14 軍の行進
一昨日オープンしたアイス屋は、今日で営業三日目を迎えた。
初日からそこそこ好調だった客入りは、翌日も同じ調子を保っていた。
想定していたより良いスタートを切れたので、ここからさらに盛り上げていく、ということがこれからの課題になりそうだ。
朝から店を開けて夕方を過ぎた頃に閉める、という営業をしていくつもりだけれど、オープン三日目の今日は、臨時で昼からの営業予定である。
午前中にルオーリオ軍の出軍見送りがあるのだ。
軍が戦に出る時には、知らせとして出発前日の正午に街の鐘が鳴らされる。そして翌日の朝に行進が行われる。
前日の鐘の音を聞くと、そこから商人たちは急激に忙しくなる。
行進はもはや街の一大イベントであり、人々が大通りに集まって祭りのように盛り上がるので、商売の機会なのだ。
商機を逃さぬよう、翌日の朝までに準備をしなければいけないので、途端に大忙しになる、というわけである。
今回アルメは商売目的の参加ではないので、ゆっくりしていられるのだけれど。――と、思っていたけれど、そうのん気なことも言っていられないみたいだ。
思っていたよりも早い時間に、エーナが迎えに来たのだった。
「ごめんくださーい! エーナです!」
一階の玄関扉の鐘をカランカランと元気に鳴らして、エーナはよく通る大きな声で呼びかけてきた。
二階自宅の窓から彼女の姿を確認して、アルメは鞄を引っ掴んで急いで一階へと降りていった。
「おはようエーナ。ずいぶん早いのね」
「おはよう、急かしちゃってごめんね。念のため時間に余裕をもって行こうかと思って。大通りはきっと混んでるだろうから。もう出れる?」
「えぇ、大丈夫よ。行きましょう!」
玄関扉に鍵をかけると、アルメとエーナは並んで歩き出した。
路地を抜けて通りに出ると、平時よりも多く、出歩く人々の姿が見えた。細い通りを抜けてさらに大きな通りへ、と出ていくうちに、人々の数はどんどん増していく。
以前までも出軍の日の朝は人出が多かったけれど、やはり前よりも道を行く人々の密度が高くなっている気がする。……若い女性の割合が増しているのは確かだ。
「もうすでに人が多いわね。行進ちゃんと見れるかしら……? 朝一で場所取りしておいた方が良かったかも」
「大丈夫よ! 実はもう場所を取ってあるの。三日前から確保してあるから、万全よ」
「三日前!? さ、さすが……」
さすがエーナ、アイデンへの愛が深い。何が何でも見送ってやろうという意気込みが感じられる。
喋りながら歩いていると中央大通りに近づいてきた。人の数はさらに増えていき、はぐれないよう、エーナはアルメの手を取った。
「こっちこっち。私の知り合いのお店があるから、そこから見れるわ。ちょっと遠くはなるけど、一応ばっちり見えるはずだから」
二人で手を取って人々の間を縫うように歩いていく。
こんな人混み、且つまだ早い朝だというのに、化粧とお洒落がきまっている婦人たちの多いこと……。
白い帽子や白い花、白い髪飾りを付けている人が多いのは、気のせいではないだろう。おそらく彼女たちは白鷹のファンと思われる。
なんとなく前世でチラッと聞いたことのある、『推しに恥ずかしくない格好を』というワードが頭をよぎった。
彼女たちの美しい装いは、きっと白鷹への気持ちの現れなのだろう。
ようやく中央大通りに出ると、やはり祭りのような賑わいであった。
エーナに引っ張られつつヒィヒィ言いながら移動して、目的地へたどり着いた。エーナの知り合いの店――ケーキ屋の店主の男が店先で待っていた。
「おぉ、来たかいエーナちゃん! ほら、台を出してやるから、その上に乗るといいよ」
「ありがとうございます、お借りします! 友達も一緒にいいですか?」
「もちろんさ。どれ、三段くらい台を重ねてみようか。これくらいの高さならばっちりだろ」
お邪魔します、と挨拶とお礼をして、店先に三段重ねにして貰った木箱の台の上に上がる。
沿道の最前と比べると、広い歩道の幅の分ちょっと距離は遠くなるけれど、それでもよく見える位置である。
軍に家族がいるというわけでもないのに、自分までこんなに良い位置をもらってしまっていいのだろうか、とも思ったが、久しぶりの見送り参加なのでありがたく享受させてもらおう。
通りを広く見渡しながら、しばしこの賑わいを楽しませてもらうことにした。
――見送りが久しぶり、というのも、祖母が病を患ってからはそちらにかかりきりだったし、フリオと婚約をしてからは仕事の手伝いもあって、来ることができなかったのだ。
