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113 押しかけ白鷹セラピー

 新店オープンから三週間と少し経った。


 厚い雲が空を覆う、どんよりとした曇りの日。アルメの今日の勤務場所は路地奥店だ。

 

 朝の支度を済ませ、二階の自宅から下りて一階の店舗へと向かう。


 まだオープンの時間には早いけれど……早起きして手持ち無沙汰なので、店を開けてしまうことにした。

 早起き、というか、眠りが浅くて起きてしまっただけなのだが。


 オープン準備のために、玄関扉を開け放つ――直前で、アルメの動きは止まった。


 玄関脇の窓から外を見て、一気に気力を失ってしまった。


「嘘でしょう……なんでこんな時間から、店に来てるのよ……」


 店の玄関前で、もう令嬢三人組が開店を待っているのだった。


 扉を開けた瞬間、朝一でストレスを浴びることになるのか……。そう思うと、変な冷や汗が出てきた。ドアノブを握る手が震える。


 脇の窓からアルメの姿を確認したのか、ブライアナがコンコンと扉をノックしてきた。


 ……どうせ開店作業をしなければいけないし、このまま閉じこもっているわけにはいかない。

 アルメはまわらない頭で、催促されるままに扉を開け放ってしまった。


 その途端、令嬢たちのペチャクチャとした喋り声が、キンと耳に届いた。


「ごきげんよう。アイス屋さんはまだ開かないの? 今日はこのお天気だから、雨が降り出す前に食べていきたいのだけれど」

「私たちのような熱心な常連客がついて、よかったわね。お天気が悪い日は、お客さんも減ってしまうのでしょう?」

「さぁ、ほら、ブライアナ様をお待たせしないでちょうだい。せっかく来たのだから、早くお店をお開けになって」

「……」


 何か言おうと思ったのだけれど……上手く言葉が出てこなかった。疲れとストレスと寝不足で、全然頭が働かない。


 これまで、かろうじて浮かべてきた接客用の笑顔すらも、すっかり作るのを忘れてしまっていた。


 令嬢たちは真顔で呆けるアルメを見て、早速あれこれと文句を連ね始めた。が、もうその言葉すら、いまいち頭に入ってこない。

 

(はぁ……もう……何かの魔法で、パッとこの場から消え去りたいわ……)


 アルメはぼんやりと立ち尽くして、そんなことを思ってしまった。


 ――が、遠くに飛びかけた意識は、ふいに現実へと戻ってきた。


 令嬢たちの後ろの方――小広場の向こうから、別の常連客が歩いてきたのだった。アルメはパチリとまばたきをする。


(あら? ファルクさん? 今日、お店に遊びに来るって言っていたっけ……?)


