185 老聖女の魔払い
リナリスとの面会を果たした翌日。朝の日差しを受けながら、アルメはいそいそと家を出た。
今日もアイス屋路地奥店はお休みだ。まだ色々と騒動の後始末があるので……落ち着いて片付けるためにも、数日ほど連休をもらうことにした。
リナリスの育ての親――父方の祖父母もルオーリオに来るそうなので、その対応。リナリスが家に置いていった荷物の整理や、彼女の移送に関わる手続き。
それから、祝宴に出すアイス作りでお世話になった、ブライアナへのお礼も考えなければいけないし、大変な迷惑をかけてしまった周囲の人々への、お詫びと感謝の会の準備――。
などなど、慌ただしく予定が連なっている。ついでに、壊れていた排水管の工事もようやく入るので、ちょうどその日まで休業とさせてもらうことにしたのだった。
客入りの良い時期なので、少し惜しい気もするけれど。営業再開を果たしたら、逃した分の売上も取り戻せるように頑張ろうと思う。
そういうわけで、今日も今日とて、ばっちりと予定が入っている。お城に上がるという、大事な予定だ。
アルメは新しい水色のドレスを抱えて、美容室へと足を運んだ。デュリエに祝宴の日のお詫びをしつつ、支度を整えてもらう。
今日はこれから聖女に拝謁をして、直々に魔払いをしてもらうのだ。恐れ多い気持ちがないわけでもないが、もらえるのならばありがたく、光の魔法を拝受したい。
悪魔に目を付けられやすい質の人間は稀にいるそうなので、何かの際に見つかり次第、こうして魔払いの魔法を付与する措置がとられているそう。――といっても、公にされていることではないので、他言は無用とのこと。
ほどなくして支度を終えて。迎えに来てくれたファルクと共に馬車に乗り、アルメは城へと向かった。
道中、馬車の中で、改めてファルクへとお礼を言っておく。
「祝宴の日は、眠りこけている私なんぞにドレスまでご用意いただき……本当にご面倒をおかけしました」
「お気になさらず。新しいドレス、楽しく選ばせていただきましたから」
アルメの本日の衣装は、祝宴の日にファルクが用意してくれたという、水色のドレス。
紺色のドレスは、昨日、拘禁施設でボロボロになっているのを確認したので、残念だが処分を決めた。この二代目ドレスこそは、長く着られるようにしたい……。
ファルクも白い騎士服をまとっていて、煌びやかな装いだ。馬車が動き出すと同時に変姿の首飾りも取り払われて、素の姿でいる。
とても眩しくて、ソワソワしてしまう気持ちを必死に抑えているのは内緒だ。
――と、そんな麗しい相手に、下世話な話をするのははばかられるけれど……アルメはそっとうかがうように、気になっていたことを口にした。
「……ちなみにですが、こちらのドレス、おいくらで? お支払いしますので」
「いえいえ、いただ――」
「『いただきませんよ』というお返事は、禁止ワードとさせていただきたく」
「禁止ワード!? ええと、それじゃあ……四……四、万G、です」
禁止ワードを設定したら、ファルクは生真面目に守って答えてきた。
「四万G? 本当ですか?」
「……えぇ。神官は嘘をつきません」
そう言いながら、ファルクは視線を窓の外へスイとそらす。問いただしても同じ答えしか返ってこなかったので、疑いながらも、結局アルメは頷くしかなかった。
「それじゃあ、後で四万Gをお支払いしますね」
「アルメさんが望むのであれば、受け取っておきましょう」
「そうしていただけると、ありがたいです。――それにしても、素敵なドレスですね。サイズもぴったりで。すごく着心地が良いです」
神殿で目覚めた後、エーナとジェイラが見舞いに来て、当日の支度時の話をしてくれた。
ジェイラは『あの鷹、サラッと買ってきやがってさ~』なんて笑っていたけれど、そういえば、どうやってサイズの合うものを見繕ってくれたのだろう。
アルメは少し考えて、ペラッと予想を口にした。
「前に既成ドレスを買った時のお店で、購入してくださったのですか? 何かこう、お店に購入記録とかが保管されていたのでしょうか」