こうしてちゃんと沿道に並んで見送りに参加するのは、初めてアイデンが戦に出た時以来かもしれない。
最近では通りに面した図書館の窓から、遠目に眺める程度の見送りであった。それもフリオに見つかると注意されてしまうので、チラッと視線を送ることしかできなかった。
……そうせざるを得なくなったきっかけは、婚約をしてすぐの頃のこと。
フリオの仕事の手伝いで、共に図書館の廊下を歩いていた時、ちょうど出軍の行進が見えたことがあった。
上階の廊下だったので、通りを見下ろすと行進がズラリと綺麗に見えたのだった。アイデンもいるのだろうか、と、つい姿を探してしまったのだが、その時フリオに厳しく注意をされたのだ。
『はしたないことはやめてくれ。他所の男を目で追うなんて、恥ずかしいと思わないのか。……それとも君は、軍人みたいな粗野な男がタイプだったのかい』
そう言われて気まずい空気になってからは、行進を見かけても目で追うなんてことはしなくなってしまった。
なので、こうして何も気にせず思い切り手を振り、声援を送れるというのは、それだけでなんだか胸が熱くなる心地だ。
きっとフリオの隣にいたら、人々の熱気に満ちたこの賑わいを肌で感じることは、もう生涯なかっただろうと思う。
そう考えると、婚約破棄もなかなか悪くない出来事だったように思えてくる。……生々しい浮気現場のキスシーンは、早く忘れ去りたいくらい最低だったけれど。
エーナと喋りながら待っていると、ほどなくして遠くの方から大盛り上がりの声援が聞こえてくるようになった。
軍隊がこちらに向かって来ているようだ。
人々はざわつきだし、雰囲気につられるようにして、アルメとエーナの二人もソワソワしてきた。
「――あっ! 先頭が見えてきた!」
「アイデンはどのあたりにいるの?」
「列の前半かなぁ。日によって違うけど、いつも大体その辺にいるわ」
「じゃあすぐじゃない! なんだか緊張してきた……!」
アルメが緊張する必要は何一つないのだが、なぜだかドキドキしてきてしまった。
エーナに笑われているうちに、ついに隊の先頭が目の前を通り始めた。
大きくて逞しい馬に乗り、煌びやかな騎士服を身にまとった男たちが通り過ぎていく。彼らはきっと軍の中でも身分の高い人たちだろう。ひるがえるマントが颯爽としていて格好良い。
その後に続くようにして、歩きの軍人たちが列をなして通っていく。
ラフなシャツにズボン姿だが、下げている剣は大きくて立派だ。戦地についたら彼らは鎧を身にまとうのだろう。魔物に切り込む戦闘員たちだ。
その一団の後ろに荷運びの馬車が続く。そして次の一団が続いて――と、一隊、二隊とまとまって行進していく。
周囲の人々が一斉に声援を送り始めて、場の温度がグンと高まった。
『おーい! みんな頑張れよー!!』
『レイティスー!! 怪我すんなよー!!』
『キャー!! ミゼラ様ぁー!! こっち向いてーっ!!』
各々、思い思いの声援を、思い思いの相手に飛ばしている。
人々の声援を聞くのもおもしろくて、つい頬を緩めてしまった。エーナがちょこちょこと解説を加えてくれるのもまた楽しい。
「レイティスさんっていうのは、そっちの金髪の小柄な方よ。この前足をくじいて散々だったみたい」
「ミゼラ様というのはどなた?」
「奥の黒い馬に乗ってるのがミゼラ様。筋骨隆々の体がご婦人たちに人気なの。でも彼、大家族のお父さんよ」
こぼれ話を聞きながら眺めていると、歩いてくる一団の中に赤毛の男を見つけた。アイデンが来たようだ。
途端にエーナは台から落ちそうなほど身を乗り出して、大声を上げた。
「あっ! いたいたいた!! アイデ――――ン!!」
「アイデーン! こっちこっち!」
アルメもエーナと共に声援を送った。二人で手をぶんぶんと振り回すと、アイデンがこちらに気付いて手を上げて応えてきた。
アイデンもシャツにズボン姿という軽装だ。腰ベルトに長剣を下げて、胸を張って歩いていく姿はなかなか格好良い。普段の彼の陽気な姿からは想像もできないくらい、ビシリとした頼もしい空気をまとっていた。
「アイデーン! 頑張ってねー!!」
「どうか気を付けてー!!」
アイデンはキリッとした顔でガッツポーズを寄越すと、またまっすぐに正面を向いて歩いていった。
後姿を見送りながら、エーナは気の抜けたようなため息を吐いた。
「あの人、黙っているとまぁまぁ格好良いから、ファンが付かないか心配だわ……」
