187 変わり者の聖女
庭の花園を一周した後、気を利かせてくれた初老の側仕えの案内に従って、アルメは化粧直しをするべく部屋を借りた。
そうしてドレスルームで過ごしていると、今度は女性の側仕えが呼びに来たので、また場を移す。次に案内された場所は小さな応接間だった。
聖女ミシェリアはファルクへの用事――親密な抱擁を、済ませたらしい。次はアルメが対する番だ。
応接間には窓際に丸いテーブルが一台置かれていて、椅子は二脚のみ。テーブルの上には紅茶と茶菓子が用意されている。
ミシェリアは既に席に着いていて、部屋に入ってきたアルメを向かい側へと座らせた。
女性の側仕えたちを部屋の隅へと下がらせて、ミシェリアは言う。
「待たせてすまなかったな。アルメ・ティティーよ、そなたを呼んだのは他でもない、こうして二人で話をしてみたかったのだ」
「光栄に存じます。ですが、私は取るに足らない街暮らしの身ゆえ、至らぬところが多くあるかと――」
「固い言葉はいらぬ。そなたとは歳の近い娘同士として、想いを交わしたい。これより後は、自由な発言を許す」
自由に、対等に話したいとのことだが、さすがに無理があるというものだ。
想いを口にしてもいいのならば、アルメは先ほどの、二人の抱擁による悲しみを訴えているところだが……もちろん、呑み込んでいる。
複雑な面持ちのアルメをよそに、ミシェリアはお茶に口を付けることもせずに、どこか急いたように話し始めた。
「ティティーよ、そなたに聞きたいことがある。そなたは光の女神と契約を交わしているのか?」
「……え? っと、女神様と、ですか?」
何の話をされるのだろう……と身構えていたら、思わぬ話題を振られて、アルメは目をパチクリさせてしまった。
祝宴での騒動の話などを想定していたのだが、どうやら彼女の興味は別のところにあるようだ。
ミシェリアは、先ほどまで静かな調子を保っていた声音を、高揚を感じさせるものへと変えて、言葉を連ねた。
「そなたが祝宴で作り上げたアイスとやらは、氷魔法を用いていると聞いた。だが、食した時に感じた魔力の内に、氷の神の気の他に、光の女神の気も感じたのだ。それを受けて、わたくしはこう考えた。そなたは女神と契約を結び、氷魔法を得たのではないかと」
「ええと……それは……」
まさに、ご名答である。けれど、今までそのあたりの話を人にしたことがないので、答えていいものか迷ってしまった。
(素直に答えたら、変な人だと思われるのでは……? いや、でも、聖女様に嘘をつくなんてことはできないし……)
少し迷ったが、アルメは素直に答えることにした。
先ほど拝謁した老聖女シャリオーラは、ミシェリアのことを『変わり者だ』と言っていたので……多少変なことを口にしても流してもらえるかも、と考えつつ、話し始める。
「恐れながら、おっしゃる通りでございます。その……信じていただけないかもしれませんが……私はこの世に生を受ける前に、光の女神様に氷魔法を願いまして、望みを叶えていただいたようでして……」
「やはりそうか。星渡りの稀人の中には、神々とそのような取引を交わす者もいると、伝え聞く」
(星渡り……? 稀人……? ……やっぱり、この話は隠しておいたほうがよかったかしら)
なんだか聞き慣れないワードが出てきて、アルメは怯んでしまった。何か、自分の経歴が特殊であることがバレたら、生活に不都合が出たりするのだろうか。……城や牢に囚われたり、とか。
ビクビクしてしまったが……ミシェリアの興味の先は、星渡りの稀人うんぬん、というところでもないみたいだ。
彼女はアルメの目を覗き込んで、本題を口にした。
「そうであるならば、問おう。ティティーよ、そなたは光の女神とどういう契約を結んだ? 魔法を得る代わりに何を捧げた? わたくしたち聖女と、同じ物だろうか?」
「捧げたもの……」
言い淀むアルメに、ミシェリアは興奮を隠しきれないといった風の、早口で語り出す。
「聖女は生まれながらにして、女神と大いなる約束を交わしている眷属の身である。わたくしたちは心の一部を捧げることで、強大な光の魔法を得ている」
「心の一部、ですか……と、言いますと」
「『恋の心』だ。聖女は皆、乙女の喜びの心を神へと捧げて生まれてくる。そして死を迎えるまで、欠けた心のまま時を過ごすのだ。死して天へと昇った後は、また聖女として地に生まれ落ちる。終わりなく、その繰り返しである。わたくしたちは永久に、恋という心を知ることがない宿命を負った身だ」
壮大な話をされて、アルメは面食らってしまった。取るに足らない街娘なんかが、そういう重大な聖女の身の上話を聞いてしまってよいのだろうか。
