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15 浮気相手の襲来

 アイス屋をオープンしてから七日。出軍の見送りから数日経った今日は、休業日だ。

 

 売れた分のアイスを補充しつつ、休息をとるつもりである。


 朝からアイス作りをしていたらあっという間に時間が過ぎて、もう今はお昼時。今日はエーナとの定例のランチ会の日である。


 ――といっても、今回はアルメの家での開催だ。

 午前中エーナがアイスの仕込みを手伝ってくれたので、そのまま家でお昼を作って食べることになった。


 サンドイッチにはさむ具材を切りながら、エーナとのお喋りに花を咲かせる。


 今の話題は、ちょうどアイスのメニューについてだ。エーナはサンドイッチのハムを薄切りにしながらペラペラと喋る。


「前にアイデンがレモンアイスがいいって言ってたでしょう? 私もそれいいなぁって思ったのよ。柑橘系は暑い日に人気出そうじゃない?」

「レモンアイスかぁ、早速試作を作ってみようかしら。あ、トッピングで蜂蜜をかけられるようにしたりとか」

「それいい! もちろん、追加料金を設定して!」


 抜け目ない意見を言うエーナに笑いつつ、良い案だと頷く。いくつかトッピングを用意しておいて、追加料金を払ってアイスをアレンジしていく仕組みもいいかもしれない。


 ――追加で蜂蜜をかけることを思いついたのは、この前ファルクからもらった蜂蜜を思い出したからだ。


 あの妖精蜂蜜は早速、紅茶に入れて堪能させてもらった。お茶の中で光の粒子がキラキラと踊って目にも楽しく、甘さも喉に残らないさっぱりとした上品なもので、とても美味しかった。


 ……まぁ、さすがに高級な蜂蜜を常設メニューに使うことはできないけれど。トッピングを用意するとしたら、普通の蜂蜜を使わせてもらうことにする。

 

 調理室の棚からその妖精蜂蜜を取り出して、サンドイッチの具材皿の脇に置いた。せっかくエーナも来ていることだし、今日のフルーツサンドに使わせてもらおう。


 蜂蜜瓶を持ってくると、エーナが目ざとく食いついた。


「それ妖精蜂の蜂蜜屋さんのやつでしょ?」

「うん、そうみたい。頂き物なの。お客さんにアイスを気に入ってもらえたみたいで、オープンのお祝いにもらったのよ。一人で消費するのも、なんだか身に余る贅沢をしてるような罪悪感があるから、是非エーナもたっぷり食べて行って」


