147 落ち込んだ日の夜
路地奥をぶらぶらしているうちに、日はすっかり沈みきった。ファルクは夜から仕事なので、もう神殿に帰り着いた頃だろう。
小広場へと戻り、アルメは家へと歩を進める。
二階自宅の窓からはランプの明かりが漏れている。リナリスももう帰っているようだ。
家に入り、二階へと上がった。居間の扉を開けると、ソファーでくつろいでいたリナリスがガバリと顔を上げた。
彼女はすぐにアルメの元へと駆け寄ってきた。約半日街歩きをしたというのに、元気な娘だ。
「お帰りなさい、お姉ちゃん! ごめんなさい、市場でお姉ちゃんを探したんだけど、見つからなくて」
「こちらこそごめんなさい。……ちょっと用を思い出して、市場から外れたところを歩いていたの」
「あら、そうだったんですね! 私、早くお姉ちゃんにこのネックレスを見ていただきたくて、すっごくソワソワしちゃって……! やっとお披露目できるわ!」
アルメにグイと体を寄せると、リナリスは自身の首元を見せてきた。
首には可愛らしいピンク色の石が輝いている。宝石店でファルクから贈られたものだろう。明るく華やかな色合いが、彼女によく似合っている。
「ほら、見てください! 宝石のネックレスを贈っていただきました! どうでしょう? 似合っているでしょうか?」
「えぇ、とても素敵だわ」
「ふふっ、ありがとうございます! お姉ちゃんには教えちゃいますが、こちらなんと、七万Gでした……! ファルクさんったら、何の躊躇いもなくさっとお会計を済ませてくださって、私ビックリしちゃいました」
購入エピソードを嬉々として語るリナリスに、アルメは遠い目をした。
七万Gはアルメの感覚では結構なお金だ。それをヒョイと出すファルクもファルクだが……プレゼントの金額を嬉々として他人に告げるリナリスにも、頭が痛くなってきた。
(いや、まぁ……他人じゃなくて、家族だから教えてくれたのよね。さすがに他所様に自慢してまわるようなことはしないわよね……そう、信じましょう)
アルメは痛む頭を振って、聞いてしまった額を忘れることにした。……値段を頭に残していたら、精神衛生に悪い気がしたので。
最近、自分は面倒臭い方向に考えをめぐらせてしまいがちだ。と、自覚している。こういうモヤモヤの種はさっさと払っておくのが吉である。
リナリスはネックレスの話や宝石店での話をペラペラと喋り出した。相槌を打ったり、聞き流したりしつつ、アルメは服装をくつろげる。
鞄を置いて、服の紐をちょいと緩めて、ふぅと一息つく。
リナリスの首元で輝くネックレスをチラと見て、少しだけ胸をなでおろした。
(ピンク色でよかった……白色だったら、また胃にダメージを負うところだったわ)
白色を取られなくてよかった、と思ってしまった。
人が何色を好もうが、口出しできることではないけれど。でも、なんとなく彼の色は取られたくなかったので。
我ながら、しょうもない独占欲である。
そんな小さなことにホッとしつつ。続くお喋りをかわしながら、夕食の支度に取り掛かった。
野菜を洗い始めたアルメを見て、リナリスはキョトンとした。
「お姉ちゃん、今夜はお家でご飯を食べるのですか? 今日街歩きをしている時に、素敵なレストランを見つけたでしょう? せっかくだし、そちらでご飯を――」
「いいえ、お家での食事にします。そろそろ普通の生活に戻していきましょう? いつまでも観光気分でいたのでは、きっとあなたのためにもならないわ」
アルメはきっぱりと宣言した。そろそろ、観光客への接待のような生活を終わりにしようと思う。
彼女に合わせていたら、アルメの調子までどんどん崩れていきそうなので……。
今日、思い切り落ち込んだことで、逆に気持ちを切り替えることができた。これ以上リナリス関係のあれこれで、心を揺さぶられてはまずい、と。
アルメが言い切ると、リナリスはしゅんと拗ねた顔をした。
「えぇ……普通って……。それじゃ、今までの生活と変わらないわ……せっかくキラキラした暮らしができると思ったのに……」
彼女はごにょごにょと何か言っていたけれど、アルメの耳には届かなかった。
家で夕食を取った後。アルメは金物工房で受け取ったワッフルコーンの型を出してきた。
底部分に取っ手の付いた、トンガリ円錐型だ。この円錐部分に巻きつけるようにして、ワッフルを丸める。
ワッフル屋での検品も済んでいるとのこと。アルメもほぼ完成品に近い試作品を確認しているので、特に気になるところはないだろうけれど。
でも、せっかくもらったので、試しにいくつか作ってみることにする。
アルメはボウルにワッフル液を作って、フライパンにトロリと流した。両面をこんがりと焼いたら、皿に移して型に巻きつける。
クルッと巻いて綺麗な円錐形になったワッフルコーンを、氷魔法で冷却する。
時間短縮のために魔法を使ってしまったが、常温で冷ます用の、専用コーン立ても作ってある。そちらもワッフル屋に納品済みだ。
出来上がったワッフルコーンに、アイスを盛りつけた。適当に盛っただけなので、特に飾り気もない仕上がりだ。
でも、手持ちコーンアイスとしての見た目はばっちりである。
「うん、上出来! ソフトクリーム機でグルグルの盛り付けをするのが楽しみだわ」
見た目を確認した後、パクリと頬張る。ワッフル屋が特製のコーンを作ってくれるそうなので、この試作よりももっと美味しい物が出来上がるはず。
商品として出す時が楽しみだ。――なんてことを考えながら、パクパクと数口食べた時。
胃にシクシクとした痛みを感じた。お腹をさすって渋い顔をする。
(う……これ、結構本気でダメージが来ているような……)
この痛み……なんとなく胃がモヤモヤするような、という段階を、一つ越えてしまった気がする。
胃の機嫌を気にしつつも、アルメはアイスを食べ終えた。
デザートとしてリナリスにも振る舞った後、温かいお茶を入れる。
食休みのお茶に、アルメは粉薬を溶かし入れた。見ていたリナリスが不思議そうに問いかける。
「今お茶に入れたものは何ですか? 何か美味しいもの?」
「いや、ただの薬よ」
「えっ! お姉ちゃん、お体の具合が悪いのですか!? 何かのご病気のお薬!?」
「そんな大袈裟なものじゃないわ。ただの胃薬と眠り薬。最近考え事が多くて、ちょっと寝不足気味だから」
あなたのおかげでね……、という言葉は言わずに飲み込んでおく。
この薬は以前、ブライアナとの揉め事が続いた時に、ファルクから処方してもらった物の残りだ。これを飲むとずいぶんと寝つきがよくなる。
ファルクには『使わずに残った分は捨てるように』、と言われていたのだが……処方薬を使いまわしてしまうのは、庶民あるあるということで許されたい。
薬は神殿を通したものなので、それなりにお金がかかっている。もったいないし、ちょうどいいので、服用することにした。
半刻もすれば眠気が来るので、今日はさっさと寝支度を整えてベッドに入ってしまおう。
街歩き中の落ち込んだ出来事やらは、眠りの世界に置いてくることにする。