アルメはアワアワしながら目を泳がせたが、ふと目に入った側仕えたちは、『何も聞いていませんよ』といった素知らぬ顔をして、別の方向に視線を向けていた。
……このペラッと暴露をしてしまうところも、ミシェリアの悪癖なのかもしれない。
ともあれ、話を受けて、アルメは神妙な顔をした。
(永遠に恋心を知ることがない、っていうのは……ちょっと、寂しい気もするわね)
胸の内で、ついそんなことを思ってしまったが、ミシェリア当人も、抱えている想いを口にした。
「――でも、わたくしは恋をしてみたいのだ。どうにかならぬものかと、今まで色々と試してきた。しかしながら、未だ一度も、恋なる気持ちを胸に宿すことは叶っていない。どんなに魅力的だと評されている男女と抱擁を交わそうと、欠けた心は戻ってはこなかった。この胸は凪いだまま、何一つの揺れもない」
ミシェリアはわずかに目を伏せて語った後、またアルメを正面から見据える。青く澄んだ目に期待の色を宿して、アルメに問いかけてきた。
「わたくしは恋心を乞うているが、同じ聖女であっても共感を得られぬようでな。皆、宿命を受け入れるのみで、望むことはないようだ。わたくしはそれを虚しく思う。――改めて問おう、ティティーよ。そなたも契約により心を欠いた身か? それを無念に思うか? そうであるならば、わたくしはそなたと想いを交わしたく思う。宿命を負った者同士、欠けた心への憧れを分かち合い、語らいたい」
問われたアルメは、泳がせていた目をミシェリアへと戻す。そして、嘘偽りのない言葉を、正直に返した。
「……恐れ入りますが、実を申しますと、私は光の女神様との契約を忘れてしまった身でございます。捧げたものが何だったのか、未だ思い出すことが叶わずにいます。……ですが、申し訳ございませんが……恋心は捧げておりません」
「なにゆえ、そう言い切れる」
「今まさに、胸に恋心を宿しているからでございます」
そう答えると、ミシェリアは静かに息を吐いて、残念そうに視線を落とした。
「……そうか。そうであったか」
つい先ほどまで、抱擁に対するモヤモヤとした気持ちが胸に湧いていたけれど……渦巻くモヤはもう鎮まっている。
今まで聖女に対して、漠然と『別世界で生きている、別の生き物なのだ』というような認識を抱いていたが、それは間違いだったようだ。
目の前のミシェリアは、抱えている大きな悩みに対して共感を求める、一人の若い娘でしかない。その悩みというのも、恋をしたいという、至って乙女らしいもの――。
アルメは緊張でこわばっていた体の力を抜いて、悩み相談に応えられなかった申し訳なさに、息を吐いた。
応接間に少しの沈黙が流れる。
ミシェリアは紅茶を一口飲むと、声音を変えて別の方向へと話を進めた。
「そなたの胸にある恋心とは、どういうものだ? 相手はどういう人だろう。その相手に対した時、そなたはどういう心地を覚える?」
「恋する相手に対した時、私はたまらなく幸せな心地を覚えます。そして時に、虚しさや苦しさ、悲しさを感じることもあります。お相手は……ええと、その……先ほど共におりました、白い……鷹の……」
「……なんと!」
ボソボソと白状すると、ミシェリアが大きく表情を崩す。今まで上品な真顔を保っていた彼女だが、目を丸くして謝罪をしてきた。
「恋する人に他の者が親しくすると、嫉妬の気持ちが生じると聞く。劇や物語でそのような場面を幾度も目にした。既婚の者や相手のいる者には、抱擁の試しを控えるのだが……今回は知らずに申し訳ないことをした」
「いえ……私が一方的に想っているだけなので」
悲しくなってしまって、いい歳をして泣いた――なんてことは、もちろん黙っておく。
ミシェリアは紅茶に口を付けながら、アルメを見て目を細めた。
「片想い、というものだろうか。それはどういう気持ちだろう」
「なんとも複雑な気持ちでございます。些細なことで心が弾み、また些細なことで酷く落ち込みます」
「そうか。ままならない気持ちなのだな。だが、羨ましい。わたくしも心を揺さぶられるほどに、人に大きな恋をして、深く愛してみたい。そうして相手から、同じ想いを受けてみたいものだ」
彼女は鈴の音のような無邪気な声で理想を語ったが、またすぐに力なく声を落とす。
「聖女は心を欠いている身ゆえに、夫となる者は真の愛を交わす相手として、別に妻を得る。わたくしはそれを寂しく思う。叶うことなら、わたくしはアーダルベルトに恋をしたい。彼と真実の愛を交わす夫婦になりたいのだ。……男女の愛というものを知らぬ身だというのに、愚かしい願いだが」
ポソリとこぼされた呟き声を、頭の中で反芻して、アルメは考え込む。
(男女の愛を知らない――……というのは、何だか違うような気がする。ミシェリア様はしっかりと、殿下を愛しておられるように思えるわ)
