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179 招かれざる客の入城

 ファルクがアルメの家に押し入る、ずっと前に、リナリスは意気揚々と城門を通り抜けていた。


 検問所で『アルメ・ティティー』として手続きをして、城の敷地へと足を踏み入れる。


 アルメのクローゼットから拝借した紺色のドレスを身にまとい、首元にはピンク色の宝石のネックレス。そして手には金箔飾りの招待状と案内状――。装いは完璧だ。


 城門から玄関扉までのアプローチには、美しい石のタイルが敷き詰められていて、花と緑、噴水が目を楽しませる。


 ルオーリオ城は早くも、招待客たちで賑わっているみたいだ。玄関前の広場にも多くの人々がいて、歓談に興じたり、待ち合わせをしたりしている様子。


 煌びやかな装いをした人々の群れの中に、リナリスも胸を張って歩を進める。


 今まで生きてきて、これほどまでに心弾むことがあっただろうか。自分は今、そのへんの民草なんかとは違う、『特別な人々』の側にいる。


 キラキラと輝く世界に身を置く人々の一員として、この場にいるのだ。


(あぁ、素敵……! 何だかお姫様になった気分……!)


 優雅な気分に浸りながらアプローチを進み、正面扉の前に立つ。彫刻が施された巨大な扉は開け放たれていて、城内――玄関ロビーの様子がうかがえる。


 もう既にうっとりとした気持ちになっていたけれど、城の中にはもっと華やかな世界が広がっているよう。


 輝く魔石のシャンデリアに、豪奢な室内装飾。美しく着飾った人々の楽しげな声――。

 まさに自分が夢見てきたような世界が、もう、すぐ目の前にある。


(うふふっ、それじゃあ、寝坊のお姉ちゃんに代わって、『アルメ・ティティー』入城しまーす!)


 たまらない高揚感に頬を上気させながら、ウキウキとした足取りで歩んでいく。――城に入ったら、まず玄関ロビーをぐるっと観賞してから、大広間へと向かおう。


(大広間でしばらく歓談の時間を過ごしたら、祝宴が始まる、って書いてあったわ。そこで表通り店の店長さんたちと合流するみたいだけど……お姉ちゃんは寝坊です、って伝えれば、きっと大丈夫よね)


 生真面目な姉は、案内状の端に当日の流れを事細かに書き込んで、備えていたようだ。手元の案内状のスケジュールメモに目を向けて、この後の事に考えをめぐらせる。


(でも、メモの中に変な落書きがあるのは、何なのでしょう? この、ヒヨコのような絵は……?)


 アルメのメモには、ところどころにヒヨコのような丸っこい絵が描いてあった。イラスト部分のメモを訳すると、『ヒヨコと合流』とか、『ヒヨコと挨拶まわり』などという予定があるように、解釈できるが……これは誰かの愛称か何かだろうか。


 リナリスは首を傾げながら歩いていく。まぁ、ヒヨコが誰であろうが、『姉は寝坊です』と伝えてやり過ごせばいいだろう。


 ふむ、と頷いて、案内状に落としていた視線を上げた。

 ――さぁ、いよいよ入城だ。


 城の大扉を仰ぎ見て、まじまじと観賞しながらくぐり抜け――ようとして、ふいに、手前で足が止まった。


 玄関に近づいた瞬間、ゾクリと、凄まじい寒気が走ったのだ。


「……っ……!?」


 突如生じた強烈な悪寒は、一瞬のうちに全身を駆け巡って、体をガチリとこわばらせた。ひきつけを起こしたかのように足が突っ張ってしまって、上手く歩くことができない。


 体だけでなく、なんだか心の内側までもが、グワンと大きく揺さぶられる心地がする――。


「……え……? ……あ……れ…………?」


 みるみるうちに音は遠のき、視界は鮮やかさを失った。意識が散っていく心地がするのに、体は石になったかのように動いてくれない……。


 急激な体調不良に戸惑い、そして動くこともできずに、リナリスはその場に立ち尽くしてしまった。


 玄関扉の周囲には同じように立ち、お喋りをしている招待客たちがいる。リナリスもそんな人々の一人と見なされたのか、衛兵の目を引くことはなかった。


 



 ――石像になったかのように立ちすくんでいたリナリスに声がかかったのは、ずいぶんと経ってからだった。

 

 衛兵の一人が歩み寄り、怪訝な顔を向けてきた。


「お嬢様、いかがなさいました? どなたかをお待ちでしょうか? もう祝宴が始まる時刻ですので、中でお待ちになられてはいかがでしょう」

「……え……っと…………祝宴の……時間…………?」


 声をかけられたことで、霧散していた意識がわずかに戻ってきた。


 例えようのない異常な具合の悪さに、もはや時間の感覚すらなくしていたが……気が付けば、周囲に人々の姿はすっかりなくなっている。


 自由な社交に興じる時間が終わり、皆、会場となる大広間へと移動したのだろう。


(……私も……中に……行きたい、のに……)


