128 戦場の鷹との遭遇
小広場に固まっていた地域の住民たちは、南地区に移動することになった。
馬に乗った警吏が駆けつけて、『今のところ西と南は安全』との情報をもたらしてくれたのだ。
小広場周囲の排水溝からは未だ魔霧が噴き出している。早めに避難した方がよいとの判断で、みんなで移動することになった。
路地奥から逃げてきた人々も加わって、いつの間にやら集団は大きなものになっていた。皆で固まり、ぞろぞろと歩き始める。
警吏たちは話を終えると、路地奥へと馬を駆っていった。魔霧の満ちる中、逃げ遅れている人々を誘導するために――。
その中には、前にアルメが強盗に襲われた時に対応してくれた女性警吏もいた。何とも勇敢で、頼もしい。心の中で感謝をしながら、アルメも歩き出した。
休日の軍人たち数人に守られながら、避難の集団は表通りへと出た。
表通りには多くの人々がいて、同じように寄り集まって移動していた。いくつかの集団と合流して、人の群れはさらに大きくなる。
アルメは首を伸ばして、周囲をうかがい見た。
通りの排水溝からも魔霧が上がっているようだ。さらには地下街へ続く階段からも、モヤモヤと黒い霧が出ている。
霧は街中に溜まりつつあり、視界が悪い。暗がりで真っ黒な人型魔物がうごめいていて恐ろしい……。
明るく陽気なルオーリオの街が、こんなに不気味な景色になってしまうなんて……と、人々は動揺の声を上げていた。
ゾロゾロと、集団で南地区へと歩いていく。
道中、馬車を飛ばしていく人も多くいた。今日は魔物以外でも色々と事故が起きそうだ……。
(……また、神殿も大混雑しそうね……)
神官たちもしばらくは忙殺されそうだ。きっとファルクも例外なく。……お茶会は大幅な延期となることだろう。
不気味な街の様子を見て、つい現実逃避にそんなことを考えてしまった。
――と、その時。左の方から大声が上がった。
「うわっ、魔物が上がって来たぞ! ほら、あそこ! 地下街の階段から……!」
目を向ける人々につられて、アルメも背伸びをしてそちらを見た。地下に続く階段の入り口から、魔物の集団がゆらゆらと歩き出ていた。
驚いた人々が逃げようと走り出し、移動の団の形が崩れた。押されて揉みくちゃになり、大勢の人々が転んでしまった。
アルメも人の波に押されて尻もちをついた。立ち上がろうとしたら、人にスカートを踏まれてまた転んだ。……散々である。
もはや周囲の目など気にせず、汚れたスカートをたくし上げて立ち上がる。
人の流れに沿って、アルメも小走りで移動し――ようとしたのだが、遠くから聞こえてきた音に足が止まった。通りの向こうから馬の蹄の音が聞こえてきたのだ。
また誰かの大声が耳に届いた。さっきとは違って、今度の声はどこか明るいものだった。
「おぉ! ルオーリオ軍が来たぞー!」
人の波で揉みくちゃになりながら、アルメは音の鳴る方に顔を向ける。
多くの馬を連ねて、ドッと軍隊が駆けてきた。皆、鎧は身に付けず、剣のみを下げた格好だ。
通りを走り抜ける隊の一部が分かれて、こちらに来てくれた。戦闘員が馬から飛び降り、わらわらと湧いて出る魔物に向かって行く。
勇猛な彼らの姿を見て、避難の人々は一斉に安堵の息をこぼした。
――ホッとした声に続いて、先ほどまでとは種類の違う悲鳴が上がったのは、その直後のことである。
今度は右手の方から、キャアと女性たちの声が上がった。
彼女たちの視線の先には、この黒い霧の中でも浮き上がるように目立つ、白い鷹がいた。
馬上から長い魔法杖を槍のように振るって、魔物を蹴散らしていく。槍兵みたいな身のこなしだが、彼は神官だ。
周囲の魔物を片付けると、白鷹ファルクは避難の集団へと向き直った。金の瞳で人々を見渡した後、凛とした声を発した。
「このまま通りを進み、南地区の大広場に逃れよ! 今、軍が避難所を作り、安全に過ごせるよう整えている。怪我をした者も東の神殿を目指さずに、南の避難所に向かいなさい。そちらの救護所を頼るよう、周りの者にも伝えよ。――皆に神の加護があらんことを!」
大衆に大きく声をかけると、ファルクは馬の首を返して離れていった。
魔法杖に眩い光を灯して、軍人たちと共に霧の向こうへと駆けていく。去り際に、ほんの一瞬だけ目が合ったような気がした。
彼は出軍時の騎士服ではなく、いつも遊びに来る時の私服姿だった。けれど、まとう雰囲気はいつもとまったく違うものだった。
神殿にいる時ともまた違う、まるで軍の偉い人のような雰囲気……と、例えるべきだろうか。ピリッとした空気が印象に残った。
あの姿がきっと、従軍神官としてのファルクなのだ。
戦場の鷹は一つも無駄のない動きで、一瞬で飛び去った。民衆に重傷者がいないと判断してのことだろう。
(いつもとは全然違うお顔……。泣いて目を赤くしていたファルクさんとは、別の人みたい……)
あっという間に去っていった背中を見送って、少しだけ寂しい気持ちになってしまった。
アルメの胸の内とは裏腹に、周囲からは前向きな声が上がっている。
「軍も白鷹様も来てくれたなら、もう大丈夫だろう」
「早く南の避難所に行きましょう」
「白鷹様、格好良かったねー」
魔物を散らす白鷹の姿を間近に見て、現金にも盛り上がっている様子。
白鷹の姿と言葉は、ファンの女性たちだけでなく、多くの人々に明るい気持ちをもたらしたようだ。
彼は今、『アルメの仲良しの友達』ではなく、『みんなの白鷹様』なのだ。
飛んで行ってしまった鷹に寂しい気持ちを抱くなんて、愚かの極みである。
……でも、例えば……彼との関係が友達ではなく、恋人や夫婦であったなら、この寂しい気持ちも少しは許されたりするのだろうか。
(……なんてね。何をおかしなことを考えているのかしら、私。朝から散々で、すっかり弱っているみたい。しっかりしないと)
アルメは集団に添って歩き出し、気持ちを振り切ることにした。
彼の手に巻かれていたブレスレットの青色だけが、どうにも目に残ってしまって、頭の中でいつまでも消えずにいた。




