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1 浮気現場と婚約破棄

区切りの良い1章終わりまで執筆済みです。

お楽しみいただけましたら幸いです。

「――そういうわけだからアルメ、君との婚約は破棄させてもらう」


 大きな街の、大きな図書館の作業室にて。

 アルメ・ティティーは婚約者の男に、そう告げられた。


 アルメは動揺を隠しきれずに、声を詰まらせながら言葉を返す。


「そんな……こういうことは、もう少し時間をかけて話し合うべきじゃないかしら……」

「無駄に時間をかけて話をして、何の意味があるというんだい? 僕はもう真実の愛を見つけたんだ。僕は君じゃなくて、キャンベリナと結婚すると心に決めている」


 頑なに婚約を破棄しようとする彼――フリオ・ベアトスは、茶色の髪を揺らし、その緑色の瞳に熱を宿して、隣に座る女性の肩を抱き寄せた。


 肩を抱き寄せられた女性は、キャンベリナ・デスモンドと言うらしい。


 彼女は商家の令嬢で、最近父親が男爵の位を得たそうだ。世間で言うところの、成金貴族である。


 桃色を帯びた金髪がフワフワしていて、小柄で大変可愛らしい容姿の女性だ。胸元も随分と豊かなようで、惜しみなく魅せるようなデザインのドレスを着ている。


 なるほど、彼女は見るからに男性に好まれそうな、華やかな容姿をしている。アルメとは対照的に……。


 どうやらキャンベリナはこの恵まれた容姿をもって、アルメの婚約者――フリオの心を射止めたらしい。


 アルメは黒髪を真ん中で分け、きっちりと結って団子にまとめている。真っ黒で垢抜けない髪型に、真っ黒の瞳。そして地味なグレーのワンピース。


 これじゃあキャンベリナとは勝負にもならないだろう……自分でもよくわかる。だから婚約者にコロッと浮気されてしまったのだ。


 追撃のように、婚約者フリオはスッパリと言い放つ。


「アルメ、正直言って僕は君のような女性がタイプじゃないんだ。君はまるで、冴えない中年家庭教師みたいな見目じゃないか。僕はちゃんとお洒落をするような、女性らしい人を妻に迎えたいと思っている」


 容赦のない言葉に、アルメは深くため息を吐いた。

 


 





 事の起こりは、つい半刻ほど前だった。

 

 アルメは婚約者フリオの仕事を手伝うため、いつものように彼の職場――図書館を訪れたのだった。


 フリオの仕事は本の修復である。彼の家は代々、一般書籍から魔導書までもを修復する職人の家だ。


 静かな図書館内で、毎日こつこつ黙々と、書物に向き合う職人仕事。アルメはそういう仕事に従事するフリオを好ましく思っていた。


 『真面目で硬派な職人さん』というイメージを、フリオに対して勝手に持っていたのだった。……けれど、実際には、彼は全く別のタイプの人間だったらしい。

 


 この日、図書館内の彼の作業室前にたどり着くと、扉の前で眉をひそめた。いつもは静かな部屋の中から、キャハハッという甲高い女性の笑い声が聞こえてきたのだ。


『もぉ~フリオったら! お仕事中にそんなとこ触っちゃダメでしょ~!』

『ハハッ、君が誘うからいけないんだ』

『ウフフッ、ほ~んと、あたしのこと大好きなんだからぁ』

『あぁ、大好きだよ。悪いかい?』


 扉に耳を寄せながら、聞こえてきたお喋りに目をパチクリさせた。


(フリオと知らない女性の声……。嘘でしょう? どう考えても、この会話内容は……)


 浮気では――……? と、頭がクラクラしてくる。まさかこんなベタベタな浮気現場に遭遇するなんてこと、あるだろうか。


 きっと何かの間違いのはず。

 勘違いであってほしい……と、恐る恐る扉に手をかけた。


 しかし次の瞬間、目に入ってきた光景に、残念ながらその願いは打ち砕かれることになるのだった。



 部屋のど真ん中で、フリオと見知らぬ女性は口づけを交わしているのであった。それはもう、ガッツリと。



 思わず目をむいて、声を上げた。


「フ、フリオ……!? ちょっと、あなた何をして……」

「アルメ!? き、君は今日休みじゃなかったか!?」

「えっ、フリオは婚約者と別れてくれたんじゃなかったの……!?」


 アルメ、フリオ、浮気相手。三人それぞれ驚き、言葉を詰まらせた。


 ――そうしてなし崩し的に話し合いとなり、冒頭に至ったわけである。


 話し合いといっても、ほとんどフリオの言い訳と、浮気相手キャンベリナの駄々をこねたようなグズりで終始したのだけれど。






 動揺と呆れと疲れで、死んだ魚のような目でフリオに喋りかける。

 

