148 魔性の進行
翌朝、リナリスはアルメより早く目を覚ました。シンと静かな居間の中でポカンとする。
「あれ? お姉ちゃんがまだ寝ているなんて珍しいわね」
自分はいつも通りの時間に起きてきたはずだ。どうやらアルメの目覚めが遅いよう。
といっても、アルメは普段が早起きなので、まだ寝ていても問題ない時間なのだけれど。
彼女の寝室のドアに耳を寄せてみたが、何の音も聞こえない。昨夜飲んでいた眠り薬が効いたのだろう。ぐっすり眠っているみたいだ。
「どうしましょう。ええと、朝ご飯を――……」
リナリスはキッチンへと向かった。自分で作ってしまおうか、と思ったのだが、物の場所がわからない。人の家のキッチンはいまいち使いづらい。
考え直して、朝ご飯はアルメが起きてくるまで待つことにした。
それまでの間に、自分でもできそうなことをやっておく。
「お姉ちゃんは、朝、いつも何をしていたかしら。居間の窓を開けて、ポストの確認をして――……」
彼女の朝のルーチンを思い出しつつ、同じことをしてみる。窓を開けて風を入れたら、一階へと降りた。
玄関を出て、脇にあるポストを確認する。中には一通の手紙が入っていた。
封筒には美しい字で『ファルク』とだけ書かれている。他には何も書かれていない。差出人の住所も、アルメの家の住所すらも。
その代わりにテラテラと輝くインクで、スタンプが押されていた。呪文と紋章が組み合わされた、不思議な刻印だ。
「これって、もしかしてプライベート便?」
お金持ちや偉い人は、こういう特別な手紙を出すことがある。――という噂を聞いたことがある。
特別なものとなると、相応の金がかかるのが世の中だ。たった一通の手紙に高い金をかけるなんて……そのへんの庶民には考えられないことだが。
詳しくは知らないけれど、きっとこの手紙も価値あるものなのだろう。
「プライベート便なんて初めて見たわ……! なんて素敵なお手紙!」
ついこの前までは縁のない世界の話だったあれこれが、次々と自分の身近なものになっていく。それがたまらなく楽しく、気分が良い。
素敵な紳士たちと縁ができたり、高価な宝石を贈られたり、プライベート便を手に取ったり――……
しばらくの間、まじまじと封筒に見入ってしまった。
そうしているうちに、リナリスの胸にはじわりと、新たな感情が湧いてきた。純粋なときめきとは違うその感情は、ちょっとした好奇心と嫉妬心だ。
(これ、どういうお手紙かしら……? ファルクさんはお姉ちゃんと、プライベート便でどんなやり取りをしているんでしょう)
昨日、ファルクは宝石店に入ってから、ずっとアルメのことを気にしている様子だった。
その前、街歩きをしている最中だって、彼の意識はアルメに向いていたように思う。
彼はきっとアルメに気があるのだろう。ということは、この手紙も恋文だったりするのだろうか。
リナリスはチラリと玄関を振り返る。アルメが来る気配はない。
――今ここには自分だけだ。
状況を意識すると、胸がザワリと震えた。
(……お姉ちゃんはまだ寝てるし……ほんのちょっとだけ、中を見てしまっても……)
最初から封が破れていた、と言えば、誤魔化せるだろうか。
ちょっと覗き見するくらいだ。チラッと見てしまうくらいなら、大したことないように思える。
一緒に暮らしている家族ならば、そういうちょっとした事故の一つくらいはあるものだろう。間違えて手に取ってしまった、とか。
(間違えを装って――……。そうだわ! いっそのこと、配達の間違いで届かなかったことにしてしまえば、バレることもないんじゃ……)
頭をよぎった考えに、リナリスの心は大きく傾いた。『やってしまおう』という方向に。
湧き上がった衝動に任せて、封に指をかけた。
