178 突撃神官と寝坊姫
高い昼の日差しが街を照らす中、ファルクは馬車に揺られて通り沿いの美容室へと向かっていた。
白と青の騎士服を身にまとい、首には変姿の首飾りを下げている。装いはばっちりだ。
念のため、今は姿を変えている。街中で悪戯に人を集めて、移動を妨げられるわけにはいかないので。
今日はアルメと共に城へと上がるのだ。緊張しているであろう彼女のためにも、自分が首尾よくエスコートをしたいところ。
パートナーとしてビシッと決めて、格好良いところを見せる――というのが、今日のパーティーの、密かな目標である。
(アルメさん、祝祭日明けから、何だかものすごくソワソワしている様子だったけれど……昨夜はよく眠れただろうか。――いや、彼女のことだから、きっと眠れなかったに違いないな)
神殿の軽食屋でのアルバイトや、昨日の城でのアイスの仕込み時に、チラと顔を合わせたのだけれど……アルメはやたらと落ち着かない様子でいた。きっと祝宴を前にして、緊張しているのだろう。
あの様子だと、昨夜もソワソワしたまま浅い眠りにつき、今朝はいつもよりずっと早起きをしていることと思われる。
『恥ずかしながら、少々寝不足でして……』なんて、照れながら申告してくる彼女の姿を想像して、頬を緩めてしまった。
――と、一人であれこれ想像して、ぽやぽやと笑っているうちに、馬車は美容室へと到着した。
店の前にはジェイラとエーナ、そして美容師のデュリエがいる。ジェイラとエーナは恐らくアルメの見送りに来たのだろう。
(アルメさんは中にいるのだろうか)
そう思ったのだが……馬車から降りた途端に、何やらただならぬ雰囲気を感じ取ってしまった。
こちらが声をかける前に、ジェイラが怪訝な顔を向けてきた。
「あ、来た来たー。って、アルメちゃん一緒じゃない感じっすか?」
「まだいらしていないのですか?」
「とっくに時間過ぎてるのに来てなくて……。もしかしたら先にファルクさんと合流して、何か用事でも済ませてるのかなぁ、って話してたところなんですけど……」
心配そうな顔をするエーナと同じように、ファルクも眉をひそめた。
「……何かあったのかも」
「寝坊じゃねー?」
「寝過ごすような人ではないでしょう。失礼な」
つい自分のことのようにムッとしてしまったが……そんなことより、彼女が心配だ。ファルクは身をひるがえして、また馬車へと乗り込んだ。
「アルメさんの家に向かいます」
「アタシも行くよ」
「すみませんデュリエさん! ちょっと行ってきますね……!」
「えぇ、何事もないとよいのですが……」
ジェイラとエーナも乗り込み、デュリエに見送られて、馬車が動き出した。
馬車は通りを駆け抜けて、路地街へと続く横道で停車した。足早にアルメの家へと向かい、玄関の呼び出し鐘をカラカラと鳴らす。
音が響くだけで、彼女が出てくる気配はない。脇の窓からアイス屋の中を覗いてみても、姿は見えなかった。
郵便受けを覗き込んでいたエーナが声をかけてきた。
「アルメ、やっぱり起きてないのかも。チラシがそのままだわ」
「まじで寝坊ってことー?」
「彼女に限ってそんなことは……きっと家の中で何かあったに違いありません! どいてください、扉を開けます……!」
未だ寝坊を疑っているジェイラを制すると同時に、ファルクは豪快に扉を蹴破った。
蝶番がめしゃりと壊れ、ネジが飛んだ。傾いてしまった哀れな扉に謝るのは後にして、二階へと駆け上がる。
居間に繋がる扉も施錠されている。ドアノブを力一杯握りしめ、こちらは体当たりでこじ開けた。中の様子をうかがいつつ、壊れた扉をガコンと動かして除ける。
「わぁ、力技……。アルメの家、排水管壊れたばかりなのに……扉まで」
「意外と馬鹿力なのな。神官のくせに」
後ろのほうから、ジェイラとエーナのヒソヒソとした話し声が聞こえたが、構わずに居間へと乗り込んだ。
そうして室内を見渡した瞬間に、ギョッとして目をむいた。アルメが自室の前で倒れている――。
「っ! アルメさん!?」
大慌てで駆け寄って状態を確認する。名を呼びながら頬に触れると、アルメはむにゃむにゃ言って身じろいだ。
手のひらに魔法を発動させて、彼女の体へと流す。気の乱れから病変を探るが……特に様子のおかしいところはない。ように、思える。
(意識はほぼ飛んでいるが、顔色はいいし呼吸も脈も問題なし。でも、わずかに妙な魔力を感じるような……というか、これは――)
アルメの体からは、わずかに魔法の気を感じた。彼女自身の魔力ではなく、これは神官の魔法――……というか、自分の魔法のように感じられる。
(俺の魔法……? 魔法薬か? ――まさか、前に処方したストレス散らしの眠り薬では……?)
