123 令嬢たちと妖精の呪文
復帰を果たしてから、表通り店、路地奥店、また表通り店――と、数日続けて店に立っていたのだが、件の令嬢たちは姿を現さなかった。
(よかった……。ようやく意地悪遊びに飽きてくれたみたいね)
そう思い、アルメはホッと胸をなでおろした。
――の、だが。
すっかり気を抜いていたところに、彼女たちは再び現れたのだった。
この日アルメは路地奥店に入り、まったりと店番をしていた。
午前中のシフトはアルメの他に従業員がもう一人。その従業員が先にお昼休憩に入って、店を出ていった。
そうして一人で店番をしている時に、小広場の奥に令嬢たちの姿を見つけてしまった。
ウェーブのかかった金髪のブライアナと、彼女を取巻く二人の令嬢……。紛れもなく、例の三人組である。
こちらに向かってくる様子の三人を見て、アルメはここ最近で一番深いため息を吐いた。彼女たちとの縁は、まだ切れていなかったようだ……。
店には他の客が入っているので、閉めることはできない。このまま彼女たちを迎えるしかない。
アルメはそっと、手首を飾るブレスレットに触れる。これはファルクからの贈り物だ。他にもイヤリングとネックレスを身に着けている。
金色の金具に白いガラス粒の、シンプルなアクセサリー。彼の助言通りに、復帰を果たしてから毎日身に着けていた。
もし揉め事が起きたらこのアクセサリーを見せて、『妖精に相談させてもらう』という呪文を唱える。そうしたら令嬢たちを追い払えるかもしれない――なんてことを、彼は言っていた。
アルメは近づいてくる令嬢たちにヒヤヒヤしつつ、頭の中で呪文のおさらいをする。
(ええと……『妖精さんに相談させていただきます』と、言えばいいのよね? 疑うのもわるいけれど、本当に効くのかしら? もし効かなかったら二つ目の呪文、『白鷹様が文句を言いに来ます』を唱えて……いや、さすがにこっちの呪文を使うのは……)
ファルクに教わった呪文を考えつつ、もう一つリトから教わった喧嘩文句も頭の中で唱えてみた。
(『神殿送りにしてやるわよ!』と言いつつ、こう、シュッとパンチを繰り出す。って、これもさすがに……例え最終手段でも、殴るようなことは……)
渋い顔で悩んでいるうちに、令嬢たちはもうカウンターまで歩み寄っていた。
ブライアナはいつもの高圧的な笑顔で挨拶を寄越した。
「ごきげんよう。久しぶりに来てみたら、路地奥店が開いているじゃない! よかったわ。店主さん、最近お顔が見えなかったので、もうお辞めになられたのかとガッカリしていたのよ。あなたの盛り付けるアイスが一等綺麗だから、わたくしどうしてもあなたに注文をしたくて」
「せっかくブライアナ様がひいきにしてくださっているのに……仕事を放り出して遊び呆けていらしたのかしら?」
「怠慢で私たちのような上客を逃すなんて、もったいないとはお思いにならなくて? それとも、お遊びでやっているお店だから、お客のことなんて気にならないのかしらね」
クスクスと高い笑い声が響く。久しぶりに聞く声はチクチクと胃に刺さる心地だ……。
さて、どう挨拶を返すべきか。と考え込んでいると、ブライアナが目ざとくアクセサリーを見つけて声をかけてきた。
「まぁ、なにやらめかしこんでいるご様子。やっぱりお客を放って、遊び呆けていらっしゃったのね?」
「そのようなガラス飾りを身に着けていては、街の鳥についばまれてしまいますよ?」
「ガラスにしてはキラキラしていますわね……? あぁ、身に着けている方が凡庸なばかりに、アクセサリーが浮いてしまって、やたらと輝いているように見えてしまうのでしょうか」
ペチャクチャと好き勝手に喋り散らす令嬢たち。彼女たちを前にして、アルメは困ってしまった。
(い、言えないわ……呪文……。この状況で『妖精さんが~』とか言い出したら、とんでもなく馬鹿にされるのでは……?)
