116 聖女に魔法薬アイスを
中央神殿のほど近く、北東側にはどっしりとしたルオーリオ城が鎮座している。
真っ白でよく目立つ神殿とは違って、こちらは趣のある落ち着いた外観だ。とはいえ、重厚な造りの城は実に立派で見栄えがよい。
城の中には、街の統治を担う公人や貴人、重鎮たちが身を置いている。
もちろん一般人は城内には入れない。周辺の展望台から外観を鑑賞する観光客は、多いらしいけれど。
城と中央神殿は地下の通路で繋がっていて、地上に出ずに行き来ができる。ファルクはこの涼しい通路を心からありがたがっている。
そんな大きな城の中の、大きな厨房の一角にて。
ファルクとルーグは、城の料理人と共にチョコクリームのボウルを囲んでいるのだった。
生クリームとメレンゲ、そして濃厚なチョコを混ぜ合わせた、ふわふわチョコクリームが目の前にある。このボウルの中のチョコクリームは、この後、凍らせてアイスに変身させる。
ファルクはアルメから教えてもらったレシピを、早速再現してみたのだった。あとは固めるだけだが、今回はその前にもうひと工程加える必要がある。
ボウルのチョコクリームを少しだけ取り分けて、ファルクは小瓶から液体を垂らし入れた。
緑と紫と茶色と、どす黒い色がごっちゃりと混ざりあった、ドブ色の液体。――垂らし入れたのは、手製の魔法薬である。
自身の膨大な魔力のせいで体調を崩しがちな、四歳の聖女への薬だ。魔力を抑える効果がある、特別な魔法薬。
液薬をチョコクリームに混ぜながら、ファルクは複雑な顔をした。
「はぁ……やってしまいました……アイスを冒涜してしまった」
「まだそんなことを言っておるのか。アルメさんだって、背を押してくれたのだろう? 人の厚意を無下にする方が、罪というものだ」
盛大なため息を吐くファルクの脇腹を、ルーグが小突いた。
混ぜ終えたら、氷魔石をたっぷり詰めた大きなボウルに、チョコクリームのボウルを重ねる。そのまましばらく冷やして固めていく。
ほどよく凍ったら、魔法薬入りチョコアイスの完成だ。続けて、薬の入っていないチョコアイスも仕上げていく。
それぞれ出来上がったところで、ファルクは気持ちを切り替えた。
「さて。それでは、通常のチョコアイスと薬入りのアイスを食べ比べてみましょうか――と、言いたいところですが、薬を服用してしまうと、丸一日魔法が使えなくなってしまうので……どなたか、代わりに試食をしていただけませんか?」
チラリと、場にいるルーグと料理人の顔を見る。
自分で味を確かめたいところだが、魔法を使えなくなると、この後の仕事に支障が出てしまう。なので、試食者を選ぶ必要がある。
ルーグと料理人は両者とも難しい顔をした。
「あいにく、ワシもこの後診療の予定があってなぁ。治癒魔法が必要になる」
「申し訳ございませんが、私も昼食の支度に火魔法を使います」
「そうですか。では、どなたかお休みの方に協力していただきましょう。――連れて参りますので、お待ちください」
そう言うと、ファルクはサッと厨房を後にした。
そうして少し間を空けて。ファルクは休日を過ごしていた見習い神官――カイルを連行してきたのだった。
カイルは腕をガッチリと拘束されて、ヒィヒィ言いながら現れた。
「ファルケルト様……! どうか、どうかご勘弁を! 祭りでティティー様の首元を見てしまったのは、本当に無意識だったのです……! 肌の記憶などはもうすっかり脳内から消し去りましたから、どうか薬を盛るのだけは……っ!!」
カイルはなにやら怪しげな薬を盛られると勘違いしているらしい。必死の形相のカイルに、ルーグはスプーンとチョコアイスを差し出した。
「はっはっは、ほれ、落ち着け。物騒な薬は仕込んでいないから、安心せい」
「えっ……? 記憶を消されるわけではないのですか……?」
「違いますよ。聖女様用の薬入りアイスを試していただきたいのです。って、先ほどからそう説明しているでしょう」
「……ファルケルト様、たまに妙なことをなさるから信じられなくて……疑ってしまい申し訳ございません。ええと、そういうことならば、協力させていただきます」
ようやく落ち着いたところで、カイルはスプーンを受け取った。ムッとした様子のファルクからは目を逸らしつつ、カイルは薬入りチョコアイスを口に入れる。
