133 やけくそケーキ(3章完結)
和やかに盛り上がるオープニングイベントの中。
ふいに通りの向こうから、ガヤガヤとした音が聞こえてきた。男たちの喋り声と足音と、馬の蹄の音も聞こえる。
軍人たちの隊列が来たようだ。彼らはまだ街の方々で事後処理にあたっているらしく、通りを歩いていく姿をよく見かける。
大きな騒動の後には治安が乱れることがあるので、見回りも兼ねているのだとか。
とはいえ、今の彼らに出軍時のような緊張感はない。実にのんびりとした雰囲気だ。隊列もバラバラとしている。
軍人たちは列をなして通りを歩きながら、お喋りをしている。ケーキ屋の前を通りがかると、こちらに目を向けていた。
「お、みんな何か食べてる。いいなー」
「腹減ったなぁ……早く昼になんねぇかな」
「あれ? セルジオ隊長の姉ちゃんじゃね? 隊長ー! お姉様がいますよー!」
リトに気がついたらしく、数人の軍人たちが後続の隊へと声をかけていた。
そのすぐ後、シグが率いる三隊が歩いて来た。隊長シグは馬に乗り、歩きの軍人たちが後に続く。
シグは少し迷いつつも、馬を他の者に託してこちらへ歩み寄ってきた。彼はリトに向かい、敬礼をする。
「通りがかりの挨拶になってしまい、すみません。姉さん、新しいケーキ屋のご開店おめでとうございます。ご活躍と店の繁盛を心から願っています。……ですが、今度はどうか、穏やかに……」
「ふふっ、ありがとうね。今度はうっかり人を殴らないよう、気を付けるわ」
「そうしてください……」
挨拶を交わすと、シグは踵を返そうとした。が、その前にリトが声をかけた。
「あ、せっかくだし、新作のケーキを一口どう? シグくん甘い物好きでしょう?」
「いや、あの……今は仕事中なので」
「あら? 私のケーキなんていらないと?」
「そ、そういうわけでは……」
リトに詰め寄られたシグは大きくたじろいだ。その様子を見て、隊の面々がニヤニヤと楽しそうに笑っている。
加えて、イベントに集まっていた街の人々もざわざわと盛り上がっていた。
シグは人気のある軍人だ。こんなところでプライベートな素の顔を見られるなんて、と、女性たちが大はしゃぎしている。
シグは結局押しに負けたようで、渋い顔で首を縦に振っていた。
近くにいたジェイラがスプーンですくい、シグの前に差し出した。
「ほい隊長、あ~ん!」
「えっ、いや、自分で――……」
何か言おうとしたシグの口に、アイスケーキが突っ込まれた。もぐもぐと咀嚼しながら、彼は足早に隊へと戻っていった。
恥じらいに顔を赤くしてしまって、隊員たちから、からかいの総ツッコミをくらっている。
場にはドッと笑いの空気が満ちた。
そんな気安い雰囲気の中、もう一人こちらへと出てきた。今度は歩きの剣兵――アイデンだ。
アイデンは大股でエーナの側に寄り、体を屈めて口を開けた。シグに倣い、ケーキをもらうつもりらしい。
エーナはケーキをスプーンにすくい、アイデンの口へと放り込む。
「もう、調子いいんだから。はいどうぞ」
「んっふっふ、ありがとさん!」
「今日も暑いから気を付けてね」
「おう!」
新婚夫婦のやり取りに、隊からヒューと口笛が上がった。戻ったアイデンが同僚たちから揉みくちゃにされている。
さらにもう一人、のん気なチャリコットまで寄ってきた。
「美味そうだから俺ももらお~っと。誰からもらおうかなぁ。姉ちゃんからもらってもつまんねぇし、セルジオ隊長の姉ちゃんは怖ぇし、エーナちゃんからもらったらアイデンから殴られるし。アルメちゃんは――……俺の命が危ねぇからな~」
「え?」
サラッと妙なことを聞いた気がする。が、チャリコットは構わずへラリと続けた。
「あ、タニアちゃんいるじゃーん。タニアちゃんからもらおっと」
「……!? わ、私!? 私部外者なんで……!」
急に話を振られたタニアは、ギョッとして後ずさる。隣にいたコーデルの後ろに隠れて、体を縮こめた。
代わりにコーデルがアイスケーキをすくって、チャリコットの口に突っ込んだ。
「野郎に餌付けしても楽しくないわ~」
「こっちのセリフだし~……」
コーデルとチャリコットは二人で渋い顔をする。周囲からは、また大きく笑い声が上がった。
なんだか軍人たちの餌付けイベントになりつつあるが……集まっている街の人々は、面白がって大盛り上がりである。
三隊の面々が歩き去った後は、軍人ではない別の隊が続いた。
白い騎士服をまとった神官が数人と、城の役人と思しき人々が続く。各々馬に乗り、こちらも和やかな雰囲気だ。
神官の内の一人は白鷹だった。早速キャーキャー言われていて、アルメは苦笑する。
もう何度も聞いている、白鷹ファンたちの黄色い悲鳴だ。何度も聞いているから、すっかり慣れてしまった。……はず、なのに。
