184 お喋りと鷹の覚悟
アルメとリナリスはいくつか言葉を交わし、そうしているうちに、彼女の黒い涙は治まった。
ものものしい牢獄の中が、似つかわしくない、ほっこりとした穏やかさに包まれた――。
の、だが。ほどなくして、雰囲気は一転することになる。
ふいに空気を切り替えるように、アルメがパンと両手を打ち鳴らしたのだった。
「――はい! しんみりとした空気はここまで! ここからはちょっと、文句を言わせてもらいます」
「えぇ……っ!?」
突然の宣言に、リナリスはガクリと体を傾けた。アルメは穏やかな表情を切り替えて、ムッとした顔を作る。
ルオーリオでは最後の面会となるので、言いたいことを言う、と決めて来たのだ。
そのためにファルクにも席を外してもらったので、しんみりとした雰囲気に流されず、遂行させてもらう。
「リナリス、まだあなたから謝罪の言葉を聞いていないのだけれど。せっかくの祝宴の予定をめちゃめちゃにして……あの招待状は、私が誕生日プレゼントとしてもらったものなのよ。その……例の白いお方から。すごく楽しみにしてたのに……!」
拗ねた態度を露わにして言うアルメに、リナリスは真っ黒な体をオロオロと揺らす。
「それは……ごめんなさい……。で、でも、お姉ちゃんが変に隠すから……! 最初からわかっていたら、盗んだりしませんでしたよ!」
「だって、あなたにウダウダと絡まれたくなかったんだもの! 話したら、一緒にパーティーに来たがったでしょう?」
「そりゃあ、お城のパーティーですもの! というか、パーティーで思い出しましたが! 例の白いお方とやら、ファルクさんだったんですけど……! 私、首を刺されましたよ!? 首を! 魔物でなければ死んでいました……! まったく酷いったらないわ! お姉ちゃん、隠し事が多すぎます……!」
リナリスは早々と開き直ったのか、声を張って、頭に生えている二本の角をツンツンとこちらに向けてきた。……この姿になったことで、なんだか動きにゆるキャラ的な愛嬌が出てきているのが、小憎たらしい。
丸っこい角をツンツン動かすリナリスを見て、また後ろの看守が身じろぐ気配を感じた。が、アルメは構わずに、口争いを続行する。
「ファルクさんが例の白いお方だとばらしたら、あなた絶対ベタベタするでしょう? なんかちょっと、それは嫌だったから……!」
「まぁ! 私、さすがに人の恋人を盗ったりはしませんよ! 失礼しちゃいますね!」
「べべべ別に恋人ではありませんけれど……っ」
「恋人じゃないなら、なんでムキになっていらっしゃるのですか!」
ツンと言い返されて、アルメは口をつぐんだ。今日この場に来て、初めて怯んでしまった。
黙り込んだアルメの顔を覗き込み、リナリスは言う。
「お姉ちゃん、また隠し事をしていますね。あのお方のこと、好きなのでしょう? 恋のお相手じゃないんですか?」
「…………ええと……その…………はい……」
「ほらほら~、やっぱり良い仲なんですね! うん、とってもお似合いだと思います!」
白状してしまったアルメは、諦めて脱力した。しゃがみ込んだ膝の上に顔を伏せて、項垂れる。
「……お似合い、ね。そうなれるといいのだけれど……厳しいわ……。私、ダンスとか踊れないし……」
「そんなことはありません。お姉ちゃんは白いお方に並ぶくらい、キラキラしていますよ。私の目にはそう見えます! ――まぁ、私が魔物だからかもしれませんけど」
「うぐぐ……どうせキラキラしてるのは加護だけですよ……」
「ふふっ、冗談ですよ」
「もう……」
少々不謹慎な軽口ではあるが、二人は言葉を交わして笑いをこぼしてしまった。
『冗談』というものは、心が通い合った相手にのみ通じるものだ。そうでない相手との会話に用いれば、ただの悪口や、不快な言葉へと成り下がるものである。
