140 三人の夕食会
それからじっくりと時間をかけて、アルメはリナリスと話をした。
奇跡的な再会を祝う楽しいお喋り――ではなく、もはや会話の内容は、説得じみたものになってしまっていた。
「本気でルオーリオに移住をするつもりなら、しっかり仕事を探して、住む場所も探すこと。とりあえず落ち着くまでは、私の家を宿にしてもいいから。でも、私をあてにしないで、自分の生活は自分で何とかしていく気持ちでいてね。もちろん、私もサポートはするから」
「はぁ。お姉ちゃんって、私のおじいちゃんと似ていますねぇ。結構細かいというか、厳しいというか……。私たち、育ててもらうお家が逆だったら、ピッタリだったのかも」
可愛らしい困り顔で、悪気もなさそうに言ってのけるリナリスに、アルメはガクリと身を傾けた。
やはり、自分の感覚と彼女の感覚とでは、決定的にズレているところがあるみたいだ。早くも先が思いやられるが、この違和感はやり過ごしていくしかない。
困惑はしているが、さすがに実の妹を追い出すほどの鬼にはなれないので。しばらくの宿は提供するつもりだ。
居候の期間は、長くても三ヶ月以内と決めさせてもらった。リナリスが王都で借りているという部屋の、更新時期に合わせた設定だ。
ルオーリオで上手く仕事を見つけて、暮らしていけそうだったら王都の部屋は解約する。
職探しが上手くいかなければ、一度王都に戻って、辞めてきたという職場にどうにか復帰してもらう。
移住を決定するルートと、一旦元の生活に戻るルート。二通りの進路を三ヶ月以内に決めてもらう。
話の最後の方には、リナリスは拗ねた顔になっていた。けれど、自立した生活を送ることは、彼女自身のためでもあると思うので、アルメはスッパリと言い切ったのだった。
「それじゃあ、約束だからね。仕事案内所の場所とか、街のこととかは、また詳しく教えてあげるから」
「はぁい……」
話に区切りをつけると、アルメは、さて、と立ち上がる。いつの間にか、もう夕方が迫ってきていた。
テーブルの上をサッと片付けて、ソファーの方も軽く綺麗にしておく。この後、友人が来る予定なので。
手を動かしながら、アルメはリナリスにも伝えておいた。
「それで、話は変わるけど。実は今日この後、友達が来る予定なの。一緒に夕食を食べることになるのだけれど――……あぁ、いや、やっぱり外で食べることにしようかしら」
ふと考え直した後、アルメは予定を変える。
「私は友達と外で食べてくるから、リナリスも今夜は適当に外食を――」
「まぁ! お姉ちゃんのお友達が遊びに来るの!? もしかして、ルオーリオの社交界で繋がっているお方かしら? 私もご一緒させていただくことは叶いませんか!?」
初対面の相手を交えて食事をするより、各自で過ごした方が気楽でいいだろう、と思って提案したのだが。リナリスは思いの外、人懐っこい性格をしているようだ。
「え、っと、友達に聞いてみてから、だけど。でもそんな、社交界だなんて……別にそういう華やかな繋がりではないわよ。何か変な期待はしないでね」
「ありがとうございます! 男の人? それとも女の人?」
「……男の人よ」
「それって! もしかして噂の白鷹様!?」
「ち、違う。違います。全然まったく、別の人です」
「な~んだ! お会いしてみたかったのになぁ」
無邪気なリナリスに、アルメは冷や汗をかいた。
彼女は何やら、有名人との接触を期待しているようだ。白鷹が遊びに来るなんてことが知れたら、余計に家に居座られてしまいそう……。
(ファルクさんが来たら、正体をばらさないようにお願いしておこう……)
密かに渋い顔をして、アルメはファルクの来訪を待つことにした。
そうしてほどなくして。日没と同時に、玄関の呼び出し鐘が鳴らされた。
アルメは一階へと下りて玄関へと急ぐ。――が、その後ろにピタリとリナリスがついて来ていた。
「ちょ、ちょっと……! 先に彼に事情を説明したいから、あなたは二階で待っていて」
「えぇ? 社交では身分の低い人から名乗る、っていうのがマナーなんでしょう? お姉ちゃんのお友達がいらしたというのに、私がのん気にお部屋でくつろいで出迎えるというのは、駄目だと思います」
「そう言われれば、そう……なのかしら……? って、待って! やっぱり出迎えは私が――」
