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120 朝のパンを共に

 翌朝、アルメはぼんやりと起き上がると、寝ぼけ眼で部屋を見回した。


(……あれ? 確か夜に焼き肉屋でご馳走になって――……)


 それからの記憶がおぼろげだ。勧められるままに、酒を飲み過ぎてしまった。


 記憶が飛ぶほど飲むのは初めてかもしれない。ここ最近、じわじわくるストレスを我慢し続けてきたからか、反動で、うっかり羽目を外してしまったようだ。


 酔いから覚めた頭で考えて、今更ながら冷や汗をかいてしまった。


(私、ちゃんと帰ってきてる……よかった……)


 とりあえず、家には帰ってこれたらしい。焼き肉屋で眠りこけて朝を迎える、なんてことにはならずに済んだ……。


 アルメは寝起きの目をこすりながら、ベッドから下りた。服は昨日のままだ。帰ってきて、そのまま力尽きたのだろう。


(ファルクさんとは、焼き肉屋で別れたのかしら? 全然覚えてないわ……)


 どういう風に別れたのか、まったく記憶にない。何か変なことをしていないといいのだけれど……。考えるほどにハラハラしてきた。


 昨夜のことで覚えているのは、なんだか心地良い夢を見ていた、ということだけだ。祖母に思い切り甘える夢だったような。


 加えてもう一つ、ちょっと照れる夢を見てしまったのだけれど――。


 夢の内容を思い返しながら、アルメは寝室を出た。が、扉を開けた直後に悲鳴を上げたのだった。


 ――寝室の扉のすぐ正面に、男が座り込んでいたので。


「ヒッ……! 何!? 石像……!?」


 男は石像のように微動だにせず、正座をして静かにこちらを向いていた。


 仰天したアルメは飛びのいて、壁際の棚に肘をぶつけてしまった。痛さも忘れて、石像を凝視する。


 石像は、ボソリと声をかけてきた。


「おはようございます……お加減はいかがでしょう」

「ファ……ファルク、さん……!?」


 目をまるくしたアルメに、ファルクは石像姿のまま、昨夜の顛末を話すのだった。

 焼き肉屋から家まで運び、様子を見守っていた、というあらましを。



 話を聞いて、アルメも静かに正座の姿勢を取った。


 そのままガバリと頭を下げて、ファルクに土下座で謝罪をした。


「……大変……大っ変、申し訳ございませんでした……! とんでもない醜態を晒し、ご迷惑をおかけして……!!」


 ちゃんと家まで帰ってこれた、なんて思っていた自分を引っ叩きたい気分だ。


 話によると、ファルクが背負って運んでくれたらしい。その間、アルメはすっかり眠りこけていたとか……。


 床に額をつけて深々と頭を下げる。謝るアルメの肩に、ファルクの手が触れた。


「お顔を上げてください。別に家まで送るくらい、どうということありませんよ。こちらこそ、勝手に家に上がり込んでしまったことをお詫びいたします」

「そんな、お詫びなど受け取れません……本当に、運んでいただきありがとうございました……なんとお礼を申し上げたらよいものか……」

「では、お礼の代わりに、俺と一つ約束をしてください」

「約束……?」


 掛けられた声に顔を上げる。向かいで同じように正座をするファルクは、アルメの前に小指を出してきた。


 ファルクに指切りを教えたのはアルメだ。が、今度はファルクから指切りの約束を求められた。


 アルメも小指を出すと、彼の大きな指に絡め取られた。そのまま、ファルクは困った顔で言う。


「どうか、今後はあまり飲み過ぎないようにしてください。深酒は俺のいる時だけにしていただきたく。約束して?」

「はい……約束します」


 醜態を晒した後に、拒否などできるはずもない。アルメは素直に指切りの約束を交わした。


 そうしてひとまず話に区切りがついたところで、二人はようやく立ち上がる。


 アルメはキッチンからパンの入ったカゴを持ってきて、ファルクに見せた。


「ええと、とりあえず……朝ご飯、ご一緒にいかがでしょう?」


 アルメの誘いに、ファルクは笑顔で頷いた。

 




 さっと支度を整えて、残り物のスープを温める。パンにバターとチーズを添えて朝ご飯にした。


 食事をしながら、アルメは昨夜、焼き肉屋で考えていたことを話す。なるべく早めに復帰して、また店に訪れる客の笑顔を見たい、という思いを。


「――色々と上手くいかないこともありますが……でも、やっぱりお店が好きなので、頑張りたいなぁと」

「店に来る厄介なお客というのは、先日のご令嬢方だけですか?」

「えぇ、今のところは。お客さんに対してこんなことを言うのはアレですが……本音を言うと、彼女たちには店を離れてもらえるとありがたいですね……。早くクレーム遊びに飽きてくれるといいのだけれど」


 身なりや態度から察するに、相手はアルメよりずっとしっかりとした身分を持つご令嬢たちだ。

 

 『あなたたちは客じゃない』なんてピシャリと出禁を宣言しようものなら、社交界とやらで、あることないことペチャクチャ喋り散らされてしまいそう。


 機嫌を損ねて変な話を広められたらかなわないので、なるべく穏やかな方法で店から遠ざけたいのだけれど……。


「警吏を呼んで営業の妨害を訴えてはいかがでしょう。グラスを割られたりしたのでしょう?」

「二度ほどありましたが……当人曰く、『うっかり』とのことで。割ってしまった後に、お詫びとしてグラスの費用以上の、大きなお金を置いていかれるので……怒るに怒れず。下手したらこちらが悪者になってしまいそうで。あと、シミの付いたドレスの賠償を、なんて言われても、結局請求はまったく来ていませんし。それに彼女たち、アイスは残さずしっかり食べて、テーブルも席も綺麗に使って帰っていくという……」