洋服店のことはあまり詳しくないが、顧客情報として、サイズを保管しておく店もあるそうだ。その記録を頼って、ばっちりのサイズを用意してくれたのかもしれない。
そう思い至って問いかけたのだが、ファルクはまた視線を窓へと向けた。視線――というより、顔ごと背けるようにして、外を見ている。
「…………えぇ、そうです。そういう感じの、アレです」
「ファルクさん?」
何だか神官らしからぬ、間の抜けたふわふわな返事を寄越されたが……ドレス選びに際して、何かあったのだろうか。
探るような目で見つめていると、ファルクはついに、ギュッと目をつぶってしまった。この怒られたペットのような態度は何なのだろう……。
そうして不可思議な鷹を観察しているうちに、馬車は城へと到着した。
祝宴当日には叶わなかった、ファルクのエスコートを受けて歩き出す。
城の入り口や廊下などは、もうすっかり綺麗になっていて、事件の痕跡は見当たらない。
案内を受けて城の奥まで歩き、謁見の間にたどり着いた。
謁見の間はいくつかあるそうだが、案内されたのは、そのうちの一番小さな部屋のよう。こぢんまりとした部屋ではあるが、内装は大変に洒落ていて華やかだ。
入り口で一度足を止め、アルメは気持ちを切り替えた。スカートを持ち上げて深く礼をする。
正面奥の大きな椅子には、既に聖女が腰をかけて待っていた。
ルオーリオの前守護聖女、シャリオーラ・トルク・グラベルート。――アルメの魔払いをしてくれるのは、老齢の聖女のようだ。
銀色の髪を頭の上にきちりと結い上げて、白く美しいドレスを身にまとっている。
彼女の正面まで歩み寄り、改めて挨拶をした。
「アルメ・ティティーと申します。この度は拝謁を賜り、厚く御礼申し上げます。……祝宴に魔物を導くという大変な過ち、誠に申し訳ございませんでした。妹が祝いの場を台無しにしてしまい、私も眠りながらに御前に進み出るなど――……」
深々と頭を下げて謝罪の言葉を連ねようとしたアルメを、聖女シャリオーラは片手を上げてピシャリと制した。
「よい。顔を上げなさい」
「は、はい……」
アルメは言葉を止めて、言われた通りに顔を上げた。
(聖女様、怒っていらっしゃる……? 謝罪も聞きたくない、ってことかしら……)
背中に冷や汗が流れるのを感じる。ハラハラするアルメをよそに、シャリオーラはゆったりと喋り出した。
「過ちを犯すことは褒められたことではないが、しかしながら、世の理では皆等しく、愚かしい行いをすることが許容されている。神々ですら、咎を負っているのだ。未だ世から悪魔を排除できずにいるのは、神々の過ちであろう」
スケールの大きな話をされたが、どうやら怒っているわけではなさそうだ。むしろ、これは慰めの言葉のよう。
アルメは少し肩の力を抜いて、言葉に耳を傾ける。
「神々も不完全な世で足掻いているのだから、一人間が暮らしの中で過ちや失敗を起こすことなどは、まったくもって、おかしなことではないのだよ」
シャリオーラは目を細めて、微笑を浮かべた。老齢らしいシワの多い容貌だが、笑みは上品で美しい。
「現にわたくしも、結界を緩めて街に魔霧を招くという、大きな過ちを犯した後だ。どう償えばよいものかと、日々、呻いているところさ」
聖女も後悔に呻くものなのか、と、アルメはポカンとしてしまった。
どういう返事をしたらいいのだろう、と頭をまわす前に、シャリオーラはまた片手を上げてアルメを呼んだ。
「どれ、近くに」
「はい……!」
言われるままに、アルメは彼女の真ん前まで歩を進める。こんなに近づいては、不敬ではないだろうか……とも思ったが、ファルクが背を押して導いてくれたので、従うことにした。
シャリオーラはアルメを見て、ふむと頷く。
「うむ、よい光だ。悪魔が目に留めたのも頷ける。悲観することなく、その身に宿した光は誇りにしなさい」
アワアワしているうちに、シャリオーラが両手のひらをこちらに向けて、魔法を発動した。煌めく光がアルメの体を包み込む。
