181 夢と目覚めと反省会
アルメは深い眠りの中で、遠い昔の夢を見ていた。
真夏の日差しがアスファルトを焼き、ムワムワとした高温の中をスーツ姿で歩いていく。そのうちに視界がチカチカとしてきて、強烈な眩暈に襲われた。
ついにドサリと、体が地に沈み、晴れ渡る青空を視界に入れた後、意識が途絶えた――……。
……――これは、確か前世の自分の最期だ。
ひたすら暑くて、ぐったりとしていたが……そうしているうちに光に包まれて、誰かに声をかけられた。
『――星を渡り、新しき光を迎えん。我に魂を捧げよ。望むものを与えよう』
声の主は長く美しい髪をなびかせて、優美な衣を揺らしている。フワリと舞い降りた美貌の女性――神と思しき光の姿に手を伸ばし、アルメは縋りついて呻いた。
「うぅ……暑い……氷を……氷をください……何か冷たいものを……。……ひと欠片で……いいので……どうか……氷、を…………」
『――よかろう。なれども、斯くも小さき願いでは到底釣り合わぬ。我はそなたに永久を望む。ひとたび契れば、そなたは――――…………』
女神に何か説明をされた気がするが……暑さに溶けかかっていたアルメの魂は、それどころではなかった。
難しい長話をぐったりと聞き流して、朦朧とした中で返事をしてしまったのだった。
「……もう……なんでも……なんでも、いいです……大丈夫……頑張ります…………」
ヒィヒィ言いながら言葉を返すと、眩い光に包まれて意識が散らされた――。
――そんな昔の出来事を夢の中で追いながら、アルメは胸をざわつかせた。
(そうだったわ……私、女神様と何か約束をしたのだった。氷魔法を得る代わりに……魂を、捧げるって……)
それがどういうことなのか。肝心な、具体的な契約内容が記憶からすっかり抜け落ちている……。
(何か、恐いことを言われたような……)
恐い――というか、途方もない話をされて、怯んでしまったような気がする。けれど、恐ろしさを感じながらも、冷たい氷の誘惑に負けて承諾してしまったのだ。
内容を忘れてしまったのは、朦朧としていたからというだけでなく……不安な気持ちから逃れたいがために、自ら記憶を飛ばしてしまった、というのも要因かもしれない。
(う~ん……どういう約束だったっけ……)
ぼんやりとした夢の中を漂いながら、首をひねってしまった。
そうしているうちに、また意識は深くへと落ちていき……夢すら散ってしまうような、深い眠りの世界へと沈んでいく。
――その中で、ふいに誰かに手を握られたような気がした。
祖母の手だろうか、と思ったが、ずいぶんと大きくてしっかりとした手のように思える。とても温かくて、ずっと握っていてほしい心地だ。
不思議な心地良さを感じながら、アルメは眠りの底へと落ちていった。
■
パチリと目が覚めると、アルメはおかしな場所にいた。無駄な物が置かれていないさっぱりとした白い部屋に、ポツンとベッドが一台。
自分はそこに転がっていて、着慣れない寝間着を身にまとっている。
「……え……? あれ……?」
まだ夢でも見ているのだろうか、とポカンとしていると、ほど近くから女性の声がした。
「あぁ、お目覚めですか? 白鷹様にお伝えして参りますので、少しお待ちくださいね」
「えっと……あの、ここって……」
「中央神殿でございますよ」
ニコリと穏やかな笑みで答えると、看護師らしき女性は部屋を出ていった。
「中央神殿……。……中央神殿!? なんで!?」
アルメはガバリと飛び起きた。改めて周囲を見まわしてみると、確かにここは入院棟の個室のようだ。
となると、自分は入院患者という扱いでここに寝かされていたのか。一体なぜ……。
ひたすらオロオロしているうちに、部屋の扉が叩かれた。神官服をまとったファルクがヒョイと顔を出して、大股で部屋の中に入ってくる。
ベッド脇の椅子に腰かけながら、ファルクは声をかけてきた。
「おはようございます。お加減はいかがですか」
「あのっ、私はなぜここに!? というか、お城に行かないと! 祝宴が……!」
「アルメさん、驚かずに聞いてくださいね。大変申し上げにくいのですが……祝宴は昨日、終わりました」
ポカンと目を見開いたままのアルメに、ファルクは続けて言う。
「ややイレギュラーな部分はありましたが、アルメさんはひとまず入城して、聖女様への拝謁を済ませて、一晩ぐっすりとお休みになって今ここにいる――という状況です」
説明を聞いて、さらにあんぐりと口を開いてしまった。
ファルクは一つ息を吐くと、そっとアルメの手を取る。アルメの両手を、同じ両の手で包み込んで、彼は静かな声で伝えてきた。
「昨日のことを詳しくお話ししますね。どうか落ち着いてお聞きください」
「え……っと、はい……。……何があったのでしょう」
ただならぬ雰囲気を察して、アルメは姿勢を改めた。
ファルクはこちらに気を遣ってか、いつも以上にゆったりとした穏やかな声音で、昨日の出来事を語り始めた。
――アルメは多量の眠り薬によって、意識がおぼろになってしまっていたこと。待ち合わせ場所に来ないことを心配して、ファルクとジェイラとエーナが乗り込んだこと。
ひとまず共に城へと来たら、リナリスがいたこと。……――彼女が、魔物だったこと。
ファルクは一つ一つ、丁寧に教えてくれた。変に隠したり誤魔化したりせず、起きた事を、そのまま。
彼がリナリスの首を剣で突き、とどめに聖女が魔法を放ったことも――。
その後の祝宴のことや、後処理のことなども一通り説明されたが……アルメはただただ唖然として、耳を傾けていることしかできなかった。
