180 番狂わせの余興
城内で異様な追いかけっこが始まってしまった頃――。
祝宴は式次の通りに進められ、聖女ミシェリアが献上された品々に口をつけていた。
大広間の正面奥には、ミシェリアを中心にして聖女たちと王族たちが着席している。
彼らの前にある、どっしりとした長テーブルには、ズラリと菓子類が並べられていた。けれどそのほとんどは、言わば飾りのようなものである。
聖女や並ぶ貴人たちは、事前に選定された数品のお菓子だけを口にする。幸運なことに『つぶつぶ霰アイス』も、その選ばれし一品である。
選定の通知をアイス屋の関係者たちで喜び合ったのは、つい最近のことだ。
そんな栄誉の大イベントだというのに、当日の今日、なんとこの場に主役のアルメがいないという事件が起きている――……。
祝宴が進む大広間の中で、コーデルは冷や汗をかいていた。
自由な歓談の時間が終わる頃に、合流する予定だったのに……どういうわけかアルメもファルクも見当たらなかった。
そのまま祝宴がスタートして、大広間の扉が閉められてしまった。
先ほどからチラチラと、扉のほうを確認してはいるが……大扉はこれっぽっちも開かない。つまり、アルメとファルクが現れる気配がない。
隣で同じようにソワソワしているリトに、小声をかける。
「アルメちゃんたち、来ないね……」
「困りましたねぇ……もうアイスの順番、次の次ですよ」
「うぅ……このままじゃ、あたしが前に出て拝謁の挨拶をすることに……」
「腹をくくってください。一応、店長でしょうに」
コーデルは渋い顔をした。あまり緊張する場には立ちたくない……というのはただの甘えだが、それはそれとして、純粋にアルメ達を心配している。
「本当にどうしちゃったのかな、あの二人」
「何かあった……としか考えられませんよねぇ。大丈夫かしら」
「あたし、もう一度休憩室を見てくるわ。すぐ戻るから」
「急いでくださいね。コーデルさんまでいなくなってしまったら、私が聖女様の御前に進むことになってしまいますから……」
「リトちゃんも腹をくくっておいてちょうだい」
大役の押し付け合い、という、少々大人げない冗談をコソコソと交わすと、コーデルはささっと大広間の端を移動した。
休憩室は大広間のすぐ隣の部屋だ。人々が具合を悪くした時のために神官が控えているので、アルメとファルクに何かあったのなら、話が伝わっているかもしれない。
ちょっと神官に尋ねてみよう、と思って、大広間からそろりと廊下に出た。
――の、だが。廊下に出た途端に、遠くのほうから変なざわめきが聞こえてきた。
男たちが叫んでいるような声と、高い悲鳴――女の声だろうか。
ついポカンとして、出入口に立つドアマンや衛兵たちと顔を見合わせてしまった。
そうしている間にも、叫び声は近づいてくる。そのうちに異様な雰囲気を感じ取り、衛兵が剣の柄に手をかけた。
ドアマンも中の使用人に小声をかけ、異常を知らせる。
慌ただしく動き出した廊下の面々の中で、コーデルだけが一人でオロオロとしてしまった。
「えっ、えっ? 何? 何事? あたしここにいたらまずい感じ?」
ただならぬ雰囲気を感じて、コーデルが身をすくめた、その時――。遠く、廊下の曲がり角から、勢いよく人影が飛び出してきた。
騎士服姿の茶髪男と、抱えられた水色のドレスの女――ファルクとアルメだ。
コーデルは目をパチクリさせた。遠目だが、何やらアルメは眠っているように見える。
「……えっ!? まさか寝坊ダッシュ!? 嘘でしょ!?」
『寝坊ダッシュ』とは、その名の通り、寝坊した人が約束の時間に間に合わせるために、猛ダッシュをすることだ。もしくは、寝坊した我が子を担いで、親が小学院までダッシュをすること――。
まさか、二人は今、その状態なのだろうか。――なんて、気の紛らわせに、ふざけたことを考えてしまったが……それにしてはファルクの走りが本気すぎるし、アルメも未だのん気に寝ているのはおかしい。
コーデルは目をまるくして困惑してしまった。が、そんな考えは、あっという間に散らされることになる。
ファルクとアルメの後ろから、もう一人――いや、もう一体、おかしなモノが廊下の角を曲がって、こちらに走ってきたのだ。
それは紺色のボロ布を巻きつけた、真っ黒な異形だった。女のように黒い髪をなびかせて、まとっている布の下からは四本の黒い足が伸びている。
獣のようにも見えるが、関節の曲がり方がどう見てもおかしい。ひしゃげた虫みたいだ。
背中には二本の剣が刺さっていて、赤黒い液体をまき散らしながら廊下を疾走していた。その後を衛兵の男たちが追っている。