 自分もパーティーに加わりたい。そのために来たのに――……おかしなことに、体が動いてくれないのだ。


「あ、の……私……なんだか、具合が……悪くて……」

「お加減が優れませんか? でしたら、中に休憩室がございますので、そちらにご案内いたしましょう」


 親切な衛兵はリナリスの手を取り、城の中へと案内しようとした。


 ――が、その時。ふいに後ろから低い声がかけられた。


「お待ちなさい。リナリスさん」

「……え…………?」


 こわばる体をどうにか動かして振り返ると、白い騎士服を着た茶髪の青年がいた。水色のドレスの女性を横抱きにして、両脇に衛兵を連れている。


 そこにいたのは思いもよらない人物だった。


「……ファルク、さん……?」


 身なりを整えたファルクが立っていた。彼は仕事で遠方に行ったはずだが……どういうわけかアルメを抱えている。


 ただでさえ、不調に見舞われているところだというのに、さらに不可思議な状況と直面することになってしまった……。


 リナリスは動揺しきって、口をハクハクと開け閉めする。何か言おうと思ったのに、頭も口も、上手くまわってくれない。


 そんなリナリスを無表情に見下ろして、ファルクは抑揚のない声で問いかける。


「なぜ、あなたがアルメさんのドレスをまとい、招待状を手にしているのか、答えなさい」

「……これは……その……ちょっと、借りて…………」


 リナリスの答えを聞き、ファルクは静かにあきれたような息を吐いた。


「アルメさんのこの状態と、リナリスさんのその姿……恐らく、『借りた』という言葉は不適当であろう」


 ファルクは冷たい声音で吐き捨てると、体の向きを変えた。城の玄関へと歩き出しながら、衛兵に声をかける。


「この娘を城に入れるな。ラルトーゼが命じる」

「えっ、は、はい」


 衛兵たちは困惑しながらも、リナリスの腕へと手を伸ばした。が、腕を引かれる前に、リナリスはよろめきながらファルクへと縋りついた。


「ま、待って、ください……私、具合が……悪くて……私も、お城に、一緒に……っ」

「神殿を頼るといい。――衛兵よ、この者を馬車に乗せ、中央神殿に送りなさい」

「……待っ……て……私、一人じゃ……嫌…………待っ――……」


 背に縋りついてくるリナリスには目も向けずに、半ば引きずるようにしてファルクは歩を進める。


 そうして城の玄関扉をくぐり抜けた瞬間に、思いがけず、リナリスの手はスルリと解かれたのだった。


 衛兵が引き剥がしてくれたのか、それともリナリスが諦めたか――。

 チラと横目で見て、それとなく確認だけしておく。


 ――と、思ったのだが。直後に耳に届いた破裂音によって、ガバリと勢いよく振り向くことになってしまった。


 その音はごく短い、乾いた音だった。干されたカーペットを叩き棒で打ったような、『パン!』という高い音が、ファルクの真後ろで鳴り響いた。


 同時に、リナリスの叫び声が上がった。


「ギャア……ッ!!」


 彼女は鞭に打たれた獣のような声を上げて、倒れ込んだ。体からは黒い煙が上がり、異様な焦げ臭さがあたりに満ちる。


(なっ……!? 結界が……)


 ファルクは驚きに目をむいて、玄関口を見た。


 城には膜のような魔払いの結界が張られているのだ。通り抜ける時には膜が揺れて、光の粒子が舞う。


 アルメは、この結界の揺れの光が綺麗だった、なんて感想をこぼしていたが……美しい現象を楽しめるのは、人間たちだけだ。


 正しく言うと、光の女神の加護を持つ者たちだけ――。加護を持たないモノたち――悪魔や魔物が結界を抜けようとすれば、たちまち魔法によって弾かれる。


 城に出入りのある者は、皆、知識として知っていることではあるが……今、まさに、その瞬間を目の当たりにしてしまった。

 

 倒れ伏していたリナリス――いや、『魔物』は、ビクビクと全身を痙攣させながら、上体を起こした。


 上げられた彼女の顔には、呆然とした表情が張り付いていた……が、先ほどまでとは容貌が変わっている。アルメとよく似ていた顔は、右側半分が真っ黒な泥を固めたようなものに変わっていた。