――そんな冗談が、この場のアルメとリナリスの間では、問題なく機能した。
そのことに内心で少し驚きつつ、胸に湧き上がったほのかな温かさに、アルメは頬を緩める。
そうして文句を言いながらも、少々の冗談を交わしているうちに、また背後で看守が動く気配がした。
こちらの様子をうかがっている――というわけではなく、今度の動きは、退出の準備の動きだ。そろそろ面会の終わりの時間がきたらしい。
リナリスは角をフリフリとまわして、最後に声をかけてきた。
「お姉ちゃん、私、お二人の仲を応援してますよ」
「うん、ありがとう。私も、あなたを応援してるわ」
言葉を交わして、アルメは立ち上がった。
こういう場ではあるけれど、今、初めて心の通ったお喋りをすることができた気がする。
心を交わすことが困難な相手だと思っていたのに……まさか、秘めていた恋心を最初に打ち明ける相手が、妹になるとは思わなかった。
人生や、人間関係というものは、本当にわからないものだ。悪い方向と良い方向を、コロコロと転がっていくものであるらしい。
その度に心を揺らすのは、少々大変ではあるけれど……でも、そういうところも、人生というものの楽しさなのだろう。
そんなことをしみじみと思いながら、アルメは看守の後に続いて部屋を出た。
来た道をたどり、階段を上がって廊下を歩いていく。
看守は行きと同じように、自身の斜め後ろを静かについてくる面会人アルメの足音を聞きながら、未だに目をまるくしていた。
先ほどまで、自分は何か幻覚でも見ていたのだろうか……そう思ってしまうほどに、目を疑う光景が繰り広げられていたのだった。
アルメという娘は、あろうことか、すっかり人の姿を失っている魔物を相手にして、普通にお喋りをしていた。
見舞いの言葉だけならまだしも、続けて姉妹喧嘩のような言い争いをして、最後には、何やら恋話のような会話までしていた。
嘆き塞ぎこんでいた魔物も、姉がごく普通に接してきたためか、仕舞いには立ち直り、手――なのか、角なのか、触角なのかはわからないが、頭を気安くフリフリと振って、別れの挨拶を寄越す始末。
看守は眉間を指で押さえて、目をシパシパとまたたかせる。
(この娘……飾らない、ごく普通の街娘なのだろう、とは思っていたが……。まさか魔物を相手にしても、井戸端お喋りのごとく、素で話をするとは……。いやはや、大物なのか小者なのか、よくわからない娘だ……)
叶うことなら、この珍妙な面会のやり取りを誰かに話したいところだが……他言できないのが、もどかしいところだ。
看守はアルメを後ろに連れて、やれやれと息を吐きながら歩いていった。
待合ロビーにて。ファルクはアルメの帰りを待ちながら、思いをめぐらせていた。
ソファーに腰を掛けて腕を組み、神妙な面持ちで天井を仰ぐ。
(……はぁ……本当に、不甲斐ない……)
今回の件は、己の情けなさに心底打ちのめされた。一番戸惑っているのは当事者であるアルメだろうから、間違っても、彼女の前で気落ちした姿などは見せないけれど。
(妹対策で距離を置く……というのは愚策だったな。側につき、彼女を守るべきだったのに……)
知らなかったとはいえ……今になって思えば、とんでもなく愚かなことをしてしまった。
ファルクは重い息を吐き、目を閉じる。小声でポソリと独り言をこぼした。
「……今後、二度と同じことがあってはならない」
自分に言い聞かせるように発して、同時に、一つ覚悟を決めた。彼女を守る騎士として、名乗りを上げる覚悟を――。
――アルメをこの腕の中に捕えて、さらう覚悟を決めた。
絶対に失敗をしたくない狩りなので、慎重に、たっぷりと時間を使って、ここぞというタイミングで確実に仕留める――という作戦のもとに、今まで動いてきたのだけれど。もう、そんなことを言っている場合ではない。