「そうね……隠れファンはいるかも。派手めの婚約指輪でも着けたら?」
「戦闘員は剣を握るから着けられないんですって。代わりにおそろいの耳飾りでも着けさせようかしら。……いっそ顔に大きく私の名前でも書いておきたいわ」
真面目な顔で言い出すエーナに、ちょっと吹き出してしまった。そんな顔で歩いたらとんだ笑い者である。アイデンは『おう! いいぜ!』なんてふざけて許可しそうだけれど。
――そんなお喋りをしつつ隊列を見送り、行進が終盤に差し掛かった時だった。
通りの向こうの方から、ギャー! という悲鳴じみた声が聞こえてきたのだった。女性たちの高い声である。
この黄色い絶叫は、もしかして――。
察しがついて、チラリとエーナの方を見る。エーナは頷いて笑った。
「きっと白鷹様ね。――あっ、ほら! 見えてきた!」
「……わぁ! 彼が話題の……!」
こちらに向かって歩いてくる一隊。
徒歩の軍人たちの後ろから、少し間を開けて、馬に乗った従軍神官の一団が見えた。
先頭を一人が歩き、後ろに四人の神官を従えている。
白灰色の馬に跨り先頭を行くその人が、話題の白鷹――ファルケルト・ラルトーゼなる人物だろう。
エーナに確認をしなくても、すぐにわかる容姿をしていた。
雪のように輝く白銀の髪に、鋭く光る金色の瞳。
上品に引き結ばれた口元と切れ長の目元は凛々しくて、容貌は美術品のように整っている。
どこか人間離れした、神秘的な雰囲気すらまとって見えた。麗しくも逞しい、神話に出てくる男神のような人だ。
神殿にいる神官が着用しているローブ型の神官服ではなく、白と青の煌びやかな騎士服を身にまとっている。
馬には背丈ほどある柄の長い魔法杖がくくりつけられていた。
魔法杖の先端には薄青色の大きな魔法石が据えられていて、全体に美しい彫刻がほどこされている。
「あの杖は何? すごく綺麗ね」
「あの魔法杖で治癒魔法を遠くの戦闘員まで飛ばすそうよ」
まるで宝飾品のような杖だが、なにやら戦地で使う大事なものらしい。彼の神秘的な容姿と相まって、神器のように見える。
姿をまじまじと眺めていると、エーナが白鷹に向かって手を振りだした。周囲の人々も彼が近づいてくるのに合わせて、大声援を送っている。
アルメもちょっと控えめに、手を振り始めた。アイデンのような身内相手には思い切り振れるけれど、見ず知らずの他人を相手にぶんぶん手を振り回すのは、少々照れがある。
控えめに、けれどしっかりと気持ちを込めて、手を振ってみた。
『ギャ――ッ白鷹様――ッ!!』
『こっち見て――!! こっち――!!』
『笑って――――ッ!!』
白鷹が近づき、婦女子たちの黄色い声援が高まっていく。声援というより下心の絶叫といった風で、なんだか笑ってしまった。
――が、次の瞬間。アルメの緩んだ笑顔は驚きへと変わった。
正面を見据えていた白鷹が、ふいにこちらへ視線を向けた。――かと思ったら、そのままわずかに沿道へと馬を寄せたのだ。
白鷹は美しい金色の瞳で、じっとこちらを見ているような――……。
(えっ……? 目が、合ってる……? ような、気が……)
一瞬、そんな考えが頭をよぎった。
けれど直後に湧き起こった人々の絶叫に、その考えはあっという間に散らされた。
『キャアアアアア! 目合った!! 目合ったんだけど!!』
『今私、絶対目が合ったわ!!』
『私のこと見た……!! もう無理死んじゃう……!!』
全員、同じようなことを言っているのだった。
アルメは苦笑しながら理解する。これはいわゆる『アイドルのコンサート現象』だと。
距離があり、且つ人の多い場だと、そっちの方を見ただけで、周辺一帯視線が合ったように感じるものなのだ。
(あぁ、なんだそういうこと……。まぁ、そりゃそうよね。ふふっ、一瞬びっくりしちゃった)
納得して、心の内で笑う。また笑顔で手を振り、見送りを再開する。
周囲の盛り上がりに乗っかって、ちょうど正面を通り過ぎる時に声援も送ってみた。
「白鷹様! どうかお気をつけてー!」
白鷹は片手を胸に当てて、こちらの方へ静かに敬礼をして通り過ぎていった。
どうやら自分たちの近くに、彼の知り合いでもいたらしい。
敬礼の所作はとんでもなく優美で、まるでどこぞの王子様のようだった。
後姿を見送った後、エーナと顔を見合わせて笑い合う。
「誰かこっちのほうに知り合いがいたみたいね」
「ね、すごいラッキーだったわね!」
白鷹が歩き去った後には、敬礼の流れ弾に当たった周辺の婦女子たちが、複数人倒れていた。




