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154 旧玄関の軽食屋

 東神殿でもらった求人広告を手に、アルメとファルクは中央神殿へ向かうことにした。


 諸々のお喋りを聞かれてしまった恥ずかしさから逃げるためにも……一旦、場所を移そう、ということで。


 馬車に乗って雨の街を移動する。


 座席が向かい合わせになった四人乗りの箱馬車だが、アルメはファルクの対角線上に座っていた。一番距離を取れる位置である。


 今は胃のためにも、極力心を揺らしたくないのだ……良くも悪くも。


 そういうわけで、心の平穏を保つために、彼に近づきすぎないようにしている。最低でも腕の長さくらいの距離は確保しておきたいところ。


「あの……アルメさん、やっぱり俺のことを避けていますよね? 婚約が理由でないのなら、なぜ……?」

「……すみません。なんとなく」


 ファルクはじとりとした目でアルメを見る。

 先ほどの宣言通り、彼は変姿の首飾りを身に着けず、白鷹の姿のままでいた。


「俺に会いたいと言ってくださったのに」

「なっ……! さっきの言葉は忘れてくださいと言ったでしょう!」

「会えないと寂しいって」

「あーっあーっ!!」


 気恥ずかしさに手をブンブンと振り回して、アルメはファルクの言葉を遮った。



 そうしているうちに中央神殿に到着し、二人は馬車を降りた。


 ファルクが手を差し出してきたけれど、アルメはさらりとかわした。負けじと手を取ろうと隣に寄ってくるファルクと、寄られた分だけ離れていくアルメ――。


 じりじりと攻防を繰り返しつつ、神殿の中へと歩を進める。


 大きな待合ホールの端っこで、アルメは改めて求人広告に目を通した。


「ええと、従業員を募集しているお店は――神殿の旧玄関にあるみたいです」

「ご案内します。迷子になってはいけないので、お手をどうぞ」

「迷いませんよ、子供じゃあるまいし」


 一人でスタスタ歩き出すと、ファルクはぐぬぬと呻いた。


 ホールから伸びる廊下を歩いていく。


 現在メインで使われている正面の大きな玄関は、二十年ほど前に改築されてできたのだとか。その正面玄関から少し西側に移動したところに、旧玄関がある。


 旧玄関のホールに足を踏み入れて、アルメは辺りを見回した。


 静かな空気に満たされた美しい広間だ。ベンチやテーブルが置かれていて、今はホール全体が休憩所になっている。


 人はまばらで、神殿の関係者と散歩の入院患者が数人程度。


 玄関ホールに連なるように、もう一つ広間があった。覗いてみると、カウンターが連なっているスペースがある。白い石と木で作られたカウンターは、四つ並んでいる。


 売店のブースか何かだろう。三つは使われておらず、ガランとスペースが空いている。端っこの一つだけ、店の什器やらが並んでいた。営業しているみたいだ。


 近くまで歩いてみると、その店は軽食屋のようだった。店員は女性一人。白と金の髪を三つ編みにした、ふくよかな老婆だ。背もたれの無い木の椅子に座っている。


 店に寄ると、店員の老婆は人懐っこい笑顔で話しかけてきた。


「こんにちは。神殿のお散歩かい? 今日は雨だから、お庭に出られなくて残念ねぇ」

「こんにちは。お庭も気になりますが、こちらのお店も気になりまして。コーヒー、クレープ、バゲットサンド――……軽食をいただけるお店なんですね」

「えぇ、そうよ。小腹が空いた時には、どうぞごひいきに。でもあたしが言うのもアレだけど、若い子は正面のレストランの方がいいんじゃない? 色々あるし、お腹も膨れると思うけれど。若者は好きな物をいっぱい食べた方がいいわ」