アーダルベルトに恋をしたくて、欠けた心を取り戻そうと試行錯誤している――というミシェリアの行動は、間違いなく、深い想いに基づいたものだろう。
男女の間で交わされる愛というものは、『恋の愛』だけではないように思う。
――と、そう思ったのは、アルメの胸の内にも、ファルクに対する色々な愛情があるからだ。
初めのうちは、たまたま知り合って縁ができた相手に対する愛――隣人愛のようなものを抱いていた。それから常連客として顧客愛のようなものが加わり、友愛も重なっていき――……そして最近、恋愛感情が胸の中に居座っていたことに気が付いた。
恋愛がすべてではなく、男女の間でも色々な形の愛があるのだろう。
アルメはその考えを、ミシェリアへと伝えてみることにした。最初に、自由な発言を許すと言われていたので、その言葉を今、享受させてもらうことにする。
「差し出がましい言葉ではありますが……ミシェリア様は、既にアーダルベルト殿下への特別な愛を、心に抱いておられるようにお見受けします。殿下のことを、大切に想っておられるのでしょう?」
「幼き頃に婚約を結び、共に過ごしてきた相手だ。大切にしている。だが、恋の愛を抱いたことはない」
「恐れながら、恋愛のみが至上のものではございません。ミシェリア様が殿下を大切に想うお気持ちは、間違いなく、尊き無二の愛情だと存じます」
言葉を返すと、ミシェリアは人形のように美しい目をパチリとまたたかせた。アルメは話を膨らませるべく、ちょっと別の話も織り交ぜてみる。
「ミシェリア様は『人生は気楽に、愛は真心のままに』という歌を、もうお聞きになりましたか? ルオーリオの古い歌なのですが」
「あぁ、城の楽師と歌うたいが奏でるものを、宴で聞いた。人生と恋愛を尊ぶ歌であろう?」
「――と、そう思われたかと思いますが、この歌は、そういう歌ではないのです」
紅茶を一口飲んで、歌にまつわる雑学的な事柄を披露する。
「この歌、実は終わりがないくらいに長くて、恋愛についての部分は、そのうちの三章目だけなんです」
「なんと。そうであったか」
「えぇ、他の章では、それぞれ色々な愛を歌っていましてね。例えば家族愛とか、友愛とか――」
恋愛を歌っている章が一番人気なので、そこばかりが歌われているこの曲だが、その実は、世にあふれるあらゆる愛を歌っている曲なのだ。
人に対する愛だけでなく、大切なぬいぐるみへの愛や、パンの焼ける良い匂いへの愛、熱を入れる趣味への愛、腕の中で眠る飼い猫への愛――などなど、他にもズラリと歌詞の章が並んでいる。
真心のままにあらゆるものを愛して、人生を楽しく生きよう――という歌なのだ。
歌の章を挙げながら、アルメはルオーリオの民らしく、明るく軽やかな声音で言う。
「世にはあらゆる愛があって、皆、等しく尊く、価値ある素晴らしいものだ――ということを歌っているんです。歌の通り、友愛や家族愛、他の愛だって、恋愛と等しく尊いものだと思います。ですから、ミシェリア様と殿下の間でお交わしになられる愛は、必ずしも『恋の愛』でなくてもよいのではないかと、思うのです」
恋愛だけが男女を繋ぐものではない。と、そう伝えてみた。
ミシェリアはしばらく考え込むように口を閉ざして、そして、迷いながらに微笑を浮かべる。
「……別の愛を贈っても、アーダルベルトは受け取ってくれると思うか? 恋の愛を贈れぬわたくしを、彼は愛してくれるだろうか」
不安げに声を揺らしたミシェリアに、アルメは口元を手で隠すようにしてコソリと告げる。
「ミシェリア様、私は今から『殿下の命令に背く』という罪を犯しますが、どうかお許しくださいませ。――実は先ほど、アーダルベルト殿下は席を外した後、お泣きになっておられたのですよ。ミシェリア様が他の殿方と抱擁を交わされたものだから、嫉妬をして、たまらぬ気持ちに堪えかねて大泣きをしておられました」
「そうなのか? そういうことは初めて聞いた! アーダルベルトが泣くところなど、一度も見たことがなかったが……!」
彼女は目をまん丸くして声を上げた。
先ほど、王子はアルメと側仕えに対して、『泣いたことは決して他言するな』と命令を下していた。恐らく、今までは気遣い上手な側仕えが、王子の泣きべそを上手く隠してきたのだろう。
バラしてしまって申し訳ないが、言わずにはいられなかった。……牢屋に放り込まれそうになったら、聖女様に庇っていただきたい。
「どうか、私が秘密をバラしてしまったことは、ご内密にお願いいたします」
「もちろんだ。心にしまっておくことにしよう」
ミシェリアは年相応の悪戯な顔をして、肩を揺らして笑っていた。




