153 話し合いとわがまま
あと少しで、この酸っぱい魔法薬を飲み切れる――という時に、アルメの元に再び老神官が来た。
「お見舞いの方が来られましたよ」
「え、お見舞い?」
神殿に転がり込んだところを、ご近所さんにでも見られていたのだろうか。誰だろう、と不思議に思いつつ、カーテンへと目を向けた。
見舞客はスペースを区切るカーテンの隙間から、ぬっと顔を出した。その瞬間、アルメは魔法薬を吹き出した。
顔を出したのは酷く暗い表情をしたファルクだった。追いかけっこには決着がついたと思っていたのに……まさかまだ続いていたとは。
アルメはゲホゲホと咳き込みながら顔を背ける。
「あの……面会謝絶というわけには……」
「上位神官様を拒否することができるのは、王族ほどの身分のお方だけですからねぇ」
老神官は苦笑を寄越し、アルメは再び蘇ってきた胃痛に腹をさすった。
その様子を見て、ファルクが慌てて寄ってきた。
「アルメさん……! 大丈夫ですか? 胃を痛めているとお聞きしましたが」
「うぅ……せっかく良くなったのにまた悪化する……。悪化するのでご勘弁を……来ないでください……私に近寄らないで」
「え、あの……はい……」
アルメに手を伸ばしかけたファルクは、そのまましゅんと小さくなった。代わりに老神官が寄り添い、また魔法をかけてくれた。
「心労による不調は、その原因を取り除かない事には癒えぬものなのですが……これはなかなかに、厄介な病かもしれませんね」
アルメの腹をさすりながら、老神官は、ははぁ、と笑った。
魔法薬を飲み干し、無事に腹痛も落ち着いたところで。
アルメはファルクに連れられて、調剤室の裏側の庭へと出た。建物の壁と壁の間にある、ちょっとした小さな庭だ。
裏口扉の庇の下で、雨を眺めながら二人で並ぶ。微妙に距離を取りつつも、久しぶりに二人きりのお喋りをした。
当たり障りのない世間話を、一つ、二つ、した後。ファルクはポツリと呟いた。
「……アルメさんは、俺と過ごす時間が煩わしくなってしまいましたか? 俺はあなたに嫌われてしまったのでしょうか」
「え!? そんなことはありませんよ! むしろ、す――……」
「す?」
「す、素敵な人だと、思っていますよ、常々! 嫌いになる要素がありません」
「ではどうして、妹さんを間に入れるのでしょう。この前の街歩きもそうでしたし、今日だって……」
苦い顔で話を切り出すと、ファルクはアルメの方を向く。真剣な面持ちで問いかけてきた。
「不躾な質問をお許しください。アルメさん、あなたはどなたかと婚約を結ばれたのですか? リナリスさんから、あなたが大切な約束を結んでいる、という話を聞きました。妹さんを間に挟んで、俺を遠ざけようとしていらっしゃるのですか……?」
ファルクはくしゃりと顔を歪めた。が、対するアルメはキョトンと首をひねる。
「えぇ? 婚約なんて、今言われるまで、もう単語すら頭の中から抜け落ちていましたけれど。大切な約束なんて、特に誰とも――……あ、もしかしてこの前の占いのことかしら?」
「占い?」
「この前たまたま寄った店で、占い師にそんなことを言われたんです。何か約束を忘れてるでしょ、って。たぶんエーナに本を返す約束とか、そういうアレかと」
さらっと答えると、ファルクはポカンとしていた。
「リナリスさんの話しぶりから、俺はてっきり婚約か何かかと……」
「あぁ……彼女はちょっと、そういうところがあるので……。浮ついているといいますか、自分の考えで突っ走ると言いますか」
言いながら、やれやれ、と苦笑をこぼす。
ファルクはしばらく口を開かずにいたけれど、そのうちにボソリと話しかけてきた。
「……アルメさん、大変申し訳ないのですが、少しだけ愚痴をこぼしてもいいでしょうか」
「えぇ、どうぞ」
「お気を悪くしないでいただきたいのですが……俺は、本音を申し上げますと、リナリスさんのことが少々苦手です。俺はアルメさんと二人で過ごす時間が好きなんです。それを奪われているようで……」
