10 大神官のパシリ
ルーグは散らかった執務机の片付けをファルクに任せて、間食休憩を取ることにした。
いつしか担当患者から孫のような関係になっていたファルクの姿を見て、こっそりと微笑む。
これまで何度か使いとして街に出してきたが、自分から『今日は寄りたい場所があるので』なんて言ってきたのは初めてのことだった。
先ほど入室してきた時もずいぶんと機嫌の良さそうな顔をしていたので、何か出先で良いことでもあったのかもしれない。
(根掘り葉掘り聞いてやりたいところだが、自分から話し始めるのを待つことにしようかのう。良い事ならば勝手にペラペラ喋りだすじゃろう)
菓子をつまみながら笑っていると、ファルクが怪訝な顔で視線を向けてきた。
「何を笑っているんです……? 俺が汗を流しながら買ってきたお菓子は、そんなに美味しいですか」
「そりゃあもう。次はもうちょい難易度の高い場所にある店へ、使いを頼もうかのう」
「勘弁してください……暑い日差しの下で延々と彷徨う絶望感、ルーグ様にはわからないでしょう……」
ファルクは思い切り苦い顔をした。そう言いながらも、この男は頼むとホイホイと使いに出る、素直な男である。
思えばファルクの父親も、実直な性格をした男だった。貴族家のプライドよりも子の命を選ぶような人だった。
その結果家は傾き、その後の不幸も合わさって酷いことになってしまったが……。当時ファルクはまだ幼かったが、よく荒れずにここまで育ったものだと思う。
菓子購入の使いと合わせて、笑顔で労ってやることにした。
「ふぉふぉふぉっ、ファルクよ、お前さんはよく頑張っているよ。これからも精進することだ」
言うと、ファルクはムッとした顔で睨んできた。
ルオーリオの婦女子たちが見たら、倒れてしまうような美貌だけれど、あいにく親代わりのジジイにとっては拗ねた子供の顔にしか見えない。
これっぽっちも意に介さず、ルーグは二つ目の菓子へ手を伸ばした。
ファルクがこの街に異動になったのは、実はルーグの推薦がきっかけである。
ルオーリオ神殿に在籍する大神官たちの会議にて、『後続を育てられるような、経験豊かな従軍神官のあてはないか』と問われて、故郷にベテランがいるから呼んでみるか、と軽い気持ちで言ったら、さっさと決まってしまったのだった。
基本的に従軍神官は固定ではなく、若くて健康な男の神官の内で、順番に役目がまわってくるものである。
というのも、誰もが嫌がる仕事なので、そうやってなるべく公平にまわしていくしかないのだ。
掃討戦は単純に移動が疲れるし、戦地は命の危険を伴う。戦況によっては寝る間もなく治癒魔法を使い続けることになり、魔力を使い過ぎて倒れることも多々あるので。
従軍を好き好む神官はあまりいないのだ。
言い方は悪いが、役目を嫌々まわし合っているのが従軍神官の現状である。短期間のうちに交代でまわしていくので、皆まんべんなく経験が浅い。
けれどそんな中、極北の街でファルクは、固定で従軍神官を務めると手を挙げたのだった。
父を魔物で失った経験が背中を押したのだろう。軍学校に通っていたので、元々軍人に片足を突っ込んでいた経歴も後押ししたようだ。
ファルクは数年間、従軍神官としてみっちりと働き、もうすっかりベテランである。ベテランがいると指示を仰げるので、他の神官たちも戦地で働きやすくなったそう。
働きやすくなると人は定着するもので、極北の街では今ではファルクの他にも固定の従軍神官が何人もいる。見習いのうちから従軍を目指す者も出てきているそうだ。
――そうして、他の街の神殿もその様子に目をつけ、従軍神官固定の制度を整えてみようか、という話が出てきたのだった。
副都ルオーリオは軍の規模が大きく、戦に出る頻度も高いので、早めに固定の従軍神官を確保しておきたい――ということで、手っ取り早くベテラン白鷹を呼び寄せたのだった。
『まぁ、ワシが呼べば来るじゃろ』というルーグの軽めの言葉でファルクの異動が決まったことは、本人には内緒である。
街に来た初日に散々、こんな暑い土地だとは思わなかった……、と嘆いていたので。
未だムスッとした顔のまま、本と書類でとっ散らかった机を着々と片付けていくファルクに、声をかける。
「まぁ、そうへそを曲げるな。この街に親しむというのも、これからのお前さんの課題じゃぞ」
「……街に親しむ、ですか?」
「あぁ、そうさね。ファルクよ、お前さんには止まり木が必要だ。街に親しんで、お気に入りの場所を作って、お気に入りの人たちを作りなさい。それがお前さんの止まり木になるはずだ。そろそろ羽を休めることも覚えていくべきじゃぞ」