……聞いているうちに、胸がチクチクと痛み出すのはなぜだろう。
ブライアナたちに絡まれていた時も、チクチクとしたストレスを感じていたけれど。今自分は、同じようにストレスを感じているようだ。
彼と友人になってすぐの頃は、黄色い悲鳴を聞いても、すごいなぁ、程度の思いだったのに。今更、なぜ気になるようになってしまったのか――。
おかしなモヤモヤ感に意識を向けているうちに、白鷹が通りを歩いてきていた。彼は隣の神官に馬を預けて、こちらへ歩を向けた。
(わっ、来る……。この流れは、よくない流れだわ……)
アルメはひとまず思考を手放して、嫌な予感に身を固める。
察した通り、白鷹ファルクは真っ直ぐにアイスケーキへと寄ってきた。
彼はケーキを観賞した後、アルメの真正面に立って長身を屈めた。明らかに、待ちのポーズである。
「何やら楽しげな催しをしているなぁ、と、馬上から眺めておりました」
「眺めるだけにとどめられなかったのですか……」
「恥ずかしながら、誘惑に逆らえず。――あぁ、こうしている間にも隊が離れていってしまう。どうしましょう、急がなければ」
ファルクは白々しく焦ってみせた。
アルメはスプーンにケーキをすくって、半ばヤケクソ気味に、彼の口に放り込んでやった。
もぐもぐしながら、ファルクは満面の笑みを浮かべている。
「ふふっ、とっても美味しいです」
「……さぁ、もうお戻りくださいませ。白鷹様、日差しにお気をつけて。実りある、よい一日を」
「アルメさんも、素敵な一日を」
二人は口早にやり取りを終えた。
――と、思ったのに。
最後の最後に、ファルクはおもむろに体を寄せてきた。
片手で胸元に抱き寄せられて、軽い抱擁を受ける。彼はポンポンと、二、三度アルメの背中を叩いた。
アルメは仰天して裏返った声を出した。
「なっ、ななななんです……!?」
「俺の故郷、極北での別れの挨拶です。アイスケーキが雪の城のようでしたので、つい懐かしさに体が動いてしまいました。――では、お邪魔いたしました。失礼します」
「あっ、はい……」
後で聞いた話だが、極北では出会いの挨拶で抱擁と共に頬を合わせ、別れの挨拶でまた抱擁して背を叩くのだとか。
寒さの厳しい北の土地では、外で分厚い毛皮に全身を包んでいることが多いため、わかりやすく身振りの大きな挨拶をするそう。
――今後、夏の街ルオーリオでも、彼はこの挨拶を多用してくるのだけれど……それはまた別の話だ。
ともあれ、この瞬間のアルメは大いにうろたえてしまったのだった。人前で、白鷹の姿で抱擁を交わされるとは思わなかったので。
周囲からは大きな歓声と口笛と、……一部から絶叫が響いている。
白鷹は気にもせず、涼しい顔をして歩き去っていった。
背中を見送るアルメに、コーデルが哀れむような目を向けた。
「彼、意外と宝物を見せびらかすタイプなのね。見せつけてくれちゃって……まんまと『俺の女神様』を自慢されちゃったわ。牽制も兼ねてるのかしら……」
「えっ? 何ですか? 自慢?」
「外堀を埋めていくタイプに捕まると、気付いた頃には逃げられなくなってるよ。気を付けてね~」
コーデルは、やれやれと、何か喋っていたけれど。周りの騒がしさで、アルメにはよく聞き取れなかった。
軍人たちの一行が去った後、店先は大盛況のイベント会場となっていた。
ほどなくして、巨大なアイスケーキもすっかり街の人々の胃に消えた。
この後アイス屋は通常の営業にシフトして、ケーキ屋はそのまま客を取り込み、オープニングセールを始めるそう。
アルメは店先の片付けを手伝いながら、先ほどの一場面を思い返す。ファルクにケーキを食べさせた、あの一瞬を。
せっかく寄ってくれたのだから、もう少し丁寧に対応するべきだった。なんて、反省をしつつ。
ヤケクソっぽく食べさせてしまったのは照れ隠しだ。
人々に見守られる中、白い騎士服の男に手ずからケーキを食べさせる――。この図に、どうしても結婚式の一場面を連想してしまったのだ。
新郎新婦がウエディングケーキを食べさせ合う、ワンシーンを。
我ながら乙女思考もいいところだ。本当にしょうもない……。
……とは、思うのだが。どうにも例えようのない、フワフワとした幸せな心地を感じてしまったのも、事実である。
(さっきの黄色い悲鳴のモヤモヤといい、今のこのフワフワとした心地といい……。私、なんだかちょっと……ファルクさんのこと…………)
アルメはドキドキする胸を押さえて、アイス屋の店先からぼんやりと空を見上げてしまった。
天の国まで見通せそうな、青い空の下。
アイス屋前の大通りは、魔物の災を吹き飛ばすような賑やかさだった――。
(3章 おしまい)
3章までお読みいただき、ありがとうございました。
引き続き4章もお楽しみいただけましたら幸いです。
4章の終わり頃には――……