アルメの妹だからと気を遣ってきたけれど、そろそろ気が重くなってきていた。と、ファルクは申し訳なさそうに語った。
友人の妹ということもあり、蔑ろにはできない。努めて紳士的に振る舞ってきたのだが、それが裏目に出てしまったようだ、と。
「ここまでベタベタとしてくるお方だとは思わなかったんです……」
「ファルクさん、彼女にずいぶんと気に入られているみたいですねぇ」
「そのようですね……そういう好意を感じます。本当に、よくない振る舞いをしてしまいました……」
最初こそ、アルメのことを話せる相手として盛り上がってしまったけれど。これもよくなかった、とファルクは言う。
ルオーリオに来て気を抜いていた。この地で親しくなった女性たちは、エーナとかジェイラとか、さっぱりとした人が多かったから……身近な人から色目を使われるのが久しぶりだった。
「色々と、対応を誤りました……」
「まぁ、そうですねぇ……素敵な殿方に宝石をヒョイと買い与えられたら、そりゃあ乙女は浮かれてしまいますよ」
「……あまり浮かれてくださらなかった方もいますが」
ファルクはアルメの首元へと目を向けた。今日はしっかりとネックレスを身に着けている。それを確認してホッと息を吐く。
「まぁ、浮かれずとも、着けていただけるだけで嬉しいのですが。……そのアクセサリーはできれば人に貸さずに、あなただけが身に着けていてください。絶対にこれをお贈りしよう、と、心を込めて選んだ品なんです。渡すのだって迷ってしまって、だいぶ遅くなってしまったんですから……」
愚痴めいたファルクの言葉に、今度はアルメがポカンとした。
「え、っと……そう、だったんですね。でも、ヒョイと渡してきたじゃないですか。ガラスなので捨ててもいいです、とか言って」
「本当に捨てられたら泣くところでした。というか、ガラスではありませんし……」
「え!? じゃあ何ですこれ!? まさか宝石!?」
「ゼロの数をお教えしましょうか」
アルメは息を呑んで悲鳴を上げた。
さっきまで体の一部のように馴染んでいたネックレスに、途端に重量を感じる。ズシリと重さを感じて肩が凝ってきた……ような気がする。
「なぜそんな高価なものをヒョイと渡すんです!」
「気安く渡さないと、あなた受け取ってくれないでしょう!」
つい大声で言い合いをしてしまって、二人でハッと我に返る。少しの沈黙の後、小声に戻した。
「……お値段に関することは、聞かないでおきます。一生金庫の中から取り出せなくなってしまいますから……」
「……それは嫌なので、言わないでおきます」
やり取りを終えたところで、アルメはまた胃をさすった。完治するまでは労わらないといけない、と言われているのに……早速負担をかけてしまった。
お腹に手を当てていると、ファルクが魔法を飛ばしてくれた。
「大丈夫ですか? 今度の胃痛の原因は何でしょう。また店にクレーマーが出ましたか?」
「いえ、そうではなく。たぶんストレスの原因は……妹です」
「妹さん、ですか?」
「はい……私の方も、こう、色々と思うところがありまして」
そう答えると、ファルクは目を丸くした。彼に続いて、アルメも愚痴をこぼさせてもらうことにした。
家に来てからというもの、べったりすぎてストレスなのだ、ということを。ペラっと喋り切ってしまった。
「そういうわけで、ファルクさんへのお手紙も雑になってしまって……すみません。色々と余裕がなく……無難な内容で短くなってしまい……」
「なるほど……。今日の街遊びの約束にお返事をいただけなかったのも、それが理由で?」
「あら、手紙は受け取っていませんが? ファルクさんの方で止まってません?」
「そんなはずはありません。お送りしましたよ、デートのお誘いを。なぜだかリナリスさんが先に待ち合わせ場所に現れましたが」
「私は何も知りませんでした……。今日は偶然、散歩で地下を歩いていただけです」
そこまで話して、二人は真顔を見合わせた。……早々と察しがついてしまった。