コーデルはギョッとして、腹の底から叫び声を上げてしまった。
「ギャアアアア!! 何あれっ!! 化け物――ッ!!」
腰を抜かしそうになったところに、ファルクが走り込んできた。
体当たりをかますような勢いでアルメを押し付けられて、怒号のような命令を受けた。
「アルメさんを中へ! 聖女様のもとへお連れしろ!」
「なななな何何!? 何なのっ!?」
「行け!!」
力一杯、肩を押されて、コーデルは渡されたアルメを横抱きに抱えたまま、大広間の扉に背中から突っ込んだ。
訳も分からぬうちに広間へと転がり込み、言われた通り聖女のほうへと走る。
聖女ミシェリアはちょうど、アイスのグラスを手に取ったところだった。
ドアマンは、こじ開けられた大扉を閉めようと必死になっていたが……奮闘虚しく、もう廊下の喧騒はすっかり大広間の中へと伝わっていた。
アルメを抱えて転がり込んできたコーデルと、廊下の声と異様な雰囲気によって、祝宴会場は途端に騒然とした。
ざわめく人々に構うことなく、ファルクは扉近くの衛兵の腰から長剣を奪った。
「借りる!」
剣を構えて身をひるがえした瞬間、リナリスが疾走の勢いのまま飛び掛かってきた。
無理やり結界を通り抜けたことで、血肉によって形作られていた人の姿を失っている。衛兵たちの剣撃による痛みとパニックによって、もう理性すらも飛ばしているようだ。姉を呼んでいた声は、ただの金切声に変わっていた。
ファルクは異形と化したリナリスの首を目掛けて、真っ直ぐに剣先を突き込んだ。
鋭い刺突により、剣は首元を貫通した。突きの勢いを緩めずに、そのまま床に押し倒して動きを封じる。
リナリスは黒い液を吐き散らしながら、四肢をめちゃくちゃに動かして暴れた。
人なら即死の致命傷だが……やはり魔物の力を備えているだけあって、簡単には事切れない。
(槍術の動きをとってしまったが……首を落とすべきだったか)
先ほど、足ばかり狙っている衛兵を叱りつけてしまったが、結局、自分も同じようなことをしている。
剣術よりも槍術を得意としているので、つい突きの攻撃を繰り出してしまったが……首を切り払ってしまったほうがよかったかもしれない。
剣の柄を握り直して、首を裂くべく力を込める。もがくリナリスの手が自身の首元をかすめ、絡んだ変姿の首飾りが、力任せに引きちぎられた。
途端に魔法が解けて、金色の光の粒子が舞う。
キラキラとした光の中に現れた白鷹を見ると――思いがけず、リナリスはパタリと動きを止めたのだった。
真っ黒な口元がわずかに動き、ゴボゴボとむせるように呻き声がもれた。
「……あ……しろ、い……」
単なる呻きかと思ったのだが、彼女は言葉を発しているようだった。
「……白は……お姉……ちゃん、の……色……だわ…………とったら……ダメ、ね……」
何を言おうとしているのかよくわからなかったが……彼女の言葉に考えをめぐらせる前に、耳に凛とした大声が届いた。
「そのまま押さえておれ!」
声は大広間の中から放たれていた。気にしている余裕などなかったが、どうやら大扉は未だ半開きのままだったようだ。
祝宴に集まった人々の仰天した顔が、こちらを向いていた。そんな人々の向こう側――正面奥の王族たちの席で、聖女ミシェリアが立ち上がり、片手を掲げている。
ミシェリアは頭上に掲げた手に、魔法を展開した。大きなシャボンのような光の魔法がフワリと舞って、こちらへと飛んでくる。
光の塊はファルクとリナリスの真上へと昇り、大きく弾けた。
「…………ッ……!!」
その途端――……リナリスは悲鳴の声も出せないまま、ドロリと解けて泥塊のようになってしまった。
人々は息を呑み、場が静寂に包まれる。先ほどまでのてんやわんやの状態が嘘のように、一瞬で、事が治まった。
とはいえ、未だ泥塊の一部がうごめいてはいるけれど……ひとまず、危機を脱したと言えよう。
泥の中で膝をついたまま、ファルクは胸に手を当て、聖女へと敬礼をする。ミシェリアは頷いて応え、表情一つ変えないまま着席した。
チラと見えたが……魔法を使った手と反対側の手には、アイスのグラスが握られていたような。
よくよく確認する前に、広間の大扉はドアマンによってガッシリと閉められてしまった。
扉が閉められた後も、祝宴の会場は唖然とした静けさに満たされていた。今のは一体何だったのか、と、皆呆けてしまっている。
そんな中、平然と席に着いたミシェリアは、澄ました顔でスプーンを手に取った。つぶつぶ霰アイスへと差し込み、スプーンの先でパラパラとした質感を楽しみながら言う。