思い当たる薬はそれしかない。なんとなく察しがついて、ファルクは肩の力を抜いた。
恐らく、眠りの導入として飲んでしまったのだろう。……飲み残しは捨てろと言っておいたのに、勝手に飲むとは。後で説教が必要だ。
ひとまず怪我や病の所見はなし、と判断して、ホッと息をつく。
――けれど、妙ではある。この薬はそれほど強く作用するものではない。普通に服用しただけで、ここまで眠気を引きずることはありえないのだが……。
(酒と一緒に飲んだとか? いや、アルメさんの性格的に、大事なイベントの前日に大酒を飲むなんてことはしないはず……。薬をガバガバ飲む、というのも考えにくいし……一体なぜ……)
難しい顔で考え込んでしまったが、ふと、後ろでジェイラとエーナがアワアワしていることに気が付いた。
神妙な面持ちのファルクに、二人は恐る恐る声をかけてくる。
「アルメ、大丈夫……? 急病か何かですか……?」
「転んで頭打ったとか……?」
「アルメさんの容態ですが……想像だにしていなかった事態が起きているようでして――」
「そんなにやばいのか……っ!?」
ジェイラとエーナが身を寄せて顔色を青くした。ファルクは真面目な顔をしたまま、神官然とした静かな声で伝える。
「彼女はなんと――……スヤスヤと、眠っておられるようです」
告げた瞬間、彼女たちはガクリと大袈裟に体を傾けた。
「やっぱり寝坊じゃねぇか!!」
「アルメ!! 起きて、起きて!!」
先ほどの恐々とした様子からは一転して、二人は転がっているアルメに飛び掛かった。頬やら額やらを遠慮もなくベシベシと叩いて、覚醒をうながす。
「こらこら、そう強く叩いてはいけませんよ。眠っているだけですから」
「いや寝てる場合じゃねぇだろうが!!」
「これからパーティーなのよ!? 叩き起こさないと!!」
「何やら、睡眠薬が良くない効き方をしているようですから、パーティーは諦めてお休みいただくべきかと」
パーティーにはコーデルも出席するし、アルメは体調不良ということで欠席しても問題ないだろう。
そう思ってペラッと口にした提案だったのだが、思わぬ非難を浴びることになってしまった。
「はぁ!? 城のパーティーを諦めるだと!? そんなことできるわけないだろが!!」
「絶対アルメ後悔するでしょ!! 寝過ごしたなんて知ったら、死ぬほど落ち込みますよ!!」
「ええと……そ、そんなにですか……?」
怒声じみた声を寄越されて、ファルクは身をすくめてしまった。
娘たちの城への憧れを甘く見ていた。自分は日頃、散歩感覚で城内を歩いたりしているのだが……『城』という場所のとらえ方には、大きな溝があるようだ。
勢いに気圧されているうちに、ジェイラとエーナはアルメを文字通り叩き起こしたのだった。
「……うぅ…………? ……おはよう……ございますぅ…………?」
「アルメちゃん寝坊だよ寝坊! ほらシャキッとしろ!」
「急いで支度するわよ! お城行くんでしょう!?」
「……おしろ……いきます……いきま~す…………」
アルメはむにゃむにゃフラフラとした状態で、エーナに担がれるようにして洗面所へと連行されてしまった。
エーナにアルメを託すと、ジェイラは彼女の部屋へと駆け込んで、勝手にあれこれと漁り始めた。
引き出しからアクセサリー類を取り出し、化粧品ケースやら鏡やらを抱えてきて、居間のテーブルへと並べる。
「あの……人様の部屋の物を勝手に物色するのはどうかと……」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ! っていうかクローゼットにドレスないんだけど!? ドレスどこ!?」
