第三章・魔女狩りという名の
ただ、《あいつ》が笑っていてくれると言うのなら。
※
フォルンさんとカインがいる宿屋を抜けて、僕はただひたすらに走り続けていた。とにかく必死に、走り続ける。噎せ返るような不安と予感だけが、僕を走らせていた。
(「―――そうね、意味もない魔女狩りとか」)
フォルンさんのあの一言だけで、僕が動くには充分だった。彼女はただ僕に意地悪を言って、からかっただけかもしれない。実際、その通りなのだろう。しかし僕には、自分が馬鹿だとわかっていても、自分が愚かだとわかっていても、己の中で発生した不安を拭いきれずに、しかもそれに従って行動していた。
既に息も上がり、肩で息をする僕。しかし走り続ける足は止めない。やはり慣れないことはするもんじゃないな――と僕は自嘲気味に心の奥底で自分を笑った。
外は既に真っ暗で、生き物たちの時間に静かに終わりを告げていた。そう、夜は―――魔である、魔女たちの時間。だから人通りは全くと言っていいほどなかった。
「……、っ…」
つん、と鼻をつくような匂いがした。
僕は一瞬足を止め、匂いが来た方向を灰色の瞳を細めて見つめる。橙色をしたそれらは、少しばかり距離があるにも関わらず、僕のよく知るモノだと確信させた。
僕の勘違いであってほしいとも――思った。
「……」
火の匂いが―――する。
あと何かの―――焼けるような匂いが。
「…っ、…」
走る。距離はそんなに無い。息は既に上がっているが、そんなモノは関係なかった。本能とも言うべき僕の中の何かが、己を奮い立たせる。
僕は足を止めた。
生い茂る草木の中、僕は眼下に広がるそれらを見下ろした。微かにそよぐ風に、僕の昏い外套が揺れる。
それは、その光景は―――僕が今までに見知っているものだった。
数々の任務や旅先の町々でよく見かける―――その光景。
人間のカタチをしたものが、木で象られた十字架に磔にされている。その手には、よくは見えないが杭が突き刺さっているように見えた。そして―――焼かれて、いる。
人間が、焼かれている。
人々が行う、《魔女狩り》という名の―――殺人行為。
その掲げられた正義の犠牲になるのは常に本物の魔女ではなく、普通とは違う、人々から孤立し、嫌われている者が《魔女》として告発され殺される。なぜほとんどの場合魔女ではなく人間なのかと言うと――魔女はそもそもあまり人と関わらないし、それに簡単に、人を殺せる力を持つモノたちばかりだから。
そしてこの大陸を統べる「宮廷」が―――「魔女」の存在を否定している。だから必然的に、小国の王たちはそれに従うしかない。もちろんアクラス国のように魔術師を抱えている国もあるから、僕たちのような存在―――人間とそんなに変わらないのに、しかし怪異そのものである魔女という存在を、知っている人間も必然的に生まれる。
いつも疑問に思っていた。
僕が魔女に成ったあの時から、ずっと。
「…」
魔女だと、自分たちとは違う存在と思い込んで同じ人間を殺し続ける彼らを、なぜ宮廷は止めようとしないのか。なぜ、こんなにも大陸中に広がった《魔女狩り》という忌み事を、宮廷は止めようとしないのか。
だって《それら》が生み出すのは―――憎しみと悲しみだけなのに。
そうして弱い人間の心は、そうして歪んでいくだけだというのに。
そしてそれを止める勇気もなく―――いつだって眺めているだけなのは、僕も宮廷と同じ、か。
皮肉だった。
僕は真っ赤な炎に包まれた、既に原型を留めていない人間だったモノを、遠くから見つめていた。
「あれ―――昼間のお兄ちゃん?」
声がした方を見ると、そこには翡翠色の瞳をした男の子が立っていた。
てか、昼間の掏り少年だった。
「…」と呆けている僕を見て、その男の子は笑む。優しそうに、しかしどこか悲しげで―――見ていて僕の方が、痛々しい気分になった。
それにしてもこんなところで、この子はたった一人で何をしていたのだろう。
その僕の疑問に気付いたのか、男の子は真っ赤になったいる眼下を指差して言った。
「あそこで焼かれてるのは、ぼくのおとーさんとおかーさんだったんだよ」
寂しそうに、男の子は言った。
しかし既に終わったことのように―――淡々と、続ける。
「昼間お兄ちゃんの財布を盗ったのは、おとーさんとおかーさんを助けてもらおうと思ったからなんだ。お兄さん、魔女なんでしょ?ぼく、それぐらいならわかるよ。だってぼくも―――きっとみんなとは違うモノなんだと思うから」
僕は、灰色の瞳を見開く。
見破られていた?こんな小さな―――男の子に。
そんな馬鹿な。僕はこの国の魔術師が張った結界魔法に引っかからないように、事前に魔力制御装置を付けてきたのに―――。
「今お兄ちゃんが髪に付けてるそれは、人間の魔法使いさんに正体をわかなくするためのモノなんでしょ?」
「なんで――それを。」
確かに、男の子の言うとおり。
僕が付けている髪飾りのようなのは、自身の魔力を抑えるためのモノ。
真紅色の、魔力制御装置。