 老婆はまるで孫に話しかけるかのように、別の飲食店を勧めてきた。


 中央神殿の正面玄関の横には、飲食店や売店の入った別棟があるのだ。メイン玄関の移動に合わせて作られたのだそう。 


 神殿に用のある人はもちろんのこと、それ以外の観光客なんかにも人気だ。一般の人にも開放されている場所なので、いつも大変賑わっている。


 祖母の見舞いに通っていた頃、アルメもよくレストランを利用していた。


 ――と、食事の話をされて気がついた。今はちょうど昼時だ。


「あ、ファルクさんお腹が空いていませんか? ごめんなさい、お昼時に連れまわしてしまって」

「俺のことはお気になさらず。――でも、ちょうどお店を見つけましたし、こちらで何かいただいてもよろしいですか」

「あたしのお店でいいのかい? あんまりメニューはないけれど」


 そう言いながらも、店員は嬉しそうにメニュー表を見せてきた。


「では、卵とハムチーズのバゲットサンドをいただきます。アルメさんは何か召し上がりますか?」

「それじゃあ私は、ウインナーとトマトソースのクレープを――……いや、やっぱりやめておこうかしら。胃の機嫌がどうなるか……」


 食べたいものをパッと口にしてしまったが、胃が怒るかもしれない。言い淀んでしまったけれど、ファルクが注文を引き継いだ。


「では胃の機嫌を損ねない程度に召し上がってください。残りは俺が食べますから」

「すみません……お言葉に甘えさせていただきます」

「では、彼女のクレープもお願いします」

「はいよ。ちょっと待ってね」


 代金を受け取ると、店員は奥に移動して調理を始めた。


 店舗スペースは小さいけれど、道具類が綺麗に整頓されている。キッチンもしっかりしていて、屋台料理屋みたいだ。


 彼女は椅子を移動しながら座って料理をしていたが、何とも手際が良い。

 あっという間に作り上げ、バゲットサンドとクレープを皿に並べた。


「さぁ、冷めないうちに召し上がれ」


 アルメとファルクはカウンター席に並んで座り、できたてをいただくことにした。


 もぐもぐと頬張って、舌鼓を打つ。美味しい、と感想を言い合いながら食べる二人の姿を、店員はニコニコと眺めている。


 食べながら、アルメは求人広告の紙を取り出す。店員に聞いてみることにした。


「あの、こういうチラシをいただいたのですが、従業員を募集されているのですか? お仕事内容はどういったものなのでしょう。少し興味がありまして、お話をお伺いしたく」


 チラシには業務内容が詳しく書かれていない。給金の額が少なめなので、察するに、軽めの仕事なのだろうけれど。


 短時間の仕事ならば、アルメとしても都合がいい。是非話を聞いておきたいところだ。


「おや、チラシを見てくれたのね。ちょっとした仕事なんだけど、お店のお買い物を手伝ってくれる人を探しててねぇ」

「食材の仕入れとかですか?」

「そうそう。市場に行ってもらいたいの。あたし、足があんまりよくないものだから。最近はもう、行って帰ってくるだけで疲れちゃって」

 

 話を聞いて、ファルクは複雑な顔をしていた。恐らく彼女の足の不都合は、年齢によるものなのだろう。


 神官の治癒魔法には不老をもたらす効果はない。一時的に痛みや炎症を治めることはできても、加齢による変容を止めることはできないのだ。


「本当はもう店を畳むべきなんでしょうけれど。人通りもこの通り、旧玄関の方はずいぶんと減ってしまったし。でも、夫とずっと一緒にやってきた店だから愛着があってねぇ」

「思い出にあふれたお店なのですね」

「えぇ、そうなの。それこそ正面玄関ができる前から、ここでお店をやってきたからね」

「というと、二十年以上前から……?」


 アルメが目をパチクリさせると、店員は得意げに喋り出した。


「今は細々とやらせてもらっているけれど、昔はメニューももっと多かったのよ。野菜卵サンドにフルーツクレープ、ホットドッグにサラダにチキンバーガー、シュガーワッフル、トマトシチューに――……」