 自分で言っておいて、自分の小物感に苦笑する。高級品を一人占めするのはなんだか落ち着かないのだ。せっかくなのでエーナにも食べてもらうことにする。


 エーナを見ると、にやにやとした妙な笑みを浮かべていた。


「へぇ~、贈ってくれたお客さんはどんな人だったの?」

「道案内をしたのがきっかけで知り合った男の人よ。極北から来て、この街の暑さに慣れていないんですって。だから冷たいアイスを気に入ってもらえたみたい」

「ふ~ん、そう。その人が気に入ったのって、本当にアイスなのかしらね?」

「……ええと、何? その笑みは……」


 問いかけにエーナは答えてくれず、妙に機嫌の良い笑顔のままハムを切る作業へと戻ってしまった。

 仕方ないので、アルメもフルーツをむく作業に戻る。



 二人は着々とサンドイッチランチの準備をしていく。ハム、野菜、フルーツ、チーズ、諸々の具材をどんどん切り分けていった。


 そろそろ具材はいいかしら、と、包丁を置いた時、玄関扉の鐘がカランカランと鳴らされた。来客のようだ。


「あら、誰だろう」

「お客さんじゃない?」

「お休みの看板を出しておいたから、違うと思うけど……」


 玄関扉は施錠されているので、鳴らされたのは外の呼び出し鐘だ。普段、エーナ以外にはほとんど来客のない家なので珍しい。郵便かなにかだろうか。


 調理室から出て、玄関脇の窓からチラリと確認する。その直後、思わず口から呻き声がこぼれてしまった。


「……げっ……なんで彼女がここに!?」


 店先には想像もしていなかった人物が立っていたのだった。


 桃色を帯びた金髪に、明るい薄茶色の瞳。小柄で可愛らしく、胸元の豊かな華やかな女の子。――フリオの浮気相手であり新婚約者のキャンベリナだ。


 アルメは大慌てで走り、奥の調理室に戻ってエーナに伝える。


「と、とんでもない客が来ちゃったわ……! フリオの浮気相手が来ちゃった!」

「は!? ええ!? なんで!?」

「私にもわからないわよ……!」


 一体何をしに来たというのか。

 キャンベリナは男の付き人を一人連れて、玄関先に立っていた。


「ええと、とりあえず対応してくるわ。ごめんね、長くなりそうだったら、お昼を先に食べてて」

「一人で大丈夫? 私も一緒に出ようか?」

「ありがとう……でも、大丈夫。たぶんフリオ関係だし、話し合いに巻き込むのは悪いから。ここで待っていて」

「わかった。二階に上がってようか? ここだと話し声聞こえちゃうけど」

「むしろ聞いててほしいわ……万が一、修羅場になった時には助けて……」

「了解。頑張って!」


 エーナに背中をバシリと叩かれた。

 気合いを入れてもらったところで、アルメはエプロンを外し、再度玄関へと向かった。



 玄関扉を開けると、間髪入れずにキャンベリナが声をかけてきた。


「こんにちは、アルメさん。一体どれくらい待たされるのかと不安になっちゃったわ。扉を開けてもらえてよかった」

「え、えぇ、すみません……料理中だったもので。ええと、どうぞ中へ」


 キャンベリナは小鳥のさえずりのような可憐な高い声で、しれっと嫌みを言って寄越した。先制攻撃をくらって、思わず顔がひきつる。


(もしかしたらフリオ関係の謝罪をしに来てくれたのかも、なんて思ったのだけど……そんなことはなさそうね)


 あれからちょっと日が経って、そろそろ落ち着いた頃合いなので謝罪にでも来たのだろうか、なんてことも期待したのだが。彼女のこの態度だと、そういうわけでもなさそうだ。


 わざわざ人の家を探し当て、突撃してきた理由は一体何なのだろう……。


 キャンベリナを中に招き入れて、店の丸テーブルの一つに案内する。付き人が彼女の椅子を引き、うやうやしく着席の手伝いをした。

 

 座った拍子にキャンベリナのふわふわしたボリュームのあるスカートが揺れて、強い香水の匂いが鼻に届く。

 後で換気しておかないとなぁ、なんて、つい現実逃避のようなあさっての心配をしてしまった。


 彼女が座ったところで、一応、社交辞令として声をかけておく。


「お茶をお出ししますね。紅茶でよろしいですか」

「庶民のお茶は好きじゃないんだけど、まぁいいわ。お砂糖は自分で入れるから、そのままちょうだい」


 使用人に命じるかのように言われた。アルメはまた顔を引きつらせながら、一度エーナの待機する奥の調理室へと下がった。

 

『浮気相手、ふてぶてしいわね』

『一応、お貴族様のご令嬢なのよ』


 調理室でエーナと視線だけで会話をしながら、さっと茶の用意をする。


 トレイにティーカップとソーサー、来客用の小さな角砂糖入れと、ちょうど出してあった妖精蜂蜜を乗せて、キャンベリナの元へと戻った。


 アルメが席に着くと、キャンベリナは茶に手を付ける前に、付き人から小さな革の鞄を受け取って開け放った。

 中に入っていた革袋を手に取ると、それをテーブルの中央に置く。


 一連の動作を見届けてから、アルメは疑問をそのまま口に出した。


「あの、キャンベリナさん。今日はどういったご用件でいらしたのでしょう。そちらの革袋は?」

「これは手切れ金よ。今日はこのお金を渡しにきたの。あなたにフリオとの関係を断ってもらいたくて」

「え、はぁ……」


 ツンとした声音で言い切ったキャンベリナに対して、こちらはぼんやりとした返事を返してしまった。


「ええと、お金をいただかなくても、もうフリオとの関係は切れていますが……」

「ちょっと! 彼の名前を気安く呼ばないでよ! まったく、そういうところよ。これだから意識の低い庶民の女は嫌なのよ。本当にデリカシーがないんだから。野暮ったいのはその見目だけにしてよね」

「す、すみません……」


 キンキンとした高音の声にまくしたてられて、思わず怯んでしまった。

 身をすくめるアルメを見て勢いづいたのか、キャンベリナは続けて言う。


「関係は切れてるっていうけど、あなたこの前、フリオにドレスを贈ってもらうとか言われてたでしょう? 何なのそれ、ありえないんだけど。本当はまだ、裏でフリオに媚びてるんじゃないの?」

「それはフリ……ベアトスさんが勝手に言い出したことです。私は拒否しましたし、その後は何もありませんよ」


 ドレスを贈る、という話は、確か図書館に私物を取りに行った時にフリオが言い出したことだ。『慰謝料にドレスを乗せてやればよかったな』と。

 どうせからかってきただけだろうし、もうとっくに流れた話だ。


 アルメが言い返したことが気に障ったのか、キャンベリナは苛立ちをあらわにした。


「じゃあもうフリオがそういうことを言い出さないように、フリオの前から消えてよね! あなたがうろついてたら、また彼はあなたを同情してドレスを贈るとか言うかもしれないし! もう図書館には来ないで! フリオに近づかないで!」

「ベアトスさんには用もありませんし近づきませんが、図書館の利用を制限されるのは困るのだけど」


 調べ物をする時に、図書館の利用は必須である。街の住民たちには等しく利用する権利があるのだから、それをどうこう言われる筋合いはないはずだ。


 意見を返したら、キャンベリナはムキになってしまったのか、イラつきに顔を赤くしてめちゃくちゃなことを言い出した。 


「金をくれてやるって言ってるんだから、言う事を聞きなさいよ! あたしは貴族よ! 庶民が口答えしないで! とにかく図書館には近づかないでよね! あとフリオのよく行く市場とか広場とか、会いそうな通りとか、そういうところに来ないでちょうだい!」