例え信頼しているファルクから教わった呪文であっても、口にするにはなかなか勇気がいる状況だ。
もし呪文を唱えたとして、『妖精? あなた、頭がお花畑でいらっしゃいます?』なんて言い返されたら、居たたまれなくて逃げ出してしまいそうだ……。
どうしたものかと迷っていると、カウンター越しにブライアナが詰め寄ってきた。
「ちょっと、何を呆けているのかしら? いつまでお休み気分でいるおつもり? お客に対して挨拶も返せないなんて、呆れますわね」
「あ、はい。そうでしたね……いらっしゃいませ」
「何よ、その棒読み。人を馬鹿にしているの?」
ブライアナがカウンターに手をつき、ダンッと大きな音を立てた。
――その音と同時に、一人の女性客がこちらへ歩いて来た。
彼女は常連客――真っ赤な口紅が美しいグルメライターだ。
食べ終わったアイスのグラスを、カウンターに戻しに来たよう。彼女はアルメにグラスを渡すと同時に、アルメの手首を指し示した。
ブレスレットと令嬢たちを交互に見て、ニコリと口の端を上げる。
「あらあら、何か揉め事かしら? 店主さん、もしお困りでしたら、あなたの肌で輝く『白い妖精さん』にご相談されてはいかが?」
グルメライターがそう口にした途端。
令嬢三人組はお喋りをやめて、顔を引きつらせた。今まで見たことのない困惑した表情をアルメに向けてきた。
うろたえた令嬢たちと同じく、アルメも目をまるくしてしまった。
(えっ、その呪文、本当に効くの……!? どういう原理!? というか、もしかしてこの呪文ってみんな知っているものなの?)
この呪文はもしかしたら自分が知らないだけで、世間的にはよく知られているものなのだろうか。
様子のおかしくなった令嬢たちを見るに、何か本当に呪術的なダメージを与えているのかも――。
色々な疑問が頭の中を飛び交った。――が、ひとまずそれらは置いておき。
呪文が本当に効くのであれば、ありがたく使わせてもらおう。アルメはようやく覚悟を決めた。
アルメはブレスレットの輝く手で首元のネックレスを指し、小首を傾げてチラリとイヤリングも見せつつ、言ってやった。
「そ、そうですね……ええと、妖精さんに、ご相談させていただこうかしら……」
身振りといいセリフといい、少々恥ずかしさがあるが。これもファルクから教わった所作なので、試してみた。
アルメが呪文を唱えると、ブライアナの取巻きの二人がそろりと後ろに身を引いた。やはり効いているらしい。
(……お腹でも痛くなるのかしら?)
令嬢たち以上に困惑した顔で、アルメは目の前の光景をまじまじと眺めてしまった。
取巻き二人は後ろに下がった。が、ブライアナは踏みとどまり、ごにょごにょとした悪口を言い始めた。
ひとまず、アルメはブライアナと向き合うことにした。その悪口を止めてほしい、ということを伝えてみることにする。
『妖精の守り言葉』を唱えたアルメを見て、グルメライター・ミランダはコソリと笑みを深めた。
(なんだ、守り言葉を知っていたみたいね。早く唱えてしまえばいいものを。――庶民には縁のない言い回しだから、白鷹様の入れ知恵かしら)
妖精の守り言葉、なんて呼ばれているが、これは単なる牽制文句である。
『ウルカギュリ』という、金と宝石を生み出す妖精がいる。貴族たちの間では、富や権力の象徴、および、力のある人物を称する単語として使われている。
『ウルカギュリ』に嫁いだ、とか、『妖精』に嫌われた、とか。彼らは社交界で、よくそういう言い回しをするのだ。
今店主アルメが唱えた言葉は、『自分にはウルカギュリがついている』という牽制文句だ。
訳するならば、『自分には、力のある人間がついているぞ』という脅し文句である。
他人の財力をチラつかせた脅しなので、品が無いと嫌う人も多い。が、格下の相手をサクッと蹴散らせるので、揉め事の場面ではしばしば耳にする呪文である。
当然ながら、格下には使えるけれど、自分より財力のある格上の相手には使えない呪文だ。店主アルメのような、その辺の庶民が使えるものではない。