一瞬、言いくるめられてしまった。その隙に、リナリスはさっさと玄関扉を開けてしまった。
扉の先にはファルクが立っている。変姿の首飾りによる茶髪茶目の容姿だ。髪色も瞳の色も、さらにはカジュアルな服装も、目立たない地味なものである。
――が、そんなパッとしないはずの姿であってもなお、ファルクは人を惹きつける魅力を保っていた。
案の定、リナリスは目を丸くして、ポカンと惚けてしまった。
そして彼女と同じように、ファルクも目をむいて固まってしまったのだった。
「えっ……? えっ!? えぇ……っ!?」
並び立つアルメとリナリスを見て、ファルクは言葉にならない裏返った声を発した。
けれど、彼はすぐにアルメに目を向けて挨拶を寄越した。
「あの、ええと、こんばんは。アルメさん、こちらのお嬢さんは……?」
「すみません、驚かせてしまって。その……なんと、妹が見つかりまして……」
「アルメさんの妹さん……!?」
「はい。赤子のうちに生き別れてしまっていたみたいです。私が雑誌に載ったことで、こうして偶然再会を……」
「なんと……! そんなことがあるのですね……!」
ファルクも大いに驚き、あんぐりと口を開けていた。
ハッと我に返ったリナリスが、挨拶と共にうやうやしくスカートを持ち上げた。庶民はあまりしないような上品な挨拶の仕方だ。
「ご挨拶が遅れました……! 私はリナリス・アータムと申します! お姉ちゃ――お姉様のご友人様にお目にかかることができて光栄です」
「こちらこそ、名乗りが遅れて申し訳ございません。アルメさんと親しくさせていただいております、ファルケ――」
「な――――っ!!」
ファルクの名乗りをかき消すように、アルメは珍獣のような声を上げてしまった。
「アルメさん!?」
「どうしたんですか、お姉ちゃん!?」
「あぁーっと、いえ、その、今日買い物に行く予定だったのだけど、すっかり忘れていたことを思い出して……っ」
咄嗟に言い訳を口にしたけれど、もちろん嘘である。
(駄目駄目! 名乗らないでファルクさん……! お願いだから、白鷹の身分はまだ隠しておいて……!!)
ポカンとするファルクに、身振り手振りで必死に意思を伝える。伝われ、伝われ、と念じながら、バチバチとウインクを飛ばしてみた。
そんなアルメの意図が上手いこと伝わったようで、ファルクはニコリと表情を整えた。リナリスに向かって、改めて挨拶をする。
「改めまして、俺はファルクと申します。お見知りおきを」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
ファルクは愛称だけを名乗ってくれた。無事に挨拶を終えて、アルメはホッと息を吐いた。続けて、彼に説明とお詫びをする。
「リナリスと偶然に出会ったのが今日の昼過ぎのことでして……。しばらくうちで過ごしてもらうので、ファルクさんがよければ、今日の夕食もご一緒させていただければと思うのですが……」
「えぇ、もちろん構いませんよ。むしろ恐縮です。姉妹の奇跡的な再会、という特別な夜に、俺のような部外者がお邪魔をしてしまって。……食事会はまた日を改めましょうか?」
ファルクの申し出に真っ先に答えたのは、アルメではなくリナリスだった。
「いえいえ! そんな、ファルク様にお気遣いいただくのは申し訳ないです! お姉様とはお昼からたっぷりとお喋りをさせていただきましたし、これからも一緒に暮らしていく中で、いくらでも再会を祝う時間はありますから。どうか、今宵はご一緒にお食事を」
「ええと、それでは、お言葉に甘えて」
結局、予定通りファルクも招いての、三人での夕食会となった。
彼を招き入れて、三人でゾロゾロと二階に上がる。リナリスはウキウキと身を弾ませて、先頭を歩いていく。
後ろを歩くアルメの耳元で、ファルクがコソリと囁いた。
「アルメさんの先ほどのウインク、とても可愛らしかったです。ふふっ、もう一度お願いすることは叶いませんか」
「面白がってるでしょう……? 冗談はともかく……白鷹様だと明かすのは、できればお控えくださいませ。彼女、ルオーリオに来てちょっと浮かれてしまっているみたいなので。外で変なことをあれこれ喋られてしまうのは困るので、お願いします」
「承知しました」
小声で会話を交わしつつ、居間へと案内する。