もぐもぐと味わった後、感想を述べた。
「若干、おかしな味はしますが……食べられないことはないかと。……あぁ、でも、後味が結構厳しいかもしれません」
「口直しに、こちらの普通のチョコアイスを食べたらどうでしょう? 嫌な味は消えますか?」
続けて薬の入っていないチョコアイスを頬張って、カイルは表情を明るくした。
「あ、すっかり消えました。チョコの味が濃いので、薬の味がすぐに飛びますね」
「なるほど。では、聖女様にも両方のアイスを召し上がっていただくことにしましょう。ありがとうございます、カイルさん。お休み中にすみません、ご協力に感謝します」
カイルの感想を聞くに、なかなかよさそうだ。今日の聖女様との戦いは、チョコアイス作戦でいくことにしよう。
ファルクは、ふむと頷いた。
そしてふと思いつく。
カイルにお礼を言うついでに、もう一つ別の話を振ってみた。
「――お話変わりますが、もう一つ別の事柄についてご意見をうかがってもよろしいでしょうか? この前の祭りの日のことですが……アルメさんの首元のネックレス、どうでした? 虫よけの意味を込めるのならば、もう少し目立つような、宝石の大きなものの方がよかったでしょうか」
「いえ! ファルケルト様がお贈りになられたネックレス、とてもよくお似合いだったと思いますよ! ティティー様は首元がすっきりとしたお方なので、あの大きさの石がちょうどよいかと。彼女の白い肌に、よく映えていらっしゃいましたね」
ペラっと話したカイルに、ファルクはスッと目を細めた。
(アルメさんの首元の記憶、ばっちり残っているじゃないか)
ちょっと気になったので、かまをかけてみたのだが。彼は見事に引っかかった。
ファルクは表情を落とした涼しい顔で言葉を返す。
「おや、ずいぶんとよく覚えておいでですね。……実はこちらに、もう一つ手製の薬がありまして。カイルさんには、こちらの服薬もお願いしておきましょうかね」
神官服の胸元から薬の小瓶を取り出す。すると、カイルが全速力で厨房から走り去っていった。
……なかなか足の早い子だ。運動神経がよさそうなので、彼はよい従軍神官になりそうだ。
■
その日、昼を過ぎた頃に、ファルクはチョコアイス作戦を実行に移した。
四歳の尊き聖女、ルーミラ・エテス・グラベルートは、仕事熱心な聖女である。この時間の彼女の仕事は、中庭で思い切り遊ぶことだ。
雨の日以外は、彼女はこの仕事を忠実にこなしている。今日もよく晴れているので、そろそろ遊びに来るはずだ。
ファルクは中庭に立ち、聖女ルーミラを待つ。
彼女に薬を飲ませるには、手順を踏む必要がある。
まず初めに、チョロチョロ逃げ回る彼女をこちらに寄せる。次に、話をしたり誤魔化したりしつつ、上手くおやつを勧める。そして気分を乗せたまま、薬入りのお菓子を食べさせる。
この三つの段階を経た後に、薬入りのお菓子を吐き出されたり、ビンタを食らったりするのだけれど……今日は、上手くいくことを願おう。
まず第一段階である、『彼女をこちらに寄せる』という課題をクリアするべく、ファルクは装備を整えた。
本日の装備は『手持ち花火』である。アルメにお願いをして分けてもらった、パフェ用の小型花火だ。
キラキラとした花火遊びは、きっと彼女の興味を引くことだろう。そう思って作戦に取り入れてみた。
花火を構えて待っていると、ほどなくして、付き人を従えて聖女ルーミラが歩いて来た。
銀色の髪に、空のような青い瞳。高価な人形のように愛らしい幼子だ。
彼女が中庭に顔を出すと同時に、ファルクは花火に火を点けた。そして思い切りはしゃいだ大声を上げたのだった。
「あっはっは――っ! 楽しい――っ!!」
花火を振り回して、一人で遊び狂う。
様子のおかしい神官を見て、ルーミラはポカンとした顔をした。……付き人たちの引いた表情は、気にしたら負けである。
ルーミラは遠くから、楽しそうにはしゃぐファルクを見つめている。そのうちうずうずとした様子で、ポソリと呟いた。
「……白悪魔……楽しそう。あれ、何だろ。すごいキラキラしてる」
ルーミラは迷いながらも、こちらにソロソロと寄ってきた。上手く気を引けたようだ。
しゃがみ込んで出迎えると、彼女は舌足らずな声をかけてきた。