 特に約束も何もしていなかったと思うが。と、不思議に思ってポカンとしているうちに、ファルクはさっさと歩み寄ってきた。


 彼が真後ろに立った時に、ようやく令嬢たちはペチャクチャとしたお喋りをやめた。目をまるくして振り向いた令嬢たちに、ファルクは涼しい顔で声をかけた。


「お嬢さん方。今さっき、白鷹が表通りを歩いていましたよ。見に行かれなくてよろしいのですか?」

「えっ!? 白鷹様が!?」

「ブ、ブライアナ様! 行きましょう!」

「アイスはいつでも食べられますよ! お姿を見に行きましょうよ!」


 令嬢たちは黄色い声を上げて散っていった。あっという間に小広場から姿が消えた。


 アルメはあっけにとられながらも、ファルクに突っ込みを入れておいた。ようやく頭が働きだしたので。


「……今さっき、表通りを歩いて来たのは自分でしょうに」

「えぇ、ですから、嘘はついていないでしょう?」

「そうですね……って、わっ! ちょっと!?」


 喋りながら、ファルクはよいしょ、と、アルメを店の中へと押し込んだ。そのまま扉を閉めて、鍵をかけてしまった。


「あの……開店作業があるのですが。……というかファルクさん、あなた今日お仕事は?」

「お休みをいただきました。――と、いうわけで、アルメさん。久しぶりに、二人でゆっくりお喋りをしませんか」


 ファルクはアルメの手を取って、やんわりと、大きな両手で包み込んだ。アルメは自身の手が震えていることを思い出した。


 令嬢たちのお喋りも聞かれてしまったし、目元のクマも、この手の震えも、誤魔化しようがない……。

 ファルクの言う『お喋り』とは、これらの事情の説明であろう。


「……今、私とお喋りをしても、しょうもない愚痴を延々と聞くことになってしまいますよ……?」

「では、代わりに俺の愚痴も聞いてください。俺もそれなりに、日頃上手くいかない仕事に頭を悩ませているので。それで、おあいこです」


 ファルクはやわらかな声音で、そう言った。

 彼の言葉を聞いて、アルメの口は動き出してしまった。



 結局、事の起こりから、つい先ほどの出来事まで、一気にペラリと喋り切ってしまった。


 自分で思っていたよりもずっと、ストレスが溜まっていたらしい。驚くほど、なめらかに口がまわった。

 

 玄関先で手を握られたまま、お茶も出さずに延々と立ち話をしてしまった。それもほとんど、愚痴である。


 長年の付き合いであるエーナであったならば、笑っておしまいなのだけれど。ファルクが相手だと、ものすごく申し訳なさを感じる……。


 喋り切った後、冷静になったアルメは心底どんよりと沈んだのだった。


「……すみません……こんな情けない話を、こんな場所で、お茶も出さずに……」


 謝りながら、指先で軽く目元を拭った。自分のしょうもなさに涙が出てきてしまった。愚痴など吐きたくなかった相手に、それはもうペラペラとぶちまけてしまって……。


 アルメの涙を拭う動作を見て、ファルクは慌てて言葉をかけてきた。


「いえいえ! 愚痴でもなんでも、いくらでもお聞きしますよ……! ええと、どうしましょう、俺でよければ、胸をお貸ししましょうか……!」


 アワアワと焦った様子で、ファルクは両腕を広げてきた。ポカンとするアルメに向き合って、彼は真剣な面持ちで言う。


「人と抱擁を交わすと、ストレスが散るそうですよ! 俺をアルメさんのお祖母(ばあ)様だと思って、どうぞ……! 今日は幸い、日差しもなく、汗をかかずに来れましたので! さぁ、遠慮なく……!」


 こんなに体格のよい老婆がいてたまるものか、と言いそうになった。が、ファルクは真面目な顔をしていたので、ツッコミは飲み込んでおく。


 そういえば、前に神殿で大泣きした時、アルメは老齢の神官に抱き留めてもらったのだった。ファルクはあの神官と同じように、慰めてくれようとしているようだ。


 けれど、相手は老婆ではなく、体格のよい男性だ。祖母を重ねて心を慰めるなんてこと、できるのだろうか……。


(ど、どうしよう……ファルクさん大真面目な顔してるわ。断りにくいわね……。ここはもう、甘えてしまうのが正解かしら?)


 人の気遣いをバッサリと断るというのも、なんだか悪い気がする。


 アルメはじりっと構えつつ、覚悟を決めた。


「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて。ちょっとだけ、胸をお借りします……」

「どうぞ……!」


 ……なんとなく、格闘技の組み手を思い出してしまった。抱擁とは、こういう風に交わすものだったか。


 緊張してしまって、胸が変な音を上げ始めた。アルメは自分に暗示をかけるように、心の中で繰り返し呟く。


(今、私の目の前にいるのはおばあちゃんよ……おばあちゃん、おばあちゃん……)


 そう言い聞かせながら、ファルクの腕の中へソロソロと身を寄せる。


 アルメの体を包み込むように、彼の腕が背にまわされた。腕の内側にやんわりと閉じ込められる。


 体のあたたかさが伝わってきて、例えようのないフワフワとした心地になった。彼のシャツからは、やわらかなよい香りがする。


 さすがに両腕を彼の体にまわすことはできなくて、縮こめてしまったけれど……一応、抱擁の形にはなっただろうか。


 ファルクは体を重ねたまま、ポンポンと優しく背を叩いてくれた。


「どうでしょう? 落ち着きましたか?」

「…………はい……」


 頭の上から聞こえた声に、アルメは答えた。


 ――が、ちょっと嘘をついてしまった。

 落ち着くどころか、照れで息が苦しくなってきたところだ……。


 抱擁はストレスを散らす、と彼は言っていたけれど。凄まじい照れでストレスが押しのけられた、といった方が、正確だと思う。


 祖母とは違って、ファルクの体はずいぶんと大きく、たくましい。

 でも、体のあたたかさと、まわされた腕の優しさは、とてもよく似ていた。


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