110 敵との対峙
オープン後、数日にわたって、アイス屋二号店にはたくさんの知り合いが来店した。
セルジオ姉弟や、前の職場の図書館の面々。エーナの家族や、ミルクを仕入れている街の牛乳屋さんも祝いに来てくれた。
とある日には、通りの向こうの方に、見覚えのある茶髪の優男の姿が見えた気がしたのだけれど……店には入ってこなかった。この人影の件は、忘れることにしよう……。
オープンから間を空けずに、新メニューの提供も始めることとなった。アイス添えワッフルの企画が、トントン拍子で進んだので。
ワッフル屋の店長は、ずいぶんと前からあれこれ考えていたらしい。彼は見た目と喋り方に反して、結構マメな性格をしているようだ。
互いの店に、それぞれワッフルとアイスを提供することになった。
両店舗で異なるメニューを出して、注文客には相手の店のクーポンを付ける。互いの店で客をまわす仕組みである。
アイス添えワッフルは、アイス単品よりボリュームのあるメニューなので、お昼時に大人気だ。
アルメは賑わう店内を見回して、一人の客を目に留めた。真っ赤な口紅が美しい女性客だ。ワッフルを頬張って、ものすごく幸せそうな顔をしている。
(あの方は、確かグルメライターの……。新店の新メニューも楽しんでいただけたみたいで、何よりだわ)
彼女は前に、キャンベリナの店の前で話しかけてきた女性だ。あの時は少々、胡散臭い印象を受けたのだけれど……どうやら本当に、アイスのファンらしい。
スイーツを楽しむ彼女を遠目に見つつ、アルメは心の中で、疑ってしまったお詫びをしておいた。
真っ赤な口紅のグルメライター、ミランダ・オーラスは、ワッフルを頬張ってため息を吐いた。もちろん、美味しさにうっとりとしたため息だ。
(ワッフルは東地区の通りの店のものらしいけれど……注文が入ったら、一枚ずつ店内で焼き直しているのね。熱々の焼きたてワッフルに、たっぷりの生クリームとミルクアイス……。ほどよく溶けたアイスがたまらないわ)
絶品、と、手帳に食レポを書き込んでおく。
プレーンで数口味わった後は、添えられているキャラメルソースを掛けてみる。味が変わって、またたまらない美味しさだ。
そうして、キャラメルソース付きアイス添えワッフルを堪能していると、隣の客のテーブルに花火フルーツパフェが置かれた。
従業員が着火器で火を点ける。すると、グラスの縁で花火がキラキラと弾けた。
花火パフェを注文した客は、美しい装いをした女性客二人組だ。どこぞの貴族と侍女のように見える。二人は華やかなスイーツに顔をほころばせていた。
通りすがりの男性客は、飲むアイスという謳い文句のシェイクを注文し、店先でサッと飲み干していく。
街歩きの観光客はマスコットが描かれたモナカアイスを買って、食べ歩きを楽しんでいる様子。
ライターミランダは、店内を確認して、ふむ、と頷いた。
(この様子だと、デスモンド家の方のアイス屋は、思ったよりも早くに霞んでいきそうね。あちらも来週あたりに再オープンを迎えるけれど、この勢いのある店とどう戦うつもりかしら)
この街の人々は、基本的に陽気で楽しいことが大好きだ。新しさ、賑やかさ、華やかさ、珍しさ、面白さ――そういうもののところには、どんどん人が集まってくる。
アルメ・ティティーのアイス屋は、この要素をなかなかバランスよく兼ねそろえているように思える。
デスモンド家は、どう戦うつもりなのだろうか――。
そんなことを考えつつ、ふと、通りに目を向けた。
通りの向こうから、一台の馬車が向かってくるのが見える。あの金細工の美しい馬車は……デスモンド家のものだ。
馬車は速度を落として、少し離れた沿道に停まった。
遠目に見つつ、ミランダはゆっくりとワッフルを切り分ける。
(噂をすれば、じゃないけれど……早速来たわね)
何やらひと悶着起きそうな予感がする。事を見届けるため、食べるペースを落とした。ワッフルを堪能しつつ、目と耳だけはそちらに集中させてもらうとしよう。
チラと様子をうかがっていると、ずんぐりとした小柄な男が馬車から降りてきた。
ゴンザロ・デスモンドは馬車から降りて、アルメのアイス屋へと目を向ける。