「ねぇ、何してるの? それ楽しそう」
「これは手持ち花火というものです。ルーミラ様もご一緒に、いかがでしょう?」
「うん、わたしもやりたい。……でも白悪魔と一緒は嫌。あなたはあっち行ってて」
「……」
グサリと一撃を食らったが、耐えつつ言葉を続ける。
「……そう、意地悪をおっしゃらないでください。ええと、ルーミラ様、こちらの花火でお遊びになる前に、お菓子を召し上がりませんか? 今日は特別に美味しい、新しいお菓子をお持ちいたしましたので」
「いらない……。白悪魔の持ってくるお菓子、いっつも毒が入ってるんだもん」
「今日は入っていませんから、大丈夫です!」
「それ毎日言ってる。白悪魔、毎日嘘ついてる。嘘つく男の人はねぇ、女の子に嫌われちゃうんだよ。お母様が言ってた。だからねぇ、白悪魔もたぶんモテないよ。かわいそうだけど」
「うぐぐ……こう見えて俺は、世間ではそれなりに……いや、……そうですね、モテませんね、嘘つきは……気を付けます」
グサグサと攻撃を繰り出してくるルーミラ。ファルクが渋い顔をすると、周囲にいる付き人たちが吹き出していた。皆、顔を背けて笑いを堪えている。
気を取り直して、ファルクは傍らのクーラーボックスを開けた。ガラスのチョコレートケースを取り出して、ルーミラに中身を見せた。
ケースの中には、一口大のごく小さな丸いチョコアイスが三つ並んでいる。キョトンとした顔で覗き込むルーミラに、提案をしてみた。
「まぁ、ひとまずご覧ください。こちらはチョコアイスという冷たいお菓子です。一つ食べてみて美味しかったら、全部差し上げますから、どうぞ召し上がってください。全部召し上がっていただけたら、花火も差し上げます」
「う~ん……毒入ってそうだけど……」
複雑な顔をしながらも、ルーミラはアイスに興味を示した。気持ちが乗ってきたみたいだ。
このチャンスを逃すまい、と、ファルクはスプーンを握った。三つ並んだアイスの、一番端の小玉をすくう。
「はい、どうぞ」
口元に差し出すと、ルーミラはパクリと食いついてきた。
「むむむっ、チョコだ……! 冷たい!」
「美味しいでしょう? もぐもぐしてから、飲み込んでくださいね」
「毒入ってない。結構おいしいチョコだった」
「ではでは、あと二つもどうぞ」
次に真ん中のチョコアイスをスプーンですくう。これには薬が入っているのだが……飲み込んでくれるだろうか。
悟られないよう笑顔を浮かべつつ、二つ目を口元に差し出した。ルーミラはパクリと頬張る。
もごもごしながら、ちょっと変な顔をしていた。
「む……? なんかちょっと、さっきと味違う」
「気のせいですよ、気のせい。――さ、食べ終わったら、最後の一つをどうぞ」
飲み込んだのを見届けて最後のアイスを与える。これは口直し用の、普通のチョコアイスだ。
「……むむ、やっぱり結構おいしい」
「それはよかったです。このお菓子、気に入っていただけましたか?」
「冷たくて美味しかった。白悪魔のくせに、やるね」
三粒のアイスを食べ終えて、ルーミラはニヤリと笑った。澄ました顔で笑う四歳児を見て、ファルクはホッと息を吐いた。
この後すぐに手紙を出して、作戦の成功をアルメに報告しようと思う。
叶うのならば、この聖女の笑顔も見せたいところだけれど。それはできないので、代わりに自分が、満面の笑みで感謝の言葉を送るとしよう。
無事に作戦を終えて。
薬を飲んだご褒美として、ファルクはルーミラの花火遊びに付き合った。
幼い聖女はキラキラとした花火に喜び、大いにはしゃいでいた。
(ルーミラ様が俺の前でこんなに笑顔を見せてくれるなんて……。これはもしかして、仲直りができたということでは――)
と、期待したのだが。ルーミラはやはり辛辣なままだった。
「花火楽しいし、チョコアイスおいしかったけど……でも、白悪魔はやっぱりモテないよ。今まで嘘いっぱい吐いたからね」
「……モテなくて結構です。俺はただ一人からモテれば、それでいいので」
「ふ~ん。白悪魔、欲張りじゃないんだね。それはいいことだと思う。ま、がんばりなよ」
ルーミラはニヤリとした笑みで、そんな返事を寄越した。
……まったく、妙にませた子供である。守護聖女がこれほどの大物ならば、ルオーリオの未来は安泰であろう。