ジェイラは別の部屋も漁りだしたが、どこにも見当たらないようだ。
ポカンと立ち尽くしていたファルクの背を、ジェイラがバシンと叩いてきた。
「あぁ、もう! 見つからねぇから、白鷹様買ってこい! ちょっ早で頼むぜ!!」
「えっ!? っと、は、はい……っ」
命令を受けている間に、顔を洗い終えた様子のアルメが、またエーナに担がれて居間へと戻ってきた。
「ジェイラ、お化粧頼んでいい? 私は髪の毛仕上げるから」
「おうよ、任せろ! パーティーだし、濃い目でいいよね? 目元キラキラにしてあげよーっと! ――そんじゃ白鷹様、ドレスよろしく~!」
女性陣にパシられる形で、ファルクは家からポイと追い出された。
アルメを首尾よくビシッとエスコートして、格好良いところを見せる――なんて、本日のパーティーの目標は、あっという間に散らされてしまった……。
仕方ないので、一人トボトボと小広場を歩いて買い出しへと向かう。
ビシリと決まっている格好とは裏腹に、しゅんと背を丸めて、ヒヨコのようにぽてぽてと歩いていく妙な男――。その姿を見て、通りがかりの人々は皆、目を丸くしていた。
そうして新しく水色のドレスを買って戻ると、ほどなくして、アルメの支度は完璧に整えられた。
装いは大変に美しいが……本人はほぼ眠ったままの状態だ。
眠り姫はファルクの腕に託されて、家から送り出された。
「壊れた家の扉は、男ども呼んで適当に直しておくからー!」
「行ってらっしゃい! アルメをお願いしますね!」
「ええと、行ってきます……」
姫を仕上げた仕事人たちに見送られて、ファルクは路地を歩き出した。
路地街を抜けたところに停めていた馬車へと乗り込み、城へと向かう。
自身の肩にもたれて気持ちよさそうに眠るアルメを見て、ファルクはやれやれと息を吐いた。
城内ではもう歓談の時間が終わり、祝宴が始まった頃だろうか。聖女への拝謁の時間にギリギリ間に合うか、少し遅れるか、といった具合だ。
城に着くまでにアルメが覚醒したら出席として、眠気が尾を引いているようであれば、欠席としよう。部屋を借りて、そのまま休ませることにする。
拝謁などは、もう一人のアイス屋の顔であるコーデルに任せればいいし、神官である自分が事情を説明すれば、お偉方に咎められることもないだろう。
この後の段取りを決めて、ふむと頷く。
隣で眠るアルメはむにゃむにゃと寝言を言っていた。
「……ふふっ…………おしろで……おどりましょうねぇ…………」
「何の夢を見ているのでしょう? 舞踏会ですか?」
今回の祝宴で踊ることはないけれど、アルメの夢の中のパーティーでは、どうやらダンスの時間が設けられているようだ。
彼女が踊る相手は誰なのだろう。――願わくば、自分でありたい。
ファルクは夢に介入するべく、アルメの耳元でボソボソと呟いてみた。
「ダンスの相手は俺ですよ。白鷹です。絶対に俺。俺と踊ってください。ファルケルト・ラルトーゼ~~~!」
アルメは何だか渋い顔になってしまったが……無事に舞踏会に割り込めただろうか。
二人を送り出したジェイラとエーナも、家の前でやれやれと息を吐いた。
無残に傾いた玄関扉をガタガタといじりながら、ジェイラがボソリと言う。
「勢いで『ドレス買ってこい』なんて言っちゃったけど、あの人まじでサラッと買ってきたなー」
「ドレスのサイズ、ばっちりだったわね。どうやって選んだのかしら? 見た感じ?」
「相当気合い入れて見てないと、あそこまでジャストなサイズ選べなくね? 鷹の目、怖ぇ~」
女子二人の遠慮のないお喋りによって、馬車の鷹は道中、謎のくしゃみに苦しむことになってしまった。




