124 ブライアナとの攻防
ブライアナはアルメに向き合うと、きつい声音で注文を寄越した。
「バナナとベリーのマーブルアイスと、スカイハーブミルクアイス、あと蜂蜜レモンとミックスベリーと白鷹ちゃんアイスのお花飾り無しと、メロンアイスにナッツのトッピング掛けを、一つずつちょうだい」
まるで早口言葉のように一息で言い切った。彼女はフンと鼻を鳴らして、ふんぞり返っている。
「またこの前みたいに間違えないでちょうだいね。違うアイスを寄越したら、すべて返品させていただきますから、そのおつもりで」
「かしこまりました。ではアイスをお取りする前に、お客様の方でもう一度注文のご確認をお願いいたします」
「……え?」
アルメはブライアナの注文をサラサラとメモ用紙に書き連ねる。そしてアイスを取り分ける前に、その紙を本人へと見せて確認を求めた。
注文者自らに確認をさせて、後からクレームを入れられるのを防ぐ策である。
多くの注文が入った時にミスを防ぐため、接客マニュアルにこの方法を取り入れることにしたのだ。
最初にアルメがブライアナと注文ミスの揉め事を起こしてしまった後、コーデルと相談して考えたのだった。
四つ以上のアイスの注文が入った時には、この方法で客に確認を求めることにしよう、と。
ブライアナの態度を見るに、彼女はミスを誘うために多くの注文を入れたのだろう。が、他ならぬ彼女との接客トラブルによって、こうしたマニュアルが出来上がったわけである。なんとも皮肉なことに。
ブライアナはこめかみを痙攣させながら、確認のメモ用紙を睨んだ。
「こんなものはいいから、早くしてちょうだい!」
「注文のご確認後に商品の取り違えがあっても、返金には応じられませんが、ご了承いただけますか?」
「いいわよ、もう! 注文はそれでいいから、さっさとして!」
「かしこまりました。お待ちください」
甲高い怒鳴り声を浴びながら、アルメは急いでアイスを取り分けた。
いつもは余裕たっぷりのブライアナだが、今の彼女は不安定な印象だ。両脇を固めている仲間たちがいなくなったからだろうか。
(それにしても、いつもは一つアイスを注文するだけなのに。こんなにたくさん注文して食べきれるのかしら)
余計なことを言うと火に油を注ぎそうなので、何も言わずに注文通りアイスを取った。
代金を受け取り、カウンター越しにアイスのグラスを渡す。ブライアナは片手でグラスを受け取った。
――が、アルメが手を離すと同時に、彼女はツルリと指を滑らせた。
山盛りのアイスが乗った大きなグラスが、ガシャンと音を立てて床へと落ちた。
今度ばかりは、アルメもさすがに眉をひそめてしまった。
今までだったら即座に謝り、対応へと動いてきたけれど……今日は、言うべきことを言わせてもらおうと思う。
ブライアナをまっすぐに見つめたまま、アルメは声をかけた。
「お客様、いつかはお伝えしなければと思っていたのですが……このような嫌がらせは、もうおやめくださいませ」
「はぁ!? 何よそれ! わたくしがわざと落したとでも言うの? あなたが雑に手を離すから、落としてしまったのに……! お客のせいにするなんてとんでもない店ね!」
「こちらとしても、お客様のせいにしたくはありません。ですが、同じお客様にお渡しする際に三度もグラスが割れたとなると、さすがにもう擁護もできかねます」
アルメはカウンターの引き出しからノートを取り出すと、ペラっとページをめくった。
このノートは店の業務日誌だ。部外者に見せるものではないが、今回は特例としておく。
ページを指さして、ブライアナの目の前にズイと掲げた。
「私の店は一応、こういう記録を取っておりまして。グラスの破損は今まで十例あります。子供のお客様による破損が三例、大人が二例、洗浄中に欠けてしまったというのが二例。そして今の破損も含めて、後の三例はあなたに手渡した時にカウンターで起きた破損となります。あなたお一人で、三度も。嫌がらせで手を滑らせたという他に、何か理由がおありですか」
「こ、この店の食器、滑りやすいのよ……!」
「子供でも、三人しか割ってしまったことがないというのに。あなたのように上品で、所作のしっかりとしたご令嬢が、こうも何度も手を滑らせますか?」
「……っ」
アルメが言葉を返すと、ブライアナは思い切り顔を歪めた。苛立ちと焦りからか、顔が紅潮している。
今日、こうして彼女と一対一で面と向かって言葉を交わし、初めて手ごたえを感じつつある。
