183 嘆きの魔物
城を出て馬車に乗り、北地区へと移動する。北地区の外れには、罪を犯した人々が身を置く拘禁施設がある。
その地下深くに『魔導牢』なる、特別な牢があるそうだ。リナリスはそこに収容されているとのこと。
道中、馬車の中でファルクが説明をしてくれた。
「魔導牢は、強い魔力を有している罪人や、精霊と違法な契約を交わして魔法を得た者、高等魔物等、少々特殊な事情のある罪人たちを捕えておく場所です。ルオーリオは地下にあるようですね」
「日の光の当たらない地下の牢獄……なんだかちょっと、恐いですね。良くない念が籠っていそうな感じがして」
馬車の中で向かい合わせに座り、二人で雑談を交わしながら移動する。
つい先日まで、どういう顔をしてファルクと一緒の時間を過ごせばいいのだろう、なんて、少女じみた思考に呻いていたのだけれど……予期せぬ事件に巻き込まれたことによって、今、こうして静かなテンションで会話ができているというのが、皮肉である。
ポツポツと話をしているうちに拘禁施設に到着し、二人は馬車を降りた。
施設は飾り気のない石造りの堅牢な建物で、外観は要塞のようにも見える。
中に入って窓口で手続きを済ませると、すぐに案内の看守――大柄な女性看守が来た。既に話が通っているようで、対応もスムーズだ。
これもすべて、祝宴の日に後処理に奔走してくれたみんなのおかげだろう。
(祝宴が終わったら打ち上げパーティーをしよう、って話していたけど……お詫びと感謝の会に変更して、私が主催を務めよう……)
うん、と一人頷き、渋い顔で計画を立てながら、案内に従って廊下を歩いていく。
すぐに面会、というわけではなく、先に通された場所は小さな部屋だった。簡素なテーブルがいくつか並べられていて、その一つに雑多な物が置かれている。
女性看守は、体格に見合った低めの声で説明をしてくれた。
「こちらは、高等魔物リナリス・アータムが所持していた物になります。彼女はもう、あの姿ですので……ご家族にお引き取りいただくか、またはこちらで処分させていただくことになります。ご確認ください」
テーブルの上には、真っ黒に染まってしまったドレスらしき布や、祝宴の招待状、案内状、小ぶりなバッグ、ハンカチ――などが置かれていた。靴以外、ほぼアルメの物だ。
(う~ん……ごっそりとやられたわね。――あ、でも、これは私のものじゃないわ)
見まわしてみると、一つだけアルメの私物ではない物が混ざっていた。
ピンク色の宝石のネックレスを手に取って、看守へと尋ねる。
「このネックレスは妹の物なのですが……引き取りではなく、彼女の私物として扱うことはできませんか? 気に入っていたようなので」
リナリスはこの後、大陸南端の修道院へと移送されるらしい。どういう姿になっているのかわからないが……旅の荷として、持っていくことはできないのだろうか。
わけもわからぬうちに正体が暴かれて、すべてをなくした状態で身一つの旅立ちを迎えるというのは、さすがに心細いだろう。
そう思ってお願いをしてみたら、看守は頷いてくれた。
「わかりました。では、そのように手続きいたしましょう」
「ありがとうございます。お願いします。……一応、この後、本人に直接確認をしてみてもいいでしょうか? 必要な物かどうかを」
「えぇ、かまいません。――では、こちらの品々の確認が終わりましたら、地下へとご案内いたします」
もう一度、テーブルの上の品々をぐるりと見まわす。どれも真っ黒に汚れてしまっているので、まるっと処分をお願いすることにした。
所持品の確認と手続きを終えたら、いよいよ面会だ。が、歩き出す前に、アルメはファルクへと向き合った。
直前まで迷っていたことだが……面会は、一人で行くことにする。気持ちを決めて、彼に伝えた。
「あの、ファルクさん。ちょっとお願いがありまして……リナリスと、二人で話をさせていただくことは叶いませんか? 付き添っていただいているというのに、図々しいわがままを言うことをお許しください。少しの間、お待ちいただくことはできないでしょうか……?」
「もちろん、かまいませんよ。心配ではありますが……俺はロビーでお待ちします」