今回の事件によって、何やらアルメは加護に恵まれていて、悪魔に目を付けられやすい質であることが判明した。
で、あるならば、とてもじゃないが一人にしてはおけない。
アルメの一番近くに添い、あらゆる邪悪から彼女を守る騎士が必要だ。仕事柄、城や聖女と繋がりのある自分こそが、その騎士として適任であろう。
――なんて、体裁の良い口実をあれこれ並べているが……要は、自分がもう耐えられないだけである。
今この瞬間も、アルメのことが心配でたまらずにいる。
面会相手は妹とはいえ、魔物だ。大丈夫だろうか。何を話しているのだろう。危険はないのだろうか。――などと、ハラハラソワソワしている。
(明日、聖女様に魔払いをしてもらう予定ではあるが……今後も魔物や悪魔や、良からぬ者が寄ってくる危険がない、とは言い切れない。……駄目だ……胃が痛くなってきた……)
考えているうちに、胃がキリキリしてきた。帰ったら胃薬を作ろう……。
組んでいた腕を解き、胃のあたりをさする。この胃痛はアルメへの心配によるものと……もう一つ、個人的な問題によって生じている。その問題とは、『どうしようもないほどの緊張』である。
アルメに添う騎士となり、さらうためには、まず愛を告げて許しを得なければならない――。そのことを考えると、どうにも胃のあたりがキュッとしてしまう。
今まで、実家の当主である兄の命令で見合いをしたり、果てには政略的な婚約を結んだことはあったが……自ら好いた相手に愛を告げることは、初めてだ。
完全に手探りである。でも、やり遂げねば……怖気づいている場合ではないのだから。
(……俺は鷹を名に持つ男……! ヒヨコでない、鷹だ……! 鷹鷹! 大丈夫……! いける!)
自分を奮い立たせるように念じながら、頬をペシペシと叩く。そうしていたら、ふいに後ろから声がかかった。
「お待たせしました。――って、ファルクさん? 何をしているんですか?」
「あっ、いえ、何でも……」
急に声をかけられて、ファルクは弾かれたように、ピヨッと立ち上がった。気を取り直して、アルメに向き合う。
「リナリスさんとお話はできましたか?」
「はい。お時間をいただき、ありがとうございました」
アルメはさぞや動揺し、具合を悪くしているのではないだろうか、と心配していたのだが、存外晴れやかな顔をしていた。
(顔色は良さそうだ。よかった)
祝宴の後から数日の間は、仕事は休みの予定だ。彼女が心身に不調をきたした時のために、と連休を願い出ていたのだが、杞憂に終わりそうでよかった。
諸々の手続きも終えたそうで、もう施設を出られるとか。今日この後は予定もないので、ひとまず、息抜きに時間を使える。
ファルクはポケットから変姿の首飾りを出して、首にかけた。先日切れてしまったチェーンも替えてもらい、しっかり魔力がめぐっている。
魔法で姿を変えながら、アルメの手を取って歩き出す。
「この後ですが、もしご気分に障りがなければ、気晴らしに街をめぐりませんか。日の光と風は、心を癒す一番の薬となりますから」
「えぇ、是非」
返事をもらってから、一呼吸おいて、もう一つ話を付け足す。
「アルメさん、後で――。いや、この件が片付いたら、一つお話ししたいことがあります。聞いてくださいますか」
「何でしょう? 今でも大丈夫ですけど」
「いえ、後でにいたします。ゆっくりと、落ち着いた時間をいただけた時に、改めて」
「はぁ、わかりました」
キョトンとした顔をしているアルメとは反対に、ファルクは繋いでいないほうの手を、強く握りしめた。
話の約束を取り付け、たった今、退路を断った。近く、必ず、愛を告げてみせよう――。
何かと間の悪い自分であるが、この数日の間だけは、どうか幸運の神に味方してもらいたい。