177 祝宴前日、ソワソワと
祝祭日が過ぎ去って、早数日――。アルメはあの夜から、ひたすら呻き声を上げながら過ごしていた。
すっかり自覚してしまったファルクへの想いが胸の中で暴れていて、どうにもならない……。
(はぁ……よりによって、祝宴直前のこのタイミングで気が付いてしまうなんて……)
この恋心をどう処理したものか、と、悩む時間もなく、イベントを迎えることになってしまった。
身も心も、なんやかんやと慌ただしくしているうちに、もう祝宴は明日に迫っていた。
あれこれ準備をしているうちに、今日一日もあっという間に終わり、もうすっかり夜の帳が下りている。
今日はアイス屋の業務をこなした後、再び城へと出向いて明日の準備をしてきたのだった。厨房でつぶつぶ霰アイスを作り、無事に城の冷凍庫に納めてきた。
当日はコーデルとリトに盛り付け作業をお願いして、アルメは最初から最後までパーティー会場となる大広間で過ごす予定だ。
といっても、自分だけのん気に遊んで過ごすわけではない。『アイス屋の顔』として、会場で社交をこなさないといけない。
アルメは自室の中をグルグルと歩きまわりながら、明日の流れを頭の中でおさらいする。
(昼前には美容室で支度を整えて、お城へ。正午にお城の扉が開かれるから、入城して……会場内で、しばらくの間、皆さんと歓談の時間を過ごす、と)
この歓談――社交が難関だ。偉い人達がわらわらといる中で、挨拶をしてまわらなければならない。ものすごく気疲れをしそうだが……どうにか乗り越えたいところだ。
(少し時間を置いて祝宴がスタートするから、そのあたりでコーデルさんたちと合流。前半は式典で、その中で聖女様が品々を召し上がるのよね。ええと、アイスの順番は五番目で――)
もう何度も読んだ案内状に、再度目を通して確認しておく。
(召し上がっていただいたら、聖女様からお声がかかるから、拝謁をして――……うぅ、もう緊張してきたわ……)
聖女への拝謁が二つ目の難関だ。挨拶の言葉や姿勢も、もう何度も練習したけれど……明日の自分がビシリと決めてくれることを願いたい。
(そうして式典が終わったら、後半は各々自由に過ごして大丈夫、と……)
儀礼的なやり取りを終えたら、比較的気楽な雰囲気になるそう。日が出ているうちは式典としての意味合いが強く、日が沈んでから、ようやく実質的なパーティーとなるらしい。
だが、アルメにとってはこのパーティーも難所といえば難所である。……というか、一日を通して落ち着かない時間を過ごすことになりそう。
というのも、パートナーとしてファルクが添ってくれるそうなので。祝宴の始まりから終わりまで、アルメは彼とペッタリ一緒に過ごすことになるのだ……。
(ファルクさんと一緒のパーティー……どういう顔をして過ごせばいいのかしら)
祝祭日の夜、ついに容量オーバーとなった胸からは、恋心がこぼれ出している状態だ。飛び出た想いは、隙あらば元気に跳ねまわろうとするので、もはや抑えられる自信がない。
今の心の状態でパーティー仕様の麗しい白鷹を前にしたら、ときめきに余計なブーストがかかってしまって、心臓に危険が及ぶかもしれない……。
「し、死にたくない……まだ死にたくないわ……しっかりしないと」
キュン死――なんて少女じみたおかしな終わりを迎えないように気を付けたい。……まぁ、それは冗談として、妙な浮かれ方をして恥ずかしい失態を晒さないように、注意したいところ。
アルメはペシペシと頬を両手で叩いて、気合を入れた。
明日は色々な意味でものすごく緊張して、気疲れをして、そしてとびきり素晴らしい一日になるに違いない。
心身ともに万全の状態で臨むためにも、今夜は早く休もう。
と、思ってはいるのだが。まったく気持ちが落ち着かない。
仕方ないので、先ほどからこうしてソワソワウロウロしながら、明日の確認作業を繰り返しているわけである。
無駄にドレスのチェックをしたり、アクセサリーを磨いたり、案内状を読んでみたり――。
そうしてガタガタと作業に勤しんでいたら、ふいに部屋の扉をノックされた。慌てて出ると、リナリスがニコニコと笑顔を浮かべていた。
「お姉ちゃん、さっきからガサゴソと、何をしているんです?」
「いや、ええと、別に……明日ちょっと忙しくて」
「ふふっ、何か良いことでもあるんですか~? ――お休み前のお茶を入れましたから、お姉ちゃんも一緒にどうです?」
「……そうね、もらっておこうかしら」