「すみません、ありがとうございます。では、行ってきます」
リナリスと顔を合わせるのは、今日この時が最後となる。――正確に言うと、移送先の修道院を訪ねれば、会えないこともないそうだが。一応、ルオーリオで会うのは最後だ。
なので、変なモヤモヤを残さないように、言いたいことを言おうと決めたのだ。ファルクがいると、ちょっと言いづらいこともあるので……申し訳ないが、席を外してもらう。
ファルクに深く礼をして、今度こそ、アルメは看守と共に歩き出した。
無機質な石造りの廊下を進み、地下牢への階段を下りていく。ここから先は窓からの採光がなくなり、魔石ランプのぼんやりとした明かりだけが頼りとなる。
看守は、斜め後ろを歩く面会希望者――アルメの足音を聞きながら、密かにため息をついた。
(……妹が魔物だったなんて、なんという災だろうか)
ルオーリオでは五十年前にも、こういう事件があったらしい。子供の高等魔物が出現し、本人も家族も、魔物だと知らずに生活をしてきたそう。
正体が露わとなった後は、この地下の魔導牢へと収容された。面会を希望した母親は、醜い姿に変わってしまった我が子を見て、泣き崩れたそうだ。
酷く取り乱し、そのまま気を病んで、床に伏してしまったとか……。
悪魔の遊びとは、本当に質の悪いものだ。人の心や絆をめちゃめちゃにする、残酷な所業である。
後ろをチラと振り返り、面会希望者アルメへと視線を送ると、彼女は応えてペコリと会釈をしてきた。
「この扉の先に魔導牢が並んでおります。ご気分が悪くなったり、何かありましたら、すぐにおっしゃってくださいね」
「お気遣いいただきありがとうございます」
先ほどからポツポツと言葉を交わしているが、このアルメという娘はごく普通の、大人しそうな街娘だ。
昔、子供の魔物に対して病に伏したという母親も、同じように、平凡な街暮らしの女性だったそう。
(この娘も、魔物の妹を見て、気をおかしくしてしまうのではないだろうか……。あぁ、気が重い……)
看守は深く息を吐きながら歩を進めて、一つの扉の前で足を止めた。見張りの同僚看守に声をかけて鍵を開けて、中へと入る。
「面会には、私も同席させていただくことになります。ご了承ください」
「はい、承知しております」
アルメはうやうやしく礼を寄越すと、魔導牢の部屋へと足を踏み入れた。……この後、彼女が心身に不調をきたした時には、自分が支えてやりながら、部屋を出ることになる。
ハズレくじを引いてしまったような心地もするが……そんな不謹慎なことは、もちろん口には出さない。自分は職務をまっとうするだけだ。
看守は部屋の端に立ち、見守りの体勢に入る。アルメは一人、牢の檻へと歩み寄った。
アルメは檻へと歩み寄りながら、部屋の中をうかがうようにチラチラと視線を向ける。
広くもなく、狭くもない部屋だ。入ってすぐ、正面に鉄の格子があり、部屋が手前と奥で隔たれている。手前は看守や面会人が立ち入る場所で、奥はもちろん、牢獄だ。
よく見ると、格子には細かく呪文が記されていた。壁や天井、そして床にも、ところどころに独特な紋様がある。
そんな、ものものしい雰囲気の部屋の奥……端っこの影のほうに、真っ黒なモノが見えた。
アルメは一つ大きく呼吸をしてから、奥に向かって声をかけた。
「あの、リナリス……?」
声はしっかり届いたようで、黒いモノ――リナリスは、真っ黒な体をもぞっと動かした。
「……お姉……ちゃん…………?」
リナリスはもぞもぞと床を這って、こちらに来る。……その姿はもう、人間と呼べるものではなくなっていた。
高等魔物は、悪魔が人の血肉や骨を使って精巧に作り上げた人形だ、との説明を受けたが……彼女はもはや、不出来なそこらの魔物と同じような外見になってしまっていた。
アルメはギョッとしつつも、努めて冷静に受け止める。魔物は生き物を模した形状を取る、ということはファルクから聞いていたことだが、彼女の今の姿も、世にいる生き物のキメラのように見える。
(……ウミウシ……うん、ウミウシっぽいわ……特大サイズの。あと、耳のあたりは少しウサギっぽくて……手のような部分は……なんだろう、草のツタ、みたいな……?)