「はぁ……」
そう言うとファルクは不思議そうな、考え込むような顔をしていた。
この顔は、よくわかっていない顔だ。頭は良いはずなのに、こういうことは上手く伝わらないのだから困ったものだ。
ファルクは従軍神官として遠征に出る時以外の平時は、上位神官として貴人の診療にあたっている。最近はその仕事が片付くと、下位神官に混ざって庶民の診療にまで手を出し始めた。
明らかに働き過ぎである。
問いただすと、余暇の過ごし方がわからない、なんてことを言い出したので、パシリに使うことで無理やり街に送り込んでいる、というわけだ。
『街で遊んで来い』という意図が伝わっているかはわからないが……。
ちなみに極北にいた頃は、時間を持て余すと雪かきに勤しんでいた。この街には雪がないので、手持ち無沙汰をどうすることもできなかったのだろう。
ファルクは机に無造作に積みあがっていた本を棚へと戻しながら、ふいに明るい声を上げた。
「――あ、でも、この街で一つ、お気に入りの場所は見つけましたよ。用事もあったので先ほど寄ってきたのですが、路地の奥にアイス屋を見つけまして。氷菓子のお店だそうです」
「ほう、氷菓子とな?」
どうやら入室してきた時に機嫌が良かったのは、気に入った店に寄ってきたかららしい。興味深そうに聞き返すと、ファルクは楽しげに話し始めた。
「牛乳を凍らせて作った、ミルクアイスというものをいただいてきました。店主の女性がお一人で開く予定のお店だそうで。俺よりお若い娘さんなのに、すごいですね。あぁ、この前のスカーフも、その店主からお借りしたものだったのですが」
「おぉ、あの紳士物の水色のスカーフかい」
「はい。その店主がとてもお優しい方で……俺は身分を伏せていたのですが、白鷹にあたたかい応援をいただきました。今度、沿道から手を振ってくれるそうです」
「そりゃあ良かったじゃないか。――で、お前さんはちゃんと、彼女を口説き落として来たのかい?」
軽く冗談を添えてやると、返事の代わりにドサドサッと大きな音が返ってきた。抱えていた本を取り落したようだ。
「なっ……! 口説くわけないでしょう! そういうお相手ではありません! ……そんなんじゃありませんけど、色々と気を遣っていただいたので、またお店にうかがうつもりではありますが」
「ほっほう。では女性に人気の贈り物を扱う店でも教えてやろうか?」
「…………教えてください。別に全然、そういうアレではありませんけれど」
低い声で口早に言い切ると、ファルクは落とした本を拾い集めて棚へと戻した。
やれやれと、あきれた声をこぼしながらその姿を眺める。
「戦場では軍人たちの守り神のごとき、堂々たる姿だというのに。オフになるとこれだからなぁ。ちょ~っとからかったくらいで面白いほど動揺しよる」
「……そういう戯れに慣れていないだけです。おやめください」
「まぁ、でも、白鷹に良い止まり木ができるといいな」
そう言って笑いかけてやる。
すると、少し考える顔をしたかと思ったら、ファルクは急に真剣な目をして向き直ってきた。
「な、なんじゃ。どうした?」
「あの、ルーグ様……世間の人々が期待する白鷹というものは、どういうものなのでしょうか」
突然の問いかけに面食らう。世間の白鷹のイメージを知りたい、ということであっているだろうか。
「そうさなぁ。高潔、孤高、神秘的、神殿の王子様。――なんて言葉は、聞いたことがあるぞ」
「王子様……。もし、その白鷹のイメージが壊れたら、世間の人々は落胆するでしょうか」
「さぁ、どうだか。熱心なファンには『新たな一面!』なんて、もてはやされそうじゃが。あぁ、でも流行りに乗った商売人たちは困るかもなぁ。『高潔な白鷹』なんて格好良いイメージで色々と打ち出していたのに、中身がこんなぽやぽやしたヒヨコみたいな奴だったらなぁ」
冗談を言っただけで思い切り動揺して、本を取り落すような男。素直な性格でホイホイとパシられる男。変なところで頭がまわらず、とぼけたことをする男。暑い暑いと毎日ぼやいて、最近庶民の氷菓子店にハマったらしい男。
――それが素のファルケルト・ラルトーゼだ。
たぶん、世間の印象とはだいぶ違うのではなかろうか。
黙り込んでしまったファルクを見ると、なにやら難しい顔で考え込んでいた。
そのうち、ぽつりと独り言がこぼされる。
「そうですか……イメージを壊したら迷惑が……。身分を明かすのはやめておこう……」
何のことかわからなかったが、聞きそびれてしまった。あまりに真剣な顔をしていたので、声をかけるのも悪い気がして。