(そんな大したことじゃないし、大丈夫よね……。……だって、お姉ちゃんばかりずるいもの。白鷹様がいるというのに、二人の男の人から想われるなんて。双子の私にだって、平等に恋のチャンスがあってもいいはずじゃない? 私はお姉ちゃんと違って、他に何も持っていないのだから。お仕事も収入も、お家も、立派な肩書きも。……だからこういう、少しの恵みがあってもいいはずよ)
頭の中であれこれ言い訳をしつつ、手早く封を切る。手紙を広げて、綴られた字を追った。
『週末にはあなたと二人で過ごしたい。晴れなら東の噴水広場。雨なら地下宮殿で。どうか、あなたと甘やかな時を共に――……』
手紙には、こういうことが書かれていた。これはデートの誘いだ。
「……私が、代わりに行ってあげようかしら」
胸を満たしていた好奇心と嫉妬心が、欲へと変わった。自分がデートに行きたい、と。
だって、報われないファルクが可哀想じゃないか。アルメは神官白鷹とよい仲なのに。ファルクはこんなにも健気な片想いをしているなんて……。
アルメの代わりにデートをするのは、ファルクを思ってのことだ。自分は決して悪いことをするわけじゃない。むしろ良いことをしようとしているのだ。
アルメと白鷹が寄り添い、ファルクには自分が――。これならみんなが幸せになれる。
それにアルメだって、内心は困っていたりするのかもしれない。ファルクに熱心に言い寄られて。彼女は生真面目な性格だから、断れずにいるのかも。
その証拠に、前に居間で書いていた彼への手紙の返事だって、ずいぶんと素っ気ないものだった。
(そう、私はみんなのために良い事をするのよ。……そりゃ、ちょっと怒られたりはするかもしれないけれど……。でも、これくらい大丈夫でしょう。家族なんだし……)
リナリスは自身の行為を肯定する理由を、頭の中に並べていく。そうやって前向きに考えだすと、罪悪感も薄れていった。
気持ちが落ち着いてくると、今度はデートへの期待感が湧いてきた。ファルクと二人きりで過ごす時間を想像する。
「東の噴水広場は、この前お姉ちゃんに案内してもらったわ。でも地下宮殿はまだ行ったことがないのよねぇ……週末はすぐだから、早めに下見をしておかないと」
迷ってしまって、ファルクと会うチャンスを逃してしまうわけにはいかない。せめて行き方くらいは予習しておきたいところだ。
もう一度手紙に目を通して、場所と日時をしっかり頭に入れておく。そしてついでに、ファルクの甘い言葉も。
「ファルクさん、ロマンチックな恋文を書く人なのね。本当に素敵だわ。地元の村には甘い口説き言葉を使う人なんて、一人もいないのに」
アルメは日頃からこういう言葉をもらっているのだろうか。羨ましいやら、妬ましいやら。
――なんて、悪口は絶対に言わないけれど。アルメあっての、今の自分である。彼女と姉妹だったことは大きな幸運なので。素直に感謝したい。
特に容姿が似ていたことは得である。
「お姉ちゃんと双子でよかったぁ。見た目が似ていれば、ファルクさんもすんなりと気持ちを移してくださるかもしれないわ。彼がお姉ちゃんのお顔に惚れていらっしゃることを、祈っておきましょう」
容姿はクリアできるので、後は彼の心をこちらへ揺らすのみだ。デートを盛り上げて、彼を思い切り楽しませてあげよう。
リナリスは手紙を小さく畳んで、スカートのポケットへと隠した。
家の中に戻って二階へ上がると、ちょうどアルメも起きてきた。
「ごめんなさい、起きるのが遅くなっちゃって」
「いえいえ、お姉ちゃんはお疲れのようですから。どうぞゆっくりしていてください。――といっても、朝ご飯の準備とかは出来なかったのですが……。でも、ポストは私が見てきましたよ」
「ありがとう。何か届いてた?」
「いいえ、今日は何も」
ニコリと微笑むと、アルメは頷き、欠伸をしながら洗面所へと歩いて行った。