「なんともやりにくいですね……」


 令嬢たちは傍目には、これといって店に大きな損害を与えているわけではない。アルメが個人的にストレスを感じている、という程度である。


 警吏を呼んだところで、自分たちで話し合って解決してくれ、と言われるのは明らかだ。


 アルメはやれやれと息を吐いた。


「何かこう、クレーマーのみを弾く魔法が欲しいですね。魔霧を払う聖女様の結界のような」

「そうですねぇ。――魔法ではありませんが、ちょっとした呪文ならお教えできるかもしれません」

「呪文、ですか?」


 キョトンとした声を返すと、ファルクは胸ポケットからネックレスを取り出した。アルメのネックレスだ。


 アルメはハッとして、自身の首元に手を当てた。どうやら彼が外して預かっていてくれたみたいだ。


「すみません、ネックレスに気がつかず……私、まだ寝ぼけていますね」

「いえいえ。寝ているうちに俺が勝手に外してしまったので。――呪文ですが、このネックレスと、あとはこの前お贈りしたイヤリングとブレスレットも、使っていただこうかと」

「アクセサリーを使う呪文ですか?」

「えぇ。問題のご令嬢方が来店する間は、お贈りしたアクセサリーを全て身に着けていてください。……少々嫌らしい呪文、と言いますか、品が無いと嫌う方もいる呪文ですが、お教えします」


 ファルクはネックレスを渡して、呪文の言葉を教えてくれた。


「何か嫌がらせをされたら、アクセサリーを見せつけて、こうお伝えください。『妖精に相談させていただきます』と」

「はぁ、妖精……?」


 そんな一言で何か効果があるのだろうか、とポカンとしてしまった。


(急に妖精がどうとか言い出したら、お花畑思考の変な人だと思われないかしら……?)


 もし自分が言われたら、と考えてみる。

 揉め事の場で突然相手に妖精の話をされたら、申し訳ないが、少々引いてしまう……。もしかして、それがこの呪文の狙いだろうか。


 相手を引かせて、立ち去ってもらう、という呪文なのかもしれない。


 ふむと納得して、アルメはひとまず頷いた。


「なんだか不思議な呪文ですね。ありがとうございます、覚えておきます」

「もし呪文が効かなければ、その時には俺が仲裁に馳せ参じますので、お気軽にお呼びください。――というか、いっそアクセサリーの呪文より、『白鷹が文句を言いに来ます』という呪文をお相手にお伝えいただく方が、よい効果を期待できそうですね」

「呪文というより、直球の脅しじゃないですか……」

「最終手段として、是非覚えておいていただきたく」


 一応、二つの呪文をありがたく受け取っておくことにしよう。……なるべく穏便な呪文で済ませたいところだけれど。



 そんな話をしながら食事を済ませて、少しの食休みを取った後。


 お茶を飲み終えると、ファルクは席を立とうとした。


「改めて、昨日は突然お邪魔してしまってすみませんでした。お酒を飲んだ後ですし、今日はゆっくりとお休みくださいね」

「もうお帰りですか? って、そうですね、一晩付き合わせてしまいましたしね……すみません。ファルクさんも、ゆっくりとお休みください」

「俺は休むほど疲れていませんから、そう気にせずに。この後は買い物にでも行ってきます。街で店の開拓でもしようかと」

「あら、楽しそうですね。私ももう酔いは残っていませんし、よければご一緒に――」


 ペラっと返事を返すと、途中でファルクが勢いよく声を被せてきた。

 

「えっ、大丈夫ですか!? 具合悪くありません!? お元気ならば是非、街歩きを共に! デートしましょう、デート!」


 デートという単語にアルメはハッとした。諸々のいざこざで、意識の隅っこに追いやられていた予定と悩みを一気に思い出した。


(デ、デート……すっかり忘れていたわ! でも、そうね、二人とも連休なら、このタイミングがちょうどいいわよね……よ、よし!)


 内心の動揺を隠しつつ、とりあえず返事をする。


「……デート、ですね。はい。しましょうか、デート。――ええと、そうだ。デートの前に、シャワーを浴びてもいいですか? 昨夜の焼き肉屋の煙の臭いが、髪に残っていて」


 ――と、そこまで喋った時。

 

 突然、ファルクが自分で自分の頬を、両手のひらではさむようにバチンと叩いたのだった。


 彼はそのまま手で顔を覆って、動かなくなってしまった。


 一体何事か。アルメはギョッとして声を上げた。


「ファルクさん!? どうしちゃったんですか、突然頬を叩いたりして……!」

「……何でもありません、お気になさらず。ちょっと、心の汚れを払っただけです」


 気にするなと言われても、そんな妙な動きをされたら気になるのだが……。なにやら酷く険しい顔で頬をペシペシしているので、そっとしておくべきだろうか。


「……デートの前の湯浴みの許可を……男に求めてはいけませんよ……アルメさん。……男は多感な生き物なので……」

「え? 何ですって?」


 彼は何やら低く呻いていたが、ボソボソした小声はアルメの耳には届かなかった。



 

 お互い身支度を整え直してから、再度待ち合わせて遊びに行くことになった。


 ファルクは一度神殿へと戻るべく、アルメの家を出て通りを歩く。


 涼しい馬車に乗らず、こうして日に焼かれて歩いているのは己への罰である。


 ……昨日の今日ということもあり、アルメとの会話が、変な風に男心に響いてしまったので。


 神官白鷹としては、許されざる心の揺らぎである。――が、今は連休中だ。


(神よ……休みの間だけは、このしょうもない男心をお許しください)


 ファルクは神に言い訳をしつつ、頬の内側を噛んで歩く。

 そうしていないと、顔が不格好ににやけてしまいそうなので。


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