? 殿下の命令だし、ファルクさんも困っているし、ミシェリア様も何だか期待に満ちた目をしておられるし……っ、こ、これはもう、やるしかない空気……!? よね……!?)


 高速でめぐる思考にまかせて、アルメは覚悟を決めた。湧き上がる照れで、後退りしそうになる足をグッと踏ん張って、ファルクを受け入れる。


 視線で了承を伝えると、彼はそっと顔を寄せた。苦しい程の胸の鼓動を感じながら、唇が頬に届く瞬間を待つ――。



 ……――待っていた、のだけれど。



 ファルクは頬へと顔を寄せただけで、口づけをすることはなかった。


 しばらくその状態を保った後、彼は何事もなかったかのように身を引いて、王子に言う。


「これが証でございます。どうか、ご容赦を」

「――ふむ。今の口づけが、嘘偽りのない真実の愛によってなされたものであると、神に誓うか?」

「誓います」


 ……嘘もいいところだ――……。と、アルメは思った。

 

 王子の立つ位置からは、口づけを交わしているように見えたのだろう。けれど、彼の唇はアルメの肌に届いていない。


 ファルクはたとえ演技であっても、アルメに口づけを贈ってはくれなかった――……。


 王子と言葉を交わす彼の声を聞きながら、アルメはそっとスカートを握りしめた。そうやって指先の小さな震えを隠す。


 静かに息を吐き、急降下した気持ちをなだめる。……愚かだな、と、心の底から思ってしまった。もちろん、自分のことだ。


 あっという間に静かになってしまった胸の奥で、行き場のなくなったしょうもない想いをめぐらせる。


(……私は、何を期待していたのだか……。……我ながら、どうしようもなく浅はかで、嫌になるわね…………)


 事態を打開するための演技であっても、口づけをもらえることに心を浮き立たせてしまった。胸の奥で嬉しさを感じてしまった。……卑しく愚かな恋心だ。


 対するファルクは偽りの愛の口づけを避けてきたのだった。『あなたは相手ではない』と、示すように。


 現実をまざまざと突きつけられた気分だ。


 沈んだ気持ちに意識を持っていかれて、ぼんやりとしてしまったが……気付かぬうちに目に涙が溜まっていたようで、下の方がぼやけて見える。


 先ほど、花園で泣いてしまった後なので、涙腺の閉まりが悪くなっているみたいだ。本当にしょうもない……。


 溜まった涙がこぼれないように、と慌てて横を向き、指先でさっと拭った。――けれど、その動作は鷹の目に捕捉された。


 アルメの涙を見た瞬間、ファルクは王子との会話を中断して、表情を歪めてひざまずいた。


「アルメさん……!? 申し訳ございません! 度が過ぎました……!」

「……いえ……」


 言葉を返そうとしたのだが、出てきた声は自分でも驚くほどに震えていた。アルメは喋るのをやめて、慌てて唇を閉ざす。


 ファルクがハンカチを差し出してきたが、きっと受け取ったらさらに虚しい気持ちになってしまう。早急に涙を止めるためにも、遠慮させてもらった。

 身振りで断り、顔を背けて自分のハンカチでいそいそと目元を拭う。


「申し訳ございません……! 短慮の極みでありました……っ、申し訳ございません……!」


 ファルクは膝をついたまま、アルメの手を取ってひたすら謝っていたが……滲んだ視界では、彼の表情を見て取ることはできなかった。


 視界の端で見えた王子は、何やらオロオロしていて、一方の聖女はポカンと立ち尽くしている様子――。



 結局、見かねた側仕えが場を収めて、アルメは滲んだ視界のまま城を出ることになったのだった。


 未だ、壊れた機械のように謝罪を繰り返すファルクを伴って、帰りの途に就いた。


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