男の子は再び真っ赤な光景を見つめる。見るのは辛いはずなのに、見たくもないはずなのに、男の子はその光景を翡翠の瞳に焼き付けるように、目を逸らさない。僕がとっくに音を上げたその光景を、見続ける。
「でも、おとーさんとおかーさんは死んじゃった。お兄ちゃんは悪くないよ。財布を盗ったぼくを追いかけてこなかったのは予想外だったけどね」
言って、男の子は苦笑した。
違う、違うんだよ――――今君がするべきは、そんな表情じゃない。
そう言いたいのに、僕は声が出せなかった。
「お兄ちゃんこれは――仕方の無い、ことだったんだよね。きっとこうなるように、最初から運命は廻ってたんだよね、」
ようやく翡翠の瞳を僕に向けたかと思うと、その目は悲しみに暮れていた。きっと、何か応えてほしいのだろう。自分では出すことのできない答えを、この子は僕に求めてる。
ずきりと、僕の心が悲鳴を上げた気がした。
「…僕は、仕方のないことだとは思わない。でも僕は―――そんな偉そうなことを口にする資格はないから。でも、出来ることならある。」
「え…?」
男の子はきょとんと、首を傾げる。
この時はじめて、僕はこの子の子どもらしい顔を見れた気がした。
「よかったら一緒に来る―――?僕との旅って、結構危険なんだけど」
これから任務もあるし―――と付け足すと、男の子は優しく笑った。
そしてどこか気恥ずかしそうな表情をすると、黙って僕の手を取った。
※
「だああああああああああっ!!エインセルて・め・え・はっ!!変なモノを拾ってくるんじゃ、ねええええええええええっっ!!」
怒号。
ふしゃーっっ、とカインはこれでもかというくらいに毛を逆立てている。
一方、フォルンさんはというと。
「やん!何この子超絶可愛い―――っっ!!一体どこから攫ってきたの!!?」
と深紅の瞳を輝かせている。どうやら子ども好きのようだった。
…おっそろしくギャップ。
てか、僕が攫ってきたこと前提かよ。
「ぼくの名前は氷白 雅。6才です」
言って、ミヤビ君はびし、っと自分の手で年齢を表す。フォルンさんは「やん!萌える!」とか言いながら乙女モードに突入していた。…それにしても、僕とミヤビ君に対して温度差違いすぎじゃね?というのは心の内に秘めておく。
「おい、エインセル。オレサマは知らねえからな!」
カインは苛立たし気に金と赤紫のオッドアイを細めると、そっぽを向く。そんなカインを見て、ミヤビ君はきらきらとした眼差しでそれを見つめていた。そしてぎゅ、とカインを抱きしめる。
「ぎゃああああ!何しやがるこのガキィ!!離せ――――っっ!!」
多分喋る猫が珍しいのだろう。
ふ、いい気味だなカイン。
僕が優越感に浸っていると、気付いたらフォルンさんは我に返ったようだった。少しだけ頬を赤らめているのが少し可愛い、とか思ったけど命が惜しいので口には出さない。
「でっ!仕事の話だけどっ!」
「はいはい。」
僕が生暖かい目で見ると、すかさず平手が飛んできた。
僕の左頬にもみじができたのは言うまでもない。
「で、仕事の話なんだけど。」
「…はい、すいません」
いつも通りの冷徹な深紅に戻ると、フォルンさんは言った。
「魔女結社・黒い鉤爪の兵、エインセル。貴方には今回、アクラス国王の魔術団に潜入してもらうわ。」
「…はい?」
「ずべこべ言わない!」
次は鉄拳が飛んできた。
どうやら僕に発言権はないようだった。
ちなみに正確には、つべこべ。
「見たでしょう?あの魔女狩りを。あれだけならどこの国にもある光景よ。でも問題は…その数よ。」
「…」
一瞬深紅の瞳を伏せ、フォルンさんは言った。
「あれだけの人間を狂わせる瘴気を発している何かが、あの城にはいるはずなの。そしてそれは…《赤》の魔女に関わっていることかもしれない。宮廷は放っておいているようだけど、《赤》の魔女が撒いた物語である可能性が少しでもあるのなら…壊してきて。必ず。」
それだけ言って、彼女は席を立った。
自室に戻るであろう後ろ姿から、僕は目を離さない。
「フォルンさん」
真っ赤に編まれた三つ編みを揺らして、彼女は振り向く。
「何よ」と僕に冷めた深紅で見つめた。
「貴女はバルドウェイン博士のことを、どう思っているんですか?」
しかしこれは、完璧に失言だった。
次の瞬間、彼女の瞳が怒りに染まったかと思うと、僕の外套は灰に変わっていた。僕が情けない声を出す前に、あっと言う間に燃え上がってしまったのだ。
「黒い鉤爪の兵ごときが、軽々しくあの方の名を口にしないで頂戴。」
そう吐き捨てると、フォルンさんは姿を消した。
「…」と僕はフォルンさんの消えた階段の向こうに視線を固めたまま。
ミヤビ君もカインも、どうやら固まっているようだった。
黒い鍵爪のナンバー2《ツー》、フォルン・レギリット。しかし僕らが垣間見たのはその強大すぎる能力の一端にしか過ぎない。そして僕たちが彼女の本当の恐ろしさを知るのはまだ少し、先の話である。
しかし間抜けにも未だ腰を抜かしている僕が、そんなことを知っているはずはなかった。
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