 次々に出てくるメニューを聞きながら、アルメは手元のクレープをパクリと頬張る。フルーツクレープ、という単語が胸に響いて、しみじみと頷く。


「フルーツクレープ、いいですねぇ。大好きです。チョコバナナとか、バターイチゴジャムとか」

「当時は若い子に大人気だったわ。お客さんのリクエストに応えて、たっぷりのクリームを添えたりなんかして」

「クリームは外せませんね。生クリームに、カスタードクリーム。そこにアイスを乗せて、甘いソースをかけて包んで――……」


 前世で大好きだった味を思い出して、ペラっと喋ってしまった。すると、隣の男がボソリと呪文を呟いてきた。


「……チョコソースイチゴ生クリームアイスクレープ」

「え、何ですか?」

「チョコソースイチゴ生クリームアイスクレープ、俺も食べてみたいです」


 真剣な面持ちで、ファルクは呪文を繰り返した。想像のクレープをちゃっかり自分好みにカスタマイズしている。


 店員はキョトンとした顔で問いかける。


「アイスクレープ? アイスってのは、凍らせたフルーツのことかい? 凍ったまま出したことはないけれど、確かに、暑い日にはいいかもしれないねぇ」

「いえ、冷凍フルーツとは似て非なるものです。アイスというのはですね――」


 ファルクはアイスについて語りだした。まるで学院の先生のような口ぶりで。


 説明を聞くと、店員は頬をゆるめた。


「最近はそういうお菓子があるのね。聞くだけで口の中が美味しくなってくるわ」

「ええと……実は私、その氷菓子のお店をやっていまして。ご興味がおありでしたら、是非召し上がってみてください」

「まぁ、お店はどちらにあるの?」

「東地区と南地区です」

「あたしには少し遠いわねぇ。正面玄関の飲食棟に入らないかしら? そこならすぐに行けるのに。もしくは、もっと近く、うちのお隣だって空いてるわよ」


 店員の冗談めかした言葉に、ファルクが大きく頷いた。


「それは素晴らしい案ですね。アイス屋中央神殿店、オープンはいつ頃でしょうか」

「勝手に店舗を拡大しないでください。そうホイホイと新店をこさえることなんてできませんよ……」

「ふふっ、じゃあ、あたしのお店を半分こしよっか?」

「店員さんまで……ご冗談を」


 ファルクの冗談に乗って、店員までお茶目な笑みを寄越した。


 聞くところによると、彼女は夫を亡くしてからは一人で店を切り盛りしているそう。

 今回、求人を出して人を入れようとしたのは、ちょっとした人恋しさも理由だったのだとか。


 気安い冗談が飛び交う中で、アルメはふと思いついた。


「アイス屋の新店はともかく。アイスを納品するという形でしたら、お仕事をご一緒することもできるかなぁ、と思います。フルーツクレープやワッフルと相性がいいので。甘味メニューを増やすことがありましたら、是非」


 アルメの提案を聞くと、店員は、ふむ、と何やら考え込み始めた。楽しげに目を輝かせながら。

 けれど、少し悩んだ後に苦笑をこぼした。


「フルーツクレープねぇ……昔のメニューをリニューアルする、っていうのはとても楽しそうね。でも残念だけれど、仕入れを増やしたら帳簿が赤くなっちゃいそう。材料費やら神殿に納めるお金やらで、トントンのお店だから。旧玄関にはもう人が流れてこないからねぇ……売上がなかなか――……おや?」


 店員は寂しげに語っていたが、言葉尻で声が途切れた。彼女は広間の端に目を向けて、不思議そうな顔をした。


 旧玄関のホールの方に、何やらざわざわと人が集まってきていた。人々はこちらをうかがっているようだ。


 アルメとファルクの耳に、人波から漏れたヒソヒソ声が届いた。


「わ、白鷹様こっち見た」

「お隣にいらっしゃるのは、例のアイスの女神様じゃない?」

「お二人、本当に仲いいんだ」


 覗き見の人々の声を聞くと、ファルクは得意げな顔でアルメの肩を抱き寄せ――ようとして、伸ばした手をパシリと叩き落とされた。


 ファルクはむくれた顔をした。が、アルメは構わずに店員へと向き合う。


「あの、差し出がましい提案ではありますが……アイスをメニューに加えていただけたら、お客さんも少し増えるかもしれません。アイスにはもれなく、よいマスコットがくっ付いてきますので……こちらの、白い鷹の神官様が」

「白い鷹……? あら、あらあら! なんだか人気の神官様がどうとか、っていう話を聞いていたけれど、もしかしてあなたが!?」

「ファルケルト・ラルトーゼと申します」

「ごめんなさいねぇ。あたしこういうことに、うとくって。ええと、あたしはメルシャっていうの。お嬢さんのお名前は?」

「アルメ・ティティーと申します」


 改めて自己紹介をして、アルメは言う。


「人の噂は早いものですから……たぶん、明日からは少々人の流れが変わるかと。もし、メルシャさんさえよければの話ですが、フルーツアイスクレープを出してみませんか? 期間限定で少量出してみて、様子を見て――という感じだと、どうでしょう。材料の仕入れのお手伝いをさせていただくついでに、アイスを納品に来ますよ」


 改めて求人広告を取り出して、アルメは交渉を持ち掛ける。店員――メルシャは、ふむと考え込んだ後、アルメの前に手を伸ばしてきた。


「短い期間で様子見をさせてもらえるのなら、やってみようかしら。もしまたお店が盛り上がったら、天にいる夫もきっと喜ぶだろうし」


 アルメはメルシャの手を握り、握手を交わした。彼女は楽しそうに弾んだ声で言う。


「よろしくね、アルメちゃんに、ファルコ――いや、ファル……あらやだ、何だったかしら。ごめんなさいね、ええと、白い鳥さんの――……白ちゃん!」

「ふふっ、ペットか何かですか」


 ずいぶんと短縮された名前に、アルメは吹き出してしまった。笑いを堪えるアルメを見て、ファルクは白鷹ちゃんマスコットのように、プンと頬を膨らませていた。


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