今まで彼女たち三人組と対峙した時には、チクチクと感じるストレスに負けていたのだけれど……ガッツリ休みを取ったことで、削られていた防御力が復活したのかもしれない。
引かないアルメを前にして、ブライアナは凄んだ声を出した。
「お客を疑うなんて信じられない! あぁ、今日は何て酷い日なのかしら……おかしな店員に文句を吹っ掛けられるなんて! もう付き合っていられませんわ! ほら、弁償すれば気が済むのでしょう!? 受け取りなさい! わたくしはもう帰ります!」
「ちょ、ちょっと! お待ちください! お金はいいので、お話し合いをさせていただきたく」
「いいから受け取りなさいよ! お詫びだと言ってるでしょう!!」
「お金で解決する話ではありません……!」
「あなたと話すことなんて何もないわよ!!」
ブライアナはグラスとアイスのお詫びの金を、グイとアルメに突き出してくる。が、アルメは力一杯、その手を押し返した。
弁償で事がうやむやになって、また後日嫌がらせをされる、なんてことになったらかなわない。この金をホイホイと受け取るわけにはいかないのだ。
金を押し付けようとするブライアナと、拒否するアルメ。傍から見たら取っ組み合いをしているような状況になってしまった。
店内の他の客たちもざわつき、目をまるくして様子を見ている。
さらにはアルメの視界の端に、キラリと小さな光が舞った。荷守りの精霊、スプリガンの光だ。揉め事を察知して、精霊も様子を見に来たらしい。
アルメはギョッとして冷や汗をかいた。
(ま、まずい……! スプリガンさんが来ちゃった! ブライアナさんに落ち着いてもらわないと、精霊に殴られてしまうわ……!)
前にフリオと揉めた時の光景が頭をよぎる。小さな精霊スプリガンは自慢のこん棒を振るって、フリオを殴り飛ばしたのだった。
フリオの時は、一応元身内、且つ庶民男に対する正当防衛ということで騒ぎにはならなかった。
が、今回はそうもいかないだろう。どこぞのご令嬢を殴り飛ばして怪我をさせたら、大きな問題になりそうだ。
スプリガンの光はこちらに近づき、カウンターの上に収まった。キラキラとリズムよく光が舞っている。――精霊がこん棒の素振りでも始めたのだろうか。
アルメは大焦りでブライアナの両手を掴み、口早に言う。
「あの! ひとまず落ち着いてください! アイスとグラスのお金はいただかなくて結構ですから! 今後こういうことを止めていただければ、それでいいので――」
「あなたが店に出てくる限り、やめるわけにはいかないのよ! あぁ、もうっ! やっと仕事が終わったと思ったのに、なんでまたのこのこと出てくるのよ……! 人の苦労も知らないで……! 本っ当に庶民って図太いんだから……っ!!」
「何のお話ですか!? お願いですから、お金を財布にしまってくださいませ!」
「受け取ってもらわないと困るの! お金を払っておかないと、わたくしが店に、目に見える損害を与えたことになってしまうじゃない! それじゃ駄目なのに……! 傍目にはわからないように上手くやれって、お父様が……!」
「だから何のお話です!?」
「最初のうちは上手くいっていたのに! どうしてここにきて、上手くいかないのよ……っ! あぁ、腹が立つ! わたくしがお父様に怒られてしまうじゃないの!!」
ブライアナは興奮して頭に血が上ってしまったのか、話が噛み合わなくなってきた。
そんな彼女の元に、こん棒を振り回すスプリガンの光がジリジリと迫ってくる。
アルメは大いに慌てた。焦る頭の中には、諸々の対処法がせわしなく飛び交っていく。
(ひとまず、ブライアナさんを抑えないと……! ええと、ファルクさんから教わった妖精の呪文は、彼女には効かなかったから……もう一つの呪文、『白鷹様が来ますよ』って、言ってしまうべき……!? もしくは、リトさんから教わったパンチのはったりと喧嘩文句を――)
あれこれ考えているうちに、もうスプリガンの光はブライアナの目の前に来ていた。傷害沙汰待ったなしの状況だ。
顔を真っ赤にして激昂するブライアナに、アルメはアワアワと声をかける。思考がまとまらないうちに、勢いに任せて喋ってしまった。
「ブ、ブライアナさん、落ち着いて! 白い妖精さんが殴り飛ばしに来ますよ! このままではお客様が神殿送りになってしまいますっ!」
焦りでごちゃごちゃになった頭の中が、そのまま口から出てしまった。アルメは自分で言ったことに、自分で困惑してしまった。
(――って、私、今何て言った!? 変なこと言っちゃった……!)
