142 リナリスの期待
寝支度を終えて、リナリスはソファーにゴロリと横になる。今夜はここを、ひとまずのベッドとさせてもらう。
明日、姉――アルメが、彼女の祖母の部屋を片付けてくれるそう。そうして部屋をもらったら、いよいよルオーリオ生活の幕開けだ。
夜も深まり、ついさっきアルメと就寝の挨拶を交わした。明かりの消された居間のソファーで、リナリスは一人、高鳴る胸にウキウキとしていた。
気分が高揚してしまって、まだ眠れそうにない。
眠気が訪れるまで、自らの身に起きた奇跡を思い返して、存分に幸せに浸ることにした。
――ずっと、キラキラとした生活に憧れていた。
農村を出入りする商人から街の雑誌を買って読み、あれこれ思いを膨らませてきた。
大都会の真ん中で、お洒落な家に住む想像。流行りの服を着こなして、颯爽と仕事をこなし、懐豊かに暮らす自分の姿。
週末はパーティーに出て交遊関係を広げ、素敵な殿方と恋をして結婚する。もちろん、結婚式にはそうそうたる顔ぶれの友人たちが集まって、祝福してくれる。
そういう輝かしい生活を送る自分の姿を夢見てきた。みんなに一目を置かれて、憧れの眼差しを向けられるような自分を――。
……だというのに、現実は無慈悲であった。
リナリスは理想とは大きくかけ離れた生活を送っていた。
古びたおさがりの服に土を付けながら、畑仕事の日々。毎日毎日同じようなことを繰り返すだけで、代わり映えのない暮らしだ。
小さな村には顔見知りの人々しかおらず、有名人なんていやしない。村では洗練された社交界のパーティーにはほど遠い、野菜を煮る祭りくらいしか開催されない。
育ての親である祖父母は、リナリスのことを普通に育ててくれたけれど。……普通すぎて、すっかりパッとしない村娘になってしまった。畑に転がっている、取るに足らない芋の一つと同じである。
このまま野暮ったく生きていくのはどうしても嫌だった。――と、いうわけで。二年前に、思い切って王都に出てきたのだった。
王都は素晴らしく華やかな場所だった。
『ここで生活をすれば、人生が変わるに違いない!』と、大いに期待をした。
……の、だけれど。しばらく生活するうちに、胸のときめきは消えていってしまった。
王都に出てきても、仕事と住所が変わったくらいで、『自分のパッとしなさ』は変わらなかったのだ。
むしろ大都会という人の多く集まる場所に身を移したことで、さらに自分という人間が埋没した気さえする……。
そうして凡人として、また代わり映えのない坦々とした毎日を送っていた。
が、そんな面白味のない暮らしに飽き飽きとしていた頃。気慰めに、なんとなく手に取ったスイーツの雑誌を見て仰天した。
「え……これ……お姉様……?」
そこには、自分とよく似た容姿の女性が載っていた。
前に祖父母から聞いていた『双子の姉がいるらしい』という言葉が、瞬時に頭をよぎった。彼女で間違いない、と、胸がドキリと高鳴った。
雑誌の肖像画の女性――アルメ・ティティーは、よく似た容姿をしているのに、自分とは別世界の人だった。
彼女は綺麗なドレス姿で雑誌の中心を飾っている。副都ルオーリオで華々しい、素敵な暮らしをしているようだ。
――自分も彼女のように、キラキラとした生活をしたい。
そう、強く思った。誌面で楽しそうに微笑む彼女が、羨ましくて仕方がなかった。
そして同時に、自らの幸運に感謝した。『この生き別れの姉と再会を果たしたら、人生が変わるに違いない!』という大きな期待に胸が弾んだ。
そうして浮き立った気持ちのままに、ルオーリオを訪れたのだ。
リナリスはソファーの上に身を横たえて、クフクフと笑い声をこぼす。
(再会したお姉ちゃんは、思ったより生真面目な人っぽくて、ちょっと驚いちゃったけど。でも、しばらく家に置いてもらえることになったし、よかったわ)
姉は余裕のある暮らしをしているのだから、生き別れの妹を存分に甘やかしてくれることだろう、と思っていたのだが。彼女は意外と厳しい人だった。
それに、想像していたよりも普通の人っぽかった。夕食で家庭料理を出してくるとは思わず、正直、ちょっと引いてしまった。
食事は当然、お洒落なレストランを利用するものだと思っていたから。
(残り物のスープを温め直して食べるだなんて、そのへんの野暮ったい一般人と一緒じゃない。な~んて思っちゃったけれど。でも、お姉ちゃん、友達関係はやっぱりすごいみたい……! ものすごく素敵な人と知り合いになれちゃったわ!)
普通っぽい姉を訝しむ気持ちもあったが、やはり、彼女はすごい人だったみたい。その証拠に、訪れた友人はとんでもない良物件だった。
(ファルクさん、格好良かったなぁ。背が高くて、お顔が素敵で、物腰柔らかな紳士で……。その上立派なお仕事に就いていらっしゃるみたいだし、きっとお金持ちに違いないわ……!)
やはり姉を頼ってルオーリオに来たのは正解だった。
何の変哲もない自分の人生が、ドラマチックに動き出したのを感じる。
これから、新しいキラキラとした毎日が始まる。リナリス・アータムの輝かしい人生の物語は、ようやくここから幕を開けるのだ。
ときめく胸に手を当てて、リナリスは眠りについた。
対するアルメは、自身の寝室で早くも心労に呻いていた。
(……やっぱり、一緒にいるとすごく疲れる……。早めに仕事を見つけてもらって、ちょっと距離を置きたいわ……)
こんな薄情なことを考えてしまう自分にも嫌気がさして、さらに疲れる……。
人間関係において、どうしても馬が合わない相手が現れること自体は、さして珍しいことではない。
けれど、その付き合いにくい相手というのが、まさかよりによって肉親だとは……。
アルメはベッドの白鷹ちゃんぬいぐるみを抱きしめて、呻きながら眠りについた。