ファルクとリナリスにテーブルについてもらって、アルメは夕食の用意を始めた。――といっても、残り物のスープを温め直すだけだけれど。
例によって買い過ぎてしまった野菜を消費するための、ごった煮スープだ。
スープをよそってテーブルに出し、パンのバスケットを中央に置く。整えられた食卓を見て、ファルクはニコニコとした笑みを浮かべていた。
が、リナリスは料理を見て、何だか腑に落ちない顔をしていた――ような気がした。一瞬だったので、アルメの見間違いかもしれないが。
アルメも席について、三人の夕食会が始まった。
食卓にはスープの香りと湯気が満ちて、会話が飛び交う。話の中身はやはり、アルメとリナリス姉妹に関することであった。
ファルクは改めて、まじまじと二人を見て言う。
「それにしても、お二人とも、ずいぶんとよく似ていらっしゃいますね」
「はい、私たち双子なんです! この容姿でなければ、雑誌のお姉様に気がつかなかったので、まさに運命的なめぐり合わせです。あ、雑誌というのは、ルオーリオのグルメ雑誌で――」
「えぇ、存じておりますよ。アルメさんの肖像画が載っている雑誌でしょう? 俺も所持しています。保存用と観賞用と、人に見せびらかす用に、三冊ほど」
「それ、初耳なんですが……」
アルメは思い切り怪訝な顔でファルクを見てしまった。三冊も買う必要があるのだろうか……見せびらかす用、とは、一体なんだろう。
アルメの視線から逃げるように、ファルクはリナリスへと話を振る。
「リナリスさんは、もうアルメさんのアイスを召し上がりましたか?」
「いえ、実はまだ食べていないんです。まずはお姉様にご挨拶を、と思っているうちに、食べ損ねてしまって。すごく美味しいのでしょう? だって、雑誌に載るほどですもの!」
「えぇ、えぇ! それはもう! とても美味しいですよ! ルオーリオで一番のお菓子です。味はもちろんのこと、見た目も大変可愛らしくて」
「知ってます! 表通り店でお客さんが食べているところを見ました! 花飾りのアイスに、お城のようなアイス。あれはパフェと言うそうですね! あとは、とっても可愛い白鷹ちゃんアイス!」
「白鷹ちゃんアイス、ご存じでしたか。俺の一押しです。是非、お召し上がりを!」
二人はキャッキャと楽しそうにお喋りを始めた。アルメと、アルメのアイスの話や店の話をして、大いに盛り上がっている。
「マスコットの白鷹ちゃんって、雑誌の肖像画にも載ってましたよね。あの肖像画のお姉様、本当に素敵でした! お姫様みたいで憧れます!」
「わかります! さながら女神のようなお美しいお姿で」
「……あの、お二人とも……私の話はそれくらいにしていただきたく……――って、全然聞いてないわね……」
……もはや当人を置き去りにするくらいに、二人は盛り上がっていた。自分が話題にされているというのに、この不思議な疎外感は何だろう。
褒められるのは純粋に嬉しい。が、こうも持ち上げられすぎると、逆に話に入りづらくなってしまう。どう言葉を返していいのか、わからなくなってしまうので。
『よいしょ』の嵐に気分良くふんぞり返ることができるほど、アルメは慢心してはいない。
おかしな居心地の悪さを感じながら、どうにか愛想笑いだけ浮かべておく。
(今夜はファルクさんにソフトクリーム機の話をしたかったのだけれど……。って、拗ねてもしょうがないわね)
本当は、ソフトクリーム機の制作打ち合わせの話をしたかったのだが。軽い会話が交わされる中で、ちょっと小難しい、踏み込んだ仕事の話をするのは気が引けた。
何より、ファルクはリナリスとの会話をとても楽しんでいる様子だ。アルメが割って入って、二人の空気を壊してしまうのははばかられる。
今夜のお喋り会では、話し手になるのはやめておこう。そう考えて、アルメは聞き手に徹することにした。
といっても、会話は二人の間で成立しているので、もはやアルメの耳はいらないかもしれないが。
現に、アルメがスープのおかわりをよそいに席を立っても、ファルクとリナリスは二人で問題なくお喋りを続けていた。
……背後から聞こえてくる明るい笑い声に、なんとなく複雑な気持ちになってしまった。
鍋を温め直すアルメの背に、ファルクはチラチラと目を向けていた。の、だが、アルメがその忙しない視線に気がつくことはなかった。