これまでの話を総括すると、リナリスが怪しい、と。
「……郵便屋に話を持って行き、犯人を突き止めますか?」
心底呆れた顔をして、ファルクは問いかける。
郵便屋のサービスには色々ある。そのうちの一つがプライベート便だ。
この便は郵便屋の中で魔法の処理をされるそう。簡易的な追跡の精霊魔法をほどこされるとか。
ファルクとやり取りをするようになって、初めて使ったサービスだった。
もちろん、普通の手紙よりも料金は高い。けれどその分、アフターフォローもそれなりだ。
手紙を奪った犯人を突き止めて、警吏に突き出すこともできる。……が、アルメは渋い顔をした。
「外部を巻き込んで身内を罰するのは、気が重いですね……。手続きも面倒ですし、諸々のやり取りでまた胃にダメージが……。初犯だし、私の方でよく叱っておきます。きっと魔が差したのでしょう」
「わかりました。次がないように祈ります……」
ファルクもアルメの意見に頷いてくれた。リナリスに魔が差した理由は、きっとファルクへの好意も絡んでいるのだろう。彼も渋い顔をしていた。
話に区切りがついて、二人はしばし、雨を眺める。
腕を組み、ファルクは何か考えている様子だ。ほどなくして、彼は口を開いた。
「前にリナリスさんとのお喋りの中で、『白鷹とアルメさんの仲を応援している』というようなことを聞きました。ということは、彼女は白鷹とアルメさんの交遊には干渉してこないのでしょうか」
「そうですね、好意的な感じではありますけど……どうでしょうね」
「ふむ……では俺は今後、白鷹でいることにしましょう。彼女の好いている『ファルク』は消えることにいたします」
ふむ、と頷き、ファルクは言ってのけた。
「それは、変姿をやめるということですか?」
「はい。いけませんか?」
「目の前に白鷹様が現れたら、それはそれでリナリスはキャーキャー騒ぎそうですが……」
「では、白鷹は易々と姿を現さないことにいたします」
「神殿に引き籠るおつもりですか? 会えなくなるのは…………寂しいから嫌です」
「……っ」
ポツリと呟くと、ファルクが弾かれたようにこちらを見た。
アルメは思わずうつむいてしまった。照れで頬が熱くなってしまったので。
頬の赤みを隠しながら、言葉を続ける。
「あなたに会えなくなるのは嫌です。なので……神殿で、お会いできないでしょうか。お仕事の邪魔にならないように、ちょっとした隙間の時間だけでも……。……ファルクさんに、会いたいです、私」
――そう伝えると、突然、隣に立っていたファルクが崩れ落ちた。しゃがみ込んで頭を抱えている。
アルメは驚いて、アワアワと言い添えた。
「って、わがままを言ってしまってすみません! やっぱり、今のはまるっと全部忘れてくださいませ!」
「あら、いいじゃない。可愛いわがままは嬉しいものよ」
返事は、思いがけず背後から寄越された。ファルクではなく、女性の声だ。後ろのドアの隙間から老神官とおばちゃんたちが顔を出していた。
ギョッとして固まるアルメに、老神官は一枚の紙を渡してきた。
「お仕事中の逢引、素敵ですねぇ。若い頃を思い出してしまったわ。理由をつけて会いに行くのなら、こういう手立てもありますよ。ご参考までに。はい、どうぞ」
渡された紙は求人広告だった。中央神殿内の店で従業員を募集しているらしい。
……やり取りを聞かれていたみたいだ。アルメは顔を真っ赤にして、ギクシャクとお礼を言った。
「あ、ありがとう、ございます……考えておきます……。あの……今の私の言葉は……全て忘れてくださいませ」
「ご心配なく。一晩眠れば、すっかり忘れてしまうから」
老神官とおばちゃんたちはニッコリと大きな笑みを寄越した。……この笑顔。たぶん一生忘れてもらえそうにない。
氷魔法で顔を冷やすアルメに、老神官はコソリと言う。
「そこにうずくまっている殿方も、冷やしてあげてちょうだいね。のぼせて赤い鷹になってしまうから」
しゃがみ込むファルクに目を向ける。うつむいていて顔が見えないが、彼の耳は赤く染まっていた。