アルメは普段から、お茶を飲んでゆっくりしてから寝るようにしている。夜のお茶は日課のようなものだが……リナリスが用意してくれたのは初めてだ。
(ソワソワ感が伝わっちゃったみたい……勘ぐられないように、落ち着かないと)
パーティーの予定がバレたらまた面倒な絡まれ方をしそうだ。平静を装うためにも、そしてさっさと体を休めるためにも、一服しておこう。
アルメは居間へと移動して、用意されたお茶へと手を伸ばした。が、ふと思いついて棚から薬瓶を取り出した。
スプーンで少量の粉薬をすくってお茶に入れる。気持ちが落ち着き、よく眠れるようになる薬――前にファルクからもらった、ストレス散らしの薬の余りだ。
無駄な緊張と心の高ぶりを治めるために使わせてもらうことにする。
温かいお茶を飲み干して一息つくと、ようやく気がほぐれてきた。
「お茶、ありがとうね。それじゃあ、私はそろそろ寝るわ。明日は一日お仕事で留守にするから、そのつもりで」
「えぇ。おやすみなさい、お姉ちゃん」
カップを片付けて、改めて寝る支度を整える。
ベッドに入ってしばらくすると、心地良い眠気が訪れた。誘われるままに、アルメは深い眠りの世界へと落ちていった。
夜が深まり、部屋から物音がしなくなった頃――。リナリスはアルメの部屋の扉へと手をかけた。
そっと部屋へと入り込み、熟睡しているアルメの顔を覗き込む。
「あはっ、お姉ちゃんったら、自分で追加のお薬を入れてしまうなんて。眠りのお薬はもうたっぷりと入れておいたのに」
先ほどアルメに勧めたお茶には薬を入れておいたのだ。以前、彼女が『眠りの薬』と言っていたものを。
この薬を飲んだ翌日、アルメはいつもより少しだけ遅い時間に起きてきた。それだけぐっすりと眠れる薬なのだろう。
ということは、たっぷりと飲めば、そこそこの寝坊をするに違いない。
「でも大丈夫ですよ。私がちゃんと、アルメ・ティティーを務めますから」
リナリスはニコリと微笑み、クローゼットへと手を伸ばす。ドレスを出して、金庫の鍵も拝借する。
「あとはアクセサリーも――」
引き出しを開けてアクセサリーを手に取った。が、ふと思い直して戻しておく。
「アクセサリーは、自分のでいいかなぁ。私、ピンク色のほうが好きだし。白色はお姉ちゃんの色だものね」
前に一度だけ姉の白いアクセサリー類を借りたことがあったが……彼女は複雑な顔をしていたように思う。
後で思い至ったが、きっとこの白色は姉にとって特別な色なのだろう。彼女は白鷹と良い仲のようなので、彼を意識した色なのかもしれない。
一応、二人の仲は応援しているのだ。いいなぁ、とか、ずるいなぁ、という気持ちがないわけでもないが……『良い仲の二人を裂いてはいけない』ということは、ばっちり承知している。
それに自分はピンク色のほうが好きなので、前にファルクからもらった色石のネックレスを身に着けることにした。
コソコソと荷物を抱え込んで、リナリスは部屋から出た。扉をそっと閉めながらアルメに小声をかけておく。
「それじゃあ、お姉ちゃん、ゆ~っくりおやすみなさい」
パタンと閉まる扉の音は、これっぽっちもアルメの耳には届かなかった。
■
いよいよ祝宴当日の朝を迎えた。
爽やかに晴れ渡った空の下、街には朝の鐘が鳴り響く。
アルメの部屋の中にも軽やかな鐘の音が届き、カーテンの隙間からは日差しが差し込んでいる。
ぐっすりと眠って、素晴らしく気持ちの良い目覚めを迎え――られたら、よかったのだが。
アルメはおかしなほどにぼんやりとした意識の中で、泥のような目覚めを迎えた。
「んあ…………あさ……? ……おきなきゃ…………」
起きなければ、とは思うのだが、上手く体が動いてくれない。頭の中にモヤがかかっていて、まったく思考がまとまらない……。
這うようにしてベッドの上を移動して、どうにか体を起こして目をこすった。
「……ねむ…………ねっむい…………えぇ…………?」
今にも、また眠りの世界へと落ちていきそうな頭で、大いに困惑した。『なんだろう、この感じは。自分はどうしてしまったんだ……?』と、朧げながら考え込む。
とりあえず顔を洗おう、と立ち上がり、ヨロヨロと部屋の扉まで歩いた。ドアノブを回し、扉を開けた――が、そこで足の力がカクンと抜けた。
扉の枠にもたれかかったまま、アルメの体はズルズルと重力に負けていく。そのまま床にぺシャリと身を横たえたところで、意識は夢の彼方へと飛んでいってしまった。