ブルブルと震えだす前に、両手を握っていてもらえてよかった。未だ信じられない心地だが、ひとまずは現実として受け止めるしかない。
身内が魔物だったという事実や、祝いの場に騒動を持ち込んでしまったこと。聖女への眠りながらの拝謁――などなど、とんでもない事柄の数々に、血の気が引いていく心地がする……。
けれど、諸々に頭を抱えて呻くのは後にしておき……アルメはこわばった喉をどうにか動かして、一番気にかかっている事に質問を絞って、問いかけた。
「状況は、理解しました……。大変なことが起きていたというのに、私は眠っていて……本当に、申し訳ございません。……リナリスは……その……もう会うことは叶わない状態なのでしょうか。聖女様の魔法で、彼女はもう……」
「人間としての器が壊れて、彼女は正体をなくしてしまいました。――ですが、消え去ったわけではありません。自我を確立している高等魔物には、ある程度の温情措置がとられます。もちろん、人に危害を加えた罪や、城へと侵入した罪は問われますが。一応、面会も可能とのことですが……姿が大きく損なわれていることもあり、おすすめはできません」
「……会えるのでしたら、機会をいただくことはできませんか……? お願いします」
一番の関係者である自分が、事態に対することなく『知らぬ幸せ』を享受してしまうのは、はばかられる。せめてこの目で、リナリスの現状を確認しておくべきだろう。
ファルクは険しい顔をしていたが、アルメの気持ちをくんでくれた。
「わかりました。今回の件に関して、改めて城での聴取と説明がありますから、そちらと日を合わせましょうか。俺も同行しますのでご安心ください」
「ありがとうございます。心から、感謝申し上げます……」
深く頭を下げると、ファルクは手を力強く握り返して応えてくれた。
そうして彼もまた、同じように深く頭を下げてきた。今まで見たことがないくらい、思い切り渋い表情を浮かべて言う。
「アルメさん、改めて、今回の件は申し訳ございませんでした。俺が至らなかったせいで、あなたを魔物の危険からお守りすることができずに……。仮にも日頃、魔物に対している身でありながら、何もできず……本当に情けない限りです」
「お顔を上げてください……! 私のほうこそ、ぼんやりしていてこれっぽっちも気が付かず、一緒に暮らしていましたし……。挙句の果てに、大失態を犯してしまい……まさか、薬を盛られるなんて」
アルメもとびきり渋い顔をした。ファルクは項垂れながらも、じとりとした目を向けて言う。
「そうだ、その件に関して、一つ説教があるのでした。前に俺が処方したストレス散らしの眠り薬ですが、余りは捨てるようにとお伝えしましたよね? しっかりご自宅の棚に保管されていましたが?」
「す、すみません……また飲む機会があるかなぁ、と」
「命令です、捨てなさい。勝手な判断で二度と服用しないよう」
「でも、まだ結構ありましたし、もったいないような……」
「上位神官の命を聞けぬと申すか」
「……捨てます、ごめんなさい……」
凄まれて、アルメはしゅんと背を丸めた。が、説教を寄越したファルクも背を丸めている。彼は続けて、さらなる謝罪を口にした。
「――なんて、偉そうに、あなたを叱っておいてアレですが……俺のほうも、まだ謝らなければいけないことがありまして……。昨日押し入った際に、アルメさんの家の扉を破壊してしまいました……ごめんなさい」
「ええと、助けてくださったのですから、それはお気になさらずに」
「一階の扉と二階の扉、二つも壊してしまいましたが……」
「大丈夫です、大丈夫! というか、よく壊せましたね……!?」
結構しっかりとした扉だが、まさか破られるとは。なんにせよ、手間をかけてしまって申し訳ない……。
彼の話によると、家はその後、エーナとジェイラが番をしてくれて、アイデンとチャリコットが扉を付け直してくれたそうだ。
みんなに迷惑をかけてしまった不甲斐なさに、アルメは大きくため息をついた。
「本当に、ご面倒をおかけしました……。一人暮らしは何かあった時に発見が遅れると言いますが……まさに、そういう事態になってしまって、申し訳ないです」
実際は妹との二人暮らしの最中の事件だが、当の妹が事件の主犯なので、こう表現しておく。
アルメは謝罪に続けて、所感をポロリと口にする。
「……これから先も、家の中で動けなくなるようなことがあるかもしれないし、合鍵を誰かに預けておいたほうがいいかしら。もしもの時のために。エーナとか、親しい近所のおば様とか」
アパートメントなんかだと、大家に話を通せば鍵を開けてもらえるが、戸建てだとそうはいかない。
誰か信用できる相手に鍵を預けておく、というのも手かもしれない。
――と、そんな話をポロッとこぼした瞬間。項垂れていた神官がガバリと身を起こして、驚くほどの速さで手を上げた。
「上位神官ほど信用のある人間はいませんよ。鍵番として適任かと」
「か、考えておきます……」
勢いに圧倒されて身をすくめながら、とりあえず曖昧な返事をしておいた。
身一つで扉をぶち破って入ってきたこの神官に、鍵を預けておく必要があるのだろうか……。
ついそんな失礼なことを思ってしまったが……ファルクは大真面目な顔をして、ビシリと手を上げ続けていた。
――と、そんなしょうもない会話なども挟みつつ。
アルメとファルクはしばらくの間、二人で渋い顔を突き合わせて、あれこれと反省会兼、謝罪合戦をしたのだった。