 顔だけではない。強力な結界に触れて弾かれた右手も、同じように、皮膚だった部分が真っ黒に変容している。


 自分でも何が起きたかわからない様子で、リナリスはパニックに悲鳴を上げた。


「えっ……何これ……私……っ……へっ!? なんで……っ……何これっ……なんで……っ!?」

「……高等魔物か……!?」


 魔物は大きさと力の強さによって上位と下位に区別され、さらに知性の程度によって高等、下等に分けられる。


 自分が魔物であることに気が付かないほどに人間に近い魔物は、紛れもない高等魔物だ。


 ――リナリスは、『下位の高等魔物』である。


 頭が答えを導き出したと同時に、ファルクは周囲の衛兵たちに命を飛ばした。


「――魔物だ……! 何をしている! 切れ!!」

「っ! は、はい!」


 ギョッとして固まっていた衛兵たちは、我に返って腰の剣を抜き、リナリスへと飛び掛かった。


「キャア……ッ!! やめてっ……助けて……っ!!」


 リナリスは這うようにして逃げ出したが、衛兵の剣先が足へと当たった。太腿がザクリと切られ、ドレスが破れる。


 真っ赤な鮮血が玄関先に飛び散ったが……血は結界の魔法に晒されると、泥水のような黒い液へと変わった。


「やめて……! 助けて……っ……助けて……!! お姉ちゃん……!! お姉ちゃん……っ!!」


 パニックを起こしたリナリスは、泣き喚きながらこちらへと這ってきた。這う、というより、獣のように四つん這いで突っ込んできた、と言うほうが正しいが。


 バチバチと不快な音と煙を上げて、リナリスの肌が結界の魔法に焼かれた。彼女は錯乱状態に陥ったまま、姉アルメに追い縋ろうと力づくで四肢を動かす。


 そうして、あろうことか、結界の抵抗をも無理やりに押しのけたのだった。リナリスは全力のもがきをもって、城の中へと押し入ってきた。


「なぜ足を狙う!! 首を狙わぬかっ!!」


 衛兵たちに大声を飛ばしながら、ファルクは飛びのいてリナリスを避けた。


 城の衛兵たちは軍人たちとは違い、魔物に対したことがない。対人では極力殺しが避けられるので、足を狙うように訓練されている。


 人は咄嗟の場面では訓練通りにしか動けないというが……これではまったくもって、掃討には期待できない。


(くっ……まずはアルメさんを安全なところへ……!)


 魔物は追い詰められるほどに猛り狂う。下位の魔物といえど危険だ。

 早々と衛兵を見限って、ファルクは城の奥へと駆け出した。


 今、一番確実で、頼りになるのは聖女の魔法だ。御前に魔物を導くのは、はばかられることではあるが……咎は後で、いくらでも受けよう。


 ひとまずは、狙われているアルメを広間へと避難させるのが優先事項だ。


「まって……!! たすけて……っ……おねえちゃん……っ!!」


 アルメを抱えて走るファルクの背を追うようにして、リナリスも走り出し、絶叫を寄越す。真っ黒な顔から泥水の涙を流して、めちゃくちゃな動きでこちらに向かってきた。


 煌びやかな廊下を、似つかわしくない全力疾走で駆け抜ける。


 とんでもないマナー違反を犯しているファルクに、廊下の衛兵たちがギョッとして剣を抜いているのが見えたが……切る相手は自分ではなく、後ろから追ってくるモノだ。


「剣先は俺の後ろに向けよ! 魔物だ! 切れ! 早く……っ!!」


 道中、命令を飛ばしながらも、足を止めずに走っていく。――と、そんな鬼気迫る場面ではあるが……自身の腕の中で、アルメは未だスヤスヤと寝息を立てていた。


「アルメさん! 眠っている場合ではありませんよ……! 大変なことが起きています!  後ろをご覧ください、後ろを! あなたの妹さんが……!」

「……んぅ……あれぇ……? なんですかぁ……?」


 声をかけたら、アルメは寝ぼけながら、むにゃむにゃと喋り出した。――が、ふと思い至った。『人間、知らないほうが幸せ』ということもあるのではないかと。


 妹が酷い姿になって、おかしな状態で追ってきている――なんてホラーな状況、知らないでいたほうが良いのかもしれない。


 ファルクは思い直して、寝ぼけたアルメに声をかけ直した。


「やっぱり何でもありません! 寝ていてください! おやすみなさい!」


 ねんねんコロコロ~と歌ってやると、アルメはまたストンと眠りへと落ちていった。


 爆睡している女を抱えて、歌いながら廊下を疾走していく男と、それを猛烈な勢いで追う魔物――。


 前代未聞の珍妙な追いかけっこを目撃して、城の衛兵たちは皆、面食らった顔をして、てんやわんやとなっていた。


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