「えぇ……街を歩けないじゃない……」


 段々わかってきたけれど、このキャンベリナという娘は少々身勝手な質らしい。男爵令嬢という身分がそうさせるのか、元々の性格なのかは知らないけれど。


 キャンベリナは温度の上がってきた怒りの熱の矛先を、アルメ自身へと変えた。勢いのままチクチクと言い募る。


「そもそも、なんであなたなんかがフリオと婚約してたのよ! 釣り合わないにもほどがあるでしょ! ダサい髪型にダサいドレス、こんなパッとしない女がハンサムなフリオと婚約してたなんて……ありえないわ、ほんと嫌! あなたさえいなければ、あたしは何一つ嫌な思いをせずに気分良くフリオと結婚できてたのに!」

「はぁ……そう言われましても」

「まったく、身の程を知りなさいよ! 相応の相手と付き合うべきだわ! パッとしないあなたは、最初からパッとしない男を選ぶべきだったのよ! あぁ、もう、イライラする! フリオの過去にあなたがいたことがムカつく!!」


 それはもう今更どうにもできないことだし、さっさと忘れてほしいものだ。こちらだって、前に婚約していた男がしょうもない浮気男だった、なんて履歴は消したいところである。


 痛み出したこめかみに手を当てていると、向かい合うキャンベリナの背後――奥の調理室の入り口から、チラッとエーナが顔を出したのが見えた。


 口パクで『大丈夫?』と伝えてくる。アルメは視線だけで大丈夫だと答えて、この事態の収拾に思考をめぐらせることにした。

 

 このキャンベリナの様子だと、もう冷静な話し合いなどできないだろう。適当に場を収めてお帰りいただくのが賢明だ。


「……ええと、では、わかりました。私は今後、ベアトスさんとは遭遇しないように、最大限注意して過ごすことにしましょう。万が一街ですれ違ったとしても、私はこのようにパッとしない地味な女ですから、きっと気付かれずに終わると思いますよ。断言します」


 自分を貶した部分を強調して返事をすると、キャンベリナは溜飲を下げたのか、少し機嫌を直した様子だった。


「――まぁ、それもそうね! アルメさん、まるでネズミみたいなお色のドレスを着ているものね。確かに、街でネズミとすれ違ったところで目を向ける人はいないわ」


 キャンベリナは値踏みするかのようにアルメの姿をチラチラ見た。

 満足したようにクスリと笑うと、机の上の鞄を付き人に持たせて、帰り支度を始める。


「じゃあそういうわけで、フリオには近づかないでよね。用が済んだし、あたしはもう行くわ。手切れ金の額は自分で確認してちょうだい。文句は受け付けないわよ」

「はい……頂戴いたします」


 腑に落ちないし言いたいことは色々あるけれど、お金は店の資金として使えるのでもらっておくことにする。手切れ金というより、慰謝料としていただいておこう。


 キャンベリナは最後に一口だけ紅茶を飲み、さっさと立ち上がって店を出た。


 玄関先で短く社交辞令だけの挨拶を交わす。


「ではごきげんよう、アルメさん」

「えぇ、キャンベリナさんも、良い一日を」



 嵐のような令嬢の後ろ姿を見送って、アルメはようやく体の力を抜いて大きく息を吐いた。


 奥からエーナが出てきて、ポンと肩を叩いてくれた。


「お疲れ。とんでもない災難だったわね……」

「えぇ、本当に……」


 疲れた顔で笑い合いながら、調理室へと戻る。今日のランチ会の話題は、キャンベリナへの愚痴で盛り上がることになりそうだ。






 ――庶民街の路地を歩きながら、キャンベリナは複雑な顔をする。


 主人の表情に気がついた付き人が声をかけてきた。


「お嬢様、やはり庶民の紅茶はお口に合いませんでしたか?」

「……そうね。渋くて飲めたものじゃなかったわ」


 キャンベリナは吐き捨てるように答えた。


 甘い紅茶が好きなのに、砂糖を入れ忘れてしまった。

 アルメが庶民のくせに妖精蜂蜜なんてものを出してきたせいで、つい気を取られて茶の飲み方が雑になってしまった。


 だってあの妖精蜂蜜は、贈答用のものだったから。


 瓶に美しいカッティングがほどこされている蜂蜜は、男性から女性への贈り物用として販売されている、特別に高価なものなのだ。


 貴族の茶会では、女性たちはステータスを見せつけるように、その美しい蜂蜜瓶をテーブルに置き、人に振る舞う。――自分は素敵な男性に、素敵なものを贈られる身分なのよ、と、誇示するように。


 そのために作られている商品なのだ。決して庶民が食卓で日常使いするものではない。


 なのになぜあの女が、当たり前のような顔をしてあれを所持しているのか。



 キャンベリナは口をつぐんだまま、胸をもやつかせる余計な考えを振り切るように、さっさと路地を歩いて行った。


 顔が苦くなっているのは、紅茶に甘さを足すのを忘れたからだ。別にアルメの蜂蜜がどうこうというわけではない。

 

 そう、自分に言い聞かせることにした。


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