けれどこのアイス屋には、『白鷹がひいきにしている』という噂がある。
この前祭りで、彼は街に降りてアイスを買っていったそうだ。噂はもはや確かなものになりつつある。
令嬢たちも噂を知らないわけではないだろう。
そんな噂のアイス屋の店主が白い宝石のついたアクセサリーを見せつけて、『妖精に相談する』なんて言い出したら、血の気も引くというものだ。
――とはいえ。まさか、アルメと白鷹が遊び歩くほどの仲良しだとは思ってもいないだろうが。
アルメの脅しが本物なのか、はったりなのか。決めかねて困惑しているようだ。
ミランダはやれやれ、と息を吐く。
(さっさと逃げ出してしまった方が身のためなのに。仕方ない、もうひと揺すりしてやろうかしら)
普段であれば、成り行きを見物しているだけなのだけれど。もう少しだけ、アルメに力を貸すとしよう。
今、アルメに躓かれては困るのだ。なぜなら自分のグルメ特集企画がかかっているから。
若い娘が魔法で作り上げる新しいスイーツ『アイス』の記事は、世間受けを見込めるので、大きく取り上げる予定なのだ。今更内容を変えるなんてありえない――。
ミランダは後ろに身を引いた令嬢二人に、そっと歩み寄った。耳元でこっそりと小声をこぼす。
「あなたたち、お友達思いなのね。あなたたちの慕うブライアナ・オードルお嬢様は、経営のかんばしくない商家のご令嬢でしたっけ。……私だったら、さっさと見限って『妖精付き』の側につくけれど?」
ヒソリと囁くと、取巻きの令嬢二人はオロオロと顔を見合わせた。
彼女たちはなかなか友情に厚いようだ。もしくは上下関係に支配されて、動けずにいるのか。
迷った様子の彼女たちに、さらに言葉を続けてやる。
「アイス屋店主の彼女、総額おいくらの宝石を身に着けているのかしら。あなたたちはガラス飾り、なんて呼んでいたけれど、私の目には相当高価なものに見えるわ。このお店、白い妖精さんはずいぶんとひいきにしているんじゃない? ……もし、店主さんが妖精さんに愚痴をこぼしてしまったら、嫌がらせをしている厄介なお客さんたちは、一体どうなってしまうのかしら……あぁ、怖い怖い」
思い切り眉を下げて、哀れだこと、なんてわざとらしく呟いてみる。そこまで言うと、令嬢二人はいよいよ顔を青くした。
胸の内でよし、と拳を握って、ミランダはサッと身を引いた。そろそろ事が動くだろう。火の粉の飛ばない位置にはけて、様子を見ることにする。
令嬢二人組はカウンター越しに話をしていたアルメとブライアナへ、震える声をかけた。
「あ、あのっ……私たちは、いつもブライアナ様に連れられて来ていただけですの……! 決してあなたをどうこうしようとか、そういうことを考えていたわけではなくって……!」
「ちょっと、色々と言ってしまったかもしれないけれど……それはブライアナ様に合わせていただけなのよ……! 別にあなたに悪口を言いたい気持ちなんてなかったの!」
「え? はぁ」
唐突にまくし立てられて、アルメはポカンとしてしまった。
後ろに下がっていた令嬢二人は、アルメに矢継ぎ早に話しかけた後、アワアワと踵を返した。
「ブライアナ様、もう庶民のお店通いにはお慣れになったでしょう? 今度からアイスはお一人で召し上がってくださいませね……!」
「私たちはこの後、家の用事がありまして……失礼いたしますわ!」
「ちょっ、ちょっと!? 二人とも、わたくしを置いていくつもり!?」
ブライアナは目をむいて大声を上げた。が、二人はスカートを持ち上げてそそくさと会釈だけして、去っていってしまった。
「し、信じられない……! 後で覚えてなさいよ……っ!!」
一人残されたブライアナはわなわなと手を震わせて、眉を吊り上げている。……相当お怒りのようだ。
彼女たちを追って、一緒に帰ってくれたらいいのに……。なんてことを、アルメは密かに思ってしまった。
けれど、どうやら彼女は帰らないみたいだ。意地でもアイスを食べていくらしい。
ブライアナは耳にキンと響く声で、アイスの注文を始めた。