「ルオーリオは賑やかな街だと聞いていたが、まさにそのような街であったな。城の廊下で、演武を披露してみせるとは。余興としては少々荒々しさが気になったが、まぁ、過激な見世物というのも、たまにはよい」
ミシェリアの一つ隣に座っている老齢の前守護聖女も、何てことない顔で城の者たちへと指示を出す。
「これ、皆いつまでもぼんやりとしていないで、外の始末に人を遣りなさい。宴が終わるまでに、人々が歩けるように整えておかなければ」
命を受けて、使用人たちがアワアワと動き始めた。
彼らの足音に紛れるようにして、小さくパチパチと拍手の音が響く。幼き聖女ルーミラが手を鳴らしていた。
「おー。白悪魔、強かった。服、真っ黒になってたけど。あれ、絶対洗っても落ちないやつだよ。白悪魔、洗濯の人に怒られちゃうかな? 黒い服着てればよかったのにね」
響き渡った幼女の無邪気なお喋りによって、会場内の緊張は一気に解かれた。
ざわざわし始めた宴の真ん中で、コーデルはアルメを抱えたままポカンと立ち尽くす。
「今の……何だったの……。というか、アルメちゃんどうしちゃったの……? もう、何……何なのよ……誰か説明を……」
聖女たちの落ち着き払った態度によって、今さっきの衝撃的な一幕が幻覚のように思えてきた……。人々も皆、同じ感覚でいるに違いない。
人々のヒソヒソ声が耳に届いた。
『今のは……余興の劇か何か? ……だったのか?』
『なんだか白鷹様に似たお方が、剣を振るっているように見えましたけれど……』
『聖女様も落ち着いていらっしゃるし……そんな、騒ぐような事ではないのでは?』
気の抜けた空気になりつつある広間の正面奥で、ミシェリアはつぶつぶ霰アイスをパクリと頬張った。
霰を口の中で転がして舐めながら、シャリシャリと咀嚼する。
「ルオーリオの気候に、この冷たい菓子は良いな。爽やかな甘さと、見た目も実に面白い。――これを作った者は?」
ミシェリアの声が響き、コーデルは我に返って慌てて答えた。
「あっ、っと、あの、恐れながら、こちらにおります、彼女が……!」
腕の中で寝息を立てているアルメを、視線で指し示す。小走りで側に来たリトが、アルメに代わって名乗った。
「ええと、アルメ・ティティーと申します……! ご用意いたしましたのは、氷魔法で作った『アイス』というお菓子でございます」
返事を聞くと、ミシェリアはふむ、と頷いた。
「目に楽しく、不可思議で愉快な菓子だ。美味であった、と伝えておくがよい」
「ありがとうございます……お騒がせいたしました……」
身を低くし、深々と頭を下げて、コーデルとリトはそそくさと会場の端へとはけた。
祝宴はその後も、冷静な聖女たちの振る舞いによって、滞りなく進行していく。
人々がパニックを起こさないように、との配慮によるものか。それとも、聖女の生来の豪胆な気質のためか。
どちらにせよ、起こった事態とは裏腹に、パーティー会場には平静が保たれていた。
――が、アイス屋の面々はそんなパーティーを抜け出して、裏側で後処理に追われることになっていた。
なんやかんやと、聴取やらの対応をしている頃。大扉を隔てて、向こう側――祝宴会場では、ミシェリアがすべての品を食した後に、もう一度アイスを所望しているのだった。
アイスのグラスをまじまじと見つめて、ミシェリアは言う。
「この菓子――アイスと言ったか。氷魔法を用いて作ったと言っていたが……氷の神に由来する魔力の他に、光の女神の魔力も感じる。これを作ったあの眠り姫は、名をなんと言ったか」
「アルメ・ティティーでございます。先ほどの廊下での、魔物事件の関係者だそうです」
問いかけに、従者が耳元でコソリと答えた。
ミシェリアはつぶつぶをスプーンで突きながら、独り言をこぼす。
「……彼女は、光の女神と縁でもあるのだろうか。見たところ、身に宿した光も強く、加護に恵まれていた。何か、加護を得るような契約を交わしている……?」
ふむ、と考え込み、従者へと声をかけた。
「名を控えておけ。少し話をしてみたい」
「かしこまりました」
「あと、神官ラルトーゼのほうにも用がある。近く、両名との引接の機会を設けておくれ」
命を下すと、ミシェリアはパクリとアイスを頬張って、もぐもぐと咀嚼した。
このつぶつぶ、どうやって作ったのだろう、なんてことを考えながら冷たさを堪能する。
光の魔法を使うと、酷く疲れて眠くなってしまうので、このキンと冷えた菓子は眠気覚ましに最適だ。――制作した本人はというと、すっかり眠りこけていたけれど。