おぞましい見た目、と言えば、そうなのかもしれないが。アルメはハラハラしつつも、思っていたよりすんなりと受け止めることができた。
――リナリスとの距離感が絶妙だったことが幸いしたようだ。
きっと長く一緒に暮らしているような、心の距離が近い家族だったなら、あまりの事に泣き崩れていただろう。――けれど、薄情かもしれないが、今のアルメの目に涙はない。
そして逆に、まったくの他人であったなら、『気味が悪い』の一言で拒絶してしまうところだったかもしれないが……別段、そういう心地にもならない。一応、短い間ではあるけれど、一緒に暮らしてきた相手なので。
その近すぎず、遠すぎず、の距離感が、ここにきてピタリと具合良くハマることになったのだった。……人生とは、何がどう作用するかわからないものだ。
絶妙な距離感をもって彼女に対し、現状を受け止めることができた。
少々呆けた顔にはなってしまったが、アルメは怯むことなく、牢の前に立ってリナリスとの面会を果たした。
そんなアルメを見上げるようにして、リナリスは目――のように見える部分から、黒い液を流す。
彼女は鳥の鳴き声に似た音で、泣き声をこぼした。
「……私ね……悪魔が作ったお人形なんですって……。加護のない……魂のない……空っぽの化け物なんだって……。……体も、人から借りただけの紛い物だったし……心も、悪魔に仕込まれたものだって…………」
ポロポロと泣きながら、真っ黒なウミウシは体を震わせる。
「……キラキラした暮らしに夢を見てきたこの気持ちも、キラキラしたお姉ちゃんに憧れてきたこの気持ちも……全部、全部……悪魔がそういう風に作ったから、なんですって……」
「リナリス……」
「体もグズグズになっちゃったし……気持ちすらも……何もかも、私の物じゃなかった……。私、何もない……空っぽの化け物だわ……ただの泥の塊よ…………」
流れ落ちる涙も、もはや人の涙ではない。濁った泥水、と例える方が近いモノになっている。
後ろのほうで、看守が動く気配を感じた。アルメの様子を気にかけているようだ。
が、アルメは振り向くことなく、リナリスだけに真っ直ぐな視線を向けた。
「あまり知ったような口で、あれこれ言うことはできないけれど……でも、私から見たら、あなたは空っぽには見えないわ。これっぽっちも、空っぽの化け物には見えない」
アルメはしゃがみ込んで、床を這うリナリスと目の高さを合わせる。
「だって、あなたにはちゃんと心があるでしょう。このピンク色の宝石のネックレスは、あなたが、あなただけの心に従って選んだものじゃないの?」
握りしめていた手のひらを解いて、ピンク色の宝石のネックレスを摘み上げる。先ほど別室で確認をした、リナリスの私物だ。
揺れた宝石が魔石ランプの明かりを反射して、リナリスの目に淡い光を落とした。
「悪魔が仕込んだ本能に従っていたのなら、あなたは私のアクセサリーを盗っていたと思うの。学士の偉い先生がおっしゃっていたのだけど、魔物は加護の光に執着するように作られているんですって。それなら、加護が厚いらしい私の物に惹かれるはずでしょう? でも、あなたは私と関係のない、自分の好みの色を選び取った。それは、あなたにちゃんと心があるからよ」
話をすると、リナリスはポカンとした様子で、泣き声を止めた。
正体が魔物だった、なんて、とんでもない目に遭ってしまった人に対して、どういう慰めの声をかければいいのかは、まったくわからないが……とりあえず、思うことを伝えてみることにする。
アルメはしゃがみ込んだまま、リナリスの顔――と思しきあたりを覗き込んだ。
「百歩譲って、あなたが空っぽなのだとしても、それほど悲観しなくてもいいと思うわ。――実を言うとね、私もちょうど一年前くらいに、空っぽになってしまったことがあってね。その空っぽの状態からこつこつ頑張って、最近になってようやく、色々なものを手にしつつあるところなの。だから、案外、空っぽでもなんとかなるものよ」
リナリスはさらにポカンとしていたが、少しの間を空けて、ポツリと言葉を寄越した。
「……お姉ちゃんも、空っぽ……だったのですか……? どうして……?」
「それは……ええと、一年前に、お相手の浮気によって婚約破棄をくらいまして……。婚約者も、仕事も、未来の予定も、まるっと全部消し飛んでしまってね。ついでに財産と家までなくすところだったのよ……」
「……初めて聞きました……」
呆けた様子のリナリスに、アルメは言葉を添えておく。未来の予定が消し飛んでしまったあの日、自分自身に言い聞かせた言葉と、同じようなことを――。
「空っぽっていうのは、見方を変えれば、『自由に何でも詰め込めるスペースがある』ってことよ。あなたはピンク色のネックレスを得たし、あと、『姉』だって得たでしょう? これから先、他にも色々なものを手に入れて、空いているスペースにどんどん詰め込んでいけばいいと思う」
「……私に、今からでも……手にできるものがあるのでしょうか……?」
「一番大事な、手にするべきものがあるでしょうに。南端の修道院で、光の女神様のご加護を得るのでしょう? こつこつ頑張れば、きっと魂だって手にすることができるわ!」
彼女は今後、加護の魂を得るために、修道院で祈り暮らすのだそう。気持ちを奮い立たせるように、凛とした声音で言うと、リナリスもグッと体に力を入れたようだった。
ポロリと数粒の涙を落としながら、彼女は言う。
「……こつこつと……。……うん、頑張ります。……いつか加護の光を授かったら、またお姉ちゃんのアイスを食べに来てもいい?」
「えぇ、もちろん。ご来店、お待ちしています」
笑みと共に答えると、リナリスはまた一つ涙をこぼした。