おかしな事を口走ってしまった恥ずかしさに渋い顔をしつつ、ブライアナをうかがい見る。
怒声のツッコミを覚悟した――の、だが。アルメの予想とは裏腹に、ブライアナは途端に顔色を青くしたのだった。
彼女は目をむいて、ハクハクと口を動かした。
「そっ、そんなっ……! 白い妖精が、わたくしに乱暴な私刑を……!? そ、そんなことあるわけないじゃない! 人を脅すのもいい加減にしてちょうだい……!」
そう言いながらも、ブライアナは体を震わせて後ずさった。お金をしまうのも忘れた様子で、紙幣を手に握りしめたままクルリと踵を返す。
彼女はチラと振り返り、怯えつつも強気の捨て台詞を吐いてきた。
「し、白い妖精が何だって言うのよ……! どうせいい加減なことを言っているだけでしょうに。……それはそれとして、わたくし、今日はもう帰らせてもらいますけれど……!」
フンと鼻を鳴らして、ブライアナはそそくさと帰っていった。
結局落ち着いて話はできなかったが、とりあえず傷害沙汰は避けられた。
一応、少しは手ごたえを感じたので、これで彼女たちの嫌がらせ遊びが終わるといいのだけれど……。
アルメはブライアナの背中を見送った後、ようやく肩の力を抜いて、ゆるく息を吐いた。
その時、横から声がかかった。グルメライターの女性が涼しい顔で笑いかけてきた。
「店主さん、お疲れ様。アイスとグラスの代金、回収しなくてよかったの?」
「あ、ええと、まぁ、はい。……お騒がせしました……申し訳ございません、お店の中でお恥ずかしいところをお見せしました。あの、助けていただき、ありがとうございます。妖精の呪文をご助言いただき」
「お礼ならいらないわ。――代わりに、ちょっとあなたとお話をさせていただいてもいいかしら。アイスに関することで」
「あら、何でしょう?」
グルメライターは鞄からファイルを取り出すと、一枚の紙をアルメに差し出した。紙の一番上には『取材ご協力のお願い』と書かれている。
真っ赤な美しい唇で笑みを作り、彼女は言う。
「申し遅れましたが、私はミランダ・オーラスと言います。今、私、ルオーリオのスイーツを特集した雑誌の制作を進めていてね。あなたのアイス屋も載せたいのだけれど、掲載の許可をいただけないかしら?」
「スイーツ特集、ですか?」
「えぇ。雑誌はルオーリオをはじめとして、他の大きな街にも届けるつもりよ。もちろん、王都にもね。ルオーリオは観光人気が高いから、きっと他の街の人々もよい読者になってくれるはず。どう? 素敵な話だと思わない?」
話を聞いて、アルメは目をパチクリさせた。なにやら、アイス屋にとってもよい話になりそうだ。
ミランダはペラペラとまわる口で、企画の説明をしてくれた。アルメは床のグラスの掃除をしつつ、ソワソワとした気持ちで耳を傾ける。
ざっくりとした説明を終えたところで、彼女が最後に言い添えた。
「――と、言うわけで、ルオーリオ発の新しいスイーツ店、『アルメ・ティティーのアイス屋』はたっぷりページを使って大きく取り上げたいの。店主さんの肖像画を添えて」
「肖像画ですか!? 私の? ……隅っこに小さく、という感じでしたら、いいですけれど」
「目立つページにガッツリと、載せたいところなのよねぇ」
ミランダは含みのある笑みと共にウインクを寄越した。
彼女のウインクを訳するなら、『さっき助けてあげたのだから、お願いを聞いてちょうだい』といったところか。抜け目ない人だ。
自分の肖像画が世の人々の目に届くことを考えると、ちょっと恥ずかしいのだけれど……。でも、店の名前が広がるというのは、素晴らしいことでもある。
アルメは複雑な表情を浮かべつつ、コクリと頷いてしまった。
――悪いことの後には良いことがある、というけれど。何だか今日は、そんな目まぐるしい一日であった。