ぽかぽかとした暖かな魔法だ。しばらく魔払いの光を展開した後、シャリオーラは魔法を治めてアルメに言う。
「さぁ、これで仕舞いだ。また魔法が緩んだら来るとよい」
「ありがとうございます。お心遣いに、感謝申し上げます」
身を低くして礼をする。彼女は隣に控えていたファルクにも声をかけた。
「白鷹よ、お前も変わった光を宿しているね。大事にすることだ」
「ありがたきお言葉、心に刻みたく存じます」
ファルクは敬礼をして、身を引きながらアルメの手を取った。聖女への拝謁を終えて、二人並んで御前から下がろうと――したところで、ふいに呼び止められた。
シャリオーラは透き通った青い目でアルメを見据えて、問いかけてきた。
「そなたは昨日、魔物と――いや、妹と対したと聞いているが、何を話した?」
「ええと……恐れながら、妹に見舞いの言葉をかけまして、あとは少し口喧嘩と、冗談などを言い合ったり……少々、恋話のようなものも。最後は手を振り合い、別れました」
上手い返しが咄嗟に思い浮かばなかったので、ありのままを素直に答えた。視界の端でファルクが大きく身じろぎ、こちらを見ている。
アルメの言葉を聞くや否や、シャリオーラは目をまるくして笑いだした。
「ふふっ、はははっ。嘆きの相見となったことだろうと思い、慰めの言葉を用意していたのだが、無駄になったようだ」
「も、申し訳ございません……せっかくのお心遣いを……」
「よいよい。ルオーリオでは過去にも、似た災が起きていてね。当時、若く未熟であったわたくしは、災に遭った民らに良い言葉をかけてやることができなかった。それを悔いていてな。今度こそはと思っていたのだが、杞憂に終わってしまった」
ペコペコと謝るアルメを前にして、彼女は笑いを含んだ声のまま、独り言のようなものをこぼした。
「宿した光は体を表すと言うが、なるほど、面白い娘じゃないか。ミシェリアが目に留めた理由がわかったよ。あの子もなかなかに変わり者だから」
ふむふむと頷きながら、シャリオーラはアルメとファルクに向かって言う。
「そなたたちに、ミシェリアから話があるようだ。もし時間があるならば、この後少し付き合ってやっておくれ」
「は、はい。かしこまりました」
「なんなりと」
ペコリとお辞儀をして、今度こそ御前から下がる。もう一度礼をして謁見の間から出ると、案内役の男が声をかけてきた。
「シャリオーラ様がおっしゃいましたように、ミシェリア様がご引見を望んでおられます。どうぞ、こちらへ」
今日は『聖女に拝謁をする』という予定で城に上がったことは、間違いないけれど……まさか、二人の聖女にお目にかかるなんてことは、想定していなかった。
(魔払いの他にも、何か必要なことがあるのかしら? ミシェリア様は新しい守護聖女様だし……直々に、リナリス関係のことで聴取をなさるとか?)
案内を受けて廊下を歩きながら、ファルクにコソリと聞いてみた。
「あの、ミシェリア様のお話とは、どういったものなのでしょう?」
「すみません、俺も詳細を聞いておらず。騒動に関することではないように思いますが……。貴人が宴で民を気に入り、引見を望むことはたまにありますので、そういうものかと。アイスを気に入っていただいた、とか?」
「だとしたら、ものすごく光栄なことですが……でも、私、聖女様とお喋りをできるような人間ではないですよ……」
あいにく、貴人を相手に気の利いた会話ができるほどの教養など、持ち合わせていない。呼ばれたところでアワアワして終わりそうだが……大丈夫だろうか。
突然追加された予定に、緊張で体がこわばってきた。しばし無言で、ギクシャクと歩を進める。
そんなアルメをチラと見て、ファルクはポソッと別の話を振ってきた。
「あの、お話変わりますが……先ほど、リナリスさんと恋話をした、というようなことをおっしゃっていましたが……それは、どういう……」
「え? っと、内緒です」
「そう、ですか……いや、失敬」
小声で謝って寄越したが、ファルクは何か言いたそうな、複雑な表情を浮かべていた。