「まったく、こんな大きな看板なんか出しおって……ずいぶんと金を掛けたままごとをしてくれるじゃないか、あの娘」
独り言のつもりだったが、隣に立つ初老の秘書が返事を寄越した。
「軽んじていると、足元をすくわれてしまいますよ……」
「そうならないように、わざわざこうして、この場に来ているわけだ。こんなくたびれた庶民の服なんぞを着てな」
ゴンザロと秘書はいつものピシリとしたジャケットを脱ぎ、カジュアルなシャツとズボン、という庶民の服装をしている。
これから人混みに紛れて、敵情視察とやらをするので。
敵――と呼ばなければいけないところが、なんとも腹立たしい。数ヶ月前の四季祭りの頃には、敵ですらないと軽んじていたのだが……。
デスモンド家のアイス屋を再オープンして軌道に乗せ、落ち着いた頃合いに、アルメ・ティティーのアイス屋も取り込んでしまおう、と計画していた。
金をちらつかせて話し合えば、あっさり話がつくだろうと思っていたのだ。それなりに力のあるデスモンド家の傘下に入る、ということは、向こうの店にも利のある話なのだから。
と、いうのに。店主アルメは生意気にも戦いを挑んできたのだった。
我が家の店と同じように表通りに出店し、オープンの時期までぶつけてくるとは。わかりやすい果たし状だ。
……しかも、想定していたより調子がいいときた。
表通りに店を出したところで、アイスの種類などたかが知れている。それほど華々しいことはできないだろう、と軽く見ていた。
……の、だが。
ゴンザロは店へと歩き、そのまま中に入ってグルリと見回した。ボソリと低い声で呟く。
「このメニュー表に描かれている絵、これがそのまま出てくるのか? なんだ、あの城のように派手なアイスは。それに、花火……?」
「『食べ歩きにぴったり、モナカアイス』なんてものもありますね。こちらは観光客に向けたものでしょうか?」
「……なにが、白鷹ちゃん、だ。こんな子供の落書きみたいな絵を掲げて……」
小声で吐き捨てながらも、ぐぬぬと奥歯を噛んだ。
所詮、若い娘のお仕事ごっこだと甘く見ていたが、それなりに商品開発をしているようだ。
客入りも好調な様子。客で埋まったテーブルには、華やかな盛り付けのアイスが並ぶ。
花飾りのアイスに、花火の散る賑やかなアイス、軽食的なワッフルまで。……ワッフルはオープン初日にはなかったようだが、もう新しいメニューを追加したのか。
「ふむ……これは少し、勢いを削ぐ必要がありそうだな」
ゴンザロはフンと鼻を鳴らして、カウンター周りに目を向けた。アイスカウンターの内側には若い従業員が数人、奥の調理室にはチラッと男の従業員の姿が見えた。
カウンターにいる一人は、店主のアルメだ。
タイミングを見計らって、ゴンザロはアルメを狙って注文を告げた。
「白鷹アイスを一つ」
「食用花の砂糖漬け飾りはいかがいたしましょう?」
「よろしく頼む」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
注文を受けると、アルメはミルクアイスをすくって手早く器に盛りつけた。飾りを付けて、アイスカウンター脇の会計場所へと移る。
金を払って、アイスのグラスを受け取る。
――と、見せかけて。
指先を滑らせて、持ち上げたグラスをスルリと落としてやった。グラスは音を立てて割れ、白鷹アイスはあっけなく飛び散った。
ゴンザロは眉を下げて、肩をすくめる。
「おっと、手を滑らせてしまった……」
「お怪我はございませんか!?」
アルメは布巾を手に取って、慌てた様子でカウンターから出てきた。しゃがみ込んで、ゴンザロの足元を確認する。
ズボンにシミができていないか確認すると、彼女は笑顔を作り直して接客を再開した。
「代わりのアイスをお作りしますね。お代はいただきませんので、お待ちくださいませ」
なかなかスムーズな対応だ。けれど、どの程度まで笑顔で対応できるだろう。
胸の内で密かに笑い、ゴンザロは態度を強いものに変えた。ちょっと揺すってみようじゃないか。