「……わかりました、ひとまず、婚約破棄は受け入れます。もう何を言っても、あなたの気持ちは変わらないのでしょう……?」

「あぁ。悪く思わないでくれ。元々僕の叔父が勝手に決めた縁談だったし、君も亡くなったお祖母(ばあ)様に乞われて、渋々結んだ婚約だったのだろう? 白紙に戻せて、お互い良かったじゃないか」

 

 鼻で笑うように言い放ったフリオの言葉に、口をつぐんだ。もう少し、言い方というものがあるだろうに……。

 

 アルメにはもう家族がいない。物心ついた頃から父母はおらず、この街で祖母の手ひとつで育てられた。

 

 祖母は優しく、とても情の深い人だった。父母がいなくても祖母のおかげで、二十歳の今日まで、心満たされる生活を送ってこれたのだった。

 

 そんな唯一の家族である祖母も、数ヶ月前に虹の橋を渡って行ってしまったのだけれど。

 

 最期の一年間は神殿のホスピスに入り、心身共に安らかに過ごしていたので、あまり苦しく悲しい気持ちは抱えることなくお別れできた。もちろん、寂しい気持ちは有り余るが……。


 そんな祖母の最後の願いが、アルメの幸せな結婚だった。


『アルメがひとりぼっちにならないように、おばあちゃん、良いお相手を見つけてきたからね。たくさん笑って、たくさん愛を交わして、幸せな夫婦におなりなさい』


 祖母はそう笑って、最後のプレゼントとして縁談を持ってきてくれた。アルメが独りで寂しく生きないように、と。


 お相手は祖母の知人の甥っ子で、どちらかというと大人しいタイプのアルメにはぴったりの、真面目な職業の青年だった。


 自分より一つ年上の二十一歳。なかなかハンサムな優男で、初めての顔合わせでドキドキしてしまったことをよく覚えている。


 少しずつ心を通わせて、いずれは彼と愛のあふれる家庭を築くことができたら、なんて思っていた。


 ……その相手と、まさかこういう終わりを迎えるだなんて。


 自分が傷ついたことよりも、天国にいる祖母が悲しんでいたら嫌だなぁという気持ちで、胸が苦しくなる。


(おばあちゃん、ごめんね……残念だけれど、私たち上手くいかなかったみたい……本当に、ごめんなさい)


 祖母の最後の願いを叶えられなかった悔しさと、やりようのない虚しさで目元が湿ってくる。フリオとその浮気相手の前で泣くのは、なんだか負けた気がして嫌なので、グッと堪えた。


 固い表情のアルメをよそに、フリオは話を進める。


「――そうだ。君に援助していた金だけど、婚約破棄の慰謝料としてチャラにしてやろうと思う。どうだい? これで円満だろう?」


 彼の言う援助金とは、アルメの祖母の医療費のことだ。


 神殿のホスピスで神官の魔法による医療を受けるためには、それなりに金がかかる。祖母は一年間入院していたので、結構な額であった。


 アルメの家の金に合わせて、婚約者であるフリオの家からもいくらか出してもらっていたのだった。

 要はフリオへの借金だが、結婚して夫婦になる予定だったので、借金という形にはならないはずだったのだが。


 関係が白紙になるので、金の問題はこじれる前にクリアしておきたいところだ。


「確か三十万G(ゴールド)くらいだったか?」

「……いえ、七十万G、いただいていたわ」

「そうか、結構大きいな……まぁいいだろう。慰謝料として、七十万Gの借金を帳消しにしよう」

「うん……ありがとう」


 ありがとう、と、なんとなくお礼を言ってしまったけれど、言うべき場面ではなかった気もする……。

 浮気された慰謝料に礼を言ってどうするのか、と、心の中でもう一人の自分がツッコミを入れた。



 話に区切りがつき、場に沈黙が流れる。


 浮気相手のキャンベリナはフリオに肩を抱かれたまま、ペッタリと体を寄せている。


(……私もフリオにそういう甘え方ができていたら、上手くいったのかしら。……いや、それ以前に容姿を嫌われていたみたいだから、きっとどうしたって駄目だったわね……)


 もう一度深くため息を吐くと、ソファーから腰を浮かせた。


「それじゃあ、私はこれで……。ええと、今までありがとうございました……祖母の医療費の援助も、とても助かったわ。……お幸せに」

「あぁ」


 フリオは一言だけ返事を返した。

 彼とキャンベリナの姿を目に入れないように、下を向いたまま部屋から歩き去った。

 

 耳にチュッチュというリップ音が届いたので、きっと彼らは笑顔でキスを交わし合っていたに違いない……見なくてもわかる。



 作業室を出て、足早に廊下を歩く。

 見知った図書館の職員たちに挨拶をする余裕もなく、逃げるように建物を出た。


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