「――いいや、代わりはいい。もう食べる気が失せてしまったよ。グラスが濡れていたから手を滑らせてしまったというのに……謝罪の一言もないのかね」
「っ、失礼いたしました……! 申し訳ございませんでした」
「君、本当に謝る気持ちがあるのかい? そういうマニュアルじみた謝罪ほど、気分の悪いものはないのだけれどね」
胸を張り、じとりとした目で見下す。するとアルメは、さらに丁寧に謝ってきた。
「大変申し訳ございませんでした。気がまわらず……濡れたグラスをお渡ししてしまったこと、お詫び申し上げます……」
「フン、まぁいい。金だけ返してもらおう」
「かしこまりました……本当に、申し訳ございませんでした」
もう一度頭を下げると、アルメは返金の処理をして金を渡してきた。彼女の手を払うように雑に奪い取ると、わずかに怯えた表情をした。
そのまま踵を返してアイス屋を出る。
慌てて追ってきた秘書が渋い声を出した。
「旦那様、若い娘相手にあのような態度は……」
「若い娘だと思って手心を加えてしまったから、この店が表通りにのさばってしまったんだろうが」
通りを歩いて馬車へと向かう。大股で歩きながら、ゴンザロはニヤリと笑った。
「しかしまぁ、戦いを挑んでくるくらいだから、どんな豪胆な女かと思ったが。それほど気の強い女ではなさそうだな」
店主アルメが男勝りの豪傑だったら厄介だな、と思っていたのだが。先ほど探りを入れてみた感触としては、普通の庶民の女、といった感じだ。
「なんてことない娘であれば、都合がよい。ちょっとつついてやれば、自滅に誘えそうだ」
「自滅、ですか……?」
「あぁ。何やら、あのアイス屋は白鷹のひいきなのだろう? 我が家に鷹の爪が向かないように、上手くやらなければいけないからな。――店主アルメが勝手に潰れてくれるように仕向けなければ」
店主をつついて足を引っ張り、店の勢いを削ぐ。これが最も、手っ取り早い策であろうと思う。
しかし表立って手を出すと、白鷹の怒りを買う可能性がある。
キャンベリナの件でゴシップの世話にもなってしまった我が家なので、世間の目も気にしたいところ。
上手いこと事を荒立てず、世間と白鷹の目をかわしながら、アルメの調子を崩してやりたい。
そういうわけで、彼女には勝手に自滅してもらおうと思う。
向こうのアイス屋は彼女が経営の中心となっているようなので、彼女が潰れれば店自体の勢いも落ちるだろう。
「……どうやって自滅に誘うのですか」
「万が一にも、我が家に火の粉が飛んで来ることは避けたいから……そうだな、手頃な駒を使うことにする。金を貸しているお友達に頼んでおこうか」
「人を使ってちょっかいを出すのですか? それはまた、どのように……?」
「他家の娘でも借りようじゃないか。若い女同士のしょうもないいざこざ、という形にでも収めておけば、世間が騒ぐこともないだろう」
喋りながら、頭の中であれこれ算段をつけていく。
(ふむ、我ながらよい案だ。金を貸している家の娘を借りて、店主アルメにちょっかいを出してやろう。しょうもない、ささやかなちょっかいを。彼女が病み、自滅するまで、延々と――)
商売の世界では、水面下の小競り合いなんてありふれたことである。我が家と戦おうと言うのなら、あの娘にもわからせてやる必要がある。
馬車に乗り込み、ゴンザロは遠目にアイス屋を眺めて、意地悪く笑った。
男性客が踵を返したすぐ後に、奥でアイスを作っていたコーデルが出てきてくれた。
「大丈夫!? なんか揉めてた? 気付くの遅くなっちゃってごめんね……! アイス落として揉めた感じ?」
「まぁ……はい。男性のお客さんが落としてしまって、食べる気分じゃなくなったから、ということで、返金対応をしました。すみません、お騒がせして」
「女の店員に強く出る男のお客って多いから、揉めたらすぐあたしのこと呼んでいいからね」
「ありがとうございます」
この時は、まぁ世間にはそういう気難しい客もいる、ということで済んだのだけれど。
本格的にアルメ対ストレスの戦いが始まるのは、